第72話

 と、とにかく、こんなトコでグズグズしてても始まらない!

 いい加減、入る、ぞッ……!


 今度は意識的に鼻から深く息をして、腐臭から漠然とした『死』と言うを想起するよう意識してから、カッと目を見開きつつドアノブに手を掛けて一息で開く。


 現れたのは、つるりとした鶯色な床と壁を覆い隠すほど巨大で蜂の巣のように扉を幾つも備えた機械、あとはその機械から聞こえるあの冷蔵庫特有のブーンって駆動音。


 ……、…………、…………………?


 ホラー映画とか刑事ドラマとかでしか見た事の無い非日常的な場所だし、遺体が何体も保管されてるような場所だから嫌でも『怖い~』とか『不気味~』とかって思うと予想してたし、実際にさっきまで感じてた体調不良にも少しくらいは影響していたんじゃないかと思う。


 でも、直接踏み込んでみると、何故かマイナスな感情が湧き上がらないし、それどころかさっきまでの諸々の体調不良もどっかに飛んでっちゃったみたいだ。

 なんで?


 あと、もう一つ疑問なのは、踏み込んだ直後から何故か巨大冷蔵庫のちょうど真ん中辺りに在る隣り合ってる二つのドアから目が離せないコトだね。

 なにゆえ?


 そんでもって、如何なる理由か身体が勝手にオートモードにでも入っちゃったらしく、まるで吸い寄せられるようにその扉の前にまで足が進み、これまた無意識に両の手が二つの扉へと掛けられた。

 そうして、冷蔵庫のようにキッチリと密閉してより腐敗を防ぐ為か、握り押すようなスイッチ付きのレバーを引いて――



「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――、ああ……」



 そこで漸く僕の鈍い頭は、この自走状態へのギアチェンジの原因を悟った。


 扉の奥にあったのは、所謂『死体袋』だった。

 それも、香ってくる血の匂いから察するに余程酷い状態なのか、血とか肉とかが漏れずに中も透け無いような真っ黒なビニール製のヤツ。


 だから、フツーならこの袋の中に入っているのかなんて、絶対に分かりっこない。


 五感による外部情報の取得割合の大半を刺客に頼る人間にとって、『見えない』と言う時点で個々人の判別なんて不可能に近いし、増してや相手は既に息を引き取っているのだから声で判別なんて無理で、匂いも血と腐臭の強烈フレーバーが混ざってる時点で利くワケが無い。


 なら化して得たエコロとソナーなら――って期待されても無理、不可。

 確かに、この二つを使えば探知範囲内の全ての物体の形状や質感、大雑把な材質の分類までできちゃうワケだし、勿論人体にも有効なのはさっきの施設で確認済み。なんなら地形や建物内の構造だって丸裸にできちゃうね。


 だけど、それを今この場で使ったとして、探知できるのは今までの人生でただ一度でさえも見たコトも触れたコトも無いような変わり果てた身体だけ。

 しかも複数。

 コレで、どうやって父さんと母さんを判別すれば良いのか、まさに皆目見当もつかないよ。


 そもそも、この現代で父さんや母さん相手にエコロもソナーも使ったコト無いんだから、まず比較作業の大前提として持ってるべき事前情報が無いんだよね。

 うん、無理無理。


 …………なのに、分かった。

 どうしようもなく、誤魔化しようも無く、確信してしまった。

 今開けた扉の先に納められているのが、父さんと母さんの遺体であると。


「――――、」


 いつぞやのように、口が開いてるハズなのに声が出ない。

 何かを言おうとしているハズなのに、言葉にならない。


 ただ、身体だけが勝手に動き続けて、気が付けば二つの袋が余計な物も埃も無い綺麗な床に並べられていて、僕はその間で途方に暮れたように座り込んでた。


 横たえられた袋のチャックはいつの間にか中ほどまで開けられていて、その中に安置されていた亡骸が覗いている。


 それはもう酷い有様だ。

 僕の今の格好変身体も散々だけど、父さんと母さんの姿は別のベクトルで見られたものじゃない。

 少なくとも『眠っているよう~』なんて形容はできない穏やかならざる姿だった。


 真正面から突っ込んできた居眠りトラックからハンドルを切って自分を盾にした父さんと、崖から落ちる最中ですら兄さんと僕を守る為に最善を尽くした結果、車外へと投げ出されてしまった母さん……

 その最期を思えば納得ではある。


 コレは勿論、僕が記憶している二人の最期なのであって、過去に山道を山ごと消し飛ばされたこの現代ではまた違っていたのかもしれない。

 だけど、二人の壮絶な姿は、僕が見た最期と大差無い結末であったと窺えた。


 なにせ、死因の解明も必要無かったのか、検死されてれば脱がされてたであろう洋服も着たまま――勿論血塗れで、所々千切れてたり破れてたりと散々だ――だったんだから。


「――――――――と、う……さん……かあ、さん……」


 せめてもの気遣いなのか、閉じられた瞼を見下ろしながら血みどろの身体へと手を伸ばす。


 最初の頃だけだったけど、共に捕まって解体された自分の肉片を見てどうしようもなく忌避感を覚えたのを覚えてる。

 土砂降りの日の水溜りのように広がる自分の血の池を見て吐き気を堪えるのに必死でもあった。


 だけど、顔にも身体中にも血が飛び散った父さんと母さんを見ても、気持ち悪いなんて思わなかった。

 こうして、直に触れるコトにもグッタリと重い二人を抱き上げるコトにも、何一つ拒絶的な感情なんて浮かばなかった。

 ただ、僕は……この二人が、僕にとっては本当に大切な人達だったんだと、掛け替えの無い人達だったんだと、そう強く意識させられただけだった。


「父さん、母さん……! ただいま――ただいまッ……!!」


 涙は出なかった。

 その代わりに、強く硬い決意と覚悟があった。


 だから――照準。

 狙うは、二人の身体が損壊しているという

 使うのは、今までの憎悪だの憤怒だのが変換されたのとは質も量も圧倒的に違う漆黒の魔力。

 そして――発動。


 瞬間、左右の腕で抱き寄せた父さんと母さんの身体が黒炎に包まれ、それが晴れると、傷が消えるどころか千切れ破れてた衣服まで元通りの、まさに『眠っているかのよう』な二人の姿があった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る