羽
彩雲
第1話
大空を飛ぶ羽がほしい。
目を覚ますと何もない白い天井があった。私は、何楽しみもない一日が始まるのかと思うと気が重く、体が重い。一生寝ていたい。部屋の出窓の外には雲一つない大空が広がっていて、時々小鳥が飛び回っているのが見える。ああ、私もお前たちのように羽根を広げて飛んでみたいものだよ。そんなことを考えながら、いつもと変わらない朝の工程をこなす。顔を洗って髪を束ねて、制服を着て、朝食を取って、家を出る。高校に入って、もう一年ちょっとがたとうとしてる。
「コッコおはよう。」
「おはよう。」
「もうそんなぶすっとした顔して。ほらほらスマイル〜。」
「朝からスマイルなのはえこだけだよ。」
小一の時から仲いい「笑子」と書いてえこと読む彼女はその名の通りよく笑う子だ。私は「心羽」でここは。八割天然でできてるえこは、小一のときここはって言えなくて、なぜかコッコと呼ぶようになった。
「もう課題多すぎてなかなか終わらなかったよ〜。」
「あ。やってないわ。あれ今度の定期考査に出るんだよね。はあ。定期考査とか聞いただけで吐きそう。」
「定期考査って言ったのはコッコでしょうが。」
「はあ。鳥になってどっか飛んで行きたい。羽がほしい。」
「コッコたら。朝から変なこと言って。もうコッコには羽あるじゃん。」
「残念ながら名前の通りには育たなかったんだな。えこみたいに。」
「えこもそんなことないよ!ずっと笑ってるわけじゃないもん!コッコはもっと笑ったほうがいいよ。ほら、スマイル〜。」
って、えこはいっつも笑ってる。言われてみれば、最近そんなに笑ってないかもしれない。いつからこんなに笑わなくなったんだっけ。
私達の通う学校はいわゆる進学校。だけど私は勉強が嫌い。なんで勉強なんてしなくちゃならないの。いつもそんなこと頭に浮かべながら授業を受けてるもんだから、全く身にならない。次の定期考査で赤点取ったらお母さんの堪忍袋が破裂するかもしれない。いや、もうしてるか。昨日も勉強しなくて怒られたっけ。何気なく窓の外を見て、また鳥になりたいなんて考えた。ばしっ!急に頭に痛みが走った。
「いった。だれだよ!」
「またぼーとして何やってんだよ。早く課題出せ。」
学級委員長の長谷川俊哉だ。こいつも、小一からの仲。
「あ、忘れた。」
「お前またかよ。相変わらずだな、ヘッドホンそろそろやめろよ。成績落ちすぎて見えなくなるぞ。」
俊哉は苦笑しながら言った。
「忠告どうもありがとうございます。」
「相変わらずの無愛想ありがとうございます。」
ふっと笑うと俊哉は去っていった。なんでみんなそんなに勉強に没頭できるの。意味がわからない。ハテナークが頭をぐるぐるまわる。
席をたとうとすると一枚の紙が落ちた。
「何だこれ。」
見るとそれは『進路調査』だった。あ、確かこんなのあったな。提出期限いつだっけ。
「あ、まだこの紙書いてないの!だめじゃん。えこ先週に提出したよ〜。」
気づかないうちに後ろにえこがいた。
「いつからいたの!」
「さっきだよ。」
えこは顔をクシャッとして笑った。
「えこは、どうするの?」
「えっとね、お父さんみたいな学校の先生になりたいの。」
「あんたはできた子だよ。泣けてくるわ〜。」
「もう何言ってるのよ。コッコはどうするの?」
「私は…。迷ってるだよね。ていうか、こういう進路とか好きじゃないんだよね、成り行きで生きてちゃだめなのかな。なんてね。」
「なんかコッコらしいね。」
そう言ってえこはまた笑った。
「だから、何度言えばわかるの。ちゃんと進路決めないと後で大変なことになるんだからね。心音みてみなさい。素直に親の言う事聞いてるから有名国立大学に合格できたんじゃない。」
『進路調査』の紙を前に母親は怒鳴ってるけれど、意味がわからない。だって本当に進路を決める意味がわからないかは。大学に行く必要がなんであるの?私には三つ上の姉、心音がいるけど私とは正反対。姉妹だからって同じように大学に行く必要はないと思うんだよな。
「ちょっと、聞いてるの?」
「あ、聞いてる聞いてる。ちゃんと考えるからさ、そんなに怒らないでよ。」
「はぁ…」
今のため息は、今日のお説教終了のサイン。お母さんはそのまま何も言わずに寝室に向かった。
部屋に向かった私はすぐさま黄色のヘッドホンをつけてお気に入りの『Little Beat』の『Sky Life』を流した。あぁ、なんて楽しいんだ。雲一つない澄んだ青空を私は羽を広げて飛んでいるようだ。温かい気持ちが私を包み込んでいく。こんな素敵時間が永遠と続けばいいのに。誰にも伝えられないこの素晴らしすぎる世界は私の心に広がっていく。
「で、どうするの。進路。」
「コッコまだ提出してなかったの!」
私の席の前にえこがいて脇には俊哉がいる。なんで朝から囲まれなくちゃならないんだ。
「うん、まあね。」
