episode4 片方に花を。もう片方には爆弾を。

7 楓爆弾とチョロ兄

 アンジェの入学などでひと悶着あったが、その後の始業式はなんなく終え、時は放課後。


 現在どこにいるかといえば、楓との約束通り駅前のカフェである。昼の駅前とは言え、隣の主要駅と違って最寄り駅は小さいので昼でも客はあまり入らない。それを利用して、近隣の高校生はよくこのカフェを使っている。俺と楓も常連客の一人だ。


 ボックス席には俺とアンジェと楓の三人。俺とお見合いする形で二人は座っている。


「楓は何にする? アンジェは水でいいよな」

「なんで私は水確定なんですか。コカかペプシに決まってるじゃないですか」


 なんでコーラ限定なんだよ。そっちのほうがおかしいわ。


「炭酸はここにはない。やっぱり水でいいか?」

「オレンジジュースを一つ」

「はい、オレンジが一つー」


 黒いエプロンを首に提げた店員が、注文票ににペンを滑らせる。


「言っておくけど割り勘だからな」

「すいません取り消して水にしてください」

「はい承知しましたー」


『割り勘』と言う言葉を聞いたアンジェは、光の速さをも凌駕する速度で注文しなおした。


 おい。オレンジジュース(百五十円)の代金すらも払えないのかよ。ラノベだったら四分の一、マンガの三分の一くらいの値段じゃねーか。それくらい場に合わせて我慢しろよニート。


 店員さんも嫌な顔一つせず営業スマイルのまま、注文票に二本線を書き入れる。


「じゃあ楓は?」

「私はエスプレッソかな」


 苦いのが飲めるなんて大人だな楓。昔はカフェオレでも無理無理って言って泣き喚いていたのに。時が流れるのは早いぜ。


「それじゃあエスプレッソとカフェオレを」


 無論俺は苦いのが苦手なのでカフェオレだ。昔からこの店ではこれしか飲んだことがない。


『聡兄苦いものダメなの? あたしだってコーヒー飲めるのにぃ』

『コーヒーなんて飲めなくても人は生きていけるの』


 あんなの眠気冷ましと利尿作用のために存在するだけだろ?


 とはいいつつ、いつかはブラックコーヒーを窘めるようなオトナになりたかったりする。


『お子ちゃまだなぁ』

『ほっとけ』


 ロリ声のお前だけには言われたくない。


 やがて二つのカップと一つのコップが運ばれてくる。水を除いて今日のような寒さをしのぐにはちょうど良い温度の飲み物だ。湯気がゆらゆら揺れている。


 店員さんは「ごゆっくり」と言って注文票をテーブルに置くと、またキッチンの方へと戻って行った。それを見計らったのか、店員さんがいなくなったのと同時に楓が話し始める。


「仲いいんだね、聡ちゃんとアンジェちゃんって」

「え?」


 まさかさっきのやり取りでそう思ったのなら、いくら楓といえど一回病院でMRI検査を受けてきた方がいい。むしろどう考えても仲悪かっただろう。今にも戦争が勃発しそうなのに。


「ほら、自己紹介の時」

「……ああ」


 そのことか。


 転校生イベントのことだ。アンジェがふざけて放った、『毎日あんなことやこんなことが……』というセリフ。楓はまだこの勘違いが解けていないようだ。さすがに察してくれていたものだと思ったのに……天然さんは本当に純情と言う名のお馬鹿さんである。


「だってかわいいもんね、アンジェちゃん。聡ちゃんが好きになるのも仕方ないよね」


 は? 


 楓が超絶級の爆弾を投下してきたのだった。


 俺がアンジェのことを好いているだと⁉ そんな密室で二人きりになっても何も起きずに一夜を過ごせそうな女性ランキング一位のアンジェのことを好きだと⁉


 あり得なさすぎて反吐をこえて血反吐が出る。


「はい?」


 楓を説得するために一息ついたのだが、その間にアンジェが我慢ならなかったのか声を上げた。ひぃ、と喉を鳴らしながら、すぐさま俺と距離をとるため、ボックス席の端へお尻を滑らせる。おいそんなおびえた目をするな! 地味に体を震わせるな! どんだけ俺のことが嫌いなんだよ!


