2 デートと猫たち

 ペットショップへ出かける前の晩。俺は多分初めてであろう、女性とデートをすることになると思うと、どうも胸が高鳴って胸きゅんで死ねそうな勢いだった。しかし、その思いはデート当日に打ち砕かれる。

「ああ、清美ちゃん。いらっしゃい」

 俺とは初対面であろうその店員は、高橋さんを名前で呼んでいた。軽く小さきジェラシーを覚えた。

「あれ? あの、清美ちゃん。このお客さんと一緒ってことは――」

 高橋さんは真っ赤な顔をして、こう言った。

「彼氏じゃありません!」


「まーたまた、言うねぇ」

 ペットショップの店員は、なぜかそんな清美さんをからかっている。俺はどうすればいいのかとおどおどしていると、その店員に挨拶された。

「俺、ここでバイトやってる滝崎って言います。清美ちゃんは、ここの常連なんですよー」

「もう! 滝崎さん、私ここに通うのまだ三回目!」

 滝崎さんは、ニヤッとして俺の左耳に何やら言ってきた。

「(どこまでいってるんですか? キスくらい?)」

 俺はバッと離れて小声で言った。

「(いや、そういう気もありますけど、初対面でしょ? あなた失礼ですね)」

 そう言われて、滝崎さんはバツの悪そうな顔で、そうだよねーと言いながら、俺達の買い物の品を探してくれた。

「なんとも人間の恥じらいとやらは面白い」

 ミーちゃんがケージの中から言葉を放つが、その声が聴こえた俺は挙動不審になって、ミーちゃんに喋るな……! というのだが、その行動を観て、滝崎さんは少し笑ってこう言った。

「変わってるね! そこに一ポイント! でも猫は喋らないですよ?」

 あれ? 聴こえているのは、俺だけなのか?

「聴こえるわけがなかろうよ」

 ケージに入ったウリちゃんがそうつぶやく。続いてミカエルが言う。

「我々の声は、お前にしか聴こえていないのだ。その高橋清美も、その昔、ネグレクトにより動物を死なせた経緯がある。まあ、もっともお前よりは、猫が死んだ時のショックが大きくて、今まで生き物を飼わなかったそうだがな」

 い、いつのまにそこまでウリちゃんと会話してたんだ……。とにかく、俺にしか聴こえないのは、俺のネグレクトの数がちょっとあれだからか……と、俺は落ち込んだが、気を取り直して目標のグッズを買った。

「滝崎さん、悪い人じゃないんですけど、なんか凄く勘違いしちゃったみたいで……すいません」

 ちょっと頬が赤い高橋さん。なんで赤いんだろう?

「いや、とりあえず目標のグッズは買えましたから、大丈夫です!」

「そ、そうですよね」

 ん? なんかあった初日と違う反応だ。なんだろう? 俺はそう思っていると、高橋さんは自宅へ帰ると言って、そのまま別れた。

「ネグレクト……か」

 正直ミーちゃんを飼うのも中々勇気が必要だったし、後、色々な度胸も必要だった。そういえば、滝崎さんにこの猫の飼い方という本をオススメされたのだった。

 俺は、ちょっとしたことに気が付かず、この日は終わってしまった。そのちょっとした変化はすぐに分かるものだった。昨日の買い物から帰ってきた後くらいに、俺はミーちゃんと話をする。

