隣のお姉さんは大学生 番外編

m-kawa

第58、59話 素直な気持ち -IF物語-

「……そいつ誰?」


 東原ひがしはらと呼ばれた男が僕を怪訝な様子で見つめてくる。

 その言葉はたぶん、秋田さんに向けられているのだろう。


 ――というか、お前こそ誰だよ。


 秋田さんを呼び捨てにしてるってことは……少なくとも同じ学年以上ってことなのかな。

 僕は不機嫌そうになっていると思われないように表情を抑えながら、東原と呼ばれた男を凝視する。

 僕よりも二十センチは背が高いだろうか。清潔感のある短髪に、顰められながらもキリリと整った目元と鼻筋。僕から見ても誠に遺憾ながらイケメンに見える。


「か……、彼は、近所に越してきた高校生よ……」


 秋田さんのその言葉に、東原の眉間に寄せられていた皺がさらに深くなる。


「……ふーん」


 こちらに近づきながら僕にジロジロと視線を向けて来るけれど、とても不快なのでやめていただきたい。


「高校生ねぇ……」


 最後にポツリと呟いて勝ち誇ったように鼻で笑うと、僕に興味を無くしたようで秋田さんに視線を戻す。


「なあ秋田。……ちょっとは考えてくれたか?」


 ……うん? ……考えてくれた? 秋田さんがこいつの何を考えるんだ?

 鼻で笑われたことも相まって、もう僕は不機嫌オーラを隠すことを止めていた。腕を組んで東原を睨みつける。

 心の中に何かモヤモヤとしたものが溜まっていっているのが自分でもわかる。

 ……くそっ、なんだよこれ……。


 秋田さんが困っているのはなんとなくわかるけれど、相手が誰なのかもわからない僕にはなんとも割り込みづらい。

 というかどう言って割り込んでいいのかもわからなくて、イライラだけが募っていってる気がする。


「あ……、えっと……」


 秋田さんが考えあぐねていると、東原の後ろにいた男二人が騒ぎ出す。


「なぁ東原、この子が前に言ってた……?」


「あ……! そういうこと!?」


 後ろからの声に興が削がれたのだろうか、肩をすくめると一瞬だけ後ろを振り返る東原。


「……ああ、そうだよ。……すまん秋田。今日はちょっとピアノ弾きにきただけだから。……まあ聴いていってくれよ」


 それだけ言うと東原はグランドピアノの方へと歩いて行ってしまった。

 思ったよりしつこそうでなくて胸をなでおろす僕。だけれど、ちょっと気になるキーワードが出てきたな……。


 ――ピアノを弾くだって?


 秋田さんと知り合いっぽいからてっきり同じデザイン学科の人かと思ったけれど、もしかしてメディア学科の人?

 うーん……、なんとなく嫌なセンパイだなぁ……。


「はぁ……。ごめんね、黒塚くん」


 大きくため息をついた秋田さんが僕を振り返ると申し訳なさそうに縮こまっていた。


「あ、いえ……。ところで、あの人って誰なんでしょうか……?」


 グランドピアノへと座り、ペダルの具合を確かめている男を目線で指し示す。


「あー、うん……。メディア学科の一つ上の先輩なんだけどね……」


 やっぱりメディア学科の人か……。学科の違う先輩と接する機会ってよくあるのかな……。

 大学って講義が選択制だから、重なることもあるのかもしれないけれど。


「その……、お付き合いしてくれって、しつこくて……」


「――えっ?」


 その言葉に秋田さんに視線を戻す。

 ……今なんて、言ったのかな? お付き合いって……えーっと……?

 言葉を反芻しながら、グランドピアノを弾き始めた東原を睨みつける。

 あの男と秋田さんが一緒に並んでいる光景が浮かんできてしまった。


 ――それは嫌だ。絶対に嫌だ。


 それだけは何とか回避しようと、ぐるぐると頭の中を巡らせる。

 グランドピアノからは聞いたことのあるアップテンポなメロディーが聞こえてくる。

 演奏レベルはそこそこ。これなら割り込みセッションできるかも……。

 ……よし。

 僕は演奏が続けられるグランドピアノへと足を進める。


「黒塚……くん……?」


 秋田さんの声が聞こえるけどそれはスルーだ。

 僕はグランドピアノから少し離れたところにあるアップライトピアノへと腰かける。こちらはグランドピアノほど設置面積を取らない、縦に長いピアノだ。

 そしてどうやらグランドピアノを弾く東原がこちらに気付いたようだ。

 僕はその演奏に合わせるように、まずは控えめの音量で鍵盤をたたき始める。


 演奏してみた動画に合わせてキーボードを弾くこともある僕にとっては、それほど難しいことではない。

 もちろん知っている曲でないとできないけれど、幸いにして今流れているメロディーは僕がよく知ったものだ。

 演奏レベルを隣のグランドピアノに合わせて、徐々に音量を上げていく。

 最初から全力で相手に食って掛かったりはしない。こちらが合わせていると思わせるのだ。


 隣から聞こえるのは伴奏とメインのメロディーライン。僕はそれにベースラインとサブメロディーを合わせていく。

 サビに入る直前になって、僕は音量をグランドピアノとピッタリと合わせた。


 ここから攻勢に出る。


 一番盛り上がるサビに入るときに、僕は演奏レベルを一段上げた。

 まずはグリッサンド――白い鍵盤のみを高音から低音へ、手のひらを滑らせるように一気に動かすと、感情を込めてサビを奏でていく。

 鍵盤をたたく僕の手の動きが激しくなる。手の位置もひとところに留まってはいない。高音域、低音域とせわしなく移動する。

 ここからは僕の独壇場だ。グランドピアノが相手だけれど、僕は負けるわけにはいかない。

 さっきまではサブメロディーを弾いていたけれど、ここからのメインは――。


 ――僕だ。




 演奏が終わると僕はゆっくりと鍵盤から手を離す。


「……すげぇ」


 誰かの呟きをスルーして立ち上がると、周囲から拍手が響いていた。

 思ったよりも人が集まっている。


 ……あー、えーっと。


 恥ずかしくなった僕はそのまま、グランドピアノの方を見もせずに秋田さんへと近づくと。


「秋田さん、行こうか……」


 気持ちを紛らわせるように声を掛ける。

 だけれど、僕をずっと凝視している秋田さんは頬を染めたまま反応しない。

 どうしたんだろうか……。もう一歩近づいて、下から見上げるようにもう一度声を掛ける。


「……秋田さん?」


「あ……、はい……」


「そろそろお昼ご飯だよね?」


「……うん。……行こっか」


 この時僕は、素直に秋田さんを誰にも渡したくないと思ってしまったのだ。

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