9 デートしかし大事件

 天気は雲一つない快晴。絶好のデート日和だ。しかし真冬に差し掛かるにあたり、手袋が必要になるくらいは寒い。もちろん本日も手編み手袋はつけてきている。


 最寄り駅の隣の駅は日曜日の真昼となると家族連れやカップルで賑わいを見せている。


 いつも楓と出かけるときは自宅前集合なのだが、何故だか今日はショッピングモール前といういかにもデートの待ち合わせ場所に呼び出された。


 短針も長針も真上を向く五分前に到着したのだが、やはり楓の姿はない。そしてアンジェは本当におよそ二百メートル離れたところから俺を見守っていた。


『無線の調子はどうですか?』


 左耳にアンジェの声と雑音にまみれた機械音が聞こえてきた。雑音とはいってもそこまで邪魔になるようなノイズではないので、特に耳障りということはない。


 アンジェが二百メートル離れた雑居ビルの五階から確かに俺を見ていた。いや、今からスナイパーライフルで戦うわけじゃないんだからそこにいても意味なくないか?


 そこまでごっこ遊びがしたいのならサングラスだけじゃなくて、スーツを着てこいよ。上下俺のおさがりのジャージってどういうことだ。


「問題ない」

『だいじょーぶ!』


 レドジウムリングにはしっかりと拡張チップを入れてきたのでフクっちの声がアンジェにも聞こえる。これでいちいち俺が会話の中継にならなくて済むというわけだ。


『ソーマさん、北の方角より対象者がこちらに向かってきます』


 北ってどっちだよ。現代っ子は自分の町の東西南北を把握してないんだよ。


『十メートル、九、八、七……』


 アンジェは双眼鏡で覗いては唐突にカウントダウンを始めてくる。


『なんかかっこいいー!』

「お前実はSPごっこやりたかっただけだろ」

『今はそんなことどうでもいいんですよ! ほら、楓さん来てますよ! 後方五メートル!』


 北って後ろかよ。……って本当に楓いるし。


「おはよう、聡ちゃん」


 振り返ると幼馴染の楓が立っていた。


 楓の肩にかかるすれすれの黒髪の毛先が、ふんわり風で靡いていた。今日もまたきれいな黒髪を雪ウサギでとめていらっしゃること。いつ見ても飽きないよね、本当に。


「もうこんにちは、の時間だけどな」


 駅前広場の時計を見ると、すでに二つの針は真上を向いていた。楓は約束通りの正午に丁度ついたわけだ。


「待った?」

「全然」


 直前にアンジェやフクっちと作戦会議をしていたので少しばかり早めに来たのだが、当然それは秘密だ。まあもし口に出してしまっても笑われるだけで済むとは思うけど。


「でさ、あそこにいるサングラスの子ってアンジェちゃんだよね?」

「はぁッ⁉」

『この距離でアンジェさんが見えてるの……って普通気づく⁉』


 楓がビシッと指さしたその線上には、もちろんアンジェがいた。遠くからでもあたふたしているのがわかる。


 昨日頑張って考えた作戦が全て水の泡だ。さすが、恐るべしだ楓。


「おーいアンジェちゃーん」


 天然スマイル砲は、二百離れたアンジェにもダメージが入る。


『え、楓さんがすごい笑顔で手を振ってくるんですけど……。これはきっと勘違いと言うやつですよね。まさか私に振っている、なんてことはないですよね?』

「いやお前だ。……大人しく投降しろ」

『なんでこの距離を肉眼で見て私のことが分かるんですか⁉ こっちは双眼鏡を使っているのに!』

「アンジェちゃんが来るなら言ってくれればよかったのに」

『楓ちゃん……おそるべし……』


 脳内では寄生幼女が恐れおののいていた。


「楓さんが普通に怖いんですけど」

「うかつだったな……」


 楓の後ろを歩く俺とアンジェは、互いに悲しい戦果報告をしていた。


「アンジェちゃんも服欲しかったの?」


 と、振り返って訊ねる楓。


「まあそんなところですね。デートのお二人をお邪魔するのは良くないと思いまして」