「あれは面白い人間だな」

 ミーちゃんが昨日の出来事を言い出した。

「いや、まだ会って数日しか経ってないのに?」

 ミーちゃんは、買ってきたキャットタワーの上の方でしっぽを揺らしながら、ヒゲをちょいちょい触りながら言ってくる。説得力は皆無だろう。

「俺、高橋さんとこ行ってみよかな」

 ミーちゃんは、ストンとキャットタワーから床に着地して、こう言った。

「良かろう。私も行こうじゃないか」

 まあ、可愛い猫と一緒なら会う公実になるしと思って、高橋さんの三号室の前に来た。


「……緊張するなぁ」

 そしてインターホンを鳴らす。何故か猫の鳴き声が、だみ声で聴こえてきた。そういうインターホンらしい。

「どなたですかー?」

 そう言ってから高橋さんは、顔を真赤にして俺を外に出した。

「ちょっと! 待ってて下さい! 片付けます!」

 勢いのいい音が聴こえてくると、掃除機の音がした。数分後、玄関を開けてくれたが、やっぱり顔がまだ赤い。

「あの、風邪ですか?」

「え? いえ! 違います!」

 赤みがかった顔でなんだか申し訳なくなってきたので、やっぱり今日は帰ります。と、言おうとした時だった。

「あの、これ」

 高橋さんは、一つの写真を見せてくれた。

「わー、これ子供の頃のですか?」

 高橋さんは、顔を横に振って、そうじゃないんですという。高橋さんの横に写っているのは……あれ?

「あれ? これ、俺ですよね?」

 高橋さんはコクコクと頭を縦に振った。

「え! きよみん……!」

 きよみんと呼ばれた高橋さんは、満面の笑顔で、うんと頷いた。


 きよみんこと高橋さんは、俺の小学生時代の後輩だった。印象が余りにも薄くて、今日まで忘れていた。

「わー、ショック!」

 俺の見解を聞いたきよみんが言う。続いて俺。

「だってきよみん今、すげー綺麗じゃん」

 昔きよみんは、そばかすだらけの肌を気にする女の子だった。色々と親さんのお仕事の関係で引っ越しが絶えなかったらしく、やっと今は一人暮らしを良しと言われてしているらしい。ちなみにきよみんは、俺のことを今もこう言う。

「やっしーは変わんないね」

すかさず俺はこう言った。

「きよみんが大人の階段を登ったからだよ」

 そういうと、きよみんは小さな声で「バーカ」と言った。とても恥ずかしいようだ。

「さて、康孝。帰るぞ」

 忘れていた。もう夕飯の時間だと、時計を観て気付く。きよみんは言った。

「また明日ね」

「え? ああ、うん! またな!」

 そう言ってバイバイと手を振ると、静かにきよみんの自宅の玄関は閉まった。


 その夜、急に予定が入る。バイト先の店長である麻宮さんと他のバイトメンバーとで屋台に来ていた。

 ここならペットも大丈夫なので、ミーちゃんも連れて来ている。

「あらー可愛いハチワレ猫さんね」

 猫を最近飼っていると言ったら、夕飯おごるからここに来て! と言われて、きよみんと会ったあとにすぐに向かった。その時にミーちゃんの分もおごってくれるというので、お言葉に甘えた。

 ということで、俺は食べたいものを食べることにした。ちなみにここは、焼き鳥の屋台だ。

「鶏もも一つー!」

「はい!」

 威勢のいい声がしてくる。とても元気なおじさんだった。

「康孝よ」

ケージの中から、ミーちゃんがボソリと言う。

「早く出してくれ」

「あ、すまんすまん」

 すると、ミーちゃんを横からヒョイッと麻宮さんが持ち上げた。

「君は可愛いねぇ」

 持ち上げながら麻宮さんは言った。

「でしょ? でも結構大変なんですよ」

 俺もこの苦労と癒やしが分かってくれればそれでよかった。


 ペットショップから出るときに、予防接種は済ませましたか? と滝崎さんにミーちゃんの予防接種をしにいったことを話したが、ミーちゃんにとって屈辱的だったらしい。注射を打つ前におしりの穴に体温計を挿された時、物凄い勢いでにゃー! と鳴いた。そして、注射。「や、やめてくれ」と、嘆願するように動きまわり、打たれた後も機嫌が悪かった。そういう俺の苦労があったことも麻宮さんに話した。そして、やさぐれた声でミーちゃんは言う。

「さっきの猫缶は何だ? あれは気に入らんぞ」

 声聴こえないってば……と思った。

「ああ、さっき麻宮さんのくれた猫缶に不満持ってるっぽいです」

「え? あらら、そうなの? 確かに食べにくそうだったわね」

 すると、横からバイト仲間が言う。

「ハチワレっていうんですよね? 可愛いなぁ。触ってもいいですか?」

 ミーちゃんはやれやれと言う表情を浮かべていた。これは本で書いてあるところのデビルフェイスを浮かべていた。すまんミーちゃん。我慢してくれ。俺は、飲み会が終わるまで、とにかくミーちゃんを気遣っていた。


