東遷ファンタジー

シロヒダ・ケイ

第1話

東遷ファンタジー



邪馬台国東遷 第二部   シロヒダ・ケイ 作


第一部のあらすじ


 一(いち)大率(だいそつ)学園(がくえん)で中国研究会に所属していたトシ。チクシ、ケンと共に学生生活を楽しんでいたが、卒業後、突然、朝貢団(ちょうこうだん)の通訳に指名され帯方(たいほう)郡(ぐん)に行く事になった。時は卑弥呼(ひみこ)の時代。韓半島では魏(ぎ)と公孫(こうそん)氏の間で戦乱が勃発、帯方郡の支配権が魏に移っていた。このため、朝貢団は魏の都、洛陽(らくよう)に赴(おもむ)く事になる。

 トシはそこで世界の広さを思い知る事になる。韓半島の政治情勢が流動化する可能性に鑑(かんが)み、倭国が現状を変革し、強く、大きく生まれ変わる必要性を考えさせられるようになった。

 帰国後、倭国統一を目論(もくろ)むヤマタイ連合国の実権者、伊支(いし)馬(ま)の後ろ盾を得て異例の出世を果たす。長官として東方を開拓する先兵役を命じられたのである。

 その後、伊支馬・卑弥呼の死により、ヤマタイ連合国は対立・抗争の時を迎える。その中で倭国統一を志した狗(くぬ)奴国の王子、キクチヒコが非業の自決、難升(なしめ)米も退場を余儀なくされるなど、彼らの志はトシの手に委ねられる事になった。

 トシは洛陽から帰国する間に失踪(しっそう)した恋人チクシを探す為にも、東方に向かいヤマタイ連合国の版図(はんと)を拡げる事を決意する。

 仲間は一大率学園時代の友人達。将軍としての素質バツグンのケン。情報力に優れた商人キジ。巫女(みこ)として優れた能力を持つ絶世の美女ミクモ姫。そして洛陽で知り合った謎の男、サルタヒコ・・である。

 目的は倭国を統一。卑弥呼を継いだ壱(いよ)与様を擁するヤマタイ連合国を、九州から倭国の中央に位置する国のまほろば、奈良・大和の地に遷都(せんと)させる事。

 丁度、その時。トシのもとに吉備(きび)国がヤマタイ傘下に入る意向を持っているとの話が舞い込んだ。吉備国が手に入れば、奈良は目前。チクシを探し当てる事も夢ではない・・と勢い込んだ。


   *********

 尚(なお)、第一部は魏(ぎ)志(し)倭人伝(わじんでん)・三国志(さんごくし)の世界を背景にした時代小説のジャンルですが、第二部はファンタジーの読み物になっております。 



第一章


安芸(あき)の国の長官室にトシは居た。慣れ親しんだこの部屋だが、もうすぐ引き払う事になる。将軍である盟友、ケンが出張先の宇佐国から戻り次第、東征の拠点を吉備に移す予定になっていた。

 卓上には吉備の使者が献上品として持参した、かの地特産の桃が山と積まれていた。現代とは違って、当時の古代桃は扁平(へんぺい)で糖度も低い。旬の時期も晩夏から初秋にかけてだ。だが、その果実は、食せば不老不死など不思議な力をもたらすとして珍重されていた。

 ピンクのグラデーションがいかにも美味そうな、その一つを手に取り、かぶりつく。ウーン、ジューシイ!瑞々しい!桃には、今は亡きキクチヒコの思い出があった。

 三国志の、ご存知「桃園の誓い」。劉備(りゅうび)、関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)が義兄弟の契りを交わした故事をマネしたあの日。キクチヒコが曹操(そうそう)、トシは孔(こう)明(めい)、ケンが趙(ちょう)雲(うん)。メンバーは異なるが、三人で強い倭国を創ろう、倭国統一を果たそう、と桃を食べながら誓いを立てた・・。

 キクチヒコの志。その為のヤマタイ東遷(とうせん)。吉備を手中に収めれば計画は達成に向けて大きく近づく。

 トシは手元の刀の鞘(さや)を抜き、しげしげと眺めながら、ふーぅと息をついた。

 キクチヒコから、自決する直前に形見として渡されたワザものの刀剣。それは邪馬台国を構成する一部族たる、ヤマト族。その一族に伝来する神剣だった。その刃先は鈍く輝き「俺の志を果たせ。」と迫ってくるかのよう。


 それにしても吉備国が、自らヤマタイ傘下に入る事を申し出た、その理由には驚かされた。

 吉備国の北には大国の出雲(いずも)がある。軍事力に優る出雲が国境付近で吉備に対する圧力を増しているとの情報はかねて耳にしていた。当然、出雲の侵略に手を焼いた吉備が国を守る為にやむを得ず、我がヤマタイに助けを求めたものと読んでいた。それがハズレた。なんと「鬼退治」してくれとの依頼だったからだ。

 使者に詳しく問いただすと、吉備は深刻な海賊被害に直面しているという。鬼たちが海賊となって文字通りの神出鬼没(しんしゅつきぼつ)。領内を荒らしまわっているとのことだった。

 賊は海から、ふいにやって来る。だから、何処を襲うか見当がつかない。食料を根こそぎ略奪するので沿岸の集落は戦々恐々。警備を強化しようにも出雲を牽制(けんせい)するための国境に配置した兵力を減らすわけにもいかず、現有の兵力、海軍力ではどうにもならないとの状況だった。略奪を受けた民への支援もままならず、食料備蓄を進めている、我がヤマタイ連合・安芸に、この窮地(きゅうち)を救ってもらうしかないと決断したのだった。

 ことのほか、ヤマタイ傘下入りを強く主張したのは、王子のキビツヒコだと言った。以前、安芸国と吉備国との戦争で王子を捕虜(ほりょ)にした事があった。王子は我々の捕虜に対する扱いが正当である事に感銘を受け、吉備国の命運をヤマタイに託そうとしたのだ。王子が深く関わったのならば、この傘下入りの話は信頼できそうと判断された。


 それにしても「鬼」とは何か。早速、商人として手広い情報網を持つキジに探らせた。

 報告によると、異形(いぎょう)の海賊集団の事を鬼と呼ぶという。今では鬼が島と呼ばれる瀬戸内海の島を根城(ねじろ)にしている。青鬼、赤鬼がいて、力も強く、船も多数、操船技術も巧みで吉備の沿岸警備隊を子ども扱いしているとの事だった。

 その島は、もともと海人(あま)族の島で、半農半漁で生計を立てていた。族長はウズヒコ。危険をはらむ瀬戸の海に精通している事から、キジの商船が水先案内を頼む取引先でもあった。明石海峡の渦潮のウズをとって、族長の名前がついたそうだが、その顔は亀に似ていて、鬼の形相とはほど遠い。そのウズヒコの島でなにゆえ鬼が跋扈(ばっこ)するようになったのか?


 その島で自然災害が相次ぎ、飢饉が起きてから鬼の出没が始まったとの事。同じ頃、ウズヒコとも連絡が途絶えてしまったというから、何か関係があるのかも知れない。

 いずれにしろ鬼勢力に対抗するには、かなりの船団が必要と思われた。相手の数倍の船の用意が必須・・吉備、安芸の海軍力にプラスした戦力が望ましい・・というのがキジの報告にある結論だった。ケンを海軍力に定評のある宇佐国に派遣したのは、その援軍の協力依頼の為だったのだ。もう数日もすれば帰って来るはずなのだが・・。


 赤鬼、青鬼、カラフルな妖怪達だ。どんな奴等だろう?

 そう思った時、長官室警護の親衛隊の一人が、慌てた様子で駈け込んで来た。

 「こ、来られました。赤の・・」エッ。赤鬼?赤鬼が来たのか?

 思わず、慌てて刀を手にして外にでる。


 門のところには、足を地面に叩きつけるかのような仕草の、赤い馬が仁王立ち。暴れ馬のようなギラギラの眼を向けている。その鞍上(あんじょう)にいたのはニッタリとドヤ顔をするケン。思いの外、早い将軍の帰還だった。

 赤(せき)兎(と)馬(ば)の蹄(ひづめ)がコツコツ音を立て、近づいて来る。馬から降りたケンが「長官殿、只今戻りました。」と挨拶する。その表情は、三国志のヒーロー。趙雲、いや赤兎馬ならば関羽か?

 「お前、いつから関羽に鞍替(くらが)えしたんだ?」 

 「ハハハ、いや趙雲が赤兎馬を手に入れたんだ。もう何も怖いものは無い。」

 赤兎馬とは汗(かん)血(けつ)馬(ば)を代表する歴史的名馬。かの呂(りょ)布(ふ)が戦場でまたがると無敵状態に。その呂布を討った曹操の手から、関羽に贈られ、戦場で大活躍した話は有名だ。

「まあ、上がれ。部屋で話を聞こう。」と長官室に誘った。 


「長官殿。いやトシ。お前は良い馬を持ち込んでくれたなあ。」トシが洛陽から帰国する時、魏の軍人、梯儁(ていしゅん)に勧められて持ち帰った数頭の馬。その中に赤兎馬の血を引く馬が混じっていたのだろう。塩ジィの牧場で二年前に生まれた仔馬に先祖返りの赤い馬が誕生していたのだった。

「宇佐国から伊都国に立ち寄った際、塩ジィがくれたんだ。」

 塩ジィは、トシとケンにとっては親子も同然。なつかしい、会いたい。もうかなりの歳で元気にしてるのだろうか?

「それなりに弱ってはいるが元気にしている。お前によろしくとな・・」

「それに、塩ジィに鬼の事を聞いたんだが、ウズヒコは死んでも海賊になるような者じゃないそうだ。」

塩ジィはもとをただせば交易船の船長。瀬戸内海をたびたび航海していた。

塩ジィの話ではウズヒコは安芸・吉備に寄港した折の、飲み仲間だったという。塩ジィの運んだ荷物をウズヒコがバトンタッチ。東の奈良、熊野、伊勢に持って行って商いをしている関係だそうだ。その取引に間違いがあったためしはなく、信頼出来る人物と太鼓判を押していたという。 

 

「赤兎馬も手に入って、早くも帰れた。今回の旅は満足、満足。面白かった。快適だったなあ。」赤兎馬は普通の馬の数倍は長い距離を、しかも早く走れるという。スピード、スタミナ満点の馬なのだ。当時、競馬があれば、三冠はモチロン、凱旋門(がいせんもん)賞(しょう)をはじめ、世界のGⅠを総なめしていたに違いない。おかげで帰路は予定日数を大幅に縮める事が出来たと自慢する。 

「オイオイ。物見遊山の旅行じゃないんだぞ。肝心(かんじん)のミッションは?」トシとしては宇佐国の援軍が得られるかが一刻も早く知りたい情報なのだ。 


「おっと本題を忘れていた。それがさあ・・」

ウサツヒコは快く承諾してくれたという。準備があるので到着まで二週間ほどみてくれとの事だった。十隻を超える船団を廻してくれるのだから、援軍要請のミッションはバッチリ成功といえた。それがさあ、でもあるまいに・・。

「それより、船団の司令官をめぐって大騒ぎ。兄妹ゲンカの激しい事。ハハハ」ウサツヒコは国を預かる国王の身。代理の将軍を派遣すると言ったが、妹のウサツヒメが自分で行くと言い張った。


 以前、トシとケンが宇佐に立ち寄った折、二人に歓待してもらった事を思い出した。ヒメは巫女でありながら将軍を志願する異色のキャラクター。その時の剣舞の腕前もたいしたものだった。大柄なのに可愛い丸顔、どこかチクシに似た顔立ちを思い出す。

「ケンカの末、ウサツヒコはヒメが俺の嫁になるなら船団をまかせると言い出してね。ハハハ」

「ところが、この人だけは死んでもイヤ!とヒメに嫌われてね。ハハハ」笑う事かは疑問だが、ケンはウサツヒメのそういう所が気に入っているようだった。

「だから、今度援軍の船にヒメが乗ってたら、おれも身を固める事になるんだ。ハハハお楽しみ。お楽しみ。」まんざらでもなさそうに笑うのが可笑しい。

「それから援軍に対する水・食料の用意をするよう、帰路の各地の砦に指示をだしておいた。何かあればノロシも忘れるな・・とね」

まあ、まあ。援軍が期待できるのなら勇躍、吉備に入る準備は整ったと言えそうだ。行動開始の宣言を言い渡した。


それから間もなく、トシ達は、吉備国の王府がある高島宮(たかしまぐう)に入城した。ヤマタイ傘下に入った以上、組織を改編し行政をヤマタイの流儀に改めなければならない。その事は、これまでもトシの側で行政を支えてくれている副官ナカに一任し、トシ自身は鬼退治の作戦会議を、明日、早朝に開かねばならなかった。

 

旧キビ政権内には一刻も早く征伐を開始したいとの空気が流れていた。受けた被害に対する復讐(ふくしゅう)の意味でも早期征伐が民意に添うとの考えが支配的だった。その為にヤマタイの傘下入りを吞んだのだから・・との意識があるからである。

トシは、この空気を読んで会議開始の開口一番、援軍を得るまでは守備に徹すると断じた。不満そうな表情がキビ高官に表れたが、ここはトシの方針で押し切らなければならない。国を併合したての最初の会議なのだ。

敵は侮れない。船の隻数だけではこちらの方がやや上回るが操船技術は向うが優位。イザ戦闘になった場合も、鬼が相手では腕力が劣る分だけこちら不利。まともに船上で戦になれば苦戦を強いられ、勝つにしても甚大な損害の可能性が高いと指摘した。ならば宇佐、岡、周防の援軍を待ち、圧倒的な数の優位を確保した上で戦闘を開始するのが上策である事を説明した。その間は敵のゲリラ的襲撃に備え、防備を固めるべし。要所、要所に兵を駐屯(ちゅうとん)させ、敵襲の情報に基づいてその場に急行させること。見張りを増やし、狼煙台を置いて敵襲の情報をいち早く察知、伝達する事が肝要である・・とした。


キビの海軍担当司令官にあきらかな不満顔が浮かぶ。面と向かって、敵に劣ると指摘されたからだ。

その時、発言を求めた者がいた。隣に座る、旧キビ国王子キビツヒコだった。「長官の言われる通りです。理に適っている。」・・キビツヒコ、面構えもいいが、発言のタイミングも良い。

王子が理に適っていると言えば、不満の者も面と向かって異は唱えられない。会議は、トシの方針に従って、兵の配備計画を煮詰めて終わった。

トシはキビツヒコに握手を求めた。「ヤマタイ式の軍事戦略を信じています。勉強させて下さい。イヤ、軍事面だけではなく内政全般も吸収させて下さい。」キビツヒコ、思った通りの男のようだ。将来、この地を任せられる人材になりそうだ。 


会議の散会を宣言しようとする時、配下の兵がケンにこっそり耳打ち。次いでケンがトシに合図した。「悪いがチョット待ってくれ!」トシが意外な事を口にした。

「守備に徹するというのは少し撤回、チョット勝負を仕掛けようと思う。」会議の席がザワついた。キビツヒコも目をパチクリだ。

トシは続けた。「基本は先の会議の通り対応する。今から宣戦(せんせん)布告(ふこく)に行くが、それは将軍ケンの部隊のみとする。但し、吉備軍の方々には港に大きな櫓(やぐら)を作ってもらいたい。相手が攻めて来た時、その者達から、よく見えるように。」

櫓とは相手が見るものではなく、こちらが見張る為のものであるはずだが・・と訝(いぶか)る面々だった。 


作戦開始。

波穏やかな、晴れの午後。軍船の舳先(へさき)にケンが立ち、選び抜かれた漕ぎ手と共に鬼が島の正面に赴(おもむ)いた。

暫くすると、ひときわ大きい赤鬼が現れた。その辺の雑魚(ざこ)鬼とは違う。節分の鬼とも子供を躾(しつけ)けるナマハゲとも違う。比較にならない邪悪さをまき散らす大赤鬼。どうやらボス敵の登場らしい。


「我はヤマタイ・キビ国の将軍である。卑劣な海賊行為を懲(こ)らしめる為、ここに宣戦を布告する。神妙に降伏するなら良し。今日中に自らを縛(しば)って出頭せよ。」ありったけの大声をあげた。

赤鬼「ハッハッハ。何の用事かと思ったら、堂々、宣戦布告とは面白い。度胸(どきょう)だけは買ってやるから上陸して酒でも飲まないか。お前の弔い酒の宴となるのだろうが・・ウワッハッハ。」と応じる。

その時、島の影から敵の船の舳先が見えた。それも、一隻、二隻・・夥(おびただ)しい数だ。

「今日は宣戦布告を伝えに来ただけだ。戦うつもりはない。」

「そちらがなくてもこちらは大有りだ。血祭りにあげよ!」命令一下、船が猛スピードで軍艦に近づいてくる。敵の弓矢が届こうかという距離になってはケンも退却を指示せざるをえない。

「お願いだから明日からにしようよ。」とはいうものの相手はどっと笑って迫りくるばかり。逃げるに懸命。帆も利用するが、相手の船団との距離は拡がらない。かといって縮まりもせず吉備の港に戻って行く。腕自慢の漕ぎ手を揃えていなければ捕まっていたところだ。鬼達の操船技術は確かめられた。想像以上の巧みさである。

かろうじて敵船の猛追をふりきり、港についたケン。軍艦から飛び降りると赤兎馬にまたがり、弓矢をつがえて相手を待ち構えた。

二十から三十隻はいるだろうか。鬼の船団が集結して、しかし一定の距離以上は近づかない。さすがに、こちらの弓兵を警戒しているのだ。

指揮官とみられる青鬼が棒の先にナスビをくくり付け、その棒を高く掲げて指さした。ケンに向かって「これを射ぬけ」と誘う素振りをしている。こちらの弓矢の射程をはかろうとしているのだ。

ケンは赤兎馬にまたがったまま、浅瀬に入って行く。当たれば良し、当たらねば味方の士気に関わる相手の挑発。

なおも海中を進んだ赤兎馬。海の青と赤の馬体。歩みを止め、スックと立つ姿の美しい事。身動き一つせず、お蔭でブレる事なしに、的(まと)に狙いを定めるケンの弓矢。

矢が唸(うな)り声あげ、的めがけて空間を切り裂く。

ブスッ。

お見事、矢は真っ二つに的を撃ち抜いた。 

「ヨッ」「倭国一の弓取り」と味方からの喝采。

これぞ、まさしくナスのヨッイチ。

これには敵方からも拍手の嵐が起きた。青鬼も「弱虫の将軍様と思っていたが、少しはやるようだな。」と言わざるを得ない。ケンの射程に合わせるように船団が下がった。


その時、ジャーンとドラが鳴り、櫓(やぐら)に登っていたトシが大仰(おおぎょう)な身振りを始めた。服装は洛陽で買い揃えた孔明なりきりグッズ。鶴の羽毛で作られた服・鶴氅(かくしょう)をまとい、お約束の、手には白い羽扇、頭に青い頭巾・綸巾(かんきん)を装着していた。

天を仰ぎ「風よ吹け。波よ立て。鬼の船をば海の藻屑(もくず)となせ。」呪文のように繰り返した。


「ヤマタイの軍は一味違うかと偵察に来てやったが、オトボケ野郎の集まりだな。凪の海に向かってアホな呪文を唱えるとは。」青鬼が腹を抱えて笑った。

その時、再びドラが鳴り、楽隊の演奏が始まった。キジが商売に使う大道芸。人寄せの楽隊だ。踊り手がそれに合わせ、ひょうげた仕草交えてピョンピョン飛び回る。「鬼様の為の演芸でござる。ごゆるりとご観覧下され・・」

これには鬼たちもバカバカしいとは思いながら見入ってしまった。

何曲続いただろうか。鬼達も笑みを浮かべ見入っていた。船も踊りにつられて上下に揺れながら笑う。オット、そんなハズはない。波が白波を立てて船を上下に揺らしているのだ。船の揺れが激しくなるのに気付くのが遅れた。

波立ちは収まらず、ますます大きく、高く揺れ始めた。

「引き返せ!」青い顔色が一層青く、青鬼の声が悲痛に裏返る。が、時すでに遅し。島に戻る間に、一隻、二隻とグラついて、船底を見せては波間に漂う事態となった。

台風のシーズンなのだ。西からくる台風の情報は伊都(いと)国、岡、周防(すおう)、安芸、吉備と各地の狼煙台ネットワークを通じていち早く、もたらされていた。情報による、作戦変更、情報による勝利がもたらされたのである。

これでキビの民衆のヤマタイ統治の見方が変わった。リーダーたるトシは神風を呼ぶ超能力者。天を操る神にたとえられ、将軍ケンは天下無双の弓取りに昇格した。


だが、鬼達が全滅したわけではない。どれほどの被害だったか不明なので鬼の来襲に備え迎撃体制は、会議で決まったように、援護の船団が到着するまで続けられた。幸い、その後、海賊被害にあった集落の話はなく、鬼達にとってかなりの打撃だった事は間違いなかろうと思われた。

船団到着を待つ間、トシはキビツヒコを呼んで杯を交わす機会を重ねて作った。倭国統一には、或いは統一した後の政権の安定を図るには優秀な人材が欠かせない。韓半島や中国の政治情勢、小国が割拠する時代ではなくなっている事。倭国を統一して強い国を創る事の必要性、統治体制を変革するメリット等の話で理解を得た。ヤマタイ学園を吉備国に移し、行政マン、武人を育てるほか、祭礼面から同質の国家形態とするためヤマタイ式の巫女学を学ばせる構想を話した。キビツヒコ自身、学園で学ぶ意欲を示してくれた。今後、トシの心強い仲間になってくれそうだ。


今日はケンが珍しく落ち着きが無い。もうすぐ援軍の船団が到着するとの連絡がはいったばかりだった。

「どうした?」

「イヤ、ナニ。援軍がくれば、いよいよ鬼が島の攻略が始まる。ちょっと高揚(こうよう)しているだけだ。」

高揚?そんな訳は無い。鬼軍団の船の数は随分、減っているはずだ。使える船だって修理に時間がかかっているはず。楽観は禁物だが、もっと余裕があって良かった。


援軍到着の合図のドラが鳴った。ケンはいてもたってもいられない風情ながら「迎えに行くか。」と不器用に平静を装う。

「凄い美人です。」親衛隊の兵士が思わずはしたない報告をして来た。

「可愛いい・・だろ」小声で訂正しながらケンの足は既に部屋を出てしまっている。

しかし、最初に波止場に着いたのは岡の軍船だった。サルタヒコのエスコートで船を下りたのはミクモ姫。ベテラン巫女とともにヤマタイ学園吉備校で巫女学を教えるためにきてくれたのだ。

ミクモ姫を見守る兵士達の息を吞む音が、聞こえてきそうな美しさ。それはため息に変わる。キビツヒコも迎えに来てたが、その目は姫に釘付けになっている。一人、ケンだけが続々と到着する船上の、別の人影を探している。


「おやおや。嫁さがしか?」と冷やかしたい。だが、それを言うのが憚(はばか)られるケンの真剣すぎる眼差し。その目は沖に見える、宇佐の船団を見回していた。

いよいよ宇佐の船団が着岸する番となった。が、司令官らしき者は男。

ケンが気落ちしているのが手に取るように感じられる。わかりやすい男だ。戦闘時や訓練時には相手に動きを読み取られないよう千変万化するのに対し、とても、同じ人物と思えない。

スゴスゴ引き揚げるケン。

援軍を迎えて行われる、長い航海を慰労する宴会。その宴会場に歩き始めた時、未練がましく振り返ったケンの目に、愛しのウサツヒメの姿が映った。来てくれたのだ。オウッ。来た。来た。来た。待ってましたヨ、ウサヒメ殿。


その二人が手を振り合ってご対面の場面。

「ご苦労だったな。疲れてはいないか?」新妻をいたわる新郎のように声を掛けた。

「そんな事ないよ。トシ長官様は何処?挨拶しなきゃ。」

「宴会場ですればいい。それより、どうした。船から降りるのが遅かったじゃないか。」

「エヘッ。化粧をね。直していたの。」初めてだ。ヒメの化粧姿は。

「化粧などしなくて構わんのに。俺は素顔のお前が良いと思っているのだ。」

「あら、そう。それって褒(ほ)め言葉?ありがとさん・・と言っとくわね。」

「ああ。・・それから、なんだ。あのー、俺はいいぞ。ウサヒコの妹だからな。ウサヒコの望む婚儀なら・・つまりオッケーて事だ。ウン。」

「ハアァ。何言っているの?」

「何って、ヒメがこちらに来るってことは俺の嫁になるとの含みがあったじゃないか。兄貴がそう言ってたじゃないか。」

「それはそうだけど。兄貴に嫁ぐと言ったのは方便よ。」

「方便?」ケンの語気が荒くなった。

「ゴメン、ゴメン。でもここに来て、鬼退治に参加するのには、それが条件だったでしょ。だから、ウソも方便って言うでしょ。ゴメンネ。」

「でも、化粧までして・・」

「それは瓢箪(ひょうたん)からコマを狙っているからよ。フフフ。」

「ハア?」

「上手く行けば長官夫人になれるってこと。さあ、長官様のところに行きましょう。」

「おまえ!」

「あっ。正直に言っちゃった。私って裏表のない竹を割ったような性格だからね。」

兄貴を騙(だま)しといて正直だの、よく言えたものだ。裏表があるんじゃないか?ケンは呆れてはいたが、ヒメの屈託のない表情には魅力を感じる。複雑な思いで宴会場に案内する事になった。


宴会の後は作戦会議だが、援軍到着の今、既に彼我(ひが)の戦力差は歴然、議題は敵の島に上陸後の戦い方になるだろう。

翌、早朝。船団の準備が整い、鬼退治に出発せんとした時、鬼が島から一隻の小舟が進み出てきた。船には赤鬼達。しかも、大きな白旗を掲げている。


先頭にいる赤鬼は自ら手を縛り、恭順(きょうじゅん)の意志を示していた。珍妙な顔、真ん丸な目に、低すぎる鼻。鬼とはいえ、むしろ亀に似た平らな顔だ。あれが、聞き及んでいた族長のウズヒコなのか?

