トイレで異世界行っといれ!

むつらぼし

First contact~異世界への扉

「アクル様。次はどちらのお店に参りましょうか?」

あるじ。あの屋台などいのでは?」

「あくるさん、あくるさん!あれなんでしょう!?」

あくる、鼻の下伸びてるわよ」


 俺の両腕に掴まる美少女二人。

 さらに後ろに美女二人。

 両手に花どころか、これは花園だ。

 まさかこんな展開になろうとは…




 ――一カ月前――




「それじゃあ、あく~。お姉ちゃん行ってくるから」

「おう、いってら~」


 仕事に出掛ける姉を、俺は漫画を読みながらトイレの扉越しに送り出す。

 一緒に住んでる姉は仕事。

 そんな中俺は、有給休暇初日がスタートしたばかりである。

 その日数、なんと30日。

 冗談で店長に余っている有休を一度に消化していいかを聞いたら、「おお、いいぞいいぞ!休日もはさめないといけないから、丸々ひと月休んどけ!」と、あっさり通ってしまったのだ。


「ふぅ~。こっちに持ち込んだやつは全部読んだし、そろそろ入れ替えないとな」


 そうひとちて漫画を棚に戻すと、温水洗浄した部分を紙で拭いてから水を流し、手洗い器で手を洗い、棚に置いてある漫画を携え扉を開けた。


「…は?」


 眼前に広がる見慣れぬ風景。

 いや、確かに屋内だけど、俺の部屋じゃない。

 というか、この小便器が並んでいる風景はどう見ても公衆トイレの中だ。


 ――パタン


 とりあえず扉を閉める。

 落ち着け、落ち着くんだ御手洗みたらしあくる

 トイレから出たら別のトイレ?ないない、あるわけない。


「よしっ――」


 ――ガチャ


「まじかぁ……」


 結果は変わらなかった。

 俺はひとまず持っていた漫画を棚に戻し、トイレから出てみる。


「ん?外から見ると扉が違うな…」


 俺の家のトイレのドアノブはレバータイプなのだが、こちらは一般的な握り玉が取り付けられているタイプだ。

 何気なく、閉まった戸をもう一度開けてみる。


「おいおい、嘘だろ…」


 なんと、中には周囲の景色に溶け込んだ、自分の家のものではないトイレが鎮座していた。

 つまり…


「帰れないのか、俺…」


 万事休すとはこういうことを言うのかと、俺は覚えたくないことを覚えてしまった。


「とりあえず、ここから出るか…」


 いつまでもトイレに居ても仕方がない。

 何とかして帰るヒントを探すため、俺は公衆トイレから外に出た。


 俺は、外の景色を見て一瞬で理解した。

 目の前には石造りの建物が並び、石畳の上には馬車と人が行き交い、道沿いには簡素な造りの屋台に様々な品物を並べ、店主が道行く人たちに声を掛けている。

 見た目は中世ヨーロッパ。

 しかし、見知らぬ服、見知らぬ動物、見知らぬ食べ物、見知らぬ文字、そして、見知らぬ人種。

 漫画やラノベを読んでいるから分かる。

 ここは、俺の住んでいる世界じゃない、と。

 ここは――


「――異世界、なのか…?」




 ――数時間後――




「はぁ…お腹空いたなぁ…」


 俺は未だにこの街、“テリオット”の中を彷徨さまよっていた。

 文字は読めないが言語は通じるおかげで、道行く人や屋台の主人などと話し、街の名前や情勢、流通貨幣の単位や旨い食事屋の話などを聞くことが出来た。

 だが困ったことに、この街のお金である“レスト”を持っていない為、食べ物の話を聞いてからというもの、空腹に拍車が掛かって仕方がなかった。

 そんなときに頭をよぎったのが、公衆トイレにあった手洗い場だった。


「お腹壊しませんように…!」


 公衆トイレに戻った俺は、食中毒にならないようにと祈りながら手洗い場の蛇口を捻り、両手で溜めた水を飲む。

 飲んでみると、意外にも美味しい水だった。

 蛇口を捻れば水が出たり周囲のトイレが水洗な辺り、上下水道は整備されているのかもしれない。

 とりあえず、少なくとも数日で死んでしまうことは避けられた。

 これをこうと取るべきか不幸と取るべきか…

 俺は溜息を一ついて公衆トイレを出ようとすると、不意に人とぶつかってしまった。


「っと、ごめん」

「――っ!?た、助けてください!!」


 見ず知らずの俺に助けを求めた少女は、とてもみすぼらしい格好をしていた。

 薄汚れた肌に襤褸ぼろまとい、両手にはかせめられ、首には服従の証だろうか、首輪が付けられている。

