一服堂 『次の電車が来るまでに』

影月深夜のママ。

第1話 次の電車が来るまでに(1/3)


 僕と少年が降り着いたのは一番線と二番線しかない小さな駅だった。

 駅舎は木造で、ペンキの塗られた屋根はところどころが剥げていた。ホームの花壇に咲いている白い小さな花は、彼がこの町に帰ってきたことを歓迎しているように見えた。

 僕は思わず小さくため息をつく。電車に揺られ続け、気がつけば随分と北まで来てしまったものだ。

「この駅で間違いないよね」

 駅の名前を確認すると少年はうなずいた。その顔は笑っていなかった。複雑な心境なのだろう。

 やっと両親に会うことができる。しかし、会ってしまえば多くのものを失ってしまう。どう声を掛けようか考えたものの、良い言葉は思いつかない。

 そのことに、僕はちょっと、自分が嫌になる。

 僕は彼の手を軽く引いた。彼は僕を見上げた。今にも泣き出してしまいそうな表情だった。

 「どうする」と僕は聞いた。

 意味のない質問なのは分かっている。彼に選択肢なんてあるはずがない。だからこそ、彼は僕を頼ったんじゃないか。

 彼は一つ頷くと、足を進めた。

  駅員のいない駅舎を出ると、目の前には大きな田んぼが広がっていた。淡い空の向こうの山には、色づき始めた紅葉が見える。肌を撫でる風がちょっと冷たい。

 初めて訪れた片田舎の風景に僕は戸惑い、少年は懐かしんでいた。

 僕は近くの自販機でオレンジジュースを買い彼に手渡す。田舎でも自販機の中身は僕の住んでいる町とは変わらない。ジュースと、コーヒー、それからミネラルウォーター。少年は僕の渡したオレンジジュースを一気に飲み干すと、田んぼを右に歩き始めた。僕はポケットに手を突っ込んで、彼に続いた。



 佐々木大樹と少年は名乗った。小学一年生の彼は5月に誕生日を迎えたらしい。

 とても無垢な顔をする少年だった。笑うと白い歯が覗いた。目がキリッとしてて、もう少し大きくなったらさぞモテるだろう。

 もったいないな、と僕は思った。

 彼と出会ったのは二週間ほど前になる。

 「ねえ、お兄さん」

 大学の帰りに公園で一服するのが日課になっていた僕に、彼は無邪気な表情で近寄ってきた。赤いTシャツと汚れた半ズボンをはいていた。季節外れの格好に僕は違和感を覚えた。その日は、残暑もすでに過ぎ去った十月の下旬だったからだ。

 「お兄さんは、僕のことが見えるんでしょう」

 少年は期待のこもった顔でそう言った。キラキラと目が輝いている。

 やれやれ、またなのか。

 声を潜めて、僕は尋ねた。

 「一体何に困っているの?」

 「ちょっと迷子になっちゃったんだ」

 イタズラがばれてしまったように、少年ははにかんだ。

 「お気の毒だね。いつから迷っているんだい?」

 「夏休みから。お父さんとお母さんとね、旅行に行ってたんだ。海で泳ごうね、って。でも、お父さん道が分からなくなって、地図を開いたんだ。そしたらね、横の道からねトラックがすごい速さでこっちに走ってきて。僕、声を上げたんだ。怖くてしょうがなかったから。気がついたら、ここにいたんだ。一人でここにいたんだ」

  ほら、あそこだよ。あそこでぶつかったんだよ。

 少年は車の通り多い国道を指差した。

 「そっか」

 「それでね家に帰りたいの」

 「うん」

 「でも、道が分からないんだ。どこをどう行けば良いのか分からない」

 「そう」

 僕は不意に漏れかけたため息をすんでのところで止めた。彼らに関わると、面倒なことになるのだ。僕としては、彼の要望が常識の範囲内であることを祈るしかない。

 「お願いがあるんだ」

 少年は言った。

 「お兄さん。僕の家まで連れてってくれないかな」

 「そんなところだろうと思ったよ」

 断る理由を探してみたけれど思いつかなかった。どうせ思いついていたところで、少年は納得しなかっただろう。彼らはみんな、例外なくわがままなのだ。

 ボリボリと髪を掻く。

 「分かったよ。詳しいことを聞かせてくれるかな」

 うんざりしながら僕はそう言った。

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