ケンがトシの前に赤鬼を連行してきた。

「私はウズヒコと申します。島民を代表して降伏を伝えに参りました。先の台風禍で我々には戦う余力は残っていません。」素直にうなだれた。

「そなた達の海賊行為は人間として許す事の出来ないものだ。罪のない民がどれだけ苦しめられたと思っている。」

「我々が行った行為は弁解出来ません。飢饉(ききん)となり、支援を断られたのが発端(ほったん)とはいえ、他人の大事な食糧を奪うのは許されない事です。民の大多数は一部の指導者に無理強いされて事に及んだものです。どうか我々、指導者を罰することで許してもらえないでしょうか?」

「そなた達はどうして鬼の姿をしている?」

「言訳と思われるでしょうが、一人の大鬼が島に来てから、皆が、おかしくなったのです。」


最初は島民の数人が飢えを凌(しの)ぐ為にやむを得ずキビの集落を襲ったが、抵抗にあって未(み)遂(すい)に終わろうとしていた。その際、その大鬼がやってきて加担(かたん)。お蔭で目的を果たす事が出来た。で、共に島に凱旋(がいせん)し、飢餓(きが)を脱した事で島民達はその者に感謝する事になった。 しかし、その鬼が差し出した栄養剤と言うクスリを服用して皆が変わっていった。悪い事とは知りながら躊躇(ちゅうちょ)する事もなくなり、むしろ快感を覚えるようになってきて、顔付も変貌したのだという。その後の悪事がすべて首尾(しゅび)よく行く事で、皆、洗脳(せんのう)されたようになり、鬼の言う事に逆らえなくなった。・・それが先の大敗で痛い目にあって呪縛(じゅばく)が解け始めたという。

「まだ、一部の者は大鬼の手下として付き従っていますが、大半はマインドコントロールから抜け出し始めています。ほら、これらの者の表情も、幾分変わってきているでしょう」成(なる)程(ほど)、ウズヒコに従う赤鬼達に殺気は感じられない。我々は島民会議でヤマタイへの降伏を決議したのだとも語った。

「それで、相談なのですが、その大鬼を説得、もしくは成敗していただけませんか。」

大鬼は島民の降伏の決議に異を唱え、徹底抗戦の構えで島の奥地の砦(とりで)に立て籠もったという。島民としては、一時は飢餓を救ってくれた恩人。正面切って彼等に立ち向かうのには抵抗感がある。案内するので、鬼達を説き伏せ、それが出来ないなら成敗して欲しいと言うのだった。


ならば、トシの軍団全員を島に駐留(ちゅうりゅう)させ、大鬼達への包囲網を徐々に狭めて、相手を降伏に導けば良い。

「それから、大鬼が申すには、長官殿が直接出向くなら、話し合いに応じようと言うのです。もっとも、用心深い大鬼の事ですから、少人数で来るようにとの条件が付いていますが。」

「こちらは圧倒的多数なのだ。そんな、話に乗る事はない。一気にひねりつぶすだけだ。」ケンが苛立(いらだ)たしげに言い放った。

「ごもっともです。ただ大鬼は或る情報を長官様に伝えたいとの事でした。なんでもチクシ様という女性に関する事で、それを言えば、長官も来られるハズと言ってましたが・・。」

「ムッ」

トシは動揺を隠すのに唇をかみしめた。「そなたの言う事はわかった。協議が必要なため別室で待て。」というのが精一杯だ。

「チクシ!」

トシにとってはとてつもなく大きな固有名詞だ。倭国統一も大事だが、トシが東遷を志す動機の半分は邪馬台国から失踪したチクシを探し出す事にある。

今回のウズヒコの話。公私で言えば、公の長官としてはケンの言う通りだ。だが、私のトシとしてはリスクをおかしても手掛かりを得たいとの衝動に突き動かされる。迷うごとに机上に盛られた桃に手を伸ばす。食べてはまた手を伸ばしすることしきり。桃の大きな種が幾つころがっただろうか。

「おい、桃太郎。いつまで食ってるんだ。」苛立つケン。突然、トシはケンに土下座(どげざ)をして懇願(こんがん)した。私優先の決意を伝え協力を依頼したのだった。


鬼が島に向かう軍船。

そこにはトシ、とケン。それにキジとサルタヒコが加わった。背後にはウサヒメ率いる夥しい船団が付き添う。

鬼が島の港には島民達が白旗を振りながら、我らの到着を待っていた。

「皆、武装解除をして、お待ちしております。」

案内をするウズヒコが言う通り、武器を手にしている鬼はいない。群衆の中に赤ちゃんを抱く女鬼がいたが、その赤ちゃんは人間だった。ウズヒコのいうようにクスリを飲まずお乳だけの赤ちゃんは鬼に変身するのを免れているようだ。

船が着岸しようとした時、事件が起きた。係留(けいりゅう)されていた無人の船から、突如ムクリと立ち上がった人影ならぬ鬼影。鬼達が襲い掛かってきたのだ。船底に隠れていたらしい。

「お前等、客人に何をする。」と叫んだ、ウズヒコが腕をやられた。と、同時にケンが相手の船に躍り掛かった。

一隻、二隻、三隻・・あれよあれよの間に飛び乗り、鬼を斬り捨てる。四隻、五隻、飛び乗っては斬り捨てる。太刀さばきもさることながら、そのジャンプ力、係留されているとはいえ、不安定な船に飛び移る、バランス感覚。後世の義経(よしつね)・八艘(はっそう)跳(と)びを彿彷(ほうふつ)とさせるものだった。あっという間に、八隻に潜んでいた鬼どもを全員、やっつけた。

これには、港にいる白旗の鬼達も拍手喝采。後ろに控える、味方船団からもヤンヤの喝采が巻き起こった。とりわけ、先頭にいる指揮官から黄色い声「ケン、かっこいいー!」とのウサヒメの声援がヒーローを奮い立たせる。ヒメの声援に応えてガッツポーズをきめるケン。ヒメのハートを掴むところまでは兎も角(ともかく)、心象(しんしょう)を上げる高得点をマークしたのは間違いないようだった。


「申し訳ありません。我々が港に来た時には誰も居なかったハズですが・・」と島民。「前夜から潜(ひそ)ませていたのだろう。私以外に怪我(けが)が無くて良かった。」とウズヒコ。傷口に布を当てがって止血を行っている。

「この分だと、大鬼の砦にたどり着くにも待ち伏せの鬼が待ち構えていよう。用心せねば。」ケンが砦に向かう道を睨みつけた。

「そうですな。神経を使う、行き道になりそうです。」ウズヒコも神妙な顔つきでうなずいた。

「おお、そうだ、島民の方々にお願いがある。吉備の集落から盗って来た食料品をここに持って来て頂きたい。」トシはそう言うと、後方の海に控える味方の船に合図、軍船ではない、その船には俵が山と積まれていた。

島民達が略奪(りゃくだつ)品を港に運び、トシ達は船の俵を荷揚げして、港に二つの荷物の山ができた。

「ケジメをつけようではないか。あちらの盗んだ物は返して当たり前。だが、あなた方も生きていくのに食糧が必要だ。我々はその分の食料として、こちらの品を援助する事にする。今後は、かつてのように漁業と農業で働く生活に戻ってくれ。」トシの呼びかけに島民達も納得の表情を浮かべた。

「じゃあ、次は大鬼征伐の本番だな。まあ、戦の前に腹ごしらえでもしますか。」トシは目配せした。キジとサルタヒコがあらかじめ用意していた吉備名物、キビ団子を高坏に盛って港前の広場に置いた。島民達の前に高坏を渡すと、子鬼達が目を輝かせる。


キビ団子を食べていると、ウズヒコが、島民の一人を呼び寄せた。その手には竹筒が捧げられている。

「これは、島でつくった地酒でござる。戦勝の前祝にいかがかな?」

「それはお気遣いかたじけない。だが、我々はあまり呑兵衛ではないのでな。酔っ払ってしまえば負け戦にもなりかねん。ハハハ。」

「まあ、少しくらいなら良いじゃありませんか。」とウズヒコがなおも勧めたが、ケンは取り合わない。それでもウズヒコは重ねて促した。

「なら、今ではなく砦での決戦前に士気を高める為に飲むことにしてはどうですか?」

「それなら好いかな。じゃあ、サルタヒコに渡してくれ。」

島民が竹筒を渡そうとした時、島民の手が震えていたのにサルタヒコは気付いた。

「じゃあ、私だけ、地酒を味見してみますか。」竹筒のフタをとって中を覗(のぞ)くようにした時、「それはなりません。こういう縁起(えんぎ)モノは、皆で乾杯しなきゃ。」とウズヒコが制した。その拍子に竹筒が揺れて、中の酒のしぶきが、サルタヒコの首にかかっているネックレスに付着して黒ずんだ。

「ほら、一人だけ行儀が悪い奴がいる。ハハハ」ケンがサルを揶揄(やゆ)する。


砦に近づいた小川のほとりで決戦前の休息を取る事にした。サルタヒコが盃(さかずき)となる、かわらけを小川の水で洗い、乾杯の準備をする。

車座になって、竹筒から面々の、かわらけに酒を注ぐ。いざ、乾杯の時になって、トシが口を開いた。

「それはそうと、ここにいるケン将軍もウズヒコ殿と同じ海人族の出身なのですよ。」

「ハア。それは将軍の顔にあるイレズミでわかります。」

「伊都国の久米族の出身でして・・」

「ハア。そうですか。」乾杯の前の話題にしては・・とウズヒコが怪訝(けげん)な顔をした時

「おぬし、ウズヒコではなかろう。」

ケンが威嚇(いかく)するような大声を出した。と同時にサルタヒコが竹筒に入っている酒をウズヒコの身体全体に振り掛けた。

「何をなさるのか。」呻(うめ)くような声を出したウズヒコの顔が変形していく。亀に似た鬼から、今にも人を食い殺しそうな凶悪(きょうあく)な顔つきのホンモノの鬼に変貌した。しかも振り掛けられた酒のせいなのか、その顔はただれている。

「どうしてわかった。」仲間に自らを傷つける芝居を打った。にも拘(かか)わらず見破られたのが不思議な様子だ。

「この酒が毒というのは先刻御承知だ。俺の大事な銀のネックレスが黒ずんだのは毒の証拠。それにそこの小川に流したら魚が腹を見せて浮き上がった。」とサルタヒコ。

ケンも「俺の叔父の塩ジィ、クメヒコとウズヒコは親友の間柄と聞く。それにしては久米族の、同じイレズミをみて何も言わないのは、いかにも不思議千万。」

「覚悟しろ!」ケンが剣先を突くと、鬼の腹から血が噴き出た。だが致命傷には至っていないようで、飛び退くや、傷口押さえながら砦に向かって逃げ出した。

「これで勝ったと思うなよ。」捨てゼリフを残して・・。

「ふう。少しはダメージを負わせられたかな。」

「それにしてもあの毒酒、予想以上の効果だったが・・なぜだろう。鬼の皮膚がただれていたが・・」とキジが不思議そうに尋ねる。

「毒酒にちょっと薬草を入れて御屠蘇(おとそ)を作ってみたんだ。」屠蘇は悪霊(あくりょう)封じ。まじないと思っていたが存外、鬼に効果的なのだった。


一行は砦に向かう道を進んだが、途中でサルタヒコが、その低い鼻をヒクヒクさせた。悪い気配を感じると言う。

果たして、鬼達がゲリラのように出没、向かっては来るが、すぐに逃げて、埒(らち)が明かない。どうも時間稼ぎの攻撃のようだった。無駄に時間が過ぎて、闇の時間帯になれば地理に明るい敵の方に有利となる。

トシは「オイ。鬼達に呼びかけてみてはどうか?」と提案した。大鬼ならともかく、島民の鬼なら、呼びかけ次第で何か変化が起きるかもしれないと思ったからだ。

「メガホンならありまっせー。」キジが薄い木製のメガホンを差し出した。拡声器の役割をするこれを使えば、何処に潜んでいるか判らない鬼達にも声が届くだろうと言うのだ。

声が太いケンが呼びかけ役に決まった。

「俺は伊都国の海人、久米族クメヒコの親戚の者だ。あのウズヒコはとんだニセ者だった。俺達は大鬼を退治する為にここにいるが、目的は島民の皆を以前の生活に戻す事だ。ホンモノのウズヒコ殿がいたら顔を見せてくれ。話をしたい。」


と、一人の鬼が、意を決したように姿を現して、近づいて来た。

「なるほど。イレズミも同じ。顔もクメヒコさんにそっくりだ。」塩ジィの本名はクメヒコ。甥のケンは、まこと若い頃の塩ジィに似ていた。塩ジィが聞いたら嫌な顔をするかもしれないが・・。

しかし、この鬼、亀とは似ても似つかぬ顔をしている。歳も幾分若いように見えた。何か魂胆(こんたん)でも持って近づいてきているのかもしれない。

「お前は、ウズヒコではないな。」

「ウズヒコ様は大鬼の奴によって牢に閉じ込められている。助けてくれるのなら協力してもいい。」鬼が鬼によって・・という。こいつは鬼から脱し始めているのかもしれない。話相手にはなりそうと思われた。


鬼は名をサオヒコ。ウズヒコの元で船員頭を勤めていたことから、塩ジィとも面識がある。顔とイレズミで、ケンの言う事を信用できると思って出てきたと言った。


ウズヒコは大鬼の巧みな勧誘にも動ぜず一人、反対を唱えて囚われの身になったという。自分達は空腹に耐えられず大鬼の言いなりになったが、最近の略奪行為には引っ掛かるものがある。それに大恩あるウズヒコ様を、囚人のままにしておくのは忍びない。ウズヒコ救出に関しては味方になろう。ただ、その後は味方出来るかわからないがそれでも良いなら協力しようとの申し出だった。砦の見取り図を教えてもらいながらの救出作戦会議を終えた。 


砦に逃げ込もうとするサオヒコ等を追うトシ達が、一団となって砦の門の中になだれ込む。しかし、勝手知ったる砦に入ってしまうと、鬼達が反撃を開始。トシ達は苦戦を強いられながら、砦の奥にジリジリ追い詰められて行く。最後は牢屋のある洞窟(どうくつ)に逃げ込む。という算段。サオヒコが攻撃のフリをしながら何処に追い詰められるべきかを合図する。


到達した牢の中のウズヒコは人間の亀だった。ろくな待遇ではなかったとみえ、弱ってはいるが何とか立ち上がる事はできた。トシ達に守られながら、砦の門の前に来て、それまで攻撃役だった鬼達が、トシ達とバトンタッッチ。ウズヒコを守りながら門の外に出る段取りの救出作戦だった。

何とか、ウズヒコを砦を脱出させられそうだと思われた時、ボス敵、大鬼が現れた。


「裏切り者!」

大鬼の投げた槍が唸りをあげてウズヒコを的にする。その瞬間、傍(そば)にいたサオヒコが手を出し、槍を防ごうとしたが、サオヒコの腕から血しぶきが噴き出た。

他の鬼達に「二人を港まで頼む。」と言い残しトシ達は大鬼と対峙する事になった。が、大鬼は「まず、裏切り者を皆殺しだ。お前たちはその後料理してくれよう。」とトシ達を無視して門外に出ようと、突進した。

「イテテテ!」大鬼の突進が止まり、足を上げて後ずさりする大鬼。キジが撒(マキ)菱(ビシ)の術を使ったのだ。トシが一大率(いちだいそつ)学園の学生だった頃、山賊に襲われた時にキジが初めてつかった術。あの時はヒシの実だったが、今回は鉄菱にグレードアップしている。

「小癪(こしゃく)なマネを。お前等から皆殺しにしてやろう。」吠えるように威嚇(いかく)する大鬼。

「その前に聞きたいことがある。」トシが大鬼を見上げるように声を出した。


「チクシは今何処にいる。教えると、お前の配下の鬼が言ってた情報を聞きたい。」

「ワッハッハ。そう言ってお前等を少人数でおびき出したのだったな。よかろう、冥界(めいかい)に行く前に教えてやろう。」足に刺さった鉄菱を無造作に払いのけながら大鬼が語り出した。

「チクシ様は、さる尊い方の下女として、傍に仕えておられる。」

「尊い方?」

「我々を創造された方じゃ。我々はそのお方の為に生き、戦う。絶対的存在であらせられる。」なんと、悪の権化(ごんげ)のような大鬼が敬語を使う存在?尊い方とは何奴(なにやつ)だ。しかも、チクシが仕えているだと?断じて信じられないハナシだ。あの正義感だけは強い人間が?

「今、何処に居る?」

「ワシがここにつかわされた時は熊野(くまの)におられた。」

「どうしたら会える?」

「会うだと。毛虫のようなお前らに、尊いお方が、お会いなさる訳はない。そもそも此処で死ぬ運命にある、お前らがどうやって会いに行けるというのだ。フワッハッハ。」

「他に情報は無いのか?」何か手がかりになる事を喋(しゃべ)ってもらいたかった。

「俺の知っている事は他にはない。覚悟は出来たかな。」


その途端(とたん)、大鬼の身体が奇妙に歪み、三つに分かれた。そして三匹の鬼が現れた。分身されたのだ。その中の一匹の顔はただれ、腹に傷跡がある。どうやら、ニセのウズヒコで間違いないだろう。三匹に分かれた鬼は、大鬼の時とは比較にならないスピードで襲ってきた。

「ウギャー!」三匹の胸から血がしたたり落ちた。その胸には金属製の星形が突き刺さっている。キジから渡された手裏剣(しゅりけん)。襲われたキジ、トシ、ケンが至近距離から、それぞれの相手に命中させたのだ。

三匹は再び合体して、大鬼へ。大鬼は大きな金棒を振り回してくる。パワーが凄いので、まともに当たれば即死してしまうが、動きは鈍い。従って逃げるが勝だ。追い詰められないよう気をつけながら障害物を盾にして逃げ回った。

苛立った大鬼は分身してスピード攻撃をしてくるので、その際は集中力で手裏剣を命中させなければならない。

大鬼は合体と分身を繰り返しながら、トシ達を執拗(しつよう)に攻撃してきた。再三の手裏剣攻撃のおかげで分身した時の鬼のスピードが鈍くなってきたのは救いだが、もう手裏剣がなくなって来ていた。

ついにトシ達は追い詰められそうになった。背後は砦の城壁。障害物といえば楠の大木のみ。一人なら木の裏に隠れる事は出来そうだが、キジ、トシ、ケンの三人ともとはいかないスペースしかなかった。

大鬼は勝利を確信した表情で迫って来た。誰を最初の獲物にするのかと三人を見廻していた時、楠(くすのき)の大木の葉が揺れ、大鬼の目にサルが飛び込んでいった。

「グッ!」呻いて、大鬼が目を覆った。サルタヒコが空になった竹筒を投げ捨てた。例の毒薬入り屠蘇液を大鬼の両目に振り掛けたのだった。

盲目となった大鬼に四人の剣が襲い掛かった。ダーンと倒れた鬼の心臓部に剣が突き刺さると、その体は灰が四散するように消えて無くなったのである。

 

港に戻ると、鬼の姿は無く、皆、元の人間の姿に戻っていた。ウズヒコも元気を回復したように笑顔が戻っている。傷ついたサオヒコは?

壮年の渋さを漂わせる海の男。サオヒコの日焼け顔にも笑みがこぼれていた。腕には包帯がグルグル巻きにされていたが血は止まっているようだ。その隣にはウサヒメ。

「槍の傷は骨をかすっていたから、良かったわ。傷跡は残るでしょうけど。」

「何から何までお世話になりました。」

 

島の指導者、ウズヒコとサオヒコは島がヤマタイ傘下に入る事を了承した。当面は食料援助を受けながら、島の生活を再建。軌道に乗ればヤマタイへのお返しを約束する事になった。今後は、奈良、熊野方面に向かう、瀬戸内航路の東側の難所を水先案内する代わりに貿易船の積荷通行料を徴収する事にした。その収入は、島の生活安定化につながると同時にヤマタイ統一国家の財源にもなるのだった。 


戦勝会では誰がМVPかをめぐって一悶着(もんちゃく)。ケンはウサヒメの気を引こうとアピールする。 

「そりゃ、俺だろう。ナスノヨイチばりの的当てで士気を高めた。サオヒコ殿を味方にしてウズヒコ殿を救出出来た。最後の大鬼のトドメは俺の剣だったと思うがなあ。」

「イヤ、僭越(せんえつ)ながら私の手裏剣も効果絶大だったでしょ。サルタヒコの毒酒攻撃も良かったし、トドメだってサルタヒコの方が一瞬早かったように見えましたが・・」とキジは不満顔。

「何を、サルは木登りしただけじゃないか。俺の剣の方が強力だった。」・・

これらの会話を締めたのは、終始イラ立ちを隠さず不服そうな表情のウサヒメだった。

「誰でもいいじゃないの。私は不満なのよ。鬼退治を外されたんだから。今度、あたしを外したら承知しませんよ。だから、あたしは宇佐に帰らず、ここに残ります。倭国統一とやらに大活躍してあげようじゃありませんか。」

ケンのアピールは雲散霧消(うんさんむしょう)したがウサヒメが留まる事になって、一緒に行動できる・・・収支勘定では大幅プラス・・とニンマリする将軍がいた。


こうして、鬼退治は無事終了とはなった。吉備国に加え、瀬戸内航路を手中にしたのは倭国統一にとって大きいポイントになる。・・まずはメデタシ、メデタシ。・・と言いたいところだがトシの心はメデタシどころか、大きな闇に覆われていた。チクシが何故に鬼が尊き人と呼ぶ者に関わっているのか。関わらされているに違いないが、チクシが大丈夫か不吉な思いに駆られる。早く熊野とやらで、情報収集してみなければ・・


第二章


キビ国の運営も軌道に乗り、さらに東方への進出のきっかけを窺(うかが)っていた時、思わぬ使者の来訪を受けた。出雲のオオクニ王の長男で皇太子、コトシロがやってきたのだった。

出雲は吉備の永年の宿敵。安芸国にとっても北方の脅威として恐れられた軍事国家である。何を言い出すのかと皆が色めきたった。最近、国境でのトラブルは発生していないハズなのだが・・・

「ヤマタイ本国から、美しい巫女(みこ)様がおいでと聞き及びました。ついてはヤマタイ式の神道をご教授いただけないかと王が申しております。」さすがミクモ姫。その美貌の情報の伝達が早くも出雲にまで及ぶとは。

「ほう。なにゆえ、そう思われたかな。」トシはその申し出の裏にあるものを探るように疑問を投げた。

「出雲とヤマタイは、我が地で採れる碧玉(へきぎょく)など、古来より貿易面ではつながりがありますが、文化の面では相違点がございます。我が国と隣り合わせの吉備国が、ヤマタイ傘下に入った、この機会にヤマタイとの交流を深めたいと考えた次第です。あくまで友好を第一に考えた申し出とご理解ください。」 


額面通りには受け取れないが、話自体は悪いものではない。浪速(なにわ)や奈良等、東方に進出した場合、背後の出雲と友好関係が築かれているのと、いないのでは大きな違いがある。

「貴国と友好を深める件。それは我が方にとっても願ってもない申し出でござる。ただ、ヤマタイ本国の巫女様の件は、長官の私とて独断で決める訳にはいきません。こちらに逗(とう)留(りゅう)されて、我が国の学園などを視察されたらよろしかろう。」

その間にミクモ姫の意向を聞かねばならなかった。果たして引き受けてくれるのだろうか。難しいだろう・・

ミクモ姫は、あっさり「引き受けます。」と了承した。

「その地は、何と言っても仮想(かそう)敵国(てきこく)です。それでもオーケーされますか?」

「サルタヒコを従者にして下さい。あの者は私を守る、と言ってくれてましたので、大丈夫でしょう。私は外交のお役に立ちたいのです。私が行く事で友好の扉が開かれるのなら、それは無上の喜びとなりますから。」