 しかし、それらの囚われの象徴を払拭するかのようにきらめく金色こんじきの髪と、吸い込まれるような蒼の神秘的な瞳は、どことなく高貴さを感じさせる。


 さて、SMプレイをしているわけではないのなら、誘拐か、はたまた奴隷が逃げ出したかのどちらかだろう。

 誘拐なら憲兵などに通報するべきだし、逃げた奴隷なら持ち主に引き渡すべきだ。

 だが如何いかんせん、美少女と出会うことで舞い上がっていたのだろう。

 俺は彼女の手を取り、トイレの一番奥の個室へと逃げ込んだ。

 もちろん(?)男性用トイレだ。


「こ、ここで追手をやり過ごそう…」

「はい…」


 少しすると、複数人が駆け寄ってくるような足音が遠くから聞こえた。


「この辺りに逃げ込んだはずだ!しっかり探せ!」


 足音は追手達のものだったのだろう。

 追手のリーダー格であろう男が、周りの人間に指示を飛ばす。


「ボス。俺はこっちを見てきやす」

「あぁ」


 何人かは散ったようだが、ボスと呼ばれるものともう一人はこちらを探すようだ。


「さぁて…いるんなら大人しく出てきた方が身のためだぜぇ!」


 男はそう叫ぶと、手近な個室から順に戸を開け、中に人がいないかどうかを確認してゆく。

 やばいやばいやばい!

 一応鍵も掛けたけど、これじゃあ時間の問題だ…


「――…」


 勢いで繋いだままだった少女の手に力が入る。

 微かに震えているし、きっと怖がっているのだろう。

 俺は安心させようと、その手を握り返す。


「おぉ?ここだけ鍵が掛かってんなぁ。おい、誰か入ってんのかぁ!」

「は、入ってまーす…」


 ここで返事をしないのは得策ではないだろう。


「おぉ、すまんなぁ。ここによぉ、誰か逃げ込んできたような音しなかったかぁ?」

「さ、さぁ…?ここで…んー!…長いこと籠ってますけど…ぁぁ…そんな音は聞いてないですねぇ…ぉお…」


 俺は、くまでトイレで踏ん張っている男を演じる。

 隣にいる少女の視線が痛いが、そんなことを気にしている場合ではない。


「ほぉ…じゃあ、ちょっくら確認させてもらうぜぇ」

「え?」


 ここは公衆トイレだ。

 換気をしやすくする為に、明かりを少なく済ませる為に、救助をしやすくする為に等々とうとう、個室の上部には人が通れるほどの空間がある。

 男はそれを利用し、戸をじ登って中を確認してきた。


「ほぅら、ビンゴぉ。ボスー!ここでさぁー!」


 男は叫びながら戸を降り、ボスを呼んだ。

 ボスはすぐに駆けつけ、男に確認を取る。


「ここにいるのか?」

「えぇ。知らない男も一緒でさぁ」

「そうか。まあ、問題ないだろう。やれ」


 ボスがそう言うと、突然戸に衝撃が加えられた。


「きゃっ!」

「うわっ!」


 見ると、戸に縦に亀裂が走っている。


「ヒャッハー!ぶち壊しだぁー!」


 男はそう言いながら、何度も鈍器で戸を叩きつける。

 あんな物どこから――あぁ、そういえば、壁に防災用の斧が掛かってたっけ…

 恐らく、それで戸を壊そうとしているのだろう。

 蝶番ちょうつがいが外側にあることで、容易に戸を突き破れないことが幸いだったか…

 と言っても、それでこの最悪の状況をどうにかできるわけではない。

 無力な俺は、少女を庇う様に抱き締めながら神に祈る他なかった。


 ――そういや、異世界に神様っているのか?

 いや、そんなしょうもないことを考えている場合じゃないけれども。

 まあでも、異世界には神様が付き物だし、この世界にもトイレにはそれはそれは綺麗な神様がいるはずだ…!


「おぅら!中が見えてきたぜぇ!」


 そうこうしている間にも、男は着々と戸を破壊してゆく。


 あぁ、もう!

 神でも悪魔でも誰でもいいから、この状況どうにかしてくれ!


 俺はそう願いながら目を固くつぶり、奇跡を願った。


「はっはー!そんなことしててもなぁんにも起きないぜぇ?さっさと観念し――」


 ――――……ん?

 音が、止んだ…?


 先程まで響いていた破壊音が、ピタリと止まっている。

 俺は恐る恐る目を開けると、自分の目を疑った。


「ここ…俺んのトイレ…か…?」


 その日の内に、自分の元居た世界への帰還を果たしたのだ。

 美少女という名の、お土産付きで…





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