私は俯く。だからなんで大学とか決めなくちゃならないの。
「まさか、なんで大学なんて行かなくちゃならないのなんて、考えてんの?あほか。」
俊哉はエスパーか。呆れ顔が痛い。えこは心配そうに私の顔を覗いてくる。
「コッコは夢、ないの?」
夢か。そういえばそんな言葉あったな。
「ない、かな。」
「特にはっきりした夢はねーけど、俺は行くよ。就職とか今の時代大学出てねえと話にならないぞ。」
「まぁ、ちゃんと決めるからさ、心配ありがと。」
そろそろ耐えられなくなってトイレに行くと言ってその場を離れた。
結局今日も何も変わらないまま、一日が終わった。俊哉はちゃんと、さ就職とか考えてるし、えこは夢がある。私は二人と違って就職とか考えてない上に夢もない。絶望的な人間じゃん。一人で苦笑する。私はこれからどうなっちゃうのかな。足取りが日に日に重くなっていくのを感じた。
そんか中、夏の匂いがした。
「最近話題の駅前のクレープ屋さん夏休に行こうよ!えこ抹茶食べてみたいんだよね。すごく美味しそうだもん。って、コッコ聞いてるの。」
「え、どこ行きたいって?」
「だから、駅前のクレープ屋さんって。コッコ、まだ進路のこと悩んでるの?そんな深く考えなくたっていいんじゃない?ほら、コッコのやりたいって思えることをやればいいんだから!」
やりたいことか。なんだろう。
「えこって、たまにはいいこと言うのね。」
「たまにはって何よ!いつもいいこと言うもん。」
えこぷくっと口を膨らます。
「そうだね。いつもありがとうございます。」
「思ってないくせに。」
またえこは笑う。
ヘッドホンから流れてくる『Little Beat』と一緒に目を瞑って心羽ワールドに浸っていた。
「心羽!心羽ったら。」
「お、お姉ちゃん!あ、あー!」
独り暮らししてるはずのお姉ちゃんが目の前にいるから驚きで椅子から落ちた。
「ちょっと大丈夫!?心羽が進路で悩んでるって言うから、心配してお母さんに用があるついでに話聞きに来たのよ。べんきょうしないでなにやってるの。」
お母さんと同じこと言うな〜。でも、お姉ちゃんは言い方が優しいせいかイラッとはこなかった。
「うん…。進路ね…。」
「大学行きたく無いとか言ってるらしいけど、どうしてなの?進学校通ってるんだから、周りみんな大学進学希望してるんじゃないの?」
「そうだけど。ね、お姉ちゃん。どうして将来のことなんて考えなくちゃいけないの。成り行きじゃだめなの?」
「なんでだろうね。そう言われるとわからないかも。ただわかることはね、きっと人はやりたいことを頑張ることが一番素敵なんだよ。でもね、そのやりたいことが見つからない人って多いんだよ。それを見つけるために色々な勉強して、大学行って色々なものに出会うんだと思うの。だからさ、今はどうしてって思ってもきっといつかわかるんだと思うよ。」
「うーん。そうなのかな。」
「きっとね。」
お姉ちゃんは優しい笑みを浮かべるとおやすみとだけ言って部屋を出ていった。やりたいことってなんだろう。私はしばらく一人で考えてると、ヘッドホンから音楽が流れていることに気がついた。かけっぱなしだったんだっけ。せっかく自分の大好きな世界にいたのに呼び戻されたんだった。私は一人でふっと笑った。ヘッドホンを手に取ると私はふと思った。そうだ。そうだよ。私はこれに乗って生きてたんだよ。どうして今まで気づかなかったんだ。自分の世界の中は自由でどこまでも飛んで行ける。それが、その世界が私は大好きなんだ。なぜ、今まで気づかなかったのよ。私は小さい子が初めてのものを見るみたいになっていた。久しぶりに私の目に、私のすべてに光が当たったような気がした。次の日の朝、同じように雲一つないそらに鳥が飛んできた。私は思い切り窓を開た。寝癖がついたボサボサの髪が風に連れて行かれそうだ。鳥は大空を飛んでいる。そして私は叫んだ。
「ねぇ、私をこの大空に連れてって。私飛びたいんだ。どこまでも飛んで行きたいの。」
私の息が聞こえてくる。吸って吐いて、繰り返してる。生まれてから途切れることなくしてきた呼吸を久しぶりに聞いた。
「ちょっとちょっと何やってるの。窓閉めなさい!」
私の声に気づいて駆けつけた母が目を丸くしていった。
「お母さん、私、大学行く。もっと沢山の世界を見たい。そして自分の世界を広げたい。音楽がくれたように沢山頑張って、前に進みたい。そして音楽を作りたい。伝えたいの、私の世界を!」
お母さんはしばらく状況を読み取れなかったけど、顔には笑みがあった。
「よくわからないけど。頑張って。」
登校の足取りが軽い。まるで羽が生えているみたいだ。まだ始まったばかりだけど私はできる。飛べる。
「おはよう!」
明るい声が空に響いた。
羽 彩雲 @Mochimusical
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