話は決まった。この申し出を受け、ミクモ姫とサルタヒコを出雲に派遣する事にした。勿論、万が一の為、ケン率いる軍団とキジを国境まで護衛役として随行させ、国境近くに待機させよう。何かあればすぐに姫を救い出せるように。連絡役を民間の商人であるキジにすればいいだろう。


コトシロの帰国に合わせて二人は出発した。無事に国境を越え、ケンは国境の砦に駐在、キジは商人の立場で出雲国内に入り、二人の安否(あんぴ)情報を適宜、ケンに知らせる事にした。


コトシロは、しかし出雲の王都に行くのに、最短ルートを行かなかった。斐伊川(ひいがわ)の上流、川筋に沿った山道に入り、あちらの方角が王都です。川に沿って進めば出雲です・・と説明するのみ。サルタヒコが注意深くあたりを見廻す。いつもヘラヘラしているのに厳しい視線を周りに放っていた。

何故か、道の両側にヘビがいる。逃げるでもなく、攻撃するでもなく、ミクモ姫を舐めるように観察している。

「この辺はヘビが多いのね。」さすがに気味悪いと思った姫が尋ねると、コトシロはギクッとした素振り。

「山道ですから。この辺はヘビが多いのです。大丈夫、毒ヘビじゃありませんから・・」慌てたように言訳をした。


その時、ミクモ姫に悪寒が走った。

「私の傍から離れないで下さい。」サルタヒコが言うのと「何かいるわ!」ミクモ姫の叫びが同時だった。

「あなたも感じたのね。」

「凄まじいエネルギーです。ただちに襲い掛かる気配はないが、姫に焦点を当てている。」

「どうされました?」コトシロがうろたえたように声を出したが、自身は何も感じてはいないようだった。

突然、あたりが黒い雲に分厚く覆われ、ズンズンとまたたくまに暗くなる。嵐の前の予兆のようだった。

低い、唸(うな)り声のような言葉が黒雲から降ってきた。

「その姫にしよう。いや、その姫でなければダメだ。俺は一番美しい姫を差し出せと言ったのだから・・」

「待て!」コトシロが剣を抜いて夕闇のような天空を見ていたが・・・。

「ハハハ、俺は紳士だ。約束は守る。三日後の夜に来ればいいだけの事だ。違えれば、お前の国のすべてを破壊する。それも約束事だからな。約束は守らねばならん。ウワッハッハ・・」

気配が消えた。

ただ、大変な事が起きていることだけはハッキリしている。

「説明してもらおうか。」サルタヒコが否を言わせぬ気迫でコトシロを睨(にら)みつけた。ただならぬ気配に、後ろからつけてきていたキジが、驚異的な走りで一行に合流する。


コトシロが事の経緯を話始めた。

つい一月前、巨大な大蛇の魔物が現れて、脅迫じみた予言をおこなった。オオクニ王の娘の中でも美人の誉(ほま)れ高い、クシナダヒメを差し出せ、さもなくば、大いなる災いがもたらされるであろうしたのだ。いわれのない要求であり、これを無視したのだが、間もなくのこと。未曾有(みぞう)の豪雨が襲い、斐伊川(ひいがわ)が氾濫(はんらん)、一帯が水浸しになる事態が起こった。これには王も衝撃を受けた。事は相当に深刻なのだ。

再びその大蛇が現れて予言してきた。クシナダを差し出さねば、今度は先の洪水にとどまらず国は滅びる事になろうと。当地の加持(かじ)祈祷(きとう)では効果もなく、やむを得ずヤマタイの妖魔(ようま)退散(たいさん)の巫女術を学ぶために、今回の申し出を行ったのだと弁明した。

「それが、今、当地のクシナダではなく、貴国のミクモ姫殿をと大蛇が言い出した。貴国にまで、ご迷惑を掛ける事になって申し訳ない。どうしたものか・・。」


「正直に言え。出雲は我々をたばかったのですな。」サルタヒコが追及する。

コトシロは慌(あわ)てて「とんでもない、大蛇の事を黙っていたのは、済まないが、私は魔物がターゲットをミクモ姫に変える事など想像も出来なかった・・。」

「なぜ、国府への道を遠回りした。」

「・・・・。」

サルタヒコの見抜いたような眼は、こう語っていた。

・・・ミクモ姫がクシナダヒメとは比較にならない美人だという評判を聞きつけ、出雲の王が一計を図った。文化交流の名目のもとにミクモ姫を連れ帰り、大蛇にワザと見せつけるように、大蛇の棲む道を選んで国入りさせたのはハッキリしている。すべてはオオクニ王が娘を助ける為に仕組んだ陰謀(いんぼう)なのだ。


「誠に済まない。私は、こんなはかりごとで大蛇を退散させる事は気が進まなかったのだ。今回、うまくいって、妹を助けても、いずれこの出雲国が魔物の手で蹂躙(じゅうりん)される事になるのは明らかだ。なんとかヤマタイの力を借りて魔物を退治したい。助けてくれれば、この出雲の地。ヤマタイに譲っても良いと考えている。・・。」コトシロはヘタな弁明は通じないと判断し、平身低頭(へいしんていとう)で哀願した。

「冗談じゃない!」キジも声を荒げた。 


「出雲一国と引き換えならば、私は何が起こっても構いません。」突然、口をはさんだのはミクモ姫だった。

「なにをおっしゃいます。姫に危険が及ぶようなことは・・この地から脱出する方法を考えましょう。」キジが制した。

「いや。脱出は難しい。相手は既に姫の匂いを感じ取った。どこまでも追って来るだろう。いっそ、私が息の根を止めるか。」サルタヒコがいつになく真剣な顔をした。

「どうやって?」

「まず、キジはケン殿を迎えに走ってくれ。ミクモ姫を護衛してもらいたい。大蛇を退治する方法は私が考えよう。」サルタヒコは振り向いてコトシロに命じた。

「大蛇を見た者を連れてきて欲しい。敵に関する情報をもっと知りたいのだ。」


「大蛇をこの目で見ました。それは生きた心地がしませんでした。胴体は一つなんですが、首が八つに分かれて頭も八つ。大きな口はわたくしなど一呑に出来そうでした。我々は八(や)岐(またの)大蛇(おろち)と呼んでおります。」ここの集落を治める村長が呼ばれて語り出した。

蛇は水神様の使いと大事に崇めてお祀りしていたのに、かくも恐ろしき姿で現れるのが、何のタタリかと不思議に思っております。それは兎も角、そのオロチが訊ねるのです・・。

大地が裂けんばかりの声で「この国の王族の中で、一番美しい娘は誰かと聞くんです。」

「それでうちのクシナダの名前を出したのか。」

「訳が判らずの事で、ご勘弁下さい。」

「そんな事はどうでもよい。オロチが他に何かしたのか?」

「酒を持ってこい。と命じられて八つの杯に注いで差し出したのですが、ひと舐めでした。」

「フム。酒が好きか。」

「それで、家にある残りの酒壺を出したんですが、その際に、男が差し出した壺がオロチの喉(のど)もとに触れて、怒り出したんです。あー、思い出しても恐ろしい。男があっという間に呑み込まれてしまったんです。」

「フム。逆鱗(げきりん)に触れたのだな。この辺の蛇は逆立った鱗(うろこ)があるのかな?」

「蛇ですから鱗はありますが、逆立った鱗は大蛇だけです。オロチには髭(ひげ)もありました。」

「髭の無いハズの蛇に髭があるか。足は?」

「足も有りました。」髭も足もあるのでは大蛇ではなかろう。サルタヒコには大蛇ではなく龍としか考えられなかった。

「なるほど。それでは、オロチが現れる期限までに大きな門、大きな酒桶を八つ作ってくれ。オロチがたらふく飲めるだけの酒も、それも強い酒が良い。歓迎の宴じゃ。オロチ殿が首を差し入れてゆっくり心置きなく飲めるようにな。」

村長は自分達の村だけでは全ての準備は難しい、王様にも国を挙げて協力頂けるよう伝えてくれと願い出た。当然な話だ。

サルタヒコ、ミクモ姫、コトシロの一行は王都に急行した。


出雲の王宮でオオクニ王とサルタヒコが対面する。コトシロが事の成り行きを説明すると、王も出雲がヤマタイ傘下に入るのを了承せざるを得ないと判断した。出雲一国でオロチを退けるのは難しいと思ったからだ。作戦に必要な、度数の強い酒の用意、腕利きの大工職人の手配も配下の者に命じた。


サルタヒコはミクモ姫と二人になった時「オロチの災いから身を守る為、鏡と、笹餅を五色の糸でぐるぐる巻きにしたチマキをご用意下さい。それからこれが大事なのですが、強い眠り薬を作ってくれませんか。」と頼んだ。

「お酒に入れるのですか?」

「いや、オロチの嗅覚(きゅうかく)ではバレてしまうでしょう。まあ、どうにかしてオロチの体内に注入する事にしましょう。」

「なんか、おサルさん、ホントに私を守ってくれそうですね。フフフ、頼もしいわ。」ミクモ姫はサルタヒコの事をおサルさんと言う。

「ええ、言ったでしょ。キクチヒコの代わりとなって、姫を守りますって。天地がひっくり返っても間違いありませんよ。安心して下さい。」

キクチヒコとは狗(くぬ)奴国の王子。将軍として武勇に優れ、容姿も抜群、ミクモ姫の初恋の相手だ。倭国統一を夢見ていたが、邪馬台国との戦乱の最中、自決をしてしまう。ミクモ姫はその後、永遠の巫女として生きる道を選ぶ。強い意志をもった彼女にサルタヒコは惹(ひ)かれ、お互いウマが合うようで、他を寄せ付けぬ凛(りん)とした高貴さを放つミクモ姫も、サルにだけは軽口をたたくのだ。

「あの時、私も言ったでしょ。あなたはキクチヒコ様の代わりは、到底つとまりませんわって。」

サルタヒコは自分の剣をミクモ姫の前に置いた。「この事も言いましたよ。私自身は強くありませんが、この剣があなたを守る力を宿していると。」


あの時、サルタヒコは古代中国の名工が作った莫(ばく)邪(や)の剣ではないかと説明していた。そして、オリハルコンという超金属で作られたものではないかとも言っていた。プラトンが書きしるしたアトランティスに眠る魔力をもった金属・・。

「そういえば、訳の分からない講釈をされていましたわね。そんな事を思いつくのがスゴイと思いましたわ。」

「そう、わたくしめは、実はスゴイんです。」

サルタヒコは自分の事を語り始めた。

生まれは中国、水(すい)廉(れん)洞(どう)。ソンゴエンと名前がつけられた。子供の頃から変わっていて、祖母から「あんたの遠い先祖、ゴクウという特別な能力を持つ変人がいて、あんたにはその生まれ変わりじゃないかね。」と言われた事がある。その先祖が、西方に旅立って行方不明になったと聞いて自分も旅立った。先祖の痕跡(こんせき)を見つける旅だったが、それは叶わず、隊商に加わってローマに行き見聞を広める。中国に戻ったところで朝貢団にいたトシに出会い、共に倭国にやってきたのだった。


「私にも特殊な能力が備わっているのに間違いありません。だからあなたを守れると言うのです。」

「あら、私を守って下さるのはこの剣なのでしょ。」

「今度のオロチ、私は龍だと思うのですが、八つの頭を持つだけに凄いパワーを感じます。剣だけに頼っていては守りきれない場合もあるので、いろんな対策を講じる必要があります。私の先祖伝来の潜在的能力を引き出さねばならない事もあるでしょう。」

「確かに、異様なパワーを感じましたね。私はどうなってもいいから、オロチを退治して出雲を手に入れ、倭国統一に、はずみをつけて下さいな。」

「どうなっても良いなんて言わないで下さい。私には倭国統一など興味はありません。あなたを守るのが唯一の目的なんです。」

「あら、嬉しい事。でも私は余生(よせい)を生きてる身ですから、ホントにどうなってもいいのです。キクチヒコ様が望み、一生を賭けた倭国統一に、私の命がお役に立てば、あの世で良い報告が出来ますわ。」

「余生だなんて・・まあ、私の人生も余生と言えば余生みたいなもんですけど・・。」

「余生だからといって、諦(あきら)めの境地で生きてるわけではありませんよ。自分の欲はキクチヒコ様が亡くなられた時に捨てました。自分の為ではない、何か良い事の目的。そのために生きるのが本来の余生ですのよ。」

「はー。ますます、あなたを守りたい気持ちが強くなりました。同じ余生ながら、私の余生より良さそうな余生ですなあ。」


キジがケン率いる軍団と共に到着した。いよいよオロチ退治大作戦が始まるのだ。

神社の社殿に御簾(みす)を張り、顔が見えないように囲まれた玉座。そこにミクモ姫が鎮座する。社殿の周囲をコトシロとケンの軍団が幾重にも囲んで警護した。その前に八つの大きな門、大きな酒桶には波打つ酒、門と酒桶の間にはオロチが顎(あご)を据(す)える事の出来る台を置いてある。

そろそろオロチが現れる時刻だ。 


それまで騒がしかった鳥や虫の音が急に静まり、木々がざわめきだした。例によって、あたりが黒い雲に覆われてきた。雲間の切れ目にランランと妖しげな目玉らしきもの。

突然、メガホンを手にしたキジが声を出した。

「さあ、ヤマタノオロチ様が降臨(こうりん)されます。」

雷が轟(とどろ)く中、暗雲を切り裂くようにオロチが姿を現した。延々と続く青緑の胴体をくねらせた大蛇。八つの頭に角ばった鱗、見開いた眼。ギラギラと赤く光っている。長い胴は苔で覆われ、ところどころに幼木が植わっている。手足に鋭い爪が一つ、二つ・・五つある。

「目出度きオロチ様の降臨に際し、我らが祝い酒、ご用意しました。飲み干されれば、さらにお注ぎ致します。思う存分、お飲みくだされ。」

「フン。なかなか気が利いているではないか。」オロチは八つの頭をそれぞれの門にくぐらせ、首を台に据えた。用心深く、一つの頭が酒を毒見、何もないとわかると八つの頭がいっせいに桶に吸い付く。

「イッキ、イッキ・・」キビが音頭をとって盛り上げた。

「なかなか美味い酒ではないか。かわりを貰おう。」早くも平らげてしまったオロチが催促(さいそく)した。

「今すぐお持ちいたします。ただ、その前に、畏(かしこ)みお願い申し上げます。斐伊川(ひいがわ)が洪水などに見舞われませんようオロチ様に見守って頂きとう御座います。どうか、お聞き届け願います。」

「承知した。巫女を差し出し、酒を振る舞って貰ったのだ。願いを聞き届けよう。安心して農耕いたすがよい。どうせ、この地は俺様が支配するのだからな。」

キジの側にいたコトシロが憤然とした顔になるのをキジが目で止めた。「やっぱりオロチの言う事聞いても、どうせこの国を乗っ取る気なんだ。」「ムカついたんだったらオロチに酒をたんと召し上がっていただく事だ。」と小声で囁く。

酒を桶に注ぎ終わると、再び、一頭が毒見を始めた。まだ酔ってはいないようだ。

何回継ぎ足しただろうか。オロチの白目の部分にも赤みが増して来た。

「それではオロチ様。姫から御伺(おうかが)いしたき事があるとの事。こちらも、お聞き届けいただけますかな?」キジの問いかけにオロチは上機嫌でオッケーを出した。眼はとろんとしているがまだ酔い潰れにはまだの様子。

「ヒック・・。姫も、事前に知りたい事が・・ヒック・・あろうからのう。答えて・・ヒック・・やろうぞ。」生あくびが出てきて出てきた。

姫が言葉を出した。「わたくしは今後、どうなるのでしょう。何処に連れて行かれるののでしょうか。」

「ヒック。お前は・・いい匂いのする女子じゃのう。だが、残念。俺に食われる運命にあるのじゃ・・。」警備の兵達に緊張が走った。

「ウィー・・冗談じゃ。お前は、俺のご主人様・・ヒック・・熊野におられる尊いお方のもとに参るのだ・・」

オロチは自分が尊いお方の手によって生まれ、その方に、美しい巫女を探し出すよう命を受けた為、出雲に来たと説明した。ミクモ姫は、連れて行かれ、気に入られれば、その方のもとに嫁ぐ事になろうと言うのだった。

「あなたは龍ではないのですか?中国では五爪の龍は、皇帝に関係すると聞きましたが・・」

「ホオ。お前、美人というだけではないのう。そんな事まで知っているとは。ご主人様に気に入られるのは間違いなさそうだ。フワッフワッハ・・」

「「その皇帝様の名前は徐(じょ)といわれるのですか?」

「俺が名前を知る立場にはない。皇帝かどうかもな。ただ、ゆくゆくは全世界を手にするだろうお方には違いないが・・」

オロチはそれ以上答える気はないらしく、再び酒桶の酒を飲み始めた。

コトシロがキジに、継ぎ足す酒が、もう一回分がしかない事を告げた。オロチを酔い潰して眠らせる作戦・・もう一息なのに・・

その時、姫の服の裾(すそ)から八匹の虫が飛び出した。

虫はオロチの首筋を飛び回りチクリと刺したように見えた。

と、オロチが眠そうに大あくび。「いい気分になってきた。暫し、眠るか。」

一つの頭が飲むのを止め、台に頭を据えて居眠りを始める。

「何をおっしゃいます。酒はまだ、御座います。」キジが酒桶に最後の酒を継ぎ足す。

オロチの他の頭も次々に眠り、最後の頭もついに酔い潰れた。

「今だ!」

ケンの指図で門を支えていた大綱が切られた。いや、大綱が支えていたのは門の上部に置いていた重い鉄製の刃だった。刃が、ギロチンの如く空をきって八つのオロチの首に突き刺さる。大量の血(ち)飛沫(しぶき)が舞い上がり、そこにケンとコトシロ率いる軍団がトドメを刺しに殺到した。次々にオロチの頭が切り取られていく。最後に眠りについた一頭を残して・・。

最後の一頭だけは異変に気付いて首を縮め、一瞬の差で、頭を門の外に出していたのだ。

「謀ったな。だが、俺が残ったのは、まさに残念だったな。熊野にあられる尊いお方は、我等を再生して下さるのだ。戻り来て、皆殺しだ。覚悟せよ。」

オロチの顔が凄みを増した。

「その前に、女だけはもらい受ける。」

首なしの胴体をブラブラさせて動きにくそうではあったが、それでもオロチはミクモ姫の座す社殿に襲い掛かった。

オロチが大きな口を開けて姫をくわえようとした時、ミクモ姫の服を借りて座っていたサルタヒコが、オロチの喉元(のどもと)に剣を向けた。ミクモ姫を床下に置き、オロチの嗅覚にその気配を感じさせながら、床上に身代わりとして座っていたサル。一瞬、サルタヒコにオロチが呑み込まれたかのように見えたが、オット無事だった。剣だけが自ら発光しながらオロチの口に飛び込んだ。

剣はオロチの喉を掻き切り、心臓を探し当てたかと思うと、それを切り刻んだ。莫(ばく)邪(や)の剣。それは、は自らの意志があるかの如く動いて相手を仕留めるのだ。オロチは狂ったように悶えて息絶えた。

尾を切り裂くと莫(ばく)邪(や)の剣が戻ってきた。この時、オロチが登場した時に湧き出ていた雲が一瞬にして消え、晴天になった事から、のちに天(あめの)叢(むら)雲(くも)と名を改める事になる。

それにしても、オロチに呑み込まれたかに見えたサルタヒコが無事だった怪奇。後日、サルタヒコが姫に訊ねた。

「あなたが私を救ったのですね。」

「私を助ける為に、私に成り代わって下さったのですもの。当然ですわ。」

ミクモ姫はサルタヒコの座る、その床下に居て、回復魔法でサルタヒコの無事を祈り続けていた。それが呑み込まれた時の傷を瞬時に癒(いや)し、かすり傷もなく無事にオロチを葬る事が出来たのだった。


こうして八(や)岐(またの)大蛇(おろち)退治は無事に終わり、メデタシ、メデタシとなったわけだが、イズモの国譲りはスンナリと運ばなかった。


コトシロは約束を履行(りこう)するようオオクニ王を説得したが二男の王子、タケミナカタが猛烈に反対したのだ。腕自慢のタケミナカタとしてはヤマタイと一戦も交えず、負けた訳でもないのに国を譲るのが得心できなかったからである。

ヤマタイ側の代表であるケンとしては、当然、出雲が約束を果たすべきとの立場だったが事を荒立てるよりは、コトシロとオオクニ王がタケミナカタを説得するのを見守る事にした。

ところが、タケミナカタ、ケンの元を訪れ、果し合いを申し込んできたのだ。国譲りの約束は約束であり、この申し出を受ける理由はなかったが「面白いじゃない。やっちゃいなさいよ。」とけしかける御仁(ごじん)が現れた。出雲で不穏な動きがあると報告をうけたトシのもとで「私が行きます。」と手をあげた者がいた。援軍を率いて出雲にやってきたウサツヒメである。

試合は相撲で行われた。

猪突猛進のタケミナカタが突進するのをかわしたケンが、あっけなく引き落としの勝利。これで決着と思われたが、もう一丁と、タケミナカタ。そうこうするうち二人は息切れして千秋楽となった。結果はケンの八勝七敗。タケミナカタも納得して国譲りは決まった。スポーツ決着は後々がさわやかなのだ。・・・。

と思われたが、今度はオオクニ王がゴネ始めた。

国は譲るが、天にも昇る、高い神殿を作ってくれとの仰せだ。こちらはローマで高層建築を見学、技術を習得してきたサルタヒコが担当。三本の柱を束ねて巨大な柱とし、五十メートル以上にもなる高層神殿を完成させた。

時代が下って平安時代。「雲(うん)太(た)、和二、京三」と言われた。三位が京都の大極殿、二位が大和・奈良の東大寺大仏殿、それらを上回る高さが出雲大社というわけだ。


ところで今回もVIP争い。国譲りでは俺の相撲が役立ったとケンは主張したが、今回は誰の目にもサルタヒコがダントツの票を獲得した。

「それにしても、オロチを眠らせたのは?あの虫?」キジが不思議そうにサルに問うた。

「あれは御先祖様の妖術でね。有名なのはキントン、如意(にょい)棒(ぼう)なのだが、あれは身外(しんがい)身(しん)の催眠虫の術。ミクモ姫に作ってもらった薬を虫に注射してもらったんだ。体毛を抜くのが痛いから鼻毛にしたがね・・。キントン、如意棒はモノがないから使えないんだ。」

「如意棒は男なら誰でも持っているだろ。」とケン。「キントンってあの美味しい奴?」ウサツヒメとのかみあわない会話が続いた。


第三章


 トシは皆からの報告を受け、考えていた。吉備と出雲が共にヤマタイ傘下に入った事で後顧(こうこ)の憂いなく、奈良・大和の地を目指す事が出来る。いよいよ倭国統一に近づいたのだ。

しかし、気になるのはチクシの事だ。大鬼の話では、チクシは熊野で尊き方の傍で仕えている、いや、仕えさせられているのだろう。

そして、オロチの話。オロチの創造主、尊き方は世界制覇を熊野から始めようとしている。五爪の龍としたら、世界の皇帝になる野望を持つ者であり、その者は中国と関係を持つ人物という事になる。その者にチクシが仕えさせられている・・。

尊きお方が徐先生であれば、話はすべてつながる。先生はチクシと共に邪馬台国を出奔、東へ旅立ったのだ。

もともと、先生は目的を持って中国から倭国を目指して渡航してきた。伊都国の一大率(いちだいそつ)学園教師となり、中国研究会では、我々トシ、ケン、キジ、そしてチクシを導いてくれた。しかし、倭国に来た真の目的は、先祖である徐(じょ)福(ふく)の足跡を追う事。

徐福は邪馬台国の金立で、不老不死の薬を探したが、見つける事ができず東方にそれを求めた。熊野にである。

当然、あの徐先生も徐福ゆかりの熊野を目指したはず。チクシを連れて熊野の地で尊き方、いや、皇帝になり、世界を手にしようというのだろうか。

しかし、熊野を目指したまでは理解できるが、皇帝だの世界制覇だのは理解できない。知る限り、徐先生は紳士的であり、大鬼だのオロチを使って倭国を蹂躙(じゅうりん)する、妖魔なような存在になるなど考えられない・・。洛陽で出会った徐先生の友人、阮(げん)籍(せき)先生も権力闘争に明け暮れ、民の為の政治とはほど遠い中国を見捨てて倭国に渡航したのだと言っていた。そんな先生が為す事ではないのだ。熊野で何が起こり、どうなっているのかが気懸かりだ。とりわけ、チクシの事が心配でならない。


トシはキジを呼んで、熊野、奈良の情報収集を依頼した。商人であるキジはそれらの地で何か手がかりを見つけてくれよう。キジからの情報があるまで、吉備、出雲の体制をヤマタイ流に馴染(なじ)ませ、軌道に乗せる様、政務に邁進(まいしん)するしかない。


そうしたある時、キジが勢い込んでトシの長官室に入って来た。何か情報を掴んだのだ。

「今度は奈良です。」奈良か、チクシのいる熊野の情報を聞きたかったのだが・・。

「奈良に、例の妖魔の使いが現れたそうです。」何だと!吉備の鬼が島、出雲の八岐大蛇に続いて、奈良にも魔物が現われた?

