三号車は始発駅から満席

A(C)

三号車は始発駅から満席

 僕の尻ポケットは空っぽだった。

最寄り駅までの徒歩十分、どうして気づかなかったのだろう。スマートフォンを入れると決めている左の尻ポケットは主人の忘れ物を教えてはくれなかった。

 三分後、電車が来る。ホームにて電車を待つ僕に取りに戻る時間は無い。いくらここが始発駅とはいえ、次の電車では三席と七席と七席と三席の争奪戦が始まる。朝から疲れることはしたくないし、何より無くても良い物だ、スマートフォンなんて。

 時間は過ぎていく。三分が長い。点字ブロックのポッチが十五あることも何度も確認した。目の前の大きな宣伝看板に描かれた歯医者の場所も大体把握した。自分の後ろに何人並んでいるかも確認したし、たいした知識も無いのに自分の手相を見たりした。そうしていたら僕は、自動音声のやかましい構内放送と共に電車がホームに進入してくるのを、指の隙間から見ることになった。

 三号車の二ドアから進行方向に二つ目が僕の定位置だ。できれば陽の当たらないホーム側の方が望ましいが、今日はどうせ逆光で読めなくなるモノを持っていないから、今日はあえて向こう側へ座ってみた。背中に暖かい日光が広がる。これが帰りになると世の高校生を汗だくにさせるのだから困る。座って顔を上げると僕に続いて入ってきた通勤通学の人、人、人が無感情な表情で乗り込んできながら、目だけをギュルギュルと動かしている。その上の頭は空席予測と行動指令でさらに倍速でギュルギュルしている。だろう。きっと明日の僕もそうだろう。

 セーラー服とクールビズのパズルが完成する。残念ながら今日は余ってしまったピースは門番のようにドアの両端に立ってスマホを覗き込んでいるが、門番の立ち方にも個性があるようにみえる。若い男だからといって仁王立ちという訳でもなければ、B-Boy系の格好をしているからってあぐらをかく訳でもないみたいだ。

 よく見ると制服パズルには時々変化球が混じっていて、まるでサイズの合っていないダボダボのパーカーを着たギャル系の女と眠そうな目つきをしたビジカジの男が腕を組んで座っていたり、紫の花柄スカーフを巻いた巨大サングラスのパーマおば様が、何が気に入らないのかずっと手鏡を覗き込んだりしている。ギャルは隣で船を漕ぐサラリーマン船頭のハゲ頭の行方が気になるようでちらちらとビジカジ男の方を見やっているが、とにかく眠気と格闘している男に彼女を思いやる余裕なんて無いのだ。きっとあの二人別れるな。そうであれ。

 乗換駅までまだまだ先は長い。いつもならスマートフォンを凝視するその両目を少し放置してみることにした。窓に置いた頭から電車の振動が伝わって、気の抜けた顎が危うく舌を噛みそうになる。視界もぐらぐらと揺れて収拾がつかないから、これはやめた。頭を起こしてもう一度車内を見渡そうと思う。

 気がつけば皆携帯電話を手にしていた。中には折りたたみ式の携帯電話の人もいたが、多くの人はスマートフォンだった。液晶画面は煌々と主人の眼球を照らし、意識が4GもしくはLTEに乗ってひかりの中へ没入していく。あのセーラー服の中学生なんかは解りやすい。チープなイヤホンをつけて使い古したローファーでBPM160程度のリズムを刻んでいる。リズム系のゲームをやっているのだろう、横向きに持ちかえられたその金属板がカタカタと親指で打ち鳴らされている。彼女の耳にはタンバリンの音か何かに聞こえていて、きっと見事に曲とマッチしているのだ。ローファーのバスドラムが丁度電車の音にぴったりと合っていることなんて、彼女は絶対に気づくことは無いんだろうな。

 席端の壁に頭を寄りかからせている壮年の男性のスマートフォンは傾いている。頭が傾いているのだからスマホも傾く。当然だが滑稽だ。スマートフォンが頭のコントローラーになって、追従して動く。体勢を変えているのはひょっとしたらスマートフォンが変えさせているのでは…?まさかね。眼鏡に映りこんだ画面はどうやらFacebookのようで、BBQか何かの写真がタイムラインに投稿されたところらしい。眉間の皺の本数から見て、呼ばれなかったのだろう。もしくは行けなかったか。僕ならそんな画像朝から見せられたら、学校行きたくなくなるな。それでもあの人はスーツでシャキッとして、何食わぬ顔で出社して、何も無かったかのように仕事をこなすんだろう。髪も染められないし、大人って案外自由無いよな。

 駅員の鼻にかかった声が乗換駅にまもなく到着すると告げていた。絶対わざとやってると思うのだが、あの声。こういうときにはスマートフォンが無いと困る。まあ、今必要なわけではないか。鉄研の修とかなら知ってるだろうし。

 乗換駅のホームは地下にある。いわゆるハブ駅というヤツで、戦争映画でよくある、核シェルターに逃げ込んだ一般人をいつも思い出す。そんな混雑ぶりだ。ここで大半の乗客がおしくらまんじゅうしながら降りてゆくのだ。ともかく狙い通りここでも車内は乗車率100%前後だったから、おもむろに立ち上がってするりとドアの前まで4歩で行く算段をつけたのだ。立ち上がって最初に喰らったのは急なブレーキでも突然の肘打ちでもなく、鋭い視線であった。手鏡の向こう側から放たれる隻眼の視線は僕を明らかに異常視した目つきだった。もっと言えば紫色の強力なビームの影に隠れていただけで、そんな目線は全方向から喰らっていた。おもむろに立ち上がったことに対する非難の目でないことは確かで、暖まりきっていた背骨が一気に震え上がった。

 今日は図書室で文庫本を借りようと思った。

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三号車は始発駅から満席 A(C) @Xavier_AC

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