「ええごめんなさい無理ですソーマさんを男として見たことないですし私は『生きるATM』としか思ってないので本当にごめんなさい」

「せめて人間扱いしてくれ!」


 めちゃくちゃな言われようだった。どう考えても日々のストレスを俺にぶちまけているようにしか思えなかった。こいつにストレスなんて無いと思うけどな。


『聡兄アンジェちゃんに何したんだよ』

『住む部屋を提供して、三食つけて、お小遣いを渡した』


 本来であれば今頃アンジェから何かしらの感謝をされているつもりだったのだが……。あれ、おかしいな。


『人生とは不条理なものなのね……』


 ついにフクっちは人生について何やら悟りを開き始めた。


「いいか楓。アンジェなんて微塵も好きじゃない。俺がこいつのことを好いてるなんて……考えただけで虫唾が走る」

「美少女の私になんて言葉を! 今のクラスの男子に言ったら死刑ですよ、死刑!」


 なんですでにお前はクラスの男子を篭絡してるんだよ。女王様か。


 きっとこいつのような人間を好くやつは、金づるにされるんだろうな。百円のチョコレートのお返しにワインとかブランドバッグとか買ってもらえるなんて……美女にしかできない商売だ。いいな俺も美女になりたい。


「そうだよね、よかった」

「まさかの楓さんも敵⁉」

「ううん、違う。そういうことじゃなくて」

「聡ちゃんの好きな人が勘違いでよかったな……って」


 …………。


 現場が静まり返った。しかし俺の内面はそれとは真逆になっていた。


 ついでに、どかぁぁぁっん! 心の中で何かが爆発した。


 その言葉は裏を返せば違う意味にも聞こえてしまうからだ。


 天然無垢の楓が言うことなので真意はわからない。しかし違う意味だとしても、それは思春期男子生徒諸君の興奮の種となるのだ。


『チョロ兄……』

『皆まで言うな……』


 当然レドジウムリングが振動し、表示が《47%》まで急上昇していた。20%アップって……楓の天然さには敵わない。たとえばアンジェにこの言葉を言われても幸福ゲージは全く上がらないだろう。言われることはないと思うけれど。


 調子を落ち着かせるためにカフェオレに手を付ける。ああ、カフェオレは今日も甘い。


「あのさ……聡ちゃんさ……あの時私に言ってくれたこと覚えてる?」

「うん?」


 あの時っていったいどの時の話だ? 


「事故に遭ったとき……」

「俺何か言ってたっけ」


 当時の記憶は鮮明に残っているから、何を言ったのかも基本的には覚えているけど。そんなに重要なことは言っていないような気がする。死ぬ直前だったし。


「…………『愛してる』って」


 ガフッ! ブー! ゲホゲホ!


 カフェオレが鼻に入ってしまったうえ、盛大に噴き出してしまった。あのアンジェでさえ、盛大に噴き出して顔をびちゃびちゃに濡らしている。


「ソーマさん、そんなこと言ったんですか気持ち悪すぎるんですけど吐き気するんですけどなんですかイケメン俳優にでもなったつもりですか。うっぷ」

『見かけによらず大胆だね聡兄』

「それは絶対俺じゃない!」


 そんなナンパ師にしても臭すぎるセリフ、絶対に俺は言わない。言うはずがない。もし言っていたらいくら自分でも自分を嫌いになれる自信がある。


 俺はカフェオレまみれの口まわりをおしぼりで拭きながら、熱く反論した。


「聡ちゃんだったよ、私一番近くにいたんだよ?」


 楓をトレーラーから守るために死んだんだから当然そうなんだけど……。


 待てよ。轢かれた時すでに俺は衰弱していた。だからきっと声も出ないはず。


 ……ってことは俺が口出そうとした言葉を、きっと楓は聞き間違えたんだ!


 でも俺、あの時なんて言おうとしたんだっけ? 