翌日、きよみんの突撃訪問で目を覚ます。

勢い良く「おはようございまーす」と、声が聴こえたので、早朝だったがすぐに出た。

「どした? きよみん」

「えっとね、今日は猫飼い仲間と猫オフに行くんだよー! やっしーも来ない?」

「うーん」

 少し悩んだが、きよみんがそう言うならと思って、行くことにした。幸い、バイトの時間は被っていない。


 ここは自宅から少し遠い広場。まさに猫の楽園だった。何処を観ても猫がいる。俺は、思わず顔が緩んだ。

「にゃー」

 猫だらけな中、きよみんがこっちへ来てと手招きをしているので行ってみる。

「うわ、ホントに似た毛並みだね」

 驚いたのは、猫飼い仲間のグッドキャット代表である上辺さんだった。どうやら同じ毛並みの猫を飼っているらしい。

「ですよね! この子とそっくりだったんで、つい連れて来てしまったんですよー!」

 きよみん凄いテンション高い。まあ可愛いな、こういうところは。と思っていると、上辺さんから質問が来た。

「ところで、高橋さんと小野さんって、どういう関係なんですか?」

「え?」

 俺ときよみんから、二人揃って声が出た。

 そういえば、どういう関係とか言ってなかったので、ひとまず小学校時代の先輩と後輩ということを説明した。

「なるほどね」

 またきよみんが、もじもじし始めている。

「きよみん? 大丈夫?」

「へー、アダ名で呼ぶんだ」

 横から、物凄くスレンダーな髪の長い女性が割って入ってきた。

「きよみんって清美さんだからよね? じゃあ、あなたはなんて呼ばれてるんですか?」

「え? ああ、やっしーって」

「やっしー? わー、ラブラブ」

「ちょっと、良美さん! そのくらいにしときなよ」

 上辺さんが、その良美さんを取り押さえて、遠くへ行ってすぐに戻ってきた。その間に結構な言い合いが聴こえたが、仲がいいような内容だったので、気には触らなかった。

「ごめんねー! 小野さんも高橋さんも迷惑だったよね」

 申し訳無さそうにいう上辺さんは言う。しかし、きよみんが言った。

「まあ、いずれは――」

 俺が思わず声をだす。

「いずれ?」

「な、なんでもない! さあ、ミーちゃん行こうかー! ウリちゃんもおいでー!」

 上辺さんが用意していたキャットタワーへと、二匹の大天使猫を連れて行くきよみん。

「ありゃーあれだな」

 上辺さんが言う。

「脈ありかもよ? 小野さん」

「え」

 声に詰まった。ひょっとするとひょっとするのか? 俺もきよみんちょっと好きだけど、きよみんも俺が好き?

 軽くパニックになりそうなくらい、ぐるぐると今までの言動が蘇る。

「なるほど、ありがとうごうざいます!」

「いえいえ」

 グッと親指を立てる上辺さん。上手くやれよって意味だとは分かっていた。

「うまくいきそうだな、ウリエル」

「そうだな、ミカエル」

 何やらミーちゃんとウリちゃんが会話しているが、この時の俺は、まだ二匹の仕掛けを知らなかった。


二匹の大天使猫の策略に気付いたのは、つい先日。ミーちゃんとウリちゃんが、アパートの窓際でなにかボソボソと喋っている時だ。それに対して、聞き耳を立てたわけじゃなかったが、聴こえるから仕方ない。

「康孝は完全にベタぼれという状態だ。問題はない」

「そうだな。こちらも清美は、好調に好きでいるように見える」

 ウリちゃんがその一言を言った瞬間。俺は、こう理解した。この二匹の大天使猫にハメられていたのだと。

 俺は少し考えていた。例えミーちゃんたちの差金でも、俺はきよみんが好きだ。ちょっと前に告白した時も、嫌な顔はされなかったし、寧ろ喜んでいた。ただ上手くそれを運んでいたのが、あの二匹だったということ。

 これはもう、策略がどうのではなく、きよみんと俺との問題だ。そうして、俺は意思を固めた。

 ミーちゃん達は相変わらず日向ぼっこをしているのであった。

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