妖魔の使いは奈良の王、トミビコに自分の支配下に入るよう迫った。ヤマタイ勢力が吉備、出雲を手に入れ、次は奈良を狙うだろう。その前に自分達の支配下に入れば、逆にヤマタイの領土を奪う事も可能。ヤマタイに替わって倭国の代表となる王になる気はないかと誘いをかけてきたという。この申し出を拒否するなら、我らが代わって奈良の地を治める事になるだろう・・と脅しも含まれた申し出だった。

これに対しトミビコは高官達を集めて協議。妖魔と組(くみ)するより、ヤマタイと連合を組んで一掃する方が良かろうとの結論に達した。中でもそれを強く勧めたのがニギハヤヒ。もともとは邪馬台国のヤマト地区・ニギ族が東遷してナラに土着した、その末裔(まつえい)の将軍だという。

ニギ族といえばキクチヒコの母方がそうであった。トシはニギハヤヒとの人脈が繋がれば面白い事になると考えた。

「ニギハヤヒと会えないだろうか?」

「会えないかどころではないのです。トミビコはヤマタイに一刻も早く軍団を送って欲しいと言うのです。」

これは驚いた。ナラのトミビコの政権と連携が出来れば、倭国統一はなったも同然。奈良から熊野に歩を進めて妖魔を征伐すれば、チクシや徐先生に関する疑問も自ずと明らかになろう。


早々に遠征準備を終えた。イザ出発。

ヤマタイの保有する軍船に加え、航路に詳しい鬼が島のウズヒコにも協力依頼して大船団を仕立てた。奈良に行く陸路は未整備で、軍団を移送するのにも、後々の軍事用品、軍糧の補給を考えても船の利用が便利だった。

吉備から瀬戸の海を航海すると、なるほど潮の流れが複雑だ。波は玄海灘と比べて穏やか、常に陸地も見えて、航海しやすいように思えたが、島が多いせいか潮目が変わり、ヘタな航路をとると、潮に負け、流されて岩礁(がんしょう)に乗り上げ難破(なんぱ)する危険性があった。

そこはウズヒコが先導し、巧妙に安全なルートを選んで進む。風向きが代わったり、波が高くなると島影や最寄りの港に避難して、安心して航海を続ける事が出来た。


港で宿泊した折、トシは酒を酌み交わしながらウズヒコに訊ねてみた。

「熊野には商売柄、よく行くのだったな。徐という中国の男性を乗せて行ったことはないか?」

「徐ねえ。中国人かどうかは、わからないが、徐福さんの事を聞いてきた男がいて、熊野に乗船させてやった事はあるぞ。」

ダメもとで訊ねたのだが、これは有力情報につらなる・・脈がありそうだ。「興味深い話だな。もっと聞かせてくれ。」と思わず酒を、なみなみと注いで溢れさせてしまった。

「徐福の事を聞く旅人はそういないからな。よく覚えている。熊野には徐福伝説が多く残っているが地元の人間でなければ興味の無い話だ。俺はよく熊野に行くから知っているが・・。まあ、徐福ってのは四百年以上前の話だから、実在の人物かさえ真偽はわからんがな。」

「その男は女連れだったか?」

「ああ、ちょっと歳の離れた夫婦だったな。イヤ、夫婦かなあ。」涙が出てきた。大鬼とオロチの話から熊野に二人が居るだろうとは思われたが、この情報で確実になった。今後、奈良を経由して熊野に行くのだろうだが、トシ個人としては今すぐにでも熊野に直行したい気分である。


船団はその名の通り、波の動きがとりわけ速い、浪速の海に近づいた。あたりは湿地帯で、とても船が停泊するところではない。遠く生駒山の麓、白(しら)肩津(かたのつ)(日下(くさか))に船着き場があり、そこに船団を集結させて上陸する段取りになっていた。


船着き場の向うの高台に砦が設けられ、ナラ国の将軍らしき人物が立ってこちらを見つめている。あそこで作戦会議をするとでもいうのだろうか?

そして、トシの手に握られた羽扇が、怪しげに揺れ動いたのは偶然だろうか?


先に上陸させた兵士達が盾に剣を携え、両側に整列する道を進む。手土産の周防・安芸・吉備・出雲各地の産物を山積した荷車が進み、将軍ケン、仲介者の商人キジが続く。最後に孔明なりきりスタイルの、長官トシが砦に向かった。トシが通り過ぎると、兵士達は駆け足で再び先頭に立つ形で行列が進んだ。

砦に近づくも、砦の門が開く事はなかった。ましてや出迎えの行事がないのも不審。

「これは明らかにおかしい。」

「とんだお出迎えが待ってそうだな。」ケンが兵士達に反転行進を命じた時、砦の陰に隠れていた奈良の兵士が立ち上がり、弓矢の狙いを定めていた。

「何でこうなるの?」

仲介のメンツが完全に潰れたキジが怒った声を挙げたが、それどころではない。兵士の盾を装甲車状態に仕立て、船に戻る動きを見せた。

しかし、その動きはユックリとだ。

矢は雨あられの如く、降り続ける。矢の射程圏から脱した砦から五十メートル地点、ようやく装甲を解き脱兎の動きで船に戻った。しばらくすると、敵兵が弓を捨て、銅剣、銅矛を振りかざして追って来たがその時には無事に船団に帰還、船は動き出す事が出来た。そのまま、近くの安全な港に避難した。ああ、ヤッパリ。用心するに越した事はなかった。


兵士の盾に刺さっていた矢は合計百本余り・・「「ウーン、ホントの孔明の0・1%か。」トシがうな垂れる。

「盾津の戦いだからな。赤壁とはレベルが違うのは仕方ないさ。」ケンが慰めた。

赤壁(レッド)の戦い(クリフ)の有名なエピソードをご存知だろうか。呉の周瑜(しゅうゆ)が不可能を承知で、蜀(しょく)の孔明に十万本の弓矢調達を要請した。この無理難題なイジワルを、孔明は涼しい顔で快諾する。

孔明の策は、藁を積む船団を夜半の時刻に、対峙(たいじ)する曹操軍が構える岸辺に漕ぎ寄せる事。当然、曹操軍の弓攻撃にさらされるのだが、これが狙いだった。結果、藁に刺さった十万本の矢を労せずゲット。周瑜の鼻を明かすのだった。


「ホントに済みません。」キジが責任を痛感して泣きそうな顔をする。

「いいさ、実害は無し。弓矢が手に入ったのだから・・」とはいうものの、倭国統一のシナリオは完全に崩れた。「話がうますぎたしな・・。」

「ニギハヤヒに会ってきます。」とキジが飛び出した。実際、今はキジが奈良の状況を報告してくるまで、待機するしかないのだ。とりあえず吉備に戻り、報告を待って作戦を練り直す他ない。


キジが戻って報告した。

「土壇場でトミビコ王が方針を覆したそうです。だから、こちらに連絡も出来なかったと。また、ニギハヤヒはトミビコの妹と結婚した姻戚関係で従うほかなかった。約束を違えて申し訳ないと申していました。」

「今更、謝られても困るがのう・・」ケンが厳しい顔を見せた。

「前日までは我等との連携方針に揺るぎはなかったそうです。理由を言わずに急に変わったのは理解出来ないとニギハヤヒも言ってました。しかも、トミビコの顔はこれまで見せた事が無い、恐い表情をしていたとの事です。」

「ウーン。それは何か怪しいな。」

「ニギハヤヒはヤマタイと本気で戦う事は避けたいと思っています。ただナラの国では王が全ての決定権を持ち、誰も逆らう事は出来ない。だから、皆で時間をかけてトミビコを翻意(ほんい)させるよう図りたい・・とも言っていました。」

「フーン。時間が欲しいと言う訳か。」

倭国統一には時間が掛かりそうだ。トシは長期戦を覚悟して奈良を包囲する作戦を提案した。東方の各地、浪速、奈良、熊野、伊勢の情報に詳しいキジとサルタヒコを交えて練った作戦。

サルタヒコが、こんなやり方もあると紹介したのが、その昔カルタゴ国にいたハンニバル将軍の話。アルプス越えという意表を突く作戦で、仇敵ローマ軍を崩壊させた逸話を参考にした。

一つは吉備から浪速までの陸路を整備する事。短期では海路を利用した方がいいが、長期戦には向かない。道路を整備すれば機動的に軍団を移動させる事が出来、補給もし易い。倭国統一が実現すれば、どうせ道路整備も不可欠になるので、前もって作っておいて損はなかった。この策がメイン。

二つは海路を使って熊野か伊勢に拠点を設け、そこを基点に奈良へ進出すべく勢力範囲を拡げる事。攻撃を受けるなら浪速からという、相手の先入観を見越して、意表を突く東方からの攻撃である。アルプス越えのハンニバルに習う事が出来るか?うまくいけば先の軍事道路による圧力と併せて東西挟み撃ちの形で包囲網を形成するという作戦だ。

ただし、熊野は奈良の背後にある点で、挟み撃ち効果は高いが、道は険しい。もっとも高いリスクは、妖魔の潜む危険な地域だろうと思われる点だ。安全性を考慮すれば伊勢に拠点を設けるべきとの結論に達した。トシ個人では熊野に行ってチクシの存在を確かめたいのだが・・。


作戦遂行は陸路の浪速進攻がケンとウサヒメ。海路の伊勢がトシ、キジが担当する事になった。

「私もイセに行ってみたいと思います。」突然、口を挟んだのはミクモ姫だった。

「何があるか判らないのですよ。出雲の時のように姫を危険にさらす事は出来ません。」とサルタヒコが反対した。

「でも、あなたが伊勢は良い所ですと、おっしゃったのですよ。」

そういえば以前、サルタヒコはミクモ姫に伊勢の地は面白い所だと力説した事があった。ミクモ姫の出身地、伊都国には、夕陽が夫婦岩と呼ばれる二つの岩の間に沈む、二見が浦と呼ばれる景勝地がある。一方、伊勢には朝日が昇る二見が浦があるのですよ・・と東方行に誘ったのだ。

普段は物静かだが、こうと決めたら後に引かない姫。サルタヒコが傍で完全警護を行なう事で伊勢同行が決定した。


再びウズヒコの案内で瀬戸内の海を東に漕ぎ出した一行。今度は浪速を素通りして南下を続けた。玄界灘とは明らかに違う海風。その暖かい風が頬にあたると、同じ倭国とは言いながらも遠くに来たのだと実感させられる。この風を、この海路をチクシも通ったのだと感慨深くなって思いに耽るトシだった。


熊野に寄港する前に見たもの。海にせり出した陸地の森の中に岩盤がむき出しになっている所があり、そこに、ひとすじの線が見えた。見とれているとウズヒコが那智の滝であると教えてくれた。一筋に見えるが落口は三つあり三筋の滝とも呼ばれているという。

「あの滝の向うが熊野の山、その向こうに奈良があります。」説明を受けながら、その神秘さから、チクシの存在が確からしく感じられる。早く、かの地に行き、捜し出したいとの衝動に駆られた。

熊野の港で、奥地の森を通って奈良に行く道があるか等、ウズヒコの知り合いを通じて情報収集を行った。結果、道はあるものの、奥に行けば行くほど険しく困難が予想されるとの事。特に最近は熊が出没するケースが相次ぎ、地元の民は森の奥に入る事を自粛しているという。やはり熊野経由ではなく伊勢を経由して奈良入りする他ないようだ。肝心のチクシや徐先生を知る人もいなかった。ウーン残念。

ただ、その昔、徐福が上陸し、不老不死の仙薬を求め、同時に農業などの先端技術を教えたとの伝説は残る地であった。その点、邪馬台国、金立に残る伝説と一致していた。 


伊勢に着いた。

一足先に伊勢入りをしたキジが、国王イスズに、トシ一行の受け入れの了解を取り付けていた。伊勢を戦乱に巻き込まないという条件で領内を通過する事が許可されていたのだ。

ところが、王宮で挨拶を交わしていた時、変事を報告する急の使者がやって来た。イセ国の北部、鈴鹿(すずか)地区で盗賊被害が頻発、一般民衆の食料や財産が奪われ、地元の警備兵も襲われ、惨い殺され方をしているという。もはや地元警備隊だけでは手に負えず、王に対し助けを求めて来たのだった。

イズズ王はトシに盗賊征伐の支援を要請してきた。伊勢は基本中立を守るが、もし奈良がヤマタイ傘下に入る事があれば、伊勢もそれに倣(なら)ってヤマタイ勢力になると言うのだ。領地の一部を割譲(かつじょう)しても良い・・と好条件も提示してきた。

今度は魔物ではなく、盗賊という治安悪化を取り除く要請。内政上の問題と思えたが、周辺国の支持を得る事はトシにもメリットが大きい。奈良包囲網を完成させる前のついでの仕事と割り切って、二つ返事で協力を約束した。

求めに従って伊勢の軍団と共に鈴鹿を目指す事になった。

出陣準備の間、スズカの使者に聞くと、賊の頭領はなんとタマモゴゼンと呼ばれる女性との事。女性と盗賊?しかもその手口、際立った残虐性である点が奇異に感じられる。以前は単に反体制勢力として鈴鹿山脈を根城にしていたものが、東方から流れてきた屈強の大男、大丈(だいじょう)丸(まる)と組んでから犯罪の悪質度が加速していったと言うのだった。


「東方?フジ山より東なのか?」

先の王宮での雑談でフジ山の事が話題になった。伊勢の沿岸から東を望んだ時、遥か遠くに円錐形の形良い山、そう伊都国の一大率から見る伽耶(かや)山と同じフォルムの山が見えたのだ。聞くと二百キロも離れているとの答え。つい桁が違うのではないかと疑った。それだけ離れて、なお見えると言うのが信じられないからだ。どれだけ高く大きい山なのだ。

「よく、ご存知で。ただ大丈丸は、一千キロも遠い東方から流れてきたとの噂です。」

一千キロ?倭国の東の果ては、フジで終わりか、と思っていたトシには驚愕(きょうがく)の遠さだ。そんな遠くまで倭国が続いているのなら、真の倭国統一には自分の代から数世代掛かるのだろうと思われた。


「その地は、蝦夷(えぞ)と呼ばれる先住民族の支配地域だそうです。まあ、田舎もんですな。」なんだ、倭国ではなく蝦夷国なのか?

そして「ただ、田舎もんながら、えらく素早いのです。まるでケモノのように逃げ足が速く、捕える事が難しいのです。女頭領より、あやつさえ何とかすれば盗賊団を壊滅出来るのですが・・」と説明した。地元の治安部隊では、簡単に鈴鹿山に逃げられ、迂闊(うかつ)に追えば返り討ちに会う事が続いていたという。

「敵は大丈丸か。何かいい作戦はないかな?」

「田舎もん・・と言いましたね。派手な祭りのようなもので相手を攪乱(かくらん)するのはどうですかね。」キジが言う。すかさず、サルタヒコが「このやり方はどうですかな・・」と具体的な提案した。


鈴鹿の里に来て、トシ達、盗賊征伐軍は大工仕事に励んでいた。大きな山車(だし)を作り、上部にうす布を張り巡らせて、その布に原色の色彩で絵を書く。夜に山車の台に灯りをともすと、その絵がクッキリと浮かび上がってハデハデとなる。

夕方に祭りが始まり、大勢の跳ね子が山車の前後に列を作り踊り出す。「ラッセラー、ラッセラー」の掛け声があちらこちらで飛び交うと、跳ね子も観客の村人も興に乗って踊りが熱を帯びてくる。山車に火が灯されると祭りは最高潮。

皆が踊り狂い、掛け声を張り上げる。キジが名づけた、ねぶた踊り。眠気も醒(さ)めるテンションの上がる踊りであった。

祭りは盗賊にとってはビジネスチャンス。大丈丸をリーダーとする盗賊団も観客を装って、山車を興味深く見ていたが、山車に火が灯るとたまらない衝動に負けた。仕事そっちのけで踊りの輪に入り込む。

盗賊達が山車に近づいた時、うす布が切り裂かれ、山車の底部にいた兵士達が中から飛び出した。剣を振りかざす兵。盗賊達が驚くや、それまで踊っていた跳ね子が、腹帯のなかから小刀を取り出し、盗賊達を取り囲む。

あっけなく勝負は着いた。さしもの盗賊達も一網打尽。逃げ足自慢の大丈丸も、兵の一太刀で足に怪我して観念した。

サルタヒコが言い出し、キジが脚色したトロイの木馬作戦。これがズバリ、はまったのだ。ギリシャ神話に出て来るトロイア対ギリシャ戦。トロイアの中枢拠点イーリアス城攻略のためにオデッセウスが考案した作戦だった。木馬に兵を潜ませ、難攻不落の城門を開けさせた奇策がヒント。


大丈丸を引っ立てて取り調べ。大丈丸は悪びれもせず、堂々としていた。アッサリ、蝦夷地から鈴鹿に来た理由を語った。

「自分は陸奥(むつ)国から来た。徐福の霊が降りてきて、俺を名指しで熊野に来るよう、お告げがあったのだ。」と。・・陸奥にも徐福は上陸していたと言うのだ。彼の地でも農耕を教え、神として崇められ、祠が建てられている。後世の弘法大師・空海にも似て、どこにでも現れる御仁なのだ。


「我が頭領にして巫女であられるタマモゴゼン様。その降霊術を受けて、徐福様が復活なされた。いよいよ立ち上がられるのだ。お前等も覚悟せよ。この世界を徐福様が支配なさる日がまもなく来る。俺が、途中でグズグズしてしまったせいで、そのお役に立てないのが心残りではあるが・・」

「巫女だと・・」トシの頭の中に稲光が走った。まさか、盗賊の女頭領タマモゴゼンとやらがチクシなんて事はあるまいが・・。

「待て、その話・・」

問いただそうとした、その瞬間、既に大丈丸は自ら舌を切って息絶えていた。

ショッキングな巫女という言葉。チクシが関わっているのか?徐福の復活?ここでも徐福の名が出てきた。やはり、徐先生と関連があるのかも知れない。・・トシの頭に迷宮の世界が広がる。真相を突き止めたいとの気持ちが突き上げてくる。というよりチクシに会いたいのだ。


イセの王宮に戻って、トシは今後の方針の変更を伝えた。イスズ王から割譲(かつじょう)を受けた地にはミクモ姫に留まってもらう。引き連れて来た軍団を二つに分け、トシが熊野の戻り、険しい山間ルートを奈良に向かう。もう一つはミクモ姫の居館を建立した後、キジが引率して伊勢路を奈良に向かうというものだった。

「伊勢路から奈良に向かうと決定したじゃないですか。」とキジが反論したが、トシに再考する考えはない。その余裕がないのだ。

トシにとってチクシは宝そのもの。人生の扉を開けてくれたかけがえのない人間なのだ。チクシの失踪、盗賊の女頭領?尊き方とやらのパートナー?全ての謎が、やはり熊野に存在している。チクシに会って、それらを解明しなければならない・・。

 

「大丈夫。何かあれば、伊勢に戻って作戦を練り直す。まずは、先の二手に分けて奈良を攻略出来るか、その可能性を調べるだけだから。」トシも少し冷静になって、しゃにむに自分の意見を通そうとまではしなかった。だが、熊野を調査する考えは変えられなかった。

「どうしても熊野行きするというなら・・」

危険が予想されるルートにミクモ姫が「おサルさんを連れて行けば?」ととりなしたが、今度はサルタヒコが、拒否する。

自分は倭国統一や奈良攻略に興味はない。姫を守るのが自分の役目と主張した。トシも姫の提案に反対した。我儘(わがまま)で言い出した熊野行き・・なのだから、構わないで欲しい。何か自分にあれば、ケンに全てを託す・・と譲らない。


トシと親衛隊は地元の案内役を大金で雇い、熊野の山に登り始めた。地元民から勧められて、熊除けの鈴や鐸(たく)という鳴り物を身に着けている。

トシは先ず那智の滝に案内を頼んだ。先日、見た風景を間近に見てみたいと思ったのだ。「この地には見所が多いのですよ。」案内役は、滝の近くの山中から東方に浮かぶ山が見えると言い出した。今日は空気が澄んでいるので見えるかも・・と言うので、そこに立ち寄ると遠くに伊勢で見たフジらしき山がかすかに見える。伊勢から那智の地は更に百キロは離れている。一体、どんな大きい山なのかと、改めて驚嘆するばかりだ。

滝も感動ものの姿だった。落差は百メートル以上。確かに三筋の滝口から一気に流れ落ちる様は神々しさが感じられる。この景色、風景。チクシも徐先生も、そして徐福も圧倒されたに違いないだろう。滝の奥の山々の何処(いずこ)にか、彼らの足跡があるのだ・・と思うと身が引き締まる。

「奥を目指そう。」


果ての無いような山道を進み、日が沈んだところで野営する事にした。熊が出てきてもおかしくない地である。篝(かがり)火(び)を絶やさず交代で見張り番を置く。

草木も眠る丑(うし)三(み)つ時。

突然、ヒョーヒヨーと不気味な鳥の鳴き声が闇に響いた。屈強の者を揃えた親衛隊の兵士にも不安の表情が表れ、トシは叩き起こされた。

「鵺(ぬえ)です。逃げましょう。」案内役の顔から生気が消え、ブルブルと震えが止まらない様子で、トシに訴えかける。

「落ち着け。今は闇の時ぞ。」こんな山中では、移動する方が危険である事は明らかだ。

竹筒の水を飲ませると少し落ち着いたとみえ、鵺とやらの話を始めた。

鵺が鳴くのは不吉の予兆。この地の言い伝えで、その声を聞いた後では、必ず禍々(まがまが)しい事件が起きるのだと言う。鵺自体はケモノの一種らしいが、何と表現して良いかわからない異様な姿をしているらしいのだ。話すうちに恐怖がぶり返したらしく、案内役の手足が震え始めた。再び不気味な鳥の鳴き声。

生暖かい風が吹き、辺りに霧のような煙が立ち込めてきた。その煙が、黒煙に変わって例のヒョーヒョーという鳴き声が大きくなっていく。トシと兵士全員が刀に手をやった。

黒煙の中から怪しい影が生まれ出た。

次第に、その姿があらわになっていく。

猿の顔、狸の胴体、虎の手足、尾は蛇・・。

アンバランスなその姿態。滑稽(こっけい)に見えるハズだが、生身の姿として現前に現われると腰が抜けるように恐ろしい。すさまじい妖気をまとっていた・・。

得体の知れない妖怪。ただ、殺気は感じられず、攻撃してくる態勢にはみえない。 


「何を求めてこの地に足を踏み入れた?」妖怪がトシに向かって尋ねる。

「この地にチクシという女と徐という男が住むと聞いて来た。」

「知らぬなあ。」

「尊きお方の事だ。」

「尊きお方ならおられたが、今は奈良の方に向かわれた。この地にはおられぬ。」

「尊きお方が、お前を創り出したのだろう?」

「わしを?わしをお創りになられたのは女帝のタマモ様じゃ。」

「女帝?」タマモというからには女頭領タマモゴゼンの事だろう

「おキツネ様じゃ。お前等、タマモ様を探して来たのではないのか?」

女帝がキツネ?トシにはその女帝がチクシの事とは思えなかった。

キツネとタヌキでいえば、タヌキ顔のチクシ。タヌキも化粧すればキツネに変わり得るのだろうか?イヤ、そんな事はない。訳の分からない疑問が増えただけだ。

「わしはもう消える事にしよう。お前等も早々に立ち去るが良い。ここに留まれば不吉が訪れるぞ。魂を喰われんうちにな。」

黒煙はいつしか霧となり、鵺(ぬえ)は姿を消した。


夜が明けると案内役が居なくなっていた。見張り番の兵士が強張った表情で案内役を見失ったのを詫びる。「一刻も早くこの場を逃げたかったのでしょう。追ったのですが、逃げ足早く、見失ってしまいました。申し訳ありません。」

仕方なく元来たと思われる方角に歩くが、道に迷い込んでしまったようだ。やっとのおもいで、開けた場所を見つけると、下の方から何か黒いものが動いているのが見えた。こちらに向かってくるみたいだ。

「誰か登って来るのか?」

「そんなハズはなかろう。人間の走り方じゃない。鳥だ。黒いからカラスじゃないか?」

「あのカラス、足が三本だぞ。」兵士達が目を凝らしながら、黒い物体の動きを追っていた時、その中の一人が「ギャーッ」と声を挙げて倒れた。

トシが何事と振り返るとそこには何時の間にいたのか、熊の群れが・・襲ってきたのだ。

剣を抜いて応戦するが、刃先が熊にあたっても、空を切ったように手応えが無い。まるで熊の幻影を相手にしているようだ。熊の吐く息を体に浴びると、身体から力が失われていく。剣を握る手にも力が入らず、頭が朦朧(もうろう)となっていく。

