第2話 俺は『桃学』世界に来たらしい

 ――ピピピピピピピピ。


 アラームの音。


「タツヤ、起きなさい。遅刻するわよ」


 母さんの声で目が覚める。


 あれっ、朝? 


 ガバリと飛び起きる。


 頭がひどく痛くて思考能力が働かない。

 辺りを見回すと、見慣れた俺の部屋だった。


 どういうことだ。俺は学校にいたはずじゃ――。


 目の前の時計を見ると、すでに朝の八時を過ぎている。


 サッと血の気が引く。学校が始まるのは八時半からだ。このままだと遅刻してしまう。


「ヤバい、遅刻だ」


 俺はベッドから飛び起きると、慌てて学校に行く準備を始めた。


「あんた、朝ごはんは?」


「食べてる時間なんて無いよ」


 この際、朝飯は抜きだ。


 五分で歯磨きと洗顔を済ませた俺は、制服に着替えようとしてある異変に気づいた。


「母さん、俺の制服が無いんだけど」


 部屋の中をいくら探しても制服が無い。


「何言ってるの、昨日ちゃんとアイロンかけてあんたの部屋に掛けておいたわよ」


 イライラした母親の声が返ってくる。


 言われた通り部屋の中を探すと、確かに制服はあった。あったけど――。


 目の前にあるのは紺色のチェックのズボンに、金のエンブレムのついた同色のジャケット、そして緑のネクタイ。


 どういう事だ。うちの高校の制服はごく普通の黒の学ランだったはず。


 こんなコスプレみたいな制服じゃなかったぞ。


「でもこれ、うちの学校の制服じゃないだろ。いつもの学ランは?」


 途方に暮れていると、母親が笑う。


「何言ってんの、あんたまだ中学の制服着る気?」


 え?


「あんた今日から高校生でしょ。早く着替えなさい!」


 は!?


 待て待て。

 俺の記憶によると、僕は高二で、今は夏休み前の七月のはず。


 カレンダーを見る。確かに母さんの言う通り四月だ。スマホの日付もそう。


 あれ、俺寝ぼけてんのかな。おかしいのは俺のほう?


「ほら、早くしないと、入学式に遅刻するわよ」


 母さんに言われて時計を見る。


 そうだった。

 とりあえず早く行かないと時間がヤバい!


 とりあえず見慣れないブレザーに着替える。


 言われてみれば、こんな制服だったような気もしなくはない。


 ということは、高二で学ランを着て学校に通っていたという方が夢だったのか?


 まぁいい。とりあえず学校に急がないと。


「行ってきまーす」


 高校まで全力疾走する。


 桜の花びらが舞い散る、よく晴れた通学路。


 俺と同じ制服を着た生徒と何人もすれ違う。


 春だなぁって感じだ。


 そして校門前までやってくる。俺の通う並木坂高校へ――って!


「えっ」


 思わず声を漏らす。


 校門前のプレートには俺の通う高校「並木坂高校」ではなく金色のデカデカとした文字で「桃色学園」と書かれている。


 そこで俺は、はたと気づいた。


 そうか。この制服、どこかで見たと思ったら『桃学』の制服じゃないか。


 そう、この制服は俺ハマってる人気ラブコメマンガ『桃色学園がーるず』で主人公たちが着ている制服だ。


 男子のカラーイラストはあまり無いから気づかなかったが、女子生徒の制服はまんまじゃないか。なぜ今まで気づかなかったのか。


 どういう事だ。学校ぐるみでコスプレ大会でもしてるのか?


「はあ、はあ。遅刻しちゃいますっ」


 混乱している俺の背後から、女の子の声。


 俺は思わず振り向き――そして驚愕した。


 目の前には、長いピンクの髪をなびかせ駆けてくる美少女。


 大きくパッチリとした目。色白の肌に優しげな顔立ち。

 すらりとした手足に不釣り合いなほど大きな胸が上下にぷるんぷるんと揺れている。


 桃園ももぞのさんだ!


 桃園さんだ。


 『桃学』のヒロイン、桃園メグちゃんが、目の前で生きて、動いて喋ってる。


 どういうことだ?


「きゃっ」


 俺が唖然としていると、桃園さんは目の前で小柄な男とぶつかった。


「いてててて」


 桃園さんとぶつかったその男にも、俺は見覚えがあった。


 小鳥遊たかなしだ。主人公の小鳥遊までいるのか!


「痛たたた。あの、君、大丈――」


 言いかけた小鳥遊の言葉が止まる。


 なぜ小鳥遊の言葉が止まったかって?


 それはこの時、小鳥遊の目には桃園さんの桃色パンツがバッチリ映っているからだ。


 残念ながら俺の角度からは見えないけど。


 見えないのになぜ知っているかって?


「み、見た?」


 桃園さんが慌ててスカートを抑え、真っ赤になる。


 小鳥遊がうなずく。


「見た。桃色パンツ」


 桃園さんの顔が、見る見るうちに赤く染まっていく。


「へ、へ、ヘンターーイ!」


 絶叫と小鳥遊の頬がビンタされる音が朝の通学路に響き渡った。

 

 一方俺はというと、目の前で繰り広げられるこの茶番劇を見ながら、はっきりと確信した。


 どうやら俺は、愛読しているマンガ『桃色学園がーるず』の世界へと来てしまったらしい。


 そして俺は今、目の前でヒロイン、桃園メグが主人公の小鳥遊と出会う運命的なシーンを目撃したのだ。


「そうだ。――思い出した」


 その瞬間、俺は全てを思い出した。


 俺は『桃学』最終話の展開にキレて屋上のフェンスを蹴り、そのまま落下。


 そして恐らく、その拍子に『桃学』の世界に来てしまったのだ。


 でもどうして『桃学』の世界に?


 死の間際の幻想? 生まれ変わり?

 ただの夢? それとも――。


 俺は目の前の桃園さんを見つめた。


 ああ、桃園さん、こんなに可愛くて性格も良くてスタイル抜群なのに、それでも小鳥遊とは結ばれないんだよな。


 最終回の展開を思い出し、ズキリと胸が痛む。


 小鳥遊とユウちゃんが付き合うことになったと知った時の、あの桃園さんの悲しそうな顔といったら。


 あんな顔はもう二度と見たくない。


 俺はギュッとこぶしを握りしめた。


 そうだ。


 ひょっとしたらこれは、神様が与えてくれたチャンスに違いない。


 きっと、俺は可哀想な桃園さんを救うため、この世界に送りこまれたんだ。


 嘘か本当かは分からないが、俺は勝手にそんな風に解釈した。


「よし、やってやる。俺が小鳥遊と桃園さんが結ばれるようにしてやる!」


 こぶしを握り、春の空に誓う。


 こうして俺は、負けヒロインの桃園さんと小鳥遊をくっつけることを決意したのであった。

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