 流石嘘のスペシャリスト。よくもそんなでまかせがポンポンと。


「それでは服屋さんにレッツゴー」


 謎のテンションの楓が、こぶしを突き上げると店の中へ入っていた。





「おいどうすんだ、いきなり計画ひねりつぶされたぞ」

「どうするもこうするも楓さんの戦闘能力を見誤ったソーマさんのせいじゃないですか」

「さすがに二百メートルくらい離れてれば問題ないと思ったんだが……どうする?」

『臨機応変に動くしかないんじゃない?』

「そうは言われてもな……」


 柊城軍は楓が服をコーディネートしている途中、こそこそ作戦会議をしていた。


 その時。アンジェが何かに気づいた。


「あれ、ソーマさん」

「なんだアンジェ?」

「あそこにいるのソーマさんの親友さんじゃないですか?」

「親友? 学人のことか? で、学人がどうしたって?」

「ほら、あの女性用下着コーナーで熱心にパンツを眺めている人」

「いやいやさすがに学人は――」


 言葉をつづけようとしたところで、始業式の朝の出来事が脳裏に浮かんだ。


 あの時学人は『日曜に楓に似合う服を買いに行く』と言ってたよな。


 今日は日曜だ。楓に似合う服を買いに来た――当然レディース売り場だ。目的は違えどやっていることは同じなのか……!


「『うげっ』」


 もう一度パンツを漁る男を陰から覗く。本当だ。あの変態的眼差し――結城学人本人で間違いはない。っていうか楓に似合う服って下着から選ぶのかよ、とんでもない変態集団じゃねえか聖女愛好会!


『多分本格的に苦手だわあたし』


 フクっちの言葉の端々から毛嫌いするような様子がうかがえる。


 ……まずいことになったぞ。


 今ここで学人に俺と楓で服を買いに来たことがバレたら本格的に危ない。特に命が。それに楓が学人の下着を漁る姿を見たらどう思うだろうか。きっと学校中に学人の良くない噂が広がる。すると学人は社会的に召されることになる。それは親友として守ってやらなきゃいけない。


 くそう、対面すれば人が社会的に二人も死ぬ!


 しかもパンツを漁るのをやめてこっちに来やがった、どうする⁉


「なあアンジェ。一生のお願いなんだが……」

「はあ、なんですか?」

「あいつ――学人と楓を合わせたら地球が滅ぶと思ってくれ。もちろん幸福ゲージだとかそんな次元じゃねぇ」

「そんなに危険人物だったんですかあの人。一見クールなのに」


 パンツを漁っていた時点でクールではないだろう、とツッコミを入れようとしたのだが、今はそんなことをしている暇もない。


「どうにか撒けないか?」


 アンジェが学人をおびき寄せて、その間に俺と楓が逃げる作戦だ。これなら誰一人傷つくことのない幸せな世界を実現することができる。まあアンジェが少し体力を消費するくらいだ。


「ふーむ。まあ別にできないこともないですが……プリン三つで手を打ちましょう。どうですか?」

「人の一生のお願いなのに有料なのかよ。でもそれで手を打とう」

『安いのか高いのか』

「対面するよりは千倍マシだ」

「わかりました。プリン三つにかけて必ずや成功させてみせますよ」


 アンジェは自信満々な表情かつグーサインを見せた。こんなにたくましそうなこいつを見たのは初めてかもしれない。


『なんかすごいスケールの大きい話になってるような気がする……』

「頼むぞアンジェ」

「はい! それじゃあソーマさんはせめてフィッティングルームで幸福ゲージでも上げといてくださいっ、それっ!」

「は?」


 ぐっ、とアンジェに背中を思い切り押された。


「うおっ!」「きゃあっ!」


 アンジェが丁度背を向けた時に俺の体を押し、前にいた楓と正面衝突した。そしてそのまま流れるように前進して壁に当たると思いきや、フィッティングルームのカーテンの向こう側まで行ってようやくストップ。