ついに力尽きるように地に倒れ「ここで死ぬのか・・。」と覚悟する。魂を喰われるとはこのことだったか・・体温がグングン低下するのを感じながら、ついにチクシとの再会を果たせなかった無念が頭によぎった。

ひかりに満ちた黄泉の世界が近付いてくる。魂が今、身体を離れんとする時、奇跡が起きた。誰かの祈りに支えられるように意識が戻ったのである。


「長官殿。これを。」

そこには黒装束を身に纏ったキジが居た。手渡されたのは見覚えのある刀剣。そう、サルタヒコ愛用の天(あまの)叢(むら)雲(くも)だった。

その剣を熊の幻影に振りかざすと、剣が光を帯びて発光、その光を浴びた熊の群れは霧が晴れるように姿を消し去った。

倒れた兵士達も次々に起き上がり、何もなかったような元通りの不思議。夢だったのかと思うばかりだが、皆が信じるのは祈りの力。誰かの祈りが黄泉の世界を遠ざけ、生きる力を与えたのだと口にするのだった。


「それは、ミクモ姫の祈りでしょう。」キジが話始めた。

トシ達が伊勢を出発して、数日後。姫が熊野に邪悪の気が充満していると言い出した。

邪の気は本体からではなく、本体が、自らをバリアする為に生み出した幻魔の妖怪から発しているらしい。

「トシ達が心配です。これを持ってトシに渡しなさい。」

サルタヒコから否を言わせず借り受け、天叢雲を渡すようキジに命じたと言う。夜間でも賊に会わぬよう黒装束で走り続けて、ここに到達した次第との事だった。三本足のカラス、あれは剣を携えたキジの全力で走る姿だったか。

「ミクモ姫。あの方には予知能力と、遠隔で気の力を注入する力があられるんです。」

おそらくそうだろう。姫の祈りが、自分や兵士達を黄泉の世界から引き戻してくれたのだ。そして、あの熊の発する邪気は、尊い方をバリアし、自らの領域に立ち入らせない為のものなのだ。

トシは鵺(ぬえ)が話した事を反芻(はんすう)していた。尊き方は奈良に向かったのだ。タマモ様という女帝がナニモノなのかも気になるが、チクシは尊き方とに関係が深そうだというなら、おそらく奈良に同行しているだろう。大丈丸のいう徐福、巫女による復活の話。謎を解く鍵があるのは、この熊野より奈良であるのは間違いない。バリアが張り巡らされている熊野に拘泥(こうでい)するより、ここは伊勢路を奈良に進む当初の方針に戻るべきと言えそうだった。


第四章


トシ一行はキジの案内で下山、熊野から海路で錦浦に上陸して伊勢路をたどった。ミクモ姫に感謝・感謝、天叢雲を返却した後、吉野川の川下から吉野、そし、奈良・大和に向かうルートを目指す。

吉野川の川下で今から吉野方面に行くという宇陀(うだ)のウダノという者と会った。どうせなら道案内をというので、同行を願う。何故、吉野に行くのか、理由を問うと、自分の山に赤土が出たとの事。実は吉野の手前に丹を産出するところがあると聞きつけたので、そこに行き、同じ土なのか確認するのが目的だという。同じなら、その技術の教えを乞おうという算段なのだ。

丹と聞いて商人キジが身を乗り出した。

当時、丹、すなわち朱の顔料は高値で売れる商材だった。朱色は血を連想させる神聖な色。蘇生(そせい)を祈願する葬儀時の施朱の風習は、倭国の遠い昔から行われていた。神を祀る神社、王の宮殿も、神聖さを表す朱塗りを施す事で一般建築物との違いを示していた。朱丹の顔料といえば主にベンガラ。大陸から鮮血色の水銀朱も入って来ていたが、こちらは舶来の超高級品である。キジは吉備国で採れるベンガラをヤマタイ連合国に持ち込んで荒稼ぎをしていたのだ。

ウダノが目指す丹採掘現場は吉野の山中にあった。井戸を掘り何やら作業をしている所がある。ここが、丹、ベンガラと呼ばれる丹の採掘場なのか・・とトシ、キジが井戸を覗きこむ。

ところが、意外な事に井戸の底はキラキラ光っている。ベンガラとは違うようだ。

「これは水銀?」トシは驚いた。大陸からの輸入に頼らざるを得ない品が倭国でも産出するとは。

「マジですか?ホントなら凄い事ですよ。」

商人キジの嗅覚がヒクヒクうごめく。水銀は現代にあっては有毒性が知られているが、当時は先に述べたように超高級商材。水銀朱を施せば、虫も雑菌も寄り付かず、腐敗を防止できるスグレモノとしてヤマタイのセレブに超高値で売れるのだ。


井戸の底からこの採掘所の頭領イヒカが出てきた。手には朱壺に入った、まごうことなきホンモノの水銀が輝いていた。

「この水銀朱、分けてもらえまいか。高く買い上げるぜ。」キジが商売っ気を出して訊ねた。

「そりゃ、嬉しい話だが、生憎(あいにく)、買い手が決まっているのさ。」イヒカはキジを値踏みするようにジロジロと見まわした。

「まあ、先約の買い手の注文を捌いた後なら、考えてやってもいいがな。ただ、先約の注文量が膨大だから、いつになったらお宅の番になるか、判らないよ。」

イヒカによると、昔から土くれを粉砕して辰砂として販売していたが、最近、王の使いという者が、ここで掘出した辰砂を全て渡せと強要してきたという。それもこれまでの顔料ではなく、水銀に精製する方法も伝授してくれ、しかも、それを高い値段で全量買い取りする好条件を提示してきたのだ。

「その、使いは倭人ではなかったのではないか?」

「いや、倭人じゃないかな。言葉も、顔も倭人とそんなに変わらない風だったぜ。邪馬台国から来たと言ってが・・」

間違いない、徐先生だと直感した。それにしても、王の使いを名乗るとは?

「その人と会うのには吉野から奈良に行けばいいのか?」

「やめときな。吉野から奈良に向かう山道には、最近、熊やら何やら、怪しげな何かが出没するらしいぜ。」

熊野で受けた苦い体験が頭によぎった。

その晩、山の方向から、聞き覚えある声が聞えた。鵺(ぬえ)の声、あの不吉の声である。

「ここから引き返しましょう。」キジが真顔で進言した。

それしかないとトシも思う。

「奈良・大和に行きたいのだったら、私の国を通って行かれれば良いのでは?」ウダノの住まう土地、宇陀(うだ)地区からヤマトに入る道もあったのだ。


ただ、宇陀の国はよそ者を極端に排斥(はいせき)すると聞いていた。だから、吉野に入るルートにしたのだが・・。

「宇陀を支配するのはエウカシ、オトウカシの兄弟です。私は弟のオトウカシと親しいので口利きして差し上げましょう。」とウダノが申し出た。その好意に甘えるしかない。

宇陀への道のり。ウダノとキジが親密に話をしていた。というのも、実はウダノの山で見付けた赤土はあの吉野のイヒカが採掘している土と同じものだったのだ。となれば、ウダノにも同じ水銀鉱床があると言う事。ウダノが掘った辰砂をキジが買い取り、倭国各地に販売、双方大儲けの夢が膨らんでいた。・・そうなれば宇陀の国も大きく富む。それを手掛かりにオトウカシを説得すれば、トシ達一行は無事に通過してヤマトに抜けられるだろうと、ウダノは自信満々だった。


宇陀に入った、兄弟を説得しに行ったハズのウダノの帰りを待っていた一行だったが、ウダノはいっこうに姿を見せなかった。イヤな予感・・

待ちくたびれたトシ一行の前に現われたのは、完全武装の兄弟の軍隊だった。威圧的な兄、エウカシが叫んだ。

「我等の国を侵略とはいい度胸だ。イザ尋常に勝負しろ。」

「侵略とは言いがかりも甚だしい。当方はあなた方のお国を通して頂きたいだけ。争うつもりはありません。」キジが慌てて交渉役を、買って出た。

「黙れ。我等は大和にもお前等にも組みしはせぬ。通りたければ、どんな方法にても良い、力ずくでかかって来い。我らが負ければ通して進ぜよう。」

「いや、いや。当方の望みは、ただお国を通過するだけ。タダとは申しません。それなりのお礼は考えておりますれば、その剣、収めて戴けませぬか?」

「問答無用。」エウカシがキジに刀を振り下ろした。

素早くかわしたキジ。

「短気なお人だ。」と言いながら、右に左にエウカシの攻撃を巧みに避けながら、相手を追い詰めた。壁を背にしたエウカシに得意の手裏剣を投げつける。手裏剣はエウカシの顔をかすめて三つ四つ。

「今のは何だ?」と驚くエウカシに「金遁の術、手裏剣なり。ただし、今のはワザと外しただけ。今度は外しませぬよ。それとも降参されますか?」と手裏剣の狙いをピタリ定めると、さすがにエウカシも降参の合図で応えた。

「それでは、約束通り、お国を通らせて貰います。」

「それはダメだ。今のは飛び道具。卑怯なり。明日、もう一戦交えよう。今度は飛び道具ナシで戦おうではないか。」と言い捨てて立ち去った。 


その戦いの後。ウダノが戻って来て「弟の方は了承したのです。兄が頑固で戦いを挑んだだけ。時間を掛けて説得すればこちらの要望を受け入れるでしょう。」とすまし顔で報告する。

皆で今後の方針を話し合ったが、結論はウダノの言う通り、時間を掛けて説得する事にした。

無理に国を通過し、奈良・大和に入ったとして、戦う事になれば宇陀国から背後を突かれれば挟み撃ちになってしまう。宇陀と友好関係を築いておかねば、軍糧補給もままならないのだ。

ここは「心を攻めるを上計、力ずくで相手を攻めるを下計」という孔明の南蛮平定のセオリーに従おう。トシは白扇をくゆらせた。

翌日。宇陀の兄弟軍が押し寄せてきた。トシの先鋒となる部隊がひとしきり応戦した後、トシは「相手は強い。砦に引き揚げ!」と後退。皆ちりじりになって逃げまどった。

エウカシ「正規の戦いでは我等が勝じゃ。ものども、相手の砦を殲滅(せんめつ)せよ。」と勝ち誇った表情で、先頭たって追いかけた。

坂を登り、勢いをつけて下りを急追していた時、エウカシら先頭の部隊が、ドッと地面深く崩れ落ちた。落とし穴の縁からトシの軍勢が見下ろしていた。剣を揃えて降伏を迫る。「土遁の術。成功せり。」とキジが勝どきをあげた。

捕獲されたエウカシ「フン、落とし穴など、これまた卑怯千万。」

キジが呆れて「落とし穴に竹ヤリを細工していたなら、皆死んでいたところだぞ。観念して我等に協力せよ。」と迫ったが、エウカシは動じない。トシが「まあ、今回はエウカシ殿を放つとしよう。明日、また来られるのなら、地面に気を付けて進まれるが良かろう」で二回目の戦いは終結した。

翌日。再び兄弟軍が押し寄せた。今回も先鋒隊が適当に戦ったところで後退の合図が鳴った。今回は下り坂を慎重に下りて来た。前回落とし穴の場所を丹念に探る。「穴は埋められているようです。」「そうか、では砦を攻め寄せろ。」エウカシが進軍を指示した時だ。周りの高い木々には予め迷彩服を着た兵士が配置されていた。合図で網が放たれた。重しの石と共に広大な網が急落下。エウカシ達は網にからまり身動き出来ない。そこを潜んでいた兵士が剣を突きつけ降伏を迫った。「木遁の術。成功せり。」

捕獲されたエウカシ「またも卑怯な手を。」とキジを睨(にら)んだ。トシはエウカシの捕縛縄を解きながら「もう三回目でござる。我々の要望を真面目に考えてくださらんか。」と優しく声を掛けた。すると思いがけない返答「卑怯な手ではあるが、負けは負け。帰して下さるのなら皆を説得、トシ殿の要望に応えようと思う。特に弟が強硬論者だからのう、なんとか説き伏せねば・・」と引き揚げて行った。

翌日。弟のオトウカシが使者として砦を訪問してきた。「これまでの非礼を詫びる為、地酒をお持ちするよう兄に命じられました。」と大量の酒を運び込み、全兵士に与えてくれと申し出た。「それは有難い。兵士も疲れておるので喜びましょう。」と皆に酒を振る舞い、宇陀国との和平を祝う事にした。

夜、オトウカシとは腹を割って話す事が出来た。ヤマタイの傘下に入れば全面的にウダ国の発展に貢献する事を約束。キジ、ウダノの両人も水銀朱ビジネスで合意が成立、祝い酒の宴となっていた。ただ、その頃、オトウカシが連れてきた従者達は不審な行動を始めていた。警備兵が酔って眠りこけているスキを狙って、酒壺を包んできたワラに酒を撒き、それに火を着けようとしていた。

どっこい。突然、眠りこけていた警備兵が立ち上がり、それら従者達を検挙した。兵士達は水を飲んで眠ったフリをしていただけだったのだ。

半時後、トシ達の砦に火の手が上がった。「今だ。攻めよ。」とエウカシが号令を掛けた時、そのエウカシ軍を囲むように明りが灯り、弓矢が一斉に彼等を狙った。

「夜襲は失敗せり。降伏せよ。」キジの声が響いた。もともと、弟を悪者にして説得するうんぬん・・など信じられた話ではない。エウカシの動きなど見張り役の情報で逐次報告されていたのだった。

捕獲されたエウカシ「これまで卑怯な手を使われたから、お返ししただけだ。今度はお前らが我等の砦を攻め落とすが良い。さすればお主等の要望を聞き届けよう今日のところは、放免してはくれまいか。」

トシが「その言葉、偽りはないな。」と念を押す中、エウカシは堂々と引き揚げるのだった。

翌日夜。トシ達は兄弟軍の砦に向かった。トシ達の松明が密集してゾロゾロと進軍していく。全軍による総攻撃だった。

迎え撃つエウカシは籠城(ろうじょう)と見せて、砦の付近に待ち伏せしている。砦の門をこじ開けようとトシ軍が動き出した時に背後から襲う作戦だった。

トシ軍が砦の周りの濠を渡る。砦の門に向かい、無防備な背中を見せた時、エウカシは敵が術中にはまったのを確信、ニンマリと白い歯を見せた。

だが、何故か砦に火の手が上がった。「何事が起ったのか?」とエウカシが首をひねった時、無防備だったはずのトシ軍が振り向き、同時にエウカシの背後から別動隊のトシ軍が「降伏せよ。」と迫った。砦が燃え上った事と挟み撃ちに驚いたエウカシ軍は戦意喪失、手を挙げざるを得なかった。


前日夜。キジはエウカシが帰りつくまでに砦に忍び込んでいた。幅広の濠は水遁の術でクリア出来た。空気を採る竹のパイプで水中を秘かに渡り、身軽な動きで塀を越え、砦内に忍び込んだのだ。エウカシ、負け戦を逃げ帰る時は慌てているので、敵の侵入にまで気が回らなかった。砦での作戦会議、そのすべてを忍び込んだキジが盗み聞き。だから、敵の作戦は筒抜け。エウカシが砦の外に潜伏、もぬけのカラになった砦に再び忍び込むのも、砦を炎上させるのも簡単な事であったのだ。

五度目の捕獲となったエウカシ。「約束通り我等の要望を受け入れて頂けますな」と迫るキジの言葉を無視して「どうも作戦勝負には勝てないようだな。今度はガチンコでどうだ。」と誤魔化す。


翌日。砦を失ったエウカシは小高い丘に陣地を敷いたが、兵力は減じていた。これまでの度重なる負け試合、そして砦の消失は戦意を萎えさせるのに十分と言えた。

正面から正規の戦いを挑んでも勝利は確実といえたが、トシは夜になるまで睨み合いを続けた。出来るだけ負傷者を出さず遺恨(いこん)を残す形は避けねばならない。

夜になって、トシ軍が動き出した。陣地の周囲に兵士を配置し一か所だけ逃げ道を開けておいた。

戦闘合図の大太鼓を鳴らすと同時に、取り囲んだ兵士が方々で藁束(わらたば)に火を着けて燃え上らせた。夜空にアッと言う間に火柱が立ち、中に仕込んだ竹が弾けて大きな音を鳴らした。

暗闇の中の人間心理は、多方面から燃え盛る火に動揺、混乱をきたす。エウカシの陣地の風上の兵士達が生乾きの草を燃やすと、黒煙が陣地に流れ込む。これぞキジの考えた火遁の術。一層激しい混乱はパニックに。唯一、火の手が上がらない方向に逃げ出す者が続出した。それは、ワザと一か所開けた逃げ道だった。

火の手が収まると、陣地に居るのはエウカシ他、少数の兵士のみ。もはやこれまでと降伏するしかない状況だった。

捕獲されたエウカシ。六回目の敗北はさすがに堪えたとみえて首をうな垂れ、小さくなっていた。「負けでござる。こうなれば、要望を吞んで、協力致そう。」と観念した様子。「ついては、我が家にて和平の証の宴を催そうと思う。」エウカシの招きである。トシも喜んで饗応を受ける事にした。


翌日。オトウカシがトシ達を迎えに来た。ところが、和平成立の祝いの日なのにもかかわらず、オトウカシが厳しい顔つきをしている。

「恥ずかしながら、兄、エウカシはこの期(ご)に及んでもトシ殿を亡き者にせんと企んでいるのです。」と打ち明けた。エウカシが屋敷に細工をし、トシ達が部屋に入ると天井から大石が降って押し潰す仕掛けになっているという。

これにはトシ達もガックリした。孔明の七縦七擒(しちしょうしちきん)の策のように相手を心から心服させる事ができなかったのが悔やまれた。

「お兄さんに和平の気持ちが伝えられなかったのは、我等の力不足です。申し訳ありません。そして、先の事を打ち明けてくれたことを感謝します。有難う御座います。」

「イヤ、兄を説得出来ない、私が悪いのです。」

「となると、貴国とは、また、戦いになるのですか?」

「それは心配ありません。既に宇陀国の民の意思は和平で固まっています。」もはや、エウカシを心から支持する者はなく、オトウカシが次期頭領となるクーデター計画が進んでいるというのだった。


エウカシの屋敷に着いて、愛想笑いのエウカシの出迎えを受けた。「さあ、どうぞ。お入りになられて・・」手もみして部屋に案内するエウカシ。

キジがその手を掴んで最後通告をした。「御饗応戴く件、嬉しく存じます。さあ、エウカシ殿が先に入られて案内頂きたい。」と否を言わせぬ怖い顔で促した。

エウカシの顔が強張(こわば)る。オトウカシや側近だった臣下を見廻し、この計画がとん挫したのを悟った。「お前等、俺を裏切ったのか?」

トシが「エウカシ殿。まだ間に合いまする。本当の和平をお互い話し合いませんか?」と手を差し出した。しかし、その思いは叶わなかった。

エウカシはその手を振り切り、その場から脱兎(だっと)の如く逃げ去ったのだ。

宇陀国はオトウカシの手に移り、ヤマタイ傘下に入る事が決まった。これで後顧の憂いなく奈良・大和に入る事が出来る。出来ればエウカシとも和議を結びたいと、その後も探索したのだが、エウカシの姿は宇陀からプッツリ消え、消息を掴む事は出来なかった。


第五章


さて、次は本番。倭国統一の要、奈良・大和の攻略である。ただし、戦う事が目的ではない。もともと、大和のニギハヤヒが自分達を脅かす妖魔と共同戦線を張ろうと持ち掛けて来たのが事の発端だった。奈良の王たるトミビコもこの方針に賛同して援軍要請をして来た。それが土壇場(どたんば)でトミビコが翻意(ほんい)。我々を攻撃してきた不可解はなお、解明されていなかった。直ぐに進軍すべきだはない。情報と確認が必要だ。


トミビコの翻意はニギハヤヒの説得で再び覆されているのだろうか?

とりあえず、トシ達が奈良・大和を包み込むように進軍し、それまでにトミビコに考えを改めてもらって、全軍で妖魔と共闘する・・というのがニギハヤヒとの合意だった。

そのニギハヤヒの計画は、上手くいっているのだろうか?

陸路を任せたケンとウサヒメ達の動向はどうか?

トミビコの翻意に妖魔の存在が関わっており、妖魔の言う通りに操られているのなら、戦いは避けられそうにない。

妖魔は、今、何処におり、どうしようと考えているのか?妖魔は徐先生なのか?徐先生と行動を共にしているとみられるチクシは?

ここは、奈良・大和国の最新情報を探り、ケン達との連携を確認すべき時だった。これらをキジの配下を総動員して把握する事にし、地元のオトウカシにも協力を依頼した。


その結果、ナラ・ヤマトの情勢は、予断を許さないものである事が判明した。

まず、宇陀国に隣接する大和の磯城(しき)国。豪族たるエシキの支配下にあるのだが、砦を築き、武器類を集め、着々と戦闘準備を進めているという。磯城国はトミビコの忠実な臣下と目されており、この事はトミビコのヤマタイ敵視方針は変わらない事を意味していた。

そして、奈良の政権内の情勢変化。これまでトミビコの側にはニギハヤヒが必ず仕えていたのが最近は遠ざけられていた。代わって、ヤマト出身者でない男が側近に抜擢され、トミビコから「尊き方」として全権を委ねられているというのだ。伝えられる男の容貌から、徐先生に間違いないと思われた。その男の出現以来、奈良・大和の体制は大きく変わり、トミビコによる専制政治、軍事優先で民の暮らしが圧迫されているという。それに不満を漏らすと直ちに処刑される恐怖政治なのだ。

その事から、妖魔、即(すなわ)ち尊き方の正体は徐先生と推測されるのだが、折り目正しく、腐敗政治や圧政を嫌って中国を捨て、倭国を選んだハズの先生とは同一人物と思えない。ナゼという疑問を残しながらも、近い将来、妖魔、すなわち徐先生との対決を迎えなくてはならないのだ。


一方、陸路からな奈良・大和を目指すケン、ウサヒメには想定外の敵が立ちはだかっていた。吉備から浪速への道路を整備しながら進軍していたのが、途中の丹波に怪物のような大鬼が現われ、配下の鬼と共に周辺の各集落を暴力で支配、民衆を苦しめていると討伐要請を受けたのだ。

話を聞くとこの鬼も「尊き方」を御主人様と仰ぎ、その命により当地を支配すると宣言、その強さから誰も逆らう事が出来ないでいるという。このまま放置すれば、ヤマタイ傘下に入った吉備、出雲にも影響が及ぶ為、見過ごすわけにはいかない。ケン、ウサヒメは征伐に向かった。・・

この報告を聞いたトシとキジは顔を見合わせた。大鬼の目指すところは出雲の八(やまたのおろち)岐大蛇と同じだからだ。ケン、ウサヒメだけで大丈夫だろうか?

