せめて彼女が消えてしまう前に
文部 蘭
Episode1: 二つの夜行性
俺が好きになった女性は、半分死んでいた。
彼女の名はコハクといって、原因不明の病により、紫外線を少しでも浴びると心肺が停止してしまう体質だと聞いている。俺が記憶している限りでは、その病気に対する治療法や薬剤は未だ開発には至っていないはずだ。
コハクは、俺にこう告げた。あたしは夜にしか生きられない。昼は真っ暗な部屋に閉じこもって、眠っているしかないの。だから、夜の間だけでいいから傍にいて、と。
その約束を俺は守るつもりだった。アスラと再会するまでは。
*
シワが目立つ制服を着て歩く俺の目の前で、コハクの銀白色に輝く長い髪が揺れる。時折風に
俺たち二人は、花火を見に納涼大会に来ていた。俺は高校生だが、コハクもおそらく同年代であるため、傍から見れば立派なカップルだ。ただ、コハクとは付き合っている訳ではないし、第一コハクの素性を俺はよく知らない。そのため、カップルと呼ぶには違和感があった。
辺りを見渡す。子供からお年寄りまで、大勢の人で砂浜は賑わっている。俺たちの歩くすぐ近くにある屋台の列からは、美味しそうな匂いと、活気に満ちた和テイストの音楽が流れてきた。雰囲気に完全に飲まれ、俺たちはすっかりお祭り気分に浸っていた。
もうすぐで花火が始まろうとした時、コハクが俺のTシャツの裾を引っ張ってきた。
「私、花火見たいって言ったけど……実はあのおっきな音が苦手なんだよね」
「えっ、そうなの?」
「うん……だから、しばらくココ離れるね」
「離れるって……おい! どこ行くんだよ!」
コハクは俺のもとを離れ、どこかへと姿を消してしまった。人混みが邪魔で、コハクの後姿を探そうとしてもうまくいかない。どうせすぐ戻って来るだろうとあきらめて、俺は一人で花火を眺めることにした。
空いていたわずかなスペースに腰を下ろし、無意識にため息がこぼれる。あぐらでもかこうかと考えていると、あの、と隣に座っていた女の子に声をかけられた。
「コウキ……だよね?」
「はい?」
「ほら、やっぱコウキだ」
「もしかして、アスラ……か?」
そこに居たのは、一年前に俺と付き合っていた、同じクラスの
「髪、染めたんだね。あのコウキが金髪になってたから最初気づかなくって。あと、これコウキには言っといた方がいいよね。信じられないと思うけど……あたしね、夜にしか生きられなくなったの」
耳を疑った。アスラは、今なんて……?
「アスラ……も?」
「も?」アスラは目を丸くして、俺のことを見つめている。その瞳は透き通っていて、俺の胸の内をじっと覗かれているような感覚になる。
「あ、いや。それって、何かの病気か?」
動揺しているのを悟られまい、と俺は平静を装ってアスラに訊ねる。アスラは夜空を見上げ、軽く深呼吸をした。
「あたしね、最初は信じたくなかったの。自分が病気だってこと。だから、診断書を受け取ったあとの数日間は、昼間でも平気な顔して外を歩いてた。そしたら、眩暈が止まらなくて、吐き気がして、ああ、やっぱそうなんだ、って。これは夢なんかじゃなくて現実なんだ、って気づいたの」
アスラの横顔は寂しさに包まれていた。そりゃ、そうだよな、と俺はアスラを襲った現実を自分に置き換えて考えてみる。夜の真っ暗な間だけしか生活が出来なくなるのだ。それは、人生の時間のちょうど半分を削られたに等しい。
その時、花火が上がった。オレンジ色に輝く、大輪の華だ。その輝きは、夜の海辺をまんべんなく照らすスポットライトのようで、俺とアスラもその光を浴びる。
「ねえ、コウキ。あたしのこと、寂しい人間だって思った?」
「……いや。そうは、思わないな。だって、今もこうして俺と綺麗な花火を見れてるだろ。今ここには、寂しいなんて言葉は必要ない」
「そう。あたしは寂しいよ」
アスラが俺の左手を握ってきた。手のひらから伝わるその温かさは、以前のアスラと変わっていない。しかし、彼女を取り囲む環境は大きく変化しているのだった。今にも涙がこぼれ落ちそうな、潤んだ両の瞳がその事実を物語っている。
こんな時、どうすればいいんだろうか。俺は正直、困惑した。アスラに何か優しい言葉をかけたいが、相応しいものが思いつかない。
そんな俺の心中を察したのか、アスラは俺のことをからかうように笑った。
「どうしたの、そんな不安そうな顔して?」アスラは俺をからかう事を楽しんでいるような、そんな顔をしていた。そして、俺はその表情に懐かしさすら覚えていた。
「ねえ、コウキ。一つだけあたしからお願いしてもいい?」
突然、アスラはそう切り出した。
「お願い?」
「一緒に来てほしいところがあるの」
「……でも、俺は友達を待たなきゃいけないし」
「大丈夫だよ。少しだけ時間くれない?」
結局、コハクに対しては罪悪感を抱きながらも、俺はアスラに従うことにした。
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