第40話 堕ちる(2)

「高宮さんは今、常務つきの秘書なんですよね?」


「あ、うん・・」


「秘書って大変なんでしょうね~。 細かいトコまで神経が行き届かないとだし。 あたしなんか全然ダメだな~とか。 ほんと栗栖さん見てると本部長が何も言わなくてもわかっちゃってる感じだし、」


「栗栖さんか。 キレイな人だよね、」

高宮はタバコを取り出してくわえた。


「そうなんです! キレイだけじゃなくて。もう、ほんと優しくて。 お姉さんみたいで。 憧れちゃいます、」


「彼女は秘書に向いてるよね。 ほんと、秘書ってセンシティブな仕事だし。」

ライターでタバコに火をつけながら何気に言った。


夏希は口をもぐもぐさせながら、



「・・センシティブって、なんですか?」



子供のように無邪気に笑って、まっすぐに彼を見てそう言った。



「へ・・・」



手からタバコが落ちそうになった。


頭に稲妻が落ちたって

そういう表現とも違って。


その彼女のまっすぐな目がピンスポットに自分の胸を射抜いた感覚がはっきりとわかった。


なんて

なんて

ナチュラルに生きてるんだ…。



今まで彼が信じてきたこだわりとか、信念とか。

そういうものを

一気に転覆させてしまうくらいの衝撃だった。


合コンで。


コロンビア大卒なんて言ったら、もう意味もなく女の子にモテまくりだった。

ちょっと難しい経済の話なんかすると、わかったふりしてうなずいてきたり。


でも

彼女は違う。


こんなに

こんなに

自然に生きてる女の子に初めて会った。



「ほんと、ごちそうさまでした! なんかいっぱい食べちゃって、すみません。」

帰りは高宮にタクシーでマンションまで送ってもらった。


「こんなに美味しい焼肉なんか食べたら、元の激安に戻れそうもないです。」


屈託なく笑う彼女に吸い込まれるように、


「ねえ。 また、誘ってもいい?」


高宮はそんなセリフを口にしていた。


「え?」


夏希はその言葉の真意も深く考えないまま、


「もちろん! あ、今度は別にあんな高級なトコじゃなくて。 あたし、定食屋とかでもぜんっぜんOKなんで。」

明るく答えた。


「定食屋、」

高宮はまたふっと笑ってしまった。


「じゃ、おやすみなさい!」

夏希は一礼してマンションのエントランスに消えていく。



なんで

あんなことを言ってしまったんだろう。

自分で自分の言動がわからない。


まるで

今まで自分が生きてきた世界ともうひとつの世界があったかのように。


初めて

その世界の存在を知ってしまった衝撃で。

ふっとその世界をのぞいてみたくなった。


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