まず、キジがトシの持つキクチヒコの神剣を、ケンに持っていく事にした。しかし、キジが居なくなれば、この地での戦いに不安が残る。伊勢でミクモ姫を守護しているサルタヒコに、来てもらえないだろうか。ミクモ姫に使いを出して呼び寄せる事が可能か打診してみる必要があった。


ケンの陣屋ではケンとウサヒメの二人が言い争いをしていた。

「私は一人でも行くわ。」ウサヒメは鬼退治、オロチ退治にも参加出来なかった事で今回の件には勢い込んでいた。

「待て、相手を知らずに行動するのは危険だ。怪物の根城に行かせた物見の者が帰って来るまで待て。」

「こうしてる間にも、民衆が襲われているのよ。いつ行くのよ、今でしょ。」

その時、大鬼が現われたとの知らせが飛び込んできた。血だらけになった村人が助けを」求めて陣屋に走り込んで来たのだ。四天王が現われて村に襲い掛かったと告げた。

二人は兵を引き連れて現場の村に急行したが、賊は村を荒らしまわって引き揚げた後だった。

「ホラ、言ったじゃない。もう我慢できないわ。」

「オイ、何処に行くんだ?」賊を追いかけようとするウサヒメを制した。既に賊は引き揚げたのだ。相手の根城を攻めるなら、戦力、根城の見取り図など、必要な情報収集をしてからでなければ、不利な戦いを余儀なくされる・・

「孫子の兵法ではなぁ・・」

「今は勉強のお時間じゃないのよ。弱虫!」掴んだ手を振り払って、ウサヒメが走り始めた。

「大将である俺の言う事を聞かんか。」と大声を出した時にはウサヒメはもう陣屋を出ていた。

「追え、連れ戻せ。」と配下にヒメを追わせたところに、物見の者が戻って、相手の根城の見取り図をはじめ、大鬼に関する諸情報を差し出した。


レポートを見ると大鬼軍団の首領の名は酒呑(しゅてん)童子。副首領が茨木童子、四天王として熊、虎熊、星熊、金熊童子が軍団の要になっている。皆、もとは美男子でジャニーズからデビューすれば、アイドル街道まっしぐらの面々と書かれてある。いや、そのイケメン故に鬼になったとあるのが理解できない。さらにレポートを読み進めた。

報告では彼等の鬼化は女性トラブルに起因するという。彼等はそのイケメンが元で多くの女性に言い寄られた。簡単に女性を、思うが儘に出来る事に気付いた彼等。それを悪用、見込ありと思わせて恋に狂わせた後は、貢がせるやら、罵倒するやら。彼女達は恋煩いの病で死んでしまった。思いを遂げられず、恨みを燃え上らせた彼女達の遺恨が祟(たた)ってイケメン達を鬼に変えたというのだが・・・。

その方面には一向に不調法なケンにはやっぱり理解できない。女とはそういうものだろうか?そうであれば、こやつらだけが悪いのではないのかもしれない。

しかし、何が理由であれ、鬼に化して行う悪行は許せない。人をさらって生き血をすすり、人肉を食らうとあっては成敗せざるを得ないのだ。

さらに読み進めると、首領、酒呑童子は八(や)岐(またの)大蛇(おろち)のご落胤(らくいん)とある。となると、まさかとは思うが、あるいはオロチも元は超美男子。同じく女性達に恨みをかって、化けさせられたか。美男子である事を悪に転用した罪は深いが、ほんの少しは同情出来るかも。

自分だって、そうであれば、調子に乗り過ぎて、結果的に、人間性に欠陥が出来るのかもしれない。美男子でない事にもメリットはあるものだ・・

いや、そんな事を考えている場合ではない。ケンは不吉の匂いを感じた。美男子に弱いウサヒメが危ないのだ。

ケンは赤兎馬にまたがった。

さすが神速の馬。アッと言う間に先発させていた配下の兵に追いついた。「将軍、大変です。姫様が・・」

「間に合わなかったか。」


兵士によると、ウサツヒメは四天王の一人、虎熊童子をあっぱれ、一撃で切り倒し、他の三体の鬼に立ち向かおうとした。が、倒れた虎熊、鬼の姿からスルスルと人間に戻った。その不思議に気を取られたスキを突かれて拉致(らち)されてしまったという。

「その鬼がコイツです。」と指差した先にジャニーズが・・イケメンがうなだれている。不思議に思ったというより、このイケメンぶりに、思わず見とれたのが真相であろう。ムムムムム・・。

ジェラシーも加わり、顔を真っ赤に染めたケン。ポーンと赤兎馬の尻にムチをくれた。

走る事しばし。先に見えるは、ヒメを抱えて根城の門に向かう鬼三匹。ケンの頬の紅潮がマックスに達したのが赤兎馬にも伝わり、馬体も真っ赤に燃え上る。

重なり合った二体の真っ赤なかたまりが空を飛んだ。

矢のように、三匹めがけてジャンプ。前足でヒメを抱きかかえる熊童子と金熊童子を蹴り倒した。神速蹴り発動であった。縄でぐるぐる巻きにされたウサツヒメの身体が、傍の草むらに放り出される。

もう一匹の星熊童子には下馬したケンの剣が振り下ろされる。三匹が反撃に出るところを赤兎馬は神速回避、後ろ足の神速アッパーを見舞った。決まったあ・・カンカンカン、これがリング上なら、ゴングが打ち鳴らされていたろう。

その間にケンは、ヒメの縄を切り裂いて赤兎馬の背中に抛り上げ、振り向きざまに三匹の鬼達にトドメを刺した。

鬼達の容貌がみるみるイケメンに変わっていく。「何だ、連中の力は大したことないな。」とケンの緊張が解けた時、根城の門が破れるかのように、勢いよく放たれた。

イケメン三人組の顔がアワをくったように青ざめる。「副首領!」と叫んで、ころげるように逃げ出した。彼等の掟。負けた鬼は容赦なく始末されるルールなのだ。

門からお出ましになったのは、四天王の倍はあろうかという大鬼、茨木童子である。大鬼は「女の匂いがするな。それも酒呑童子様の大好きな巫女の匂いだ。その女を渡せ!」と大声で迫った。

ケンが大鬼に対すべく、剣を構えたが、先の三匹の鬼とは比べものにならない迫力。ここは逃げるが勝と、赤兎馬を呼んで飛び乗り元来た道へと走り出す。大鬼は凄いスピードで追いかけて来たが、そこは神速ダッシュが間一髪上回った。

「アリガトね。」くすぐったい。ケンの耳元に甘い匂いが漂ったように感じられた。


陣地に戻ると、キジがキクチヒコの神剣を携えて待っていた。

「トシ殿から、これを渡すように預かってまいりました。」

早速、大鬼退治の戦略会議。門の前で逃げ出した三人も含め、捕われた元鬼イケメン達四人に、残る二匹の大鬼に関する情報収集する事にした。

二匹にマインドコントロールされていたイケメン達は、自分達の悪行を償う誓いを立てた後、大鬼の目的がこの地を支配し、ケン達ヤマタイ軍団の奈良・大和入りを妨害する事だと告白した。「それは、なんでも尊いお方の命だそうです。」

その上で茨木童子は彼等が鬼だった頃の五倍、酒呑童子は十倍の強さ持っている事、酒が好きでウワバミの如き飲みっぷりとの事、霊感を持った若い女が好きで、その生き血、生肉を食らう事で、自らのパワーアップを行う事などを話した。


「私の生き血を大鬼に吸わせるつもりだったの?」ウサヒメがヒステリックに咎めた

「今にしてみれば末恐ろしい事です。」恐縮する四人のイケメン達。スゴスゴと席を立った。さすがにヒメも、今はイケメンを前にして、心が動く様子はなく、彼等を睨みつけたままだった。

「さて、退治する方法ですが・・」キジが作戦を口にした。ご落胤であるなら血はあらそえない。オロチ退治再現といくか・・。

「ウサヒメ様。これで毒を作って下さいませんか。」強心効果の薬効はあるが、本来猛毒を持つという薬草根を取り出し、手渡した。

「酒が好きというのなら、これを入れた酒を飲まそうではありませんか。」この毒で大鬼を動けなくさせましょう。力を半減させるだけでも勝機は生まれます。」

「しかし、どうやって毒酒を飲ませる?」

「虎熊に持たせるのです。」

「虎熊童子はもう人間の姿に戻っているではないか?」ケンが首を傾(かし)げる。

「まあ、その辺は私めに、お任せを。それより、近郊から大量の酒を集めなければなりません。」

浪速、丹波各地から酒造職人を呼び出し、酒壺に入れた酒をかき集め、持ってこさせた。


「これで用意万端。最終仕上げを行いますか。」とキジがケンを座らせた。

メーキャップの結果、ケンの容貌が変化して、いかにも悪鬼の虎熊が完成した。「変幻化姿の術でござる。」元四天王のイケメン連中、当の旧虎熊自身も太鼓判を押す酷似ぶり。

いかつい体躯だけに化粧が決まれば、瓜二つだった。

鬼言葉も旧鬼達の指南よろしく、酒呑童子の首領室を模してリハーサルを繰り返し、鬼の仕草、シキタリを、叩き込まれた。 


ウサヒメもキャッキャ、キャッキャ「これでヒトに戻って、美男子になればカンペキね。」とケンをいじりまわした。

「ヒメにもお願いが・・」とキジ。

巫女姿になって、化粧を施して・・と。すると、ウサヒメが萌えて艶やかな美人に変身した。

「実は、大鬼に毒酒を飲ませるのには、ヒメが鬼のそばで酒を勧めるのが確実かと・・」

「何!ヒメに鬼の傍に行かせるというのか。ダメだ、絶対。」鬼のケンが、まさに鬼のの如き、物凄い形相で反対したが、当のヒメは自分の姿を鏡に映して満更でもなさそう。

「やりますわ。」と淑女の風情で承諾した。


「首領にご報告じゃ。」

鬼の根城に着いた一行。虎熊に変身したケンが轟く声を張り上げる。

「この虎熊、立派なお土産持参いたしましたぞ。」

酒壺を抱えた人足連中を追い立てながら頭領室内に運び込ませる。人足の中にはまだ幼い顔の少年も。かまわずムチを打ちながら急がせる。

「我輩が四天王一番なり。三鬼の仇を討ち、美しい巫女を捕獲してまいりましたぞ。褒美をたんまり下されよ。」

人足の行列の後には怯えた表情の巫女のウサヒメ。それを見た酒呑童子はニンマリ。「俺の好みじゃ。虎熊、でかした。」とねぎらいの言葉をかけた。

「まずは一献。毒見はそちら様から。」ヒメが進み出たのは茨木童子の方だった。

副首領はゴクンと飲み干し「これは美味い。」と感嘆の表情。「昔、俺が作りし酒の味によう似とる。もっと注げ。」と満足を満面にたたえたて催促する。

「それでは。」と継ぎ足すと、酒呑童子の方はたまらない気分。首領はオレだ、オレが先だ、と爆発したい気持ちをかろうじて抑えた。

「毒見はもういい。俺の方にも注がんか。」


ヒメが艶めかしく、しなを作ってにじり寄り、酒呑童子の杯にトクトクと酒を注いだ。「なるほど。これは美味し酒。壺ごと飲もう。」

「わあ、素敵。壺ごとイッキ飲み、見てみたいわあ。」ヒメの肩に手をやり、壺を持ってくるように命令した。

「この酒、誰が作りし者か?俺の作った酒に似た味だが・・」と茨木童子が問いかけた時と酒呑童子が壺をイッキ飲みしたのが同時だった。壺の底には毒の液体が溜まっていたのだが、それも一気に飲んでくれた


「トラ・トラ・トラ」虎熊いや、将軍ケンが叫んだ。

ヒメの懐刀が酒呑の胸に突き刺さり、虎熊の持つキクチヒコの神剣が顔を切り裂いた。同時にキジの懐の吹き矢が茨木童子に襲い掛かった。

毒矢に痺れた茨木童子は動けない。酒呑童子も毒が回ったと見えて、目を白黒している。そこをすかさずケンの神剣がこれでもかと切りつけるが、さすがは酒呑童子。八岐大蛇の血を引くだけあって反撃に転じ、ウサヒメが吹き飛ばされた。

「お前は支援に専念せよ。」虎熊の指示でヒメは呪文を唱え始めた。回復魔法、攻撃アップの呪文である。

ケンとキジ対酒呑童子の攻防が続いた。毒の効果に、ヒメの魔法のおかげで酒呑童子をあと一息でトドメを刺せるとした時、背後から最後の力を振り絞る茨木童子が襲いかかろうとしていた。

その前に立ちはだかったのは酒運びの少年人足。

「俺が作ったんだ。あの酒は。とうちゃん。」

茨木童子の構えた剣が少年の額で止まった。

「お前は・・」と言いかけて力尽きるように倒れ込んだ。

茨木童子の元は茨木の酒造職人。少年はその息子だったのだ。

酒呑童子は八岐大蛇のように悶え死んだ。生き血を吸い、ヒトの生肉を食らった者は人に戻る事は出来ないのだ。

茨木童子は?・・人間に甦った。少年の涙が大鬼をヒトに戻す理由となったのかもしれない。


ケン達が凱旋する道すがら。赤兎馬にまたがるケンとヒメに、ヒソヒソとした会話がなされていた。

「虎熊さん。美男子に戻らなくてもいいのよ。だって、私、美男子コワイ。」

「オイオイ。落語の饅頭コワイじゃないだろうな。」

「私が美人だから、二人の子供は普通の子でしょ。それがいいのよ。」

「意味わからん。アハハハハ。」

セレブレーション!ついに二人は結婚を約束したのだった。


一方、伊勢ではミクモ姫が真面目な顔のサルタヒコと対面していた。

「私と結婚してくれませんか?」唐突にサルタヒコが切り出した。勿論、ヒメが真に受ける訳はない。

「あら、嬉しい。あなた、面白いし、大好きよ。だけど、私は伊都国の王女で今は永遠の巫女となった身よ。あなたも知ってるでしょ。」

「一応、一回は言っとかなきゃ、後悔するかも知れないんで・・」と頭を掻くサルに向けた言葉は。

「それに、あなた。人間じゃないじゃない。」


奇妙な沈黙の後、二人は共にフッと軽い息をついた。

「一回は、私も訊ねたかった疑問なの。」

「良くわかりましたね。そう、私は人間ではないのです。」サルタヒコは自分の事をミュータントのサル。あるいは新種の人間なのかもしれないと説明した。

「あら、ホントにおサルさんだったの。」ヒメは半信半疑の眼差しを向けた。

「でも、だから私は持っているかもしれないのです。世界制覇する力を・・」人間を超える力があれば、それは可能と言う事でしょう・・。

「世界を?」

「あなたと協力すればね。あなたは人間だけれど人間を超える霊力を備えている。」

「それは買い被りね。それに世界を制覇するなんてまるで興味ありませんわ。更に言えば、あなただって世界を制覇する気なんて、さらさら持っていないじゃありませんか。」

「お見通しですなあ。」とニヤリと笑って「人間はこのまま、未来に向かって生き続けられるとお思いですか?」と返した。

「人間、いや、知恵ある者、すなわち飽くなき欲望を持った動物の行く末をどう想像されます?」


サルタヒコ、いや、孫悟空(閉じ込められていたため、ご存知の活躍は随分、時代を下った時になる)を先祖に持つ孫ゴエン。本編第一部で触れたが彼の推論は、知恵を持った人類は自滅する動物というもの。先端の文化を有する中国、ローマを見て導き出された答えだった。

儒教の教えにも拘わらず、戦乱は絶えず、腐敗が横行する中国の政治に幻滅。民主政治のローマに旅しても、他国侵略で得た繁栄、それがもたらす享楽(きょうらく)主義の頽廃(たいはい)には愛想が尽きる。

キリスト教は一神教の排他性、仏教の現実逃避。自滅を回避すべく人間が編み出した宗教・思想も、手に取って仔細(しさい)に観察すれば宝石に似たイミテーションでしかない。

知恵あれば悪知恵がこれを上回る、現実の人間世界には、自滅の未来しか描けそうになかった。


一方、それはミュータントたる者とて同じ宿命。むしろ、ミュータントが人間を超える知恵を有するならば、自滅が加速するだけの道理である。自分が世界を制覇したとして、その後の自滅回避の仕組みがなければ未来は描けない。これまでの人間が編み出したアイデアは役立たずで問題解決のヒントにさえならないのだった。自身の中にも画期的な自滅回避のアイデアは生まれず、そんな状態で世界制覇は何の意味があるのかと逡巡するばかりなのだ。


「人間に未来があるかって?志があれば、志をつなげば、未来はありますわ。更に言えば、あなたがそんな疑問を持つのは、信頼できる世界を生きてないからでしょ。可哀そうに・・」

ミクモ姫がそう呟いた時、トシからの使者がドアをノックした。サルタヒコを助っ人として派遣して欲しいとの要望を伝えてきたのだった。 


ヒメは西を向いて何かを感じようとしていた。

「大変、西の丹波に大鬼が現われたらしいわ。キジさんがケンと共に討伐に向かうと・・」そこでヒメの胸に悪寒が走った。ビクン、ビクンと胸が締め付けられる感覚。禍々しさ。

「大和にはトシしかいないのだけれど、その大和に何か蠢(うごめ)いているの。・・これはこれまでに感じた事のない邪悪な気配だわ。それも複数の。凄いわ。何かしなきゃ。」

「トシに危険が迫っているのですか?」

「この邪気は倭国全体を、いや、世界全体を覆う意思をもったエネルギーのように感じるわ。」

「妖魔の?」

「そうね。だからお願い。今すぐトシの元に、助けに行ってあげて!」

「イヤですね。私は、ヒメを守る為にここに居るのです。」と拒んだが、孫にも何かが感じられたらしい。「ほう、そういわれれば、凄まじい邪気を感じますな。」

「そうでしょ。だから、すぐに出発して。」

「いや、だからこそ、貴女を守るために、ここに残ります。トシがやられるとしたら、次狙われるのはあなたのような気がする。」

「トシは友達でしょ。見捨てるの?」

「トシの事は好きな奴ですけど、私に助ける義務はありません。」

「今のうちに邪気の芽を摘まないと、倭国全体、世界全体に拡がるかもしれないのですよ。世界が滅びてもいいの?」

「世界が滅びたら、かえって私が世界制覇をするチャンスにもなるんですよ。気兼ねなくこの世界を手に入れられる・・」


 ミクモ姫が、ぶつかるようにサルタヒコの腰に手を廻した。ヒメはキレたのだ。キレると怖いミクモ姫は過去に経験してサルも知っている。

「その天叢雲を私に貸しなさい。イヤというなら、あなたとはもう絶交です。ここから消えなさい。」

ヒメは宮殿守護の兵士を呼び、その中から一番小柄な兵士を指名した。その兵士に天叢雲を託してトシの元に走らせるのだろう。

ところが、ヒメは兵士の鎧を脱がせ、退出させると、自分の身に纏(まと)おうとした。自らトシを助けようと出立するつもりなのだ。

「何をされます。私は貴女を守ろうと・・」孫が慌てて制すると

「私のプライドを汚すのは許しません。」と、その手を撥(は)ね退けた。

「私はキクチヒコ様に誓っているのです。この国、倭国を守る事を。自分の事などどうでも良いのです。それが、私の生きるイミ。私の中に残った使命なのですから・・」

そう言って孫の天叢雲を奪おうとした。


こういう態度に出られれば、孫も心を決めざるを得ない。

「判りました。私が、トシを救いましょう。」

「まあ、そうしていただければ。私はここで遠隔による支援を行いますわ。」

「ただ、私が不在の間の警護が心配です。これを差し上げましょう。」

それは、二粒の丸薬だった。孫の先祖が残した甦りの秘薬。

「これを飲めば、霊力強いあなたなら、甦りの秘術が可能になります。死んだばかりの人なら、しばらくの間、昔の死者なら僅かの間ですが、甦らせ、その者の力を借りて敵を調伏(ちょうぶく)出来るのです。誰かに襲われたなら、これでキクチヒコ殿を甦らせると良いでしょう。」

「キクチヒコ様とお会いできるの?」ヒメの頬が紅潮した。

「ええ、一瞬ですけどね。」

但し、と条件を付けた。「そのかわり、任務を無事終えた後、私に頂きたい物があります。」

「結婚なんて言わないでしょうね。」

「なんの、呂(ろ)の字を下さい。三国志の英雄、呂布の呂の字です。」

「ろの字?結婚でなければ、私にあげられる物は、何だってあげるわよ。」

その時、サルタヒコ、いや孫ゴエンはもう宮殿を走り出していた。


一方、トシの陣地。どういう風の吹き回しなのか、敵と目されていた磯城(しき)国から使者が到着した。しかも来たのは頭領たるエシキその人なのだった。どういうつもりかわからないが、追い返すわけにもいかない。まずは話を聞く度量を見せねばならないだろう。ここは情報戦。相手も当方の軍事力を偵察する目的もあろうし、こちらにとってもヤマトの情勢を知る機会にもなる。

エシキは大きな毛皮の巻物を手にしているだけで、武器を持たない丸腰。従者は白布に包まれた木箱を捧げ持っている。これでは刀剣、弓で武装した兵士を並べて迎える訳にはいかなかった。

「トミビコ様の命令により、トシ様の軍団と相対すべく戦争の準備を進めておりましたが考えが変わりまして、まかり越した次第に御座います。」とエシキが挨拶した。

聞くと、忠誠を誓っていたトミビコが以前とは人間が変わったように冷徹になってきた事に疑問が湧いてきたという。それでも長年の付き合いから指示に従ったが、トミビコの民への要求が過酷さを増し、ヤマトの民達が苦しんで窮状を訴えるようになって心変わりの決心が着いた。調べれば、ヤマタイ傘下に入った伊勢や宇陀は圧政に苦しむ事なく平穏な暮らしが続いているのが判った。トミビコに付くのは間違いで、ヤマタイに付くべきと意見を述べる者が日に日に増え、一族全員で会議の結果、ヤマタイに付くべしとの結論に至ったと経緯を話した。

トシにとっては耳に心地よい話だが、ここは敵情を出来るだけ探る必要がある。

「ところでヤマト国ではニギハヤヒ殿が遠ざけられ、かわりにトミビコ殿の側近に異国の者が抜擢されていると聞くが、どんな人物であるか?」

「その側近が曲者(くせもの)でござる。二重人格というか、当初は適切なアドバイスで皆が納得できる提言をしていたのですが、途中から変わり始めたのです。しきりに中国の兵法や統治の仕方を進言しますが、男の大半を兵役に就かせるなどは民の暮らしを圧迫します。民が暮らす上で欠かせない野良仕事がおろそかになる施策ばかりではついていけません。あの方の中には二人がいるのでは・・と思うほどです。」

「その側近の名は?」

「尊きお方というだけで、しかとはわかりませんが、中国出身者。徐州出身との事でございます。」間違いない。尊きお方は、徐先生なのだ。


「今日は、ヤマタイ側に付くという磯城国の意思。その証(あかし)となる物を持参しております。」

エシキは従者が捧げ持っていた白布の木箱を運ばせた。が、従者の手が小刻みに震えている。

その時、トシが手に持つ羽扇が風もないのにかすかに揺れた。

用心するに越した事はない。自分の前に持って開けるのではなく、その場で開けて見せるよう指示した。

「この者は死人の首を持っているので怯(おび)えているのでしょう。意気地のない奴だ。」と言訳を兼ねて従者を叱り飛ばした。

木箱の中には、まさしくエウカシの生首が入っていた。何度も捕えて見覚えある顔だった。

当時、敵だった相手に寝返る場合、信用を勝ち取る為に、その者と対立していた人間の首を差し出すのは、よくある事だった。

そこまでせずともよいものを。と思ったが「磯城国の気持ち、良く判りました。」と応じるしかない。


続けて、エシキは巻物を指差した。

「これは更に磯城国の気持ちを示す物であります。」

「何だ?」

「大和・奈良国の地図です。大和軍の配置、軍備等が全て記載されております。」軍の配置図・・これも、当時は寝返りの証として渡されていた貴重な軍事機密である。咽喉から手が出るほど欲しい極秘情報であった。

「これへ。」トシがエシキを呼び寄せる。

羽扇が、また揺らめいた。今度は胸からかけていた勾玉も赤みを帯びて・・。


この状況、どこかで読んだ事がある。

そう、史記の始皇帝暗殺、刺客列伝・荊軻(けいか)の章である。風蕭々として易水寒し、壮士一度去りて、復還らず・・・の一文(いちぶん)。

強大な敵に単身乗り込み、死を決して事に及んだ壮士。失敗には終わったが強い覚悟の義士として名を残した人物である。

トシは受け取った巻物をくるくるとめくった。確か列伝では、巻き終りの場所には短剣が仕込んである筈。

刺客は袖口を引っ張りその短剣で・・。

「いかがです。詳しく描いた地図です。」エシキが近付いた。間違いない。

「神妙にせよ。」

トシの腰の剣、その刃先がエシキの目の前に突き付けられていた。


それにしても、史記の通りに自分を暗殺しようとたくらむとは。徐先生はホントにどうかしている。話し合いは望むべくもなし。もう戦いは避けられそうになかった。


第六章


エシキを人質に取られた磯城軍はアッサリとヤマタイ軍団に降伏した。トシの陣地に孫が加わり、目の前にはトミビコ軍団の本陣。ここは大和平野の真ん中、最終決戦が始まろうとしていた。


ヤマト軍の北側にはケンとキジが率いる軍団であふれていた。遠く安芸、吉備、出雲、丹波の兵が、整備された街道を、粛々と進軍してきていた。それに対しては大和のニギハヤヒ軍が対峙している。

即ち、ヤマタイ連合軍はトミビコ・ニギハヤヒ軍を挟み撃ちする形。兵の数でもヤマタイの方が大きく上回っていた。

ただ、問題は兵力ではなかった。大和軍には大きな邪気が渦巻いていたのである。

大和側から歓声が挙がった。「皇帝万歳、皇帝万歳!尊きお方なり!」

いよいよ尊き方とやらが現われる。チクシもいるのだろうか? 


