第92話 二人だけの秘密の夜
ふう、何とかミカンにパンツは穿かせたし、あとは紫乃先生の部屋に運ぶだけだな。
「せーの」
「お二人共、何をしてるんですか?」
俺と小鳥遊が再びミカンを持ち上げたその時、今度は廊下の奥から桃園さんが歩いてきた。
げげっ、桃園さん!
「――って、ミカンちゃん!? ミカンちゃん、どうしたんですか!?」
桃園さんが顔色を変えてミカンに駆け寄る。
「実は、女子更衣室で倒れててたの。そこへこの男子二人がたまたま通りかかったから、先生の部屋に運び込むところを手伝ってもらっているの」
紫乃先生が上手いこと桃園さんに説明してくれる。
「そうだったんですか」
「桃園さんは、どうしてここに?」
「ミカンちゃんがもうすぐ消灯なのに帰ってこないから心配で見に来たんです。ちょうどお腹も空いていて、何か飲み物でもと思っていましたし」
「お腹空いてって――桃園さん、夕ご飯食べなかったの?」
小鳥遊が首を傾げると、桃園さんは照れたように笑った。
「はい、実は寝過ごして夕ご飯の時間を逃してしまいました」
「そうなんだ。じゃあ、武田くんと同じだね」
「そうなんですか?」
桃園さんがびっくりした顔で俺を見やる。
「うん、俺も晩飯食べてなくて、それで腹減って自販機のところに来たんだ」
まあ、来たのはそれだけの為じゃないけどな。
「そうなんですか? 同じですね」
「武田くん、いくら起こしても起きないんだから、よっぽど疲れてたんだね」
ははは、と小鳥遊が笑う。
そうこうしているうちに、俺たち四人は紫乃先生の部屋にやってきた。
「どうぞ」
紫乃先生が部屋のドアを開ける。
「失礼しまーす」
俺と小鳥遊は、ミカンを部屋に運び込み、ベッドに寝かせた。
「ふう」
「お疲れ様」
紫乃先生が腰に手を当てて笑う。
はー、なんか緊張が解けてドッと疲れが襲ってきた気がする。
それにしても――。
俺は紫乃先生の部屋を見回した。
部屋の広さは俺たちの部屋と同じくらいだけど、俺たちが六人部屋なのに対し、紫乃先生は一人部屋だ。
しかも部屋のテーブルには缶ビールやら酎ハイやらおつまみやら、脱ぎ散らかしたパンストや紫のブラジャーまで転がっている。なんてだらしないんだ。
「先生、一人部屋なんですね。いいなぁ」
小鳥遊も部屋をキョロキョロと見回す。
「ふふっ、先生ですもの」
そう言いながらビールの缶を開ける紫乃先生。おいおい、生徒の前だぞ、良いのか?
「あ、そうだ」
紫乃先生が財布を取り出し、俺に千円札を握らせる。
「……えっ、これは?」
「橙野さんをここまで運んでくれたお駄賃よ。このお金で、桃園さんと一緒にコンビニに行って何か買ってきなさい。でなければ近くにラーメン屋とかファミレスもあるし」
「え、ええっ、良いんですか!?」
マジかよ、腹を空かせた俺にとっては渡りに船だぜ!
「うん、途中で誰かに見つかっても、私に許可を得たって言えばいいから」
「行ってきなよ。ミカンは僕と先生が見てるからさ」
小鳥遊がヒラヒラと手を振る。
「どうしますか? 武田くん……」
桃園さんがチラリと俺の顔を見上げてくる。
「決まってるじゃん。行こうよ、一緒に!」
俺が言うと、桃園さんは嬉しそうにうなずいた。
「はい!」
ふう、色々あったけど、これでやっと桃園さんと二人っきりになれたな。
***
二人並んでホテルの外に出る。
流れ込んで来るピリッとした夜の空気。
チカチカと瞬く星に、通り過ぎる車や街の灯り。
先生の許可は得て外に出てるんだけど、何だか桃園さんと二人、いけないことをしているみたいでワクワクする。
「何食べましょうか」
「せっかくだし、先生の言ってたラーメン屋にでも言ってみる?」
「いいですね、ラーメン!」
反対されるかと思いきや、心底嬉しそうな顔で笑う桃園さん。
桃園さんはお嬢様育ちだし、深夜にラーメンを食べるなんてこと経験したことないだろうから逆に楽しみなのかもしれない。
「あったぞ、ここだ」
赤い提灯に導かれてラーメン屋に入る。
中は狭くて、テーブル席が三つほどあり、あとはカウンター席だ。
「どっちにする?」
「私、カウンターに座ってみたいです!」
子供みたいにはしゃぐ桃園さんの横に腰掛ける。
「あ、そうだ。ユウちゃんたちに連絡しておかないと」
桃園さんはスマホを取り出すと、パパパッとユウちゃんにメッセージを送った。
「これでよしっと。みんなには、紫乃先生の部屋でミカンちゃんの様子を見てるって伝えちゃいました」
桃園さんはてへへ、と笑う。
「……このことは、二人だけの秘密ですよ」
「うん」
やがて、桃園さんの頼んだ醤油ラーメンと俺の頼んだチャーシューメンが運ばれてきた。
長い髪を耳にかけながら、はふはふと美味しそうに麺をすする桃園さん。
「美味しいです!」
俺もスープをレンゲですくって口をつける。うん、煮干しの出汁がきいた、昔ながらの中華そばって感じで美味しい。
「あの、武田くん」
と、桃園さんが急に箸を止める。
「昼間……その、清水寺で、姫野さんと何を話していたんですか?」
モジモジしながら聞いてくる桃園さん。
ああ、あの時の――。
『武田タツヤ……あなた、面白い人ね。私、あなたに興味が湧いてきたわ』
そっか、もしかして桃園さん、あの時の姫野さんのセリフを聞いて――。
俺はパタンと箸を置いた。
「大丈夫だよ。実は姫野さんはオカルト好きで――その、俺がオカルト的なパワーを持ってるって勘違いしてるんだ。それで興味があるって言って来ただけ」
「そ、そうだったんですか」
桃園さんが耳まで顔を赤く染める。
「す、すみません、変な事聞いて……」
俺はチャーシューを喉の奥に落とすと、小さな声で囁いた。
「……大丈夫だよ」
「えっ?」
桃園さんが不思議そうな顔で俺を見やる。
「俺が好きなのは、桃園さんだけだから」
早口で言うと、俺はズズッと麺を啜った。
何だか小っ恥ずかしい。
「……はい」
ラーメンに視線を戻し、赤い顔でうなずく桃園さん。
お腹が空いているせいか、この時食べたラーメンは、これまで食べたラーメンの中で一番美味しく感じた。
「それじゃあ、帰りましょうか」
「……うん」
二人で夜道を歩いて帰る。
「……桃園さん」
俺は勇気を出して切り出した。
「手、繋ごうか」
「……はい」
桃園さんの少し冷たい手を握り、ホテルまでの道のりを歩く。
胸がドキドキして、体が火照るように熱くて……でも、とっても幸せだ。
桃園さんも、同じように思ってくれているかな?
そして俺たちが戻ると、ほどなくしてミカンは無事に目を覚まし、桃園さんと一緒に部屋に帰ったのであった。
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