 気づいた時には、楓と二人で狭いフィッティングルームの中に入れられてしまっていた。さらにそこで俺が楓に壁ドンなるものをしちゃっていた。


「じゃあ頑張ってくださーい」


 そう言ってアンジェはカーテンを閉め、学人を撒きに行った。


「ちょ、ちょい――」


 待て。ここで声を出したら全てが水の泡になってしまうかもしれない。


「は、は、は……?」


 楓も置かれた状況は同じだ。超パニック状態。


「ちょっと静かにしててくれ」


 高校生になってからこんなに急接近したのは初かもしれない。そりゃあお一人用のフィッティングルームなのだから、当たり前かもしれないけれど、あまりにも近すぎる。あと少し体を動かせば接触してしまいそうな距離。


「う、うん」


 楓は何故か目をぎゅっとつむっていた。あれ、もしかして俺になんかやられると思ってるのか? いやまさかそんな犯罪じみたことを俺がやるわけ――って今やってるんだね。


 シャンプーの匂いが鼻孔をくすぐる。額には焦燥からか汗がにじんでいる。


 くそう。幼馴染という名の垣根を超えて、一人の女性として否が応でも意識してしまう。


 まつ毛ってこんな長かったんだ。白目の中に宝石を埋め込んだような目だな。幼馴染でも知らないことは意外と多かったりする。


 おい。なんとか低水準稼働している理性が危なさすぎる。爆発の危険さえある。 


『肌きれー』

『だからそういうことを言うんじゃねえ!』

『なんでーきれいなものはきれいじゃん?』

『確かにそうだが……俺の理性を壊す手伝いをすんな! 俺の青年期を牢屋で過ごさせる気か!』

『それは困るわかった黙る』


 しかしフクっちが黙ったって、俺の理性崩壊はとどまるところをしらない。


 わかっていたけれど左腕の微振動が止まらない。一定量増え続けているみたいだ。


 きっとアンジェはこれを狙っていたんだと思うが、成功を通り越して失敗しそうな気がする。


 52、56、60、64、68、72。


 十秒ごとにデジタル文字が更新されていく。本能のままに動く幸福ゲージはこの状況を『幸せ』と判定しているのだ。つまり俺はこのラッキースケベ的イベントに興奮しているわけだ。むっつり童貞の悲しき性が全面的に押し出ている。


 ラッキースケベが俺の精神力を根こそぎ持っていく!


「聡ちゃん……」


 楓は閉じていた目をそっと開け、追い打ちをかけるように狙いすました上目づかいで俺を見る。効果は抜群だ。


 あああ! そんな顔をしないでくれぇぇぇっ!


 77。さらに5%上昇。すでに四分の三をクリアしていた。


『すでに25%上昇……男って……』

『それが男なんです……うう』


 そんなため息交じりの意見に反論できるはずもなく、俺は泣きべそを心の中でかくしかなかった。


「はあ……撒いてきましたよ。プリンは私の物です……ぜえぜえ」

「どんだけ全力疾走したんだよ」

「いや、少ししか走ってないです。ゲホゲホッ」


 せき込むくらい走ってくるって、どこまで行ってきたんだよ。


「さすがヒキニートは体力が皆無だな」

『聡兄もヒキニーじゃん』


 フクっちはたまに痛いところをついてきやがる。


「体力には……ゲホッ……よ? ゲホッ、ゴホゴホッ」 


 突然苦しそうにアンジェが喉を押さえて咳き込んだ。咳のせいで途中何を言ったのか全然わからなかった。さらにゼーゼーと呼吸を荒くしていた。さらに顔も紅潮している。


「っておい大丈夫か?」

『むせたのー?』


 ついに言葉も出ないようになったのか、ただコクリと頷いた。さっきまでのアンジェとはまるで似つかない。


「アンジェちゃん水飲む?」

「ああ、どう……ケホッ……も…………うっ」


 楓が持参していたペットボトルをアンジェに手渡そうとしたその時。アンジェの差し出した右手はペットボトルをつかむことなく、するっと抜けていった。


 そしてふらふらと体全体の力が抜けたように地に崩れていった。そのままフロアにばたりと横たわって苦しそうな表情をしながら唸っていた。


「アンジェ!」「『アンジェちゃん⁉』」


 その叫び声を聞いて野次馬たちが俺たちの周りを囲んだ。


 これは演技じゃない。アンジェは馬鹿でも俺以外の人様に迷惑をかけるようなやつじゃない。


「楓、救急車だ! 早く!」

「う、うん!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る