第6話

 森に入った頃、太陽は完全に沈み、望月が昇ってきました。でも幾ら月明かりに照らされているとはいえ、木々の影は黒々としています。

 アイスリンはなるべく周りの闇を見ないように歩きました。静謐な空気に呑まれないように鼻歌を歌いながら。それでも足はガクガクと情けなく震えていました。

「……これは武者震いだもん……」

 アイスリンはそっと自分に言い聞かせました。

 ふと懐中時計を見ると、──8時24分。

 それでもまだ楠の言ったお店が見えません。

 アイスリンはとうとう歩くのが嫌になり、腰を下ろしました。

 空を仰げば、木々の間に満点の星空が見えました。

 それを見ていると昔よく若菜と星を見に裏山へ登ったことを思い出しました。特に、3年前の8月に見た流星群が鮮明に蘇りました。





 その日は山頂に直接集合だった。もちろん真夜中に女子ニ人で出歩くのは親に怒られるからこっそりと。でも若ちゃんは絶対に失敗しない。若ちゃんのお母さんは看護師さんで今夜はお仕事らしいから。

 目覚まし時計は0時を指していた。

 両親が寝室へ入ったことを確認すると、わたしはレジャーシートと星座早見盤とカルピスの入ったリュックを担ぎ、出発した。

 蝉声が耳を、冷気が頬を、切る。

 この地域は気流とかの影響で盆地なのに夏でも夜になると少し冷え込む。更に山中は木々に囲まれていることも相まって薄ら寒い。

 わたしはウィンドブレーカーのチャックを閉めた。

 裏山は普段人が入らないから獣道しかない。シンとした新月の闇は逢魔時以上に何かと出逢いそうな気配がする。懐中電灯でなるべく道だけを照らし、視界を狭めた。山頂には若ちゃんがいる、そう思う勢いだけで前に進んだ。

 ふと見上げると、既に天体ショーが始まっていた。早く拓けた所で見たいという気持ちが逸り、スピードが増す。


 着くと、若ちゃんは陶然と空を眺めていた。

 わたしも目線を上へ向けると、見開いた。ごきゅっ。そんな音が喉に響いた。

「ほわぁー、すっごい……」

 その日は極大ではないはずなのに、空を埋め尽くさんばかりの流れがそこにはあった。

「ほら見て、あそこだ! 輻射点だ!」

 若ちゃんはくしゃっと笑ってペルセウスの肩近くを左手で指さした。

 周辺にはペガスス座、アンドロメダ座、くじら座、カシオペア座、ケフェウス座がいる。

 神話好きには堪らないだろう。カシオペア王妃が泣き叫ぶ中、化けくじらのケートスに襲われるアンドロメダ王女。その時、ペルセウスは左手にメドゥーサの首を持ち、颯爽とペガサスに乗って現れるのだ。……でも、ケフェウス王はちょっと影が薄いかな。

 しっかし、本で知ってても実際に見ると違うなぁ。わたしは若ちゃんと一緒に覚えた星座達を一瞬でも長く見ていようと天を仰ぎ続けた。

 すると、北の空が急に明るくなった。

「わっ、なにあれ!」

 まるで地球に落ちるんじゃないかってくらいの勢いで光が天空を駆け落ちた。天球に沿って尾を引き、煙のような永続痕を宙に残す。

「火球だ! 初めて見た!」

 隣りの若ちゃんの瞳はこの空と同じだった。キラキラと輝く無数の星々は、ブラックホールに吸い込まれたかのように、次々と生まれては消えていった。

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