episode3 三学期の始まりは、波乱の連続である。

1 アンジェさんは学校に行きたい。①

 ジリジリジリジリ、と懐かしい音がする。


 この休み期間中は鳴らさなかった目覚まし時計が、7:00になった瞬間に安眠を妨害するかの如く鳴ったのだ。


「うぅ……」


 音を遮断するため頭を布団に隠し、体を丸く収める。


 しかしうるさい目覚ましは聞こえてくる。


 なんでだよ、冬休みだろ……って、

「あぁ、そうだった。今日からはじまるのか……」


 倦怠感に襲われつつも、目覚まし時計を手繰り寄せ、それをオフにする。俺は固く閉ざされた瞼を開き、目をこすりながらゆっくりとベッドから降りる。


 そして人間型目覚まし時計の俺は、これまたいつも通り隣のアンジェの部屋に向かった。


「おーい、アンジェ起きろー。ってあれ」


 扉を開ける。しかし部屋にはアンジェの姿はなかった。目をこすってピントを合わせても、その埃臭い部屋には幾万匹のダニしかいなさそうだ。


 いつもだったら10時に俺が起こしに来ても全く微動だに起きないくせに。もう起きたのかよ。あいつにしちゃ早すぎる。何かの病気を疑っちゃうレベルだ。


「うっ」


 アンジェがいなくても広がるのは相変わらずのごみ。その色々なにおいが鼻についた。


 女子力のかけらもないどころの話ではなく、人間力さえ微塵も感じられない。天使? いったい何の話だい?


 それにしてもどうやったらここまで散らかせるのよ。よくものの数週間でこんなに汚くなるものだ。元々客間の代わりとして使っていたすっからかんの部屋だったのに。


 床にはポテチの空袋にコーラの空きペットボトルが散乱している。それだけならほぼいつも通りなのだが、今日の朝は少し違っていた。


「うわぁ、汚えなー」


 本日は濡れタオルの水分が絨毯にしみこんでいたり、水が入りっぱなしのコップがおちていた。おいおい、こんなんいつかカビ生えちまうぞ。


 今どきのアホガキでもしないだろうその行動に俺は、感服するとともに辟易する。


 俺はそれらをつまんで持ち上げると、すぐに落とした。潔癖症ではないのだが、なんだろう、自動的に体が受け付けないようだ。軽く身震いがする。


「……幸福ゲージを上げたいんだったらまず自分の部屋を片付けろよ。そうしてくれたら絶賛三十パーセントは上がるのにな」


 その小言は誰にも聞こえることはなく、部屋の汚い空気に中和して溶けていく。


 開催された愚痴大会の参加者は、生命体の中では俺しかいない。いや、もしかしたらこの環境にさすがのダニ共でも文句を言っているのかもしれない。


 ……他にはつけっぱなしの暖房君の音くらい。そんな彼の姿も俺には、夜中ずっとこき使われて、ため息を吐きながら暖かい空気を送っているようにしか映らなかった。


 俺は彼を慰めるように電源を切ってあげた。


 ……と、そんなしょうもない不思議系おとぎ話は終わらせてだ。とりあえず下に行こうか。


 疲れが溜まっているようだった。心なしか歩幅もいつもより小さい。やっぱり一日で取れるような疲労ではないのだ。


 朝ボケの状態で踏み外さないように、手すりをつかんでゆっくり階段を下りていく。端から見れば普通にじじい判定されてしまうが、俺はこう見えても青春をひた走る現役高校生だ。ちなみにスタートの位置はわかっていない。


 ただ――それにスパイスとして非日常を付け加えただけなのに、どうしてこうなった。


『おはよー』

『ああフクっちか、おはよう』


 そう言えばこの幼女もいた。


『あたしはもうちっと寝るわー、おやすみ』

『はいはいおやすみなさい』


 起きてすぐフクっちは寝床へと舞い戻ってしまった。


 朝一からロリっ子に話しかけられたくらいでは俺の元気は戻らない。俺がもうちょっとロリコンであればよかったのだが、なんで俺はこんなにロリにときめかないんだろう。実体がないからかな。……って実体があったらときめいちゃうのかよ俺。


 そんな俺の『俺はなぜロリに興奮しないのか』という永遠の研究テーマは今は置いておくとする。


 リビングの扉を開ける。そこには当然アンジェの姿があった。俺に背を向けた状態で、何やら挙動不審にもぞもぞ動いている。


「ケホケホっ……」


 アンジェは軽くせき込んだ。


 なんだ、お菓子をのどに詰まらせてむせたのか?


「ん?」


 部屋の薄暗さに少しばかり目が慣れたころ。俺のそのぼやけた目に、アンジェの大まかなシルエットが映る。どうやらお菓子を食べていたわけではないらしい。


 その疑問を払いのけるために、俺はリビングの電気をつける。


「あっ、……ソーマさんおはようございます!」


 それに驚いたアンジェが慌てたように咄嗟に振り返った。


 俺はと言うと突発的な光にやられた目を一回ギュッとつむると、今度はしっかりとピントが合った状態でアンジェに視線を向ける。


「お前、そこで何してん――どぅぁっ!」


 俺は一瞬で目を覚ますことができた。一緒に第三の眼まで開いてしまいそうだった。


 決して朝起きるのが苦手なアンジェが今日は早い、ということに驚いているわけではない。というかそれはさっき驚いたばかりだ。


 アンジェの服装を見て驚いているのだ。いつも寝間着で使っているダサいTシャツが今日は特にダサい、とかではなく、アニメのコスプレが今日は一段と刺激的だった、とかそういうのではない。


 俺が持っていた常識プラス固定概念はいっきに崩れ去っていったようだ。


「その恰好……」


 いつものアニメのコスプレのような服装に慣れてしまったため、俺にとってアンジェのその服装は新鮮、というか少しばかり奇怪に感じた。


「はい、高校の制服ですよ! どうです、似合ってますか?」


 確かにうちの高校の制服だ。間違いない。


 アンジェが入学式の時のようなしわ一つないブレザーを俺に見せてくる。そしてファッションショーみたいに一回転してみせた。


 いったいなんなんだよ。外国人転校生のコスプレかよ。


 いやしかし待て。さっきは奇怪と言ったが目が慣れてくるにつれ、かわいいという印象をもってしまう。いや、ダメダメ今の取り消し。かわいいなんて思ったら俺の負けだ。


「うん、かわいいと思う……じゃなくて! なんでアンジェが俺の高校の女子制服を着てんだ!?」


 素直な感想が漏れてしまったところで、俺は思いっきり口をふさいでもとの調子に戻る。


「なんでって、今日から学校じゃないですかー!」

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