その邪気の中心から黒雲が湧き立ち、現われたのは人影。果たして、徐先生その人だった。簾のように宝玉を連ねて垂らした旈(りゅう)が十二本。冕(べん)冠(かん)を戴いた皇帝の姿である。

トシは、これまでの妖魔現象に皇帝の影があるのを思い起こした。八岐大蛇の爪。皇帝を象徴する五爪の龍だった。


「先生!」

「久しぶりだな。トシ。」

「先生が何故皇帝を称されているのですか?」

「私はお前が知っている私ではない。私は乗っ取られているのだ。」

「誰に?」

「始皇帝にだ。」

なんと、先に自分を暗殺せんと刺客を送ったのは徐先生ではなく始皇帝なのか?自分を暗殺せんとしたやり方。それを逆にマネて、エシキを送ったというのか。しかし、始皇帝が生きていたのは何百年も前の事だ。思い込みにも甚だしい。誇大妄想ではないか。

「先生、乱心なされますな。」


「始皇帝の霊は熊野に生きていたのだ。」先生は真顔だった。


徐福の足跡を追って、チクシと共に熊野山中を歩んでいた折、その霊が徐先生に憑依したという・・・。にわかには理解出来ない話だった。


時を450年ほど遡る。

徐福は始皇帝との接見の場にいた。自分の余命幾ばくもない事を知った始皇帝は、なお不老不死を願い、方術士として名高い徐福に賭けたのだ。

徐福は東方の海の向こうの地に、不老不死の妙薬有りとし、その探索に航海する事を提案した。それでは何時、妙薬を手に入れて帰還するかはわからない。そんな悠長な話に付き合う訳にはいかないと考え込む。

始皇帝の決断は、ならばむしろ、徐福と共に航海する事。秦帝国には影武者を置けばよい。多数の善男善女の童子と、百の職人を引き連れて、航海に乗り出し、不老不死を手にしよう。

そして、その地で水銀の王宮を作ろう。さすれば咸(かん)陽(よう)に作った地下宮殿と、水銀の川を通してワープする事だって可能ではないのか。水銀は不老不死の象徴。不可能を可能にするマテリアルなのだから。

しかし、皇帝の命は航海途上でついえた。目論見(もくろみ)は失敗したかに見えたが、不思議なサポートの力が皇帝の霊をながらえさせる事になる。航海に同伴した愛妾が、霊力を持つ徐福に、憑りつかせたのだ。そうはいっても病原菌がとりついたのと一緒で、発症に至らなければ実害はない。ただながらえただけの話。霊が霊としての力を持つにはさらに強い霊力・魔力を有する霊媒(れいばい)が必要なのだ。


船団は嵐に会って、バラバラになったが、徐福は、倭国に上陸。邪馬台国から神秘の森が拡がる熊野へ旅した。熊野は甦りを可能とする地。あの水銀も埋蔵されて・・甦りの胎盤としての条件が揃った・・神秘の大地。始皇帝の霊は、徐福の身中を離れ、この山中で潜むことになる。

長い時間が流れ。いよいよ、その時は来たれり。

徐先生には徐福の血が繋がっている。縁深き、その先生が、チクシを伴って、先祖の足跡を探す旅でこの地を訪れたのだ。

この場面の表現としてふさわしい例えではないが、カモがネギどころか、ミシュラン三ツ星のフルコースを背負ったようなもの。遺伝的に霊力を持つ先生と、チクシの霊媒力を始皇帝が見逃すハズはなかった。徐に憑依(ひょうい)し、巫女に甦(よみがえ)りを行わせれば・・二人を操る事で念願の復活が成し遂げられるのだから・・。


「チクシは何処にいるのですか?」

トシの問いに徐先生が答えようとした時、先生の顔に異変が始まった。

顔が変形し、脂ぎった皇帝の顔が浮き出てくる。

始皇帝が復活したのだ。

低く大きな声が轟いた。

「朕は始まりの皇帝なり。そして、永遠に続く最後の皇帝でもあらねばならないのだ。」

「朕の行く手を阻む者には消えて貰わねばならぬ。」


背後に陣取ったケンとキジが赤兎馬に跨(またが)り、ヤマト軍の雑兵を蹴散らせて皇帝に迫った。

「妖魔こそ、消えろ!」ケンの弓矢、キジの投石器によるパチンコ弾丸が皇帝を襲った。矢と弾丸は背と後頭部に命中。不意を突かれた皇帝の口が醜く歪む。

「小癪な。」

そこにつけ込むように、小さな虫が皇帝の身体のあちこちにたかり始める。孫が催眠虫の術を使ったのだ。皇帝は睡魔に襲われ、身体が思うにまかせない様子。

オッ。これは行けるのか?と攻略の糸口を掴んだとおもえたが・・

皇帝の顔には不敵な笑み。

笑みは、カラカラと高笑いに変わって、凄みを効かせた顔で辺りを睨睥(へいげい)する。

「こんなコワザで朕を倒せると思ったか。」と言うと誰かに向かって合図。

「そんな子供だましの攻撃レベルなら、朕の出る幕でもない。暫し休みを取ろう。その間、朕の最愛の妾が、お相手する事になる。ウワッハッハ・・。再び起きた時に、貴様らが生きているかどうか楽しみだわい・・ウワッハッハ」と、元の徐先生の姿に入れ替わった。


「皇帝は回復魔術を行っているのだ。そして、最強の妖魔を呼び出したぞ。」サルタヒコいや、孫が叫んだ。

最強の妖魔?

しかし、そこに現われたのは九の尾を持つ女狐。赤ん坊のような泣き声の白面(はくめん)金(きん)毛(もう)九(きゅう)尾(び)の狐(きつね)だった。

しかし、このキツネ。尋常ではない。始皇帝を上回る妖気を発している。

かと思うと、振り向きざまの変身。異国情緒漂う絶世の美女に・・。敵味方問わず、皆が思わずウットリと・・。いやアブナイ、アブナイ。

「お前は、妲(だっ)己(き)!」孫が思わず声をあげた。


妲己とは、中国・殷(いん)王朝(おうちょう)、紂(ちゅう)王(おう)を誑(たら)し込んで暴君となした毒婦である。人民を酷使して壮大な宮殿を造営、そこで酒池肉林(しゅちにくりん)の淫乱な乱痴気騒ぎをした事が語り継がれている。火燃え盛る大鍋にオイルを塗った銅の棒を渡し、歩かせては、火中に落ちる人の阿鼻叫喚(あびきょうかん)を愉しむ「炮烙(ほうらく)の刑」は妲己が考案、紂王にやらせたものと言われていた。


そもそもを言えば、妲己は親孝行の貴人の淑女として普通に暮らしていた。しかし、その美貌が有名となり、王の耳に入るまでになった。それが無理矢理に、紂王の妃として、召し出される事に発展する。心ならずも宮殿に赴く道中・・その時だ。魔物に憑(と)りつかれた。それが九尾の狐なのだった。その後の悪行は左記に記した通り・・。


「お前は始皇帝の悪霊の妃となったか?」

「妃?ホホホホホ。とんでもない、あいつは私の手先に過ぎぬ。この世界を破滅できない能無しなら、見限るだけよ。」

何だと?自分こそが黒幕と言わんばかり。

途方もない女狐のようだ。孫が構え直した。

「ほう、良き物を手にしているではないか。だが、私は切れぬ。私は、生き物ではないし、かつて一度も生きた事がないのだから・・。死ぬことも無いのが道理だわ。」

妲己は孫の手にした天叢雲をチラリと見て、鼻で笑った。


「たとえば私はパンドラの箱からいでしもの。ありとあらゆる災禍(さいか)。そう言えばお分かりかしら。」

「お前はサタン?」

「サタン?ホホホホ。天使でもあるわね。もともとは同じ。人間が勝手に名づけたもの、人間が勝手に作り上げたものだから・・あるいは私は人間自身でもある。おわかりかしら・・ホホホホ。」

「人間が自ら崩壊し、滅亡する。それを見る為に現われた存在よ。それを為しうる人間を手助けするのが私。わかったかしら。」

「それで妲己となり、今回は始皇帝の悪霊を操るのか?」


「グスン、グスン。ねえあなた。悩みを聞いていただけます?それがなかなか上手く行かないのよ。」泣きマネの裏に笑みがこぼれる。

「ネロの妃ポッパエア、天竺(てんじく)では華陽となってはみたものの、いずれも紂王と同じく能無しばかり。今度ばかりは上手く、やり通して貰わないと・・もっともあまりに早い終りでは面白くもありませんが・・。ホホホホホ。」

「きさま。」

「あなたも人間は、いずれ自滅すると考えているのでしょ。そのおぞましいフィナーレを一緒に楽しみましょうよ。人間ではないあなたには、それを観劇する特等座席が与えられているのだから・・」妲己は孫に向かって妖艶に、ほほ笑んだ。

「何!」

「もっとも人間が自滅したとして、あなたが世界を制覇しても、今度はあなたの種が自滅するのを手助けするのは、この私。ホホホホホ。」

「お前、何をする為に現われた?」

「私は戦う事はありませんわ。パンドラの中に戦士は入っていませんもの・・。」

妲己の目が異様な光を帯びた。


「あなたならご存知ね。この者がお相手するでしょう。始まるのよ、始まるのよ・・ホホホホ。」

何時の間に現われたのか。天空から大きな影がゆっくりと舞い降りた。その姿は八岐大蛇とも異なる、身の毛もよだつ巨大な赤い魔獣。

「あれは何だ。」敵味方問わず、震える唇から、声が漏れ出た。

「ドラゴン!」孫が叫んだ。

ローマの支配地域で語り継がれし伝説。人間の攻撃性と強欲が化身となって誕生した怪獣である。身体全体が魚鱗に覆われた、蛇とも龍ともつかぬ異形の獣。その発する咆哮(ほうこう)は地響きを伴う。

「妲己のお前が、なぜ西洋の怪獣を呼び出すのだ?」

「私は人間世界のどこにだって顔を出すわ。人間は同胞をモノとして扱い、簡単に殺めるのを厭わない素晴らしい動物。そして最後は自分をも、モノと化して滅びに向かうのよ。その、あまりに深い業(ごう)と幻想。それが肥大化して、私を生み出す時にね。」

「お前がドラゴンを呼び出すなら、私はミカエルになるまでだ。」

「ミカエル・・ホホホホ。それはドラゴンに勝ってから言いなさい。」


ドラゴンが戦闘開始を準備するかのように体をうねらせ、大地を削って爪を研いだ。その口からは炎が吐き出され、鼻からガスが噴き出す。そのガスを吸った兵士、それはトミビコの軍団であるにも拘わらず、ガスは放たれたのだ。秒速の殺戮(さつりく)。兵士達がぐったりと倒れた。猛毒がまき散らされてていたのである。

その間、孫とトシが目配せの合図を取り交わしていた。トシの指示で配下の兵士が弓を引き、ケンの軍団に連絡文書が放たれた。

それを見たケンとキジが動き出す。ケンが自慢の弓矢をドラゴンの喉に命中させたが、矢はカチと当たるも刺さることなく弾かれた。魚鱗は鋼鉄の固さで貫通するのは難しい。キジも例のパチンコ弾丸をドラゴンの目を標的に放つが、急ぎ閉じられた瞼はやはり鋼鉄の強度。あえなくキンと音をたてるのみで地に跳ね返された。

トシからの指令書はドラゴンの弱点を探せというものだった。だが、ドラゴンに弱点は見つからない。

残るはドラゴンの口中。炎を吐き出す前の一瞬に、大口をあける、そこに命中すれば、ダメージを与えられるかも知れない。

ケンが赤兎馬の馬上から、その口を狙った。

ドラゴンが躍動してケンを襲う。大きく口を開けた。咽喉(のど)の奥にはオレンジの炎が口一杯に広がっていた。

「今だ。」ケンの弓がしなり、矢が放たれた。

しかし、ドラゴンは素早く、口を閉じ、矢羽は、あえなく回転しながら落ちていく。

ドラゴンが毒をまき散らしながら追い、赤兎馬が神速でその牙を避ける。ケンとキジが素早い動きでドラゴンの攻撃をかわすが、霧状の毒が、薄まったとはいえ、二人の動きを鈍らせる。そこをウサツヒメ、そして遠く伊勢のミクモ姫が遠隔で解毒作用の回復魔法を祈る。おかげで致命的打撃は回避できたが、ドラゴンにダメージを与えるヒントは見つからない。


そんな中、孫はようやく身を隠せる穴ぐらにいて、ドラゴンの弱点を狙っていた。これまでのドラゴンの動きを仔細(しさい)に分析していた孫。唯一固い鱗に覆われていない箇所を見つけていた。

それは腹の真ん中。


赤兎馬がトシの合図で、進路を孫の潜む穴の方向に転換した。それを追うドラゴン。

そして、穴に潜む孫の頭上をドラゴンの腹が通過せんとした時、天叢雲の剣先が突き刺さった。そればかりではない。自ら意思をもつように螺旋(らせん)を描いて獣の体内を駆け巡る。


悶え苦しみながら、ドラゴンは秘剣に切り刻まれ壮絶な最後を遂げた。

これには妲己も驚きを隠せない。

ドラゴンから流れ出す血にまみれながら、孫が穴からはい出した。

「見たか妲己。パンドラの箱から最後に取り出されたモノを教えてやろう。それは希望なのだ。それある限りお前の願望が叶う事は無い!」孫が勝利の勝ちどきをあげた。

「フン。今回は失敗じゃ。希望というコトバなど、お前が信じるものでもなかろうに。・・だが人間の自滅は自明の理に変わりはない。お前も、いらぬ事を・・」

妲己は九尾の狐に戻って赤子の鳴き声を上げ、煙となって姿を消した。孫もまた力尽きたようにその場に倒れた。先の戦いでドラゴンの血に混じる毒に体力が消耗していたのであった。


妲己が消えたのでは、始皇帝も姿を現さざるを得なくなった。

「者ども、朕がついている。あ奴等を蹴散らせ。」皇帝が大和軍団に号令した。

その時、トシが立ち上がった。羽扇を大きく掲げて天を仰ぐ。

それを合図に兵士が手にしたもの。それは三角(さんかく)縁(ぶち)神(しん)獣(じゅう)鏡(きょう)。これまでアキ、キビ、イズモを傘下に入れていく過程で手に入れた青銅の武器。それを鏡に鋳直したものだ。その数は一千を超えていた。傘下の各集落の神社、祭礼をヤマタイ式に変革し、統一国家をしての絆と一体感を深める為に用意してきたものだった。

鏡は太陽を映し、大和軍団、始皇帝に向けられた。

軍団兵士達はその眩しさにくらみ、目をそむけようと下を向き、再び上を向いたときだ。

「あれはなんだ。」と仰天した。


天には飛翔する鳥がいた。

眩しさに惑わされたか、金色に輝く鳥が悠然と旋回している。世にいう金鵄(きんし)である。金鵄はトシの持つ弓の先に停まった。勝利を暗示する出来事であった。

これを見たトミビコ軍団の戦意はそがれた。「朕の力を見よ・・。」士気を回復せんと声を荒げるが、皆うなだれるばかりで動かない。


茫然とする大和軍団をかきわけ、ケンとキジがニギハヤヒ将軍のもとに走った。降伏を迫ったのである。

「こうなった以上、以前に約束された通り、ヤマタイを受け入れてはくれまいか。」

ニギハヤヒも、金鵄の輝きにマインドコントロールが解けたと見えて、心が動かされているようだ。

「だが、おぬし達が真にヤマタイの使いという証拠を見せて頂きたい。」

「この刀を見て下さい。」ケンがキクチヒコの神剣を差し出した。キクチヒコの剣は、今は邪馬台国に編入された、かつてのヤマト国に伝わる神剣なのだ。

ニギハヤヒも元はヤマト国から奈良に流れた同族。この剣が血族を象徴するヤマトの神剣である事で、心が決まった。

「者共。我はこれよりヤマタイ傘下に入る。」


状況はヤマタイ側の流れに傾いた。残るは無表情でたたずむトミビコと徐先生いや始皇帝のボス敵だけでる。


始皇帝が吼(ほ)えた。

すると、周りに熊の群れが現われた。熊野で出会った、例の魔獣である。皇帝をガードするようにバリヤーを張った。

倒れた孫がよろめきながら立ち上がり、トシの元にたどり着いた。「これはお前が使え。」と天叢雲を差し出した。ミクモ姫の回復魔術で一命はとりとめたものの、孫に戦う体力は残っていなかったのだ。

トシが始皇帝の前に近づく。天叢雲の力で、熊たちは霧と消え、バリヤーが解かれた。始皇帝はあっけなくバリヤーを破られた事に驚いた様子。

始皇帝は後ずさりしてトミビコの側に。しかし、その背後にはすでにヤマタイ側にまわったニギハヤヒが迫って来ていた。ジリジリと間合いが詰まっていく。


「妖魔。覚悟せよ。」

トシが天叢雲を突きたてた。見事、始皇帝の胸を貫き、身体が倒れ掛かる。

だが、その胸は、顔は・・ボヤけて映る・・再び顔がハッキリし始めた。徐先生の姿に切り替わっていた。その胸からは、ドクドクと血が流れていた。

「俺は先生を殺してしまった・・」

「トシ、気をつけろ。今度はお前に憑依(ひょうい)する気だ。」徐先生の、しぼり出すような最後の声。

トシが飛び退くのと、始皇帝の悪霊が先生の体を離れて、トシに襲い掛かるのが同時だった。


「トシ!危ない。」

遠い伊勢の国で声をあげたのはミクモ姫。おぞましい霊の力を感じて握りしめていた秘薬を飲み込もうとした。遠隔でトシを助けようとしたのだ。

同時にトシの胸の勾玉が異様な光を発し始皇帝を弾き返した。不可解な力。それに躊躇(ちゅうちょ)した悪霊が逃げて、背後のトミビコに乗り移る。憑依する相手として、トミビコを選んだのだ。トミビコの側まできていたのはニギハヤヒ。

「逃げたぞ。ニギハヤヒ殿。トミビコを斬りなされ。」

しかし、ニギハヤヒはトミビコを斬るのをためらっていた。キクチヒコの神剣を手にはしているものの、震えが止まらない様子である。かつては忠誠を尽くして仕えた王だからか。身体がシビれたように動けない。

トミビコが悪霊に乗り移られて、みるみる凶悪な顔付きに変わっていく。トミビコのエネルギーを吸い込んで悪霊が肥大化していく。

・・と思われた時、ニギハヤヒが、いや、キクチヒコだった。

俊敏な動きで近づいたかと思うと・・。トミビコを一刀両断、斬り捨てたたのである。悪霊の気配も限りなく弱まって行く・・。

ミクモ姫が秘薬によって甦らせたキクチヒコは、直ぐに消え、ハアハアと荒く息するニギハヤヒが茫然自失の態で立ちすくんでいる。

キクチヒコの悲願。倭国統一がとりあえず果たされた一瞬だった。


皆、歓声を上げたが、その時、トミビコの死体から透明に蠢(うごめ)くものがはい出していくのに誰も気づかなかった。それはひっそりと動き何処かに去っていく・・・。


トシ達が新たな支配地、大和で体制作りを始めた。それが一段落した時、伊勢のミクモ姫に報告に行く事になった。今回の悪霊退治は、ヒメの力無しには達成出来なかったからだ。

ところが、ヒメのもとに帰るべき人。一番活躍したはずのサルタヒコ・孫は、倭国を去っていた。

刀をトシに託し「天叢雲は姫の護身用としてお渡し下さい。ろの字は不要とも言って下さい。」との伝言を残しただけ。

姫の宮殿に訪問すると。何故かろうそくが大量に用意されていた。トシがサルタヒコの出奔を告げると

「あら残念。私が心を込めて手作り致しましたのに。渡せないなんて・・」孫の伝言を聞いて淋しそうに呟いたものであった。


「それでチクシ様の消息は掴めましたの?」

ヒメの言葉はトシの胸を改めて揺さぶった。チクシは何処にも見つからなかったのだ。倭国統一は嬉しい出来事だったが、それは自分の志でもあるが、大部分は託された志。キクチヒコ、伊支馬様、難升米様から与えられたお役目に過ぎない。達成感はあるが、倭国統一を確実なものにするには、これから取り組まなければならない事が山ほどあった。嬉しさに優る憂鬱の気分がトシの表情を暗くしていた。


トシ個人としての東征の意味は依然不明のままだ。徐先生がいなくなった今、チクシは何処に居るというのだろうか。心晴れぬまま、伊勢神宮を後にする。大事な部分がポカーンと空白の倭国統一。今回の勝利。

希望は「チクシさんの気は感じられるのですよ。かすかにですけど。」とのミクモ姫の言葉だけだった。


終章 そして ファイナル・ファンタジー


あれから二十年の歳月が流れた。

トシは大和の宮殿。大王の執務室にて机に肘を、顎に手を当てがい、静かに物思いに耽っていた。

「年をとったものだ。年だけ・・とった」

取り巻きの役人連中は、皆「全てうまくいっております。大王の治世に栄光あれ、大王万歳!」などとオベンチャラを唱和するが、トシには苛立ちがつのるばかり。実は求めている全てがうまく運ばない。本来、ここには壱与様がおられるはずなのに・・。


奈良・大和を制圧した後、トシとケンは、この地域一帯に倭国の中核をなす都市を建設していた。ヤマタイ式の政治体制を浸透させるべく働いて来た。

農業指導、土木工事による灌漑(かんがい)システムにより食糧増産が図られ、飢饉(ききん)が起きた地域には支援が確約される。傘下(さんか)の民衆には、トシ達、ヤマタイ政権への信頼が醸成(じょうせい)されていた。この地にはヤマト学園が開校され、各地の豪族の子弟たちがヤマタイ式の行政ルールを学び、各地のヤマタイ化が加速される事になった。

宗教的にも伊勢神宮に学び舎を建て、巫女頭・ミクモ姫によりヤマタイ式神道の指導が行われた。太陽神ヒノミコを頂点に、各地の地元の神を合祀(ごうし)する神道で、統一化が図られた。地元の神を否定せず、同じ神を信じ、同じ祭祀方法をとる事は、民族の統一性を根付かせる最適なやり方である。

もっとも、完全な中央集権が出来たわけではない。当面は豪族たちの既得権を無視して国家運営は成り立たない。時間を掛けて、徐々に作り上げていくしかいくしかないだろう。豪族の中には旧来の王を名乗る者も多く、トシは長官であると同時に大王の名称で彼等に対する事になった。本来は王は一人。いまなお、大王を名乗らされているのが口惜しい。

トシの描く倭国統一国家。それはヒノミコを承継する女王と、その女王に任命をうけた執政官・宰相(さいしょう)が政治を行うシステムだった。

具体的には邪馬台国の女王・壱与を招聘(しょうへい)して、都をこの地、大和に置き、名実ともに倭国統一を成し遂げる事である。太陽神ヒノミコの承継者、壱(い)与(よ)様。卑弥呼様。いや、なによりチクシの血を受け継ぐ壱与様を迎える事は、トシの、唯一と言っていい希望だった。倭国統一の瞬間だ。

宰相には、各地の長官で統治能力に優れた者の中から、選挙で選出すればいい。壱与様の任命で政治を行う。善政を行なえば良し、ダメなら新たな宰相を選ぶ。かつてローマを旅した、孫から聞いた民主政治のやり方だった。

それがどうだ。いまなお自分が大王にならされている現実。近畿・中国地方一円を支配下にいれているとはいっても、対外的には、帯方郡いや中国の王朝からみるとヤマタイ連合国の一つでしかないのだ。体制としては、未だ邪馬台国が倭国の中心。自分はヤマタイ連合国の一長官にすぎない。統一国家ではなく部族連合国家のままだったのだ。


かつて邪馬台国にあるヤマタイ本部に赴き、統一国家に改変すべきと具申した事もあった。伊支馬の遺言を実現すべき時・・と、政権中枢にヤマタイ本部の遷都を促したのだ。

ところがその時。ヤマタイ本部はそれどころではないとトシの申し出をはねつける。中国の魏が晋に替わったというのだ。

司馬懿(しばい)のクーデターで魏の実質は、皇帝を輩出する曹一族から既に司馬一族に移っていた。その後、司馬懿は亡くなったが子の司馬師、昭の兄弟が実権を持ち、263年、蜀を攻略して、魏の勢い、いや司馬一族の権勢は更に高まる事になる。司馬昭の亡き後、昭の子・司馬炎が跡を継いだのだが、この事を契機に、皇帝の座を司馬炎に禅譲(ぜんじょう)して、司馬一族の手で残る呉の国を滅亡させ、中国を統一させるべしとの声が高まった。265年末、遂に傀儡(かいらい)皇帝を退位させ、炎が新皇帝となり、晋と国名を改めた。


「先の長官伊支(いし)馬(ま)殿は、我等に奈良・大和を平定するよう命じられました。それが叶えば、ヤマタイ本部と壱与様をヤマトに遷都させ、倭族全体の統一国家を創り出すと約束されたのです。我々はその為に、頑張って来たのです。その遺言をお忘れですか?今、そのチャンスが到来しているのに・・」

「あの時とは状況が変わったのだ。三国志の時代は中国本土がどうなるかも、韓半島がどう動くかも判らなかった。強い大きな倭国を目指す事も考える必要があった。だが、今は違う。蜀は消え、呉も晋の前に風前の灯。漢のように安定した時代になろうとしている。韓半島だって、晋がいれば現状が変わる事はなかろう。・・もう備える必要がなくなったのだよ。」邪馬台国長官はつれなかった。

「しょせん安芸だの、吉備だの奈良は絹も鉄もない未開の田舎だ。九州ヤマタイ連合国の属州にすぎない。何が悲しくてそんな属州に遷都する必要がある・・今は晋に新王朝への祝辞と朝貢の準備で忙しいのだ。」九州とは国の中核をなす地域を指す言葉。その他は所詮、辺境の地との認識でしかなかった。

