ハレの日の前日に

第1話 

 カッチン、コッチン……。アイスリンは目覚めました。

 でもそれはどこか不思議な感じでした。それは何かフワフワとしており、何とも言えない違和感でした。

 アイスリンは目を開けると、横になったままボーとしました。初見慣れないコンクリートの天井を暫くの間見続けました。

 それからゆっくりと体を起こしました。薄汚れたベットが硬かったせいか、体のあちこちが少し痛みます。

 そして周りを見渡しました。正面には小窓の付いた扉はガッシリとしていて、横の壁の上の方には鉄柵付きの窓があります。そこにはアイスリンの心とは裏腹に、どこまでも澄み切った青空が広がっていました。

 部屋の隅に目をやると、欠けた鏡と古そうな洗面台があります。その横にはトイレが剥き出しで鎮座していました。

 まるで牢獄みたいだなとアイスリンは思いました。

 一つ伸びをして大きく欠伸をすると、アイスリンは立ち上がりました。そして蛇口を捻り、顔を洗おうとしました。

 まずは冷静になろうと考えたのです。

 でも水は黒く濁っていたので諦めてベットに座りました。

「だれかいますか?」

 でも返事はありません。

「だれかいませんか?」

 でもやっぱり返事はありませんでした。

 アイスリンは困りました。どうしてここに自分がいるのか、全く記憶が無いのです。

「えーと、アイスリン=ウォルシュ。12歳。友達は若ちゃんとアカネンとユーミと西田と……」

 アイスリンは混乱しました。

 そこで取り敢えず自分の知っていることを整理しようとしました。しかし、むしろもっと酷くなりました。

「だっ、だれもいないんですか!」

 返事はありません。

「だれもいないんですね!」

 すると、

「はい、誰もいません」

 扉の向こうから声が聞こえました。

「いるじゃないですか!」

 アイスリンは声を荒らげて言いました。

「いませんよ」

 テノールの声はゆっくりと言いました。

「じゃあ、いないんだったらアナタはだれですか?」

 アイスリンは扉をきつく睨みました。

「声がするからといって決めつけるのは如何なものかと。アナタはワタシを見たのですか?」

「見てませんけど……。でもいるのは確かです」

「見ていないのなら決めつけです。ワタシは決めつけが大嫌いです」

「だからいるってば! 決めつけが大嫌いなあなたがそこにいるんでしょ?」

 アイスリンは地団駄を踏みました。

「いいえ。ワタシはいますが、アナタが見ればワタシはいません」

 アイスリンは溜息を吐きました。

「やっぱりいるんじゃないですか!」

 そして爪先立ちで小窓を覗きました。

 しかし、廊下には誰もいません。

「……なんで……?」

 廊下は物音一つしませんでした。

 隠れたのかな? アイスリンはそう思って辺りをキョロキョロしました。それでもやはり誰もいませんでした。

 仕方無く、アイスリンはベットに戻りました。

 途端、

「ほら、いませんよね?」

「あー……わかったよ。あなたはいない」

 アイスリンはぐったりとベットに倒れ込みました。

「そう。アナタにとってワタシはいません」

 声は楽しそうに言いました。

 それが馬鹿にされているようでアイスリンはムッとしました。でもグッと我慢しました。

「ところでこの牢屋みたいな部屋はなんなんですか?」

「ここですか? ここは部屋ですよ」

 声はさも当然そうに言いました。

「そんなこと見ればわかるよ! この建物はなに? わたしはここから出られるの?」

 アイスリンは顔を赤くさせて捲し立てました。

「うーん。どうやらアナタは違うようだ。アナタはここにいるべきではない」

「ねぇ! 問に答えて!」

 堪らなくなってアイスリンは叫びました。

「心配は要りません。ここはサナトリウムです」

 声は柔らかく言いました。

「サナトリウム? サナトリウムって療養所でしょ? こんな刑務所みたいなのが療養所なワケないじゃん!」

 アイスリンはまた叫びました。

「ワタシ達とて理由無しにこんなことはしません。危険だから閉じ込めるのです。しかしどうやらアナタは無害なようだ」

 声は段々と遠ざかっていきます。

「ちょっと、待って!」

 アイスリンは扉を叩きました。

「大丈夫、今すぐ出られますよ。その意志さえあれば」

 そして声は聞こえなくなりました。

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