第114話 大阪(3)

「あ、お帰りなさい。 どうだった? フレンチ、」


理沙が社に戻ると、高宮が一人で仕事をしていた。


「とても、上品なお店で。 私も初めて行きました・・・」


「そう、」


理沙は高宮に近づいて、


「あの、」


パソコン画面に目が釘付けの彼に声をかけた。


「なに?」


高宮はゆっくりと振り向く。


「会長夫人が足を悪くされていることをご存知だったんですか?」


「え? ああ・・この前、資料を整理していたら春ごろの一ツ橋プロのパーティーの写真が出てきて。奥さん、杖をついてらしたから。」


あっさりとそう言われた。


杖を…


自分もそのパーティーに行っていた。


しかし、会長夫人が杖をついていたことなど


とっくに忘れていて。


「あの懐石の店、掘りごたつ風の席になってたから。 ああいうのって足が悪い人にはけっこう大変なんだよね。 フレンチは希望を言えばメニューも変えてくれると思ったし。」


なんでもなかったように言う彼に


「私、そんなこと全然…思いもしなくて。」


理沙は落ち込んだ。


1年半も社長秘書をしていて

そんな気遣いもできなかった。


あからさまに落ち込む彼女に、


「別に、気にすることないよ。 そんなの。 日ごろから細かいことに目を向けるようにしておけば。 誰でもできるって、」


高宮は笑い飛ばした。


「私はまだまだ全然秘書の仕事、できていないなあって・・」


「おれだって。 アメリカから戻ってきていきなり常務の秘書になっちゃって。 初めは常務の世話係かよ!ってほんっと腹立ったけど。 ま・・でも、秘書も奥が深いよなって。 前よりもいろんな本を読むようになったし、新聞も隅から隅まで読むようになったし。考えようによっちゃ、常務と同じ仕事ができるし、やりがいもあるかなって。」


高宮は彼女を見てにっこりと笑った。


「秘書って仕事に誇りを持って。 しかも、きみは支社長秘書、なんだよ?」


こうやって


私にいつも自信を持たせようとしてくれている。


さりげなく。



高宮さんの方が圧倒的に仕事ができるのに。


決して出すぎずに。


私に支社長秘書の仕事をさせて。


自分は裏で支えるだけで。



理沙の心の中は


いつしか彼のことで埋め尽くされていた。


それと同時に


毎晩8時ごろになると


携帯のメールチェックをする彼の姿が気になり始めた。


時には


誰もいなくなった部屋で


嬉しそうに電話をしたり。



「・・なんだよ。しょうが焼きのパイナップル入りって。」


パソコンの陰に隠れるように、ボソボソと嬉しそうに話をしている。


「は? ・・それは酢豚じゃん。」


笑ったり。


「またヘンなもん食って。 大丈夫なの? ウン、」



その電話の相手が


誰なのか


理沙はどんどんそれが


気になって仕方がなくなる。



彼が電話を切ったあと、思い切って


「…彼女、ですか?」


と聞いてしまった。


「え…」


高宮は少し驚いたように理沙を見た。


「いつもこのくらいの時間に電話とかメールが来るなあって。」



何を言っているんだろう。


「う~~~ん・・」


高宮は少し困ったような曖昧な返事をした。


「東京の、方ですか・・」


そんなこと


聞かなくてもいいのに。


「どうか・・なあ。」


そう言って高宮はふっと笑った。


これ以上。


聞いてはいけない。


いや


聞くことが


できない。

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