「しかし・・」

「君が属州を拡げてくれた事は評価している。なんだったら、今度の朝貢団の正使に抜擢してやろうか?」話がかみ合わず退席する事になった。


もう・・強靭な統一国家を作る必要が無くなったのか?トシは失意の思いで奈良・大和に帰らざるを得なかった。しかし、部族連合のままで良いのか?との疑問が残る・・。

実際、韓半島では馬韓、辰韓の地域には、それぞれ百済、新羅という統一国家を目指す勢力が力をつけていたのだった。

ついでに説明しよう。

邪馬台国長官の判断は、後に中国から見た倭国の地位を、卑弥呼時代の一等国待遇から新羅、百済と同列以下に貶(おとし)める事になった。部族連合に固執した弁韓や九州王朝・邪馬台連合国は崩壊の運命をたどった。邪馬台国の後を受けて、近畿の大和政権が中国との外交を担った時に、大和政権は評価を回復するに苦労を強いられる事になった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


やれやれ、思い出すにつけ口惜しい。トシはうなだれて執務室でボンヤリしていた。

その時である。

久し振りにキジが訪ねて来た。当時、平均寿命が三―四十年の時代で、ケンが昨年、妻のウサヒメと子供達を残して急逝(きゅうせい)し、気兼ね無く話せる相手はキジだけだった。その、キジも怪我をしたと、足を引きずるように、杖を頼りに部屋に入って来た。


「おや、マラソンランナーの見る影なしだな。」当時オリンピックがあれば間違いなく金メダル、倭国随一の俊足だったキジだ。その事は気にしていた。

「いや、面目ないことで。」

「一番ヤワな俺が一番元気を保っているのはどういう事かな?」

「一番楽な仕事しているからじゃないですか。」と逆襲された。

まあ、配下に指示するだけで、それも政務の殆どは副官達に任せているので、そうともいえた。


「今日はどんな情報を持って来たんだ?」

キジは指定商人としてトシ政権に重宝されていたが、モノより貴重なものは情報だった。薬売りの行商などで各地を巡る中、各地域の飢饉、災害の状況、豪族達のヤマタイへの忠誠度、政治力などの情報が集められる。長官直属の御庭番の報告として、それらの情報がトシに届けられる仕組みになっていた。


「重大な報告事案が、二つ有ります。」キジがトシのもとに近づいた。小声でトシの耳元で囁く。

「不吉な事を言って申し訳ありません。言いにくいことですが、ケン先輩が急逝したように、大王たるトシ様もいつ亡くなるかわからない歳になられました。私だってこの有様ですから・・。」

「何か回りくどいな。」

「大王亡き後の政権運営で二派に分かれて抗争が勃発する可能性があります。」

「俺が亡くなった後の事か?」

「それぞれの派がトシ様の別々の御子を、次期大王候補として擁立しておるのです・・。」


トシは長官になって以降、父が書記官として世話になった、日向国の王女を娶り、ナラ・ヤマトの地では地元の有力豪族の娘と結婚し、それぞれ男子をもうけていた。所謂、政略結婚である。その事がトシの権力基盤を強固にしたのは言うまでもない。おかげで大和の政権運営も円滑に運営できたのだ。この纏(まき)向(むく)の地に壱与様を招聘した場合の宮殿、そしてヤマタイの象徴にもなる大きな塚も造成出来ていた。

トシは大王の世襲など微塵(みじん)も考えてはいなかった。先に言った民主主義の体制を夢見ていたのだ。それが、自分の未だ幼い子供を擁立して政権争いとは・・。豪族達の利権争いにつながるのは目に見えている。 


「今のうちにトシ様が次期大王のあり方を、ご自身で明確にされるのが、争いを最小限にする唯一の方法でしょう。」トシはキジの言う通りだと頷いた。壱与様招聘が困難な今、自分の考えに固執するより、現実的な選択をすべき時ではないか。夢の実現は後世の者達に委ねるべきであろう。 


「それでもう一つの報告とは?」

「チクシさんの事です。」


雷に打たれたように電気が走った。名前を聞くだけで、年を経た老体に、みずみずしい若いエネルギーが湧き上ってくる。

「チクシが見つかったのか?」

「断定は出来ませんが、フジにチクシさんらしき巫女がいるのです。」


キジの薬の行商は東海地方にも広がっていた。ところがフジの麓一帯での売り上げが伸びず、対策としてマーケティング調査を行う事になった。商売仇がいれば潰してしまえ、と現地で出回っている薬類を入手させる。

品質検査をしたところ、ヤマタイ式の薬で、キジの扱うミクモ姫の製薬方法とほぼ同じだった。その薬はフジ山中にある神社の巫女が、麓におりてきて食糧と物々交換で販売しているのだという。ミクモ姫に心当たりがあるか確かめたところ、思わぬ返答。

フジ方面にチクシさんらしき気が感じられる。至急、トシ殿に報告なされよ・・と裏も取れた情報なのです・・とキジは説明した。


「よし、俺が一人で行こう。」

「エッ、それはなりません。親衛隊と共に行かれなければ。道中が物騒ですから。」

「大勢ではチクシは出てこないだろう。それにチクシかどうかわかるのは、俺だけだろう。」

「私が、こんなでなければお供するのですが・・」キジは恨めし気に思うようにいかない足を見つめた。

結局、現地のキジの行商責任者イシマツという者が駿河の町にいるので、その者を案内人として同行させる事で話が決まった。途中、ミクモ姫にも会いたい・・と伊勢に立ち寄る事にもした。先の次期大王の件は、チクシの探索から帰還して時点で検討することにした。


伊勢神宮の杜に住むミクモ姫。姫というには歳を重ねているはずだったが、相変わらず、凛とした美しい容姿を保っていた。この地で、各地の巫女を育てる傍ら、薬園を経営、その収益をもとに施薬院をつくり、民衆に慕われている。

自分の志は思うようにいかない事が多いのに比べ、姫の志は着々と成し遂げられているようで羨ましかった。

「チクシさんが見つかると良いですね。・・ただ」姫が気懸かりな事があるように顔を曇らせた。

「チクシさんの気は引き続き感じるのですが、同じ場所で妖気も感じるのです。それも日増しに大きくなっているのです。」


「始皇帝だ。」

思わずトシが大声を出した。考えてみれば、チクシと始皇帝の亡霊は一緒に消えたのだった。

「あの時の妖気は凄まじいものでしたが、それに比べれば小さいと言えます。ただ、今の調子で増大していけば・・と恐ろしくなります。」

「一刻も早く行かねば。」

本来なら引き返し、大軍勢をもって対峙しなければならぬ相手だが、日増しに妖気が膨らんでいると聞けば、一刻を争う緊急事態だった。

「これを、お持ちなさい。」

ミクモ姫が手渡したのはサルタヒコが護身用に残した天叢雲。代わりにトシが持っていたキクチヒコ形見の神剣を渡そうとしたが「その剣もあなたを守ってくれるかも知れません。二振りの剣ともども、帯同されるのが良いでしょう。」と頑なに受け取らなかった。

加えて火打石と御守り札の入った小袋も持っていくように勧めた。「これは私と思って大事にして下さい。万が一を感じたら、私は遠隔操作でお祈りさせていただきます。苦しい時には、わたくしを想い起して下さいね。」

何と清らかな気持ちにしてくれる、女性、そしてお宮だろう。トシは振り返ってお辞儀を繰り返し、駿河に向かった。


船便で駿河の港に着いた後、キジの系列店を訪ねるが、背と腰に二振りの剣を携えているせいか、周りの視線が気になる。異様に見られて、正体がバレるのが心配だった。

店を預かるイシマツは元気で陽気な男だった。既に夕刻だったのでチクシ探しは明日の早朝に出発する事になりイシマツの接待を受ける事にして、酒を酌み交わした。

「客人。うちのキジの旦那は、偉い人でっせー。なんせ今を時めく大和の大王の親友なんやから。」

キジは安全上の理由から、自分の身分をイシマツにも明かしていなかった。

「あんたはんも大和の人やろ。大王さんの顔見た事ありますか?」

「いや、見た事ないなあ。」鏡で年老いた自分の顔を見た事は・・ウーン・・もう久しくない。その意味では、まんざら嘘をついた訳ではなかった。

「何でもウチワを煽ぐと神風が吹く神様みたいな人やからな。下々の人間には滅多に会わんのやろう。そういう人と親友なのだから、うちの旦那は凄い人なんじゃ。」

うちとこの社長。キジの自慢が続いたのち、キジの配下に三傑がいるが、それが誰だか知ってるか、と問いかけてきた。

「そりゃ、キジ殿とは懇意にしているから番頭、副番頭は知っているが、あとの一人は誰だろう?」

「肝心な一人を、お忘れではありませんか?思い出しましょうよ。ホラ、飲みねえ、飲みねえ、ここは駿河の清水港。生きの良い刺身を食って下さいよ。」「ウーン、最初の出だしはイとつく名前なんですがねェ。ホーラ、飲みねえ、食いねえ。」と三傑の最後がイシマツだとトシに言わせるまで、強引で陽気な接待が続いた。


翌朝、目を覚まして、出発準備をしていたトシ。向うでイシマツが妻子と何やら深刻な顔で話し込んでいた。聞くと、こちらの顔をまともに見ずに新しい情報が手に入ったのだというだけだった。

イシマツの案内でフジの巫女に会いに行くはずなのだが、歩く方向がどうも違う。

「フジの山に行くのではないのか?」

「新情報が入ったと言いましたでしょう。向うに例の薬売りの巫女が現われたというんです。」と堅い表情で答えて先を進むだけだった。

かなり、歩いたところで、一面、枯草が広がる平原に出た。人家も無いところで、何かを売るのに適したところではない。どうもおかしい。昨日とは打って変わったイシマツの態度。

「何か隠していないか?」

思い切って訊ねた。


その時、前方から屈強な異形の集団がこちらに猛スピードで走ってくるのが見えた。

「すまねえ。キジの旦那のお知り合いを騙すのは心苦しいが、脅されて仕方なかったんです。」イシマツが白状し始めた。

トシが寝入っていた夜中に鬼が訪れて脅迫したというのだった。怪しい二振りの剣を持った者がここに居るはず。その者を指定の場所に連れて来ればよし、でなければ妻子をなぶり殺しにする・・と。

自分が脅されるだけなら裏切りは出来ないが、妻子をと言われれば話は違う。鬼の指示に従わざるを得なかった。


その鬼達が今、目の前に現われたのだ。

その時だ。

トシが身に着けていたヒスイ石。その色が緊急事態を告げるように緑色から赤く変色し始めていた。それに呼応するように背負っていた天叢雲がひとりでに鞘から抜け出し、あたりの枯草を薙ぎ切り始めた。これは?危機を感じてミクモ姫の言葉を思い起こしていた。

「大王、尊き方の命により死んでもらう。そこの商人もだ。共に焼死ね!」鬼達は風を読むと枯草に火を着けた。火は一気に燃え上がり、凄まじい勢いでこちらに向かって来る。

トシもまた、姫から頂いた小袋を開け、火打石を取り出し、足元の草に火を着けた。向え火である。

「ダメです。風下では火にまかれるだけです。」イシマツが呻くように言葉を絞りだした。

しかし、トシは例の孔明の羽扇を振りながら呪文を唱えていた。

突然の雷鳴が轟いた。

風の向きが変わり、しかも突風となって反対方向に火は襲い掛かり、鬼達を包み込んでいった。アッと言う間の出来事。二人は助かったのだった。この故事にちなみ、天叢雲は後に草薙(くさなぎの)剣(つるぎ)と称される事になる。


「いやあ、あなた様が大王様とは、知らない事とはいいながら畏れ多い事です。」イシマツは裏切の非礼を詫び、命だけは助けて下されと恐縮したが、トシは自分がイシマツでも同じ判断をしたろうと、それに取り合わなかった。二人、フジに急ぐ事になる。


フジ山は遠景から歩みを進めるごとにドンドン大きく、壮大になっていった。美しくもあり、神秘的。フジの名前は二つとない名峰だから不二が由来とも、徐福が来たりて不老不死・・不死(ふじ)の妙薬を求めた伝説からとも講釈した。

成程。ここにも徐福伝説が。であれば、始皇帝の妖魔があの山に潜むのも偶然とは思えない。厳かな威圧を感じられる。が、しかし、それと共に邪悪の気も大きくなって行く様にも感じられた。おそらく、いるのだろう。あ奴が、そしてチクシが・・。


近づくにつれ、天候が急変した。それまで晴天の中にあったフジ山は霧に覆われ、あたりが薄暗く視界が効かなくなって来た。

もう近い。

そんな予感がした時、胸の勾玉が何かしら変化を始めたように感じた。うっすらと赤みを帯び始めたのだ。先に鬼達に迫られた時のように急激ではないが、わずかに、密かに変わり始める・・。


「お前は帰って良い。」

「エッ。いや、罪滅ぼしです。さ、最後までお供を・・。」

「ならぬ。これ以上は危険だ。かえって足手まといになるだけだ。」と激しく威嚇すると、さすがのイシマツも雰囲気を察して頷く。

「ご、ご、ご武運をお祈り申し上げます。」と足を反対方向に向けて歩き出した。


トシは感じようとしていた。

勾玉の変化、先の草薙剣の奇跡的な動き、風の変化。すべては自分が成したものではない。誰かの力が作用しているとしか思えない。そして、それは、そう、チクシのもたらすものではないか?自分を助けるために?だとすれば何故に?


白いもやの中から、何かが出て来る。生唾を呑み込んで身構えた。チクシか、邪悪の化身、始皇帝の亡霊か。


現われたのは、あのチクシのようだった。

そうだ。チクシで間違いない。

何年ぶりの再会だろう。無表情な他はあの時と変わらないチクシの輪郭。チクシは何かを呟きながらゆっくりと、こちらに歩んでくる。


顔がハッキリ見えてきた。あの時と変わらない顔。年老いた自分とは違い、若いままの姿に見とれる。チクシが目を見開く。敵意も殺気も感じられぬ。

こちらを呑み込むように瞳孔が膨らみ、黒い眼が何かを示唆しているかのようだ。無表情ながら、何を伝えようとしているのか?唇の動きを読む・・。

心眼。心眼を聞け・・といっているかのようだ。チクシの黒い眼を見つめた。

無心になると、チクシの言葉が次々と表われてきた。しかし、脈絡のない言葉達。


あたしはもう亡霊に支配されているの。

あたしを助けて。

あたしの魂を鎮めて。

あたしを殺して。

魂が引き裂かれているのよ。

・・かと思えば

助ける事ができるのはあなただけなのよ。

その剣を渡しなさい。

そしたら、あたし・・


突然、チクシの姿が陽炎(かげろう)のように揺れ、始皇帝の姿に変わる。

「大王たるお前が、単身、来るとは思わなんだ。暗殺者かと思い、鬼どもに返り討ちを命じたが、失敗してくれて良かった。会いたかったぞ。ウワッハハ。」

「まだこの世のとどまっているのか?」トシは睨んだ。

「チクシが献身的に世話してくれてのう。おかげで受けた傷も癒えて、再び動けるようにはなって来た。だが、チクシ殿も可哀そうじゃ。お疲れのようで、一人でワシの世話するのは大変だろうからな。」

「チクシを解放しろ。」

「朕もチクシ殿の負担を軽減してあげなければ、と思っていたところじゃ。どうじゃ。我等三人、仲間で結ばれんか?」

「何?」

「全世界に平和をもたらそうではないか。我等三人が協力すれば倭国を我等の手中にする事など簡単なもの。その勢いで韓半島、中国、はるかローマ、インドなど、世界の全ての覇王になる事も可能だ。さすれば世に戦争はなくなり平和は実現される。我々の志が成し遂げられるのだ。世界は統一され、我等の君臨に皆がひれ伏すのだからな。」


言葉では平和や志を口にしているが、要は自分だけを中心とした世界統一だ。トシに憑依させてくれと言っている。

徐先生にしたようにトシを乗っ取り、覇王(はおう)の執行役にする、それは倭国を乗っ取る事を意味する。チクシを、自分の甦りを推進させる役割に専任させる事で、始皇帝の亡霊パワーを増殖させる事が出来ると考えているのだ。

そのパワーでヤマタのオロチだのを沢山創り出し、世界征服に繰り出そうというのだろう。同時にトシの持つ莫(ばく)邪(や)、またの名を天(あめの)叢(むら)雲(くも)、またの名を草薙(くさなぎ)の剣を我がものとするとする事で最強のそして不死身の権力者になる・・という魂胆だ。


「お前が平和だの志を口にするとは、それらの言葉に失礼だろう。力で抑え付ける圧政に志はない。」

チクシの声が聞えた。「あたしを助けてくれないの?皇帝に力を貸してあげるだけで救われるのよ。」

「お前とチクシとは堅い絆で結ばれているのではなかったのか?彼女の叫びを無視するというのか?」亡霊が冷たい表情でトシを見た。

チクシが本気で、亡霊と組する事をよしとするわけはない。心眼だ。眼を瞑ってチクシの声を聞こうとした。


「亡霊を始末して。あたしを殺して!」

後の言葉は意味不明だが、亡霊を征伐するようにとの意思であるのはハッキリしていた。トシは草薙剣を抜いた。

「人が下手に出ていれば、いい気になりやがって。チクシの気持ちを裏切る不逞の輩は成敗あるのみ。」亡霊も剣を手にしてトシとの間合いを測っている。

「飛んで火に入る虫ケラめ。お前を乗っ取り、その剣も我がものとせん。」亡霊が切り付けてきた。


返す刃。幸運にも剣の切っ先が敵に命中した。しかし、戦いの相手は亡霊である。本来なら致命傷を与えたとの手応えはあっても、相手は、弱りはするものの、なお、力を残しているのが感じられる。異様な戦いといえば異様である。トシの方も、亡霊剣の刃を浴びても傷にならない。ただ、鮮血こそ出ないが、命脈が傷つけられているのが判った。

このままでは命が尽きる。

そう感じたトシはミクモ姫に応援を求めた。危機を感じた時、想いだすようにと姫に言われたのを思い出し、渡されたお守り札に手を当てたのだった。

伊勢の宮では、トシの危機を感じ取ったミクモが、遠隔の回復施術のお祈りを始めていた。と、みるまにトシの傷ついた命脈が修復されていく。

傷ついてもなお、回復するトシをみて、亡霊にも焦りが見えてきた。

「おぬし、誰かの助けを借りておるな。」

ついに忍耐の限界が来たと見え、亡霊が消え去った。

入れ替わりにチクシが現れる。

心眼でチクシの声を聞く。

・・亡霊はあたしの身体に潜って回復を図っているわ。今がその時よ。あたしをその剣で刺しなさい。あたしが死ねば、甦りの支えを失うわ。亡霊は完全に消滅するのよ。あたしを殺して!

そう言われても。目の前のチクシに・・手を掛ける事など出来はしない。そう逡巡していると、再び完全回復した亡霊が、トシに立ちはだかる事になる。

何度、同じ情況を繰り返したことか。戦いは果てしなく続くように感じられた。が、始皇帝の亡霊が完全に回復するのに対し、トシは完全に回復とまではいかなかった。

「これでは最終的に負けるだろう。」トシは次回、亡霊がチクシに潜り込んだ時が決断の時と悟った。チクシを刺さなければならない。自分に出来るだろうか。


決断の時が来た。自分の体力ではこの機会を逃せば、完全回復した亡霊に立ち向かう事が出来ないだろう。

「やるのだ。」

自分に言い聞かせるように切っ先をチクシに向けた。チクシは目を瞑り、既に覚悟している。「今だ!」トシは剣を振り下ろした・・

だが、結局はチクシを殺す事は不可能だった。

チクシを助けたいのだ。その為に生き、ここまで来たのだ。手に掛ける事など出来る道理はなかった。

チクシから亡霊が産まれ、トシに襲い掛かった。勝利を確信した薄笑い。

「お前を、乗っ取ったり!」


その時、遠い伊勢の地でミクモ姫が薬を飲んでいた。あのサルタヒコが姫を守る為、残して行った、よみがえりの秘薬、最後の一粒である。トシの命脈が絶たれてしまいそう。そう判断した姫の行為であった。「これで見納めね。」ミクモ姫の瞳に勇者の姿が浮かんで消える。

トシの腰にあったキクチヒコの秘剣がいつの間にか、スーッと抜かれた。剣を手にしたのはその勇者。キクチヒコが、トシに襲い掛かろうとする始皇帝の亡霊を切り裂いたのだ。

亡霊同士の戦いは、一瞬。キクチヒコはトシをみて、笑みをみせたまま、フッと消えた。


すべてが終わったのか?。

「ウギャー!」

しかし・・。

断末魔の叫びをあげてもなお、始皇帝はチクシの中に潜もうとした。

「われを回復させよ。」と亡霊がチクシに命じた。

「それはもう出来ないわ。あたしは拒否します。何を言われようと。」チクシの胸に掛けられていた勾玉が異様に光った

「俺の言う事を聞けない奴はもう要らん。強制的に回復させるようお前を操作するだけさ。その後は、お払い箱にしてやる。邪馬台国に行ってな。お前の後釜に入り込むだけだ。お前の子、壱与・・とやらにな。」


「壱与はダメ!」チクシが金切声で叫んだ。

「壱与はトシ、私達の子供よ。」

そう言い放つと、チクシが凄まじい勢いで向かってきた。トシが構えた草薙剣の切っ先に・・自らの胸を押し当てたのだ。

戦いは終わった。


始皇帝の亡霊は完全に消滅したのだ。


「あいつに支配された・・あたしにも、幸せな時はあったのよ。・・あなたが、あたしの事を想い起してくれる時。」それから・・笑みを浮かべたように思えた。

「あの世であなたとやり直したいわ。フフ。」


チクシの崩れ落ちる身体を抱きかかえながら・・。トシの茫然自失の時間。それは永久に続くのではと思われた。


胸に耳を当てても心臓の鼓動は感じられない。透き通るような遺体。若くして心身を乗っ取られてしまった。

チクシ。何か悪い事をしたわけでもないのに・・。おい、お前の巫女力、魔力で自らを復活させる事は出来ないのか?

おやおや、あんたも老いぼれちまったねえ。そんなんじゃ、あたしをモノにする事は夢のまた夢だよ・・と俺をからかう事も出来ないのか?


「お前の可愛い表情も、憎まれ口も、もはや、見る事も聞く事もないのだ。」

俺の未来にチクシが登場する場面はもう無い。チクシによって活かされ、その影を追い続けた人生。もう俺の人生は終わったのだ。唯、涙を落す事しか出来ないのだ。今の俺には・・

人一倍、自己実現の意欲に満ちたチクシ。それが夢を閉ざされ、未来を断ち切られた日々を余儀なくされた。

どれだけ口惜しかったことだろう。チクシの人生・・それでもチクシにはこの世に生まれ、生きて良かったと思って欲しかった。俺がチクシと出会って良かった・・と思えたように。

あんな最後になるなら・・それなら俺がお前の人生を抱きしめてあげるさ。それが俺の鎮魂歌。・・・。 


チクシの亡きがらを埋葬し、よろめくようにその場を立ち去ったトシ。涙で先の道は良く見えないのだった。

その時、金鵄(きんし)鳥(ちょう)が現われ、トシを追いかけるように白い鷺が飛び立ったことも・・。


フジを去った、失意のトシは伊勢のミクモ姫の所に立ち寄った。預かった草薙剣を返し、亡霊との戦いに大きな支援を戴いた事のお礼を述べた。

トシはキクチヒコの神剣も姫に差し出した。「託された使命は一応果たしました。これはキクチヒコ様の形見としてお渡しします。」

「あなたは与えられた志を、立派に果たそうとなさいましたわ。」

姫の声が聞えない・・虚ろなるトシ。

「終わりました。私の全てが・・。」力なく立ち去ろうとする姿に、姫もかける言葉を見つけられなかった。


涙枯れ・・。

悲しんでばかりはいられない。トシは今後の大王の選出のやり方を定めて、内乱の芽を摘んでおかねばならなかった。そして壱与様を邪馬台国から招聘する事を実現しなければならない。

自分でもう一度掛け合おう。出来なければ、後継者に託さねばならない。壱与様はチクシと自分の子供なのだ。チクシと旅したあの一夜は、幻ではなかったのだ。それが先に向かう、トシの唯一の夢なのだった。


だが、その為に向かった大和に向かう道。そこでトシは、その一生を終える事になる。


三重の山中で賊に討たれ命を落としたのだった。もはや、神剣を携えておらず、戦う気力も残っていなかった。

賊は物取りか、はたまた、政権抗争に絡んでの暗殺かは定かでなかった。

だが、大王たるトシが亡くなった後、後継を巡って先妻と後妻の息子同士が争い、後妻の息子が大王の座についた。息子同士の血の争い。トシにとっては不覚の出来事だったろう。 


ただ、これは書きしるして置かねばならないだろう。


金鵄鳥が羽ばたき、空を旋回した。

その時、トシの骸(むくろ)から白い鷺が飛び立ったのだ。

東からトシを追いかけてきたように飛翔する、もう一羽の鷺と合流、西に西と大空を駆けて行ったのだった。

                          完











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東遷ファンタジー シロヒダ・ケイ @shirohidakei

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