 脳内に記憶探索隊を派遣して、情報を待つことにした。


 十秒も行かないうちに、記憶探索隊が過去の記憶を調べ終わる。そしてメンバーの一人が、俺の意識の中に潜り込んで教えてくれた。


 ふむふむ、……ああそういうことか。


「思い出した!」

「本当に言ってたんですか?」


 心なしかアンジェとの距離が少し大きくなった。しかしアンジェは金づるの我が家の財務大臣である俺のすねをかじらないと生きていけないので、それよりも向こうへは行かない。


「楓の聞き間違いなんだ。というか声に出せずに口パクだったんだけどな」

「え……じゃあなんて言ってたの?」

「『ありがとう』。って確かそう言った。『愛してる』は……流石に言ってない。悪いけど……」


 楓は途端に近くにあったおしぼりで顔を隠す。しかしそれは不完全で、ちらちらと赤面が覗いている。そもそもその二つの言葉は普通間違えなくないか? でも気が動転していたんだから何とも言えないし、実際に起きてしまっている訳で。


「気にすんな楓。いくら完璧なお前でもたまにミスすることはある。な?」


 むしろかわいい方だ。ギャップ萌えというやつだ。これくらい失敗してくれた方が安心できる。


「よかったですね楓さん。もし私だったら警察に通報してましたよ」


 いとも簡単にアンジェは空気感をぶち壊してみせた。まずお前の前でありがとうなんて言葉を送る機会なんて一生ないけどな。


 変な空気だ。この空気の中、俺は口をつぐむほかない。


「ば、ばつげえむ……」 


 ごにょごにょと楓が何やら唱えていた。しかし、おしぼり越しだと声がこもってしまって聞き取りづらい。


「なんだ、よく聞こえない」

「罰ゲーム!」


 おしぼりを手前でぐしゃっと握った。


「俺、何も負けてないのに⁉」

「私を辱めた罰!」


 そう無駄に大きく叫んでしまった楓に、多方面から視線が集まってしまった。


「その言葉には誤解が含まれるからもう少し声を小さくしてくれ楓さん……おかげで周りから修羅場認定されてる」

「いやっ、そういうことじゃなくて……!」


 楓は咄嗟に立ち上がり、客のいる方向へぺこりと頭をさげまくる。


「わかってる。わかってるから落ち着いてくれ……」


 そう言うと楓は深呼吸をして、心をおちつかせるように手を胸に置いた。


 その後、空気を読んでくれた優しい店員さんに持ってきてもらった水を飲みほした楓は、いつもの落ち着きを取り戻した。そして深く考え込んだ。罰ゲームの内容でも決めているのだろう。頭の中で考えついた内容の恥ずかしさ度合いによって表情が変化していくのは、楓らしくて本当にかわいいと思う。まあこれは想像なんだけど。


 そんな楓の顔を見るたびに幸福ゲージが地味に上がっているような気がするんだが、気にしない。フクっちもこの俺の究極のちょろさに押し負けて何も言ってこない。


 やがて内容が決定したのか、楓は背筋を伸ばして俺を見る。


「でえと……そう、罰ゲームとして私とデートしてもらいます!」

「デート? お出かけ?」

「日曜日に服を買いに行こうと思ってたの」

「別にそれくらいだったらいいけど」


 というか幼馴染と二人でお出かけするなんて今更すぎる。


「じゃあ日曜日の正午、隣駅のショッピングモール前で集合。罰ゲームだから絶対に来なきゃだめだよ?」


 楓はポケットの中から財布を出してエスプレッソ分のお金を置くと、そそくさと店から出て行ってしまった。呼びとめようとしたけれど……恥ずかしい思いをしたわけだし楓も気まずいよな。今日はできるだけ干渉しないようにしよう。


『デートだってさ聡兄』

『まぁ【罰】と名がついただけの、ただのお出かけだけどな』


 罰ゲームと楓は言う。しかし南雲楓とのデートとは、全人類的に見ればそれは宝くじにあたることよりも価値があることなのだ。無論、俺もそう思っている一人である。幼馴染だからデートだとは一度も思ったことはないけど。


「あ、私いいこと思いついちゃいました! 天才かもしれない! ソーマさん、ちょっと寄るとこあるんで先に帰っといてください!」


 しばらく黙っていたと思ったら……また何かしょうもないことでも閃いたのだろう、アンジェのぱっちりとした目がどことなく光っていた。そして残った水を飲み干すと、アンジェも楓の後を追うように店を出て行った。


『俺たちもそろそろ出ようか』

『……そうだねそろそろ昼寝の時間だ。ふあぁぁ』


 お前はいつでも寝れるだろうが。


 まったく、いつか俺も自分の脳内に行ってみたいぜ。

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