第一章 戦友
一、戦友
建国から約三千年。
この都市国家群が地球と呼ばれる惑星からの移民を受け入れ、原住民とともに築いた都市国家群ができてから三千年が経っていた。
彼らは、暁色の大地に緑を繁殖させて一大都市国家を築き、今では科学技術だけでいうところでは地球に比類ない成長をしてきた。十年前に、民族差別法を発端とした内乱があり、核爆弾が使われるほどの戦争を体験したが、地下組織レジスタンスの活躍により拡大化は防がれた。都市国家群は形こそ変えたものの、平和なひと時を歩み始めていた。
しかし、根本的な問題はいまだ解決に至っていない。
広大な草原を抱くマリンゴートという都市、そこが十年前の戦争で二つに分裂していた。ふたつのマリンゴートを抱える都市国家群の首都はテルストラという名の都市から海沿いの都市クリーンスケアという都市に移り、政治を執行する者も国王から首長という形にとって代わっていた。マリンゴートは中央マリンゴートと呼ばれる軍事体制国家と東マリンゴートと呼ばれる田園都市国家に分裂していた。移民差別を完全撤廃した理想的国家になっている東と比べ、中央は、十年前の事件を発端に差別の逆転を起こしたまま、移民、つまり地球人を差別した思想のまま軍国化を進めていた。その国家がこれからの問題の中心に据えられることは、間違いなく都市国家群の人間たちの胸に不安として居座っていた。暗い霧に包まれた中央マリンゴートと、緑輝く東マリンゴート、どちらが住みやすい国であるかは歴然としていた。そのため中央から東へのがれてくる人間は後を絶たなかった。その事実に危惧した中央は国民の東への逃亡を防ぐため、関所を大量に作り、道という道をふさいだ。国境には有刺鉄線を張って電流を流し、東への人口の流出を必死で防いでいるさまが明らかに見て取れた。
そんなことをしているから、中央は都市国家群の中でも浮き上がってきてしまう。首長である連合の長クリーンスケアは、中央マリンゴートを国家群のなかでも要注意国家と指定せざるを得なくなった。勢いに乗れば、核兵器の精製の方法を地球から学んだ暁の星は再び核を使う国家を生み出す危険性を秘めていたからだ。その国家は中央マリンゴート。相手はまず、間違いなく隣国である東マリンゴートであろうが、いまだ核投下の理由の立たない時点では攻撃のしようがなかった。
しかし、その中央マリンゴートになんらかの攻撃を許してしまう事件が起こってしまった。三日前、深夜のことだった。
中央マリンゴートと東マリンゴートの境にある石油コンビナートが炎上した。
その報せを受けたのが三日前、このテロリズムともいうべき突然の出来事に、東マリンゴートの警察府は揺れていた。犯人が見つからない。その日の深夜、ちょうど石油コンビナート爆破直前に通り過ぎた電車が怪しまれた。人がその場所に行きつく理由がそれしかないからだ。もちろん、コンビナートで深夜働いていた人間に話を聞いてみたが、爆破を免れた場所にいた職員にはテロ行為は無理であった。そもそも爆破だと分かったのは、炎上した部分、特にひどい燃え方をした部分に残骸があったからだ。それを特定したのは現場にいち早く駆けつけた消防隊だった。彼らから連絡を受け、中央と東の警察がかけつけた。事故ではなく犯罪だ、そうなれば警察も自然とかかわってくる。爆破の時刻やタイミングを見て、その時間に通り過ぎた電車の乗客を洗ってみた。近くにある駅から下りて歩いたが、何かの乗り物を使って移動してコンビナートまで来たか。どちらにしろ、外部の人間のしたことに変わりはなかった。
そして、調査を進めていくうちに、妙なことが分かってきた。
その日その時刻、その場所を通った電車の中に、神父メティスがいたというのだ。おかしい。彼はその時間必ず仕事をしている。いまだ絶えない難民キャンプや、命からがら中央から逃げてきた人間の世話で忙しいはずだ。それに、わざわざ自分を嫌う中央マリンゴートに電車に乗って行くことなどありえない。しかも、乗客が見た神父は、今の神父よりもずいぶん若い姿だったという。
神父はシリンという種類の人間だ。それも、惑星のシリンという特別な能力を持った人間だから、たしかに体の成長は二十五歳で止まっている。実際の年齢よりも若く見えるのはそのせいだったが、電車の中で見かけられた神父はまだ十七、八の青年だったという。それも、どの乗客も彼を見たあと二度と出会っていない。一度皆に姿を見せたあと忽然と消えているのだ。そこから、中央マリンゴートの警察は神父メティスがコンビナートを爆破したと疑い、身柄の引き渡しを東に要求してきていた。
困ったことになった。
あの温和なメティスがそんなことをするはずがない。
机に積み重なった数々の資料を目の前に、神父メティスの友人であるカロンは頭を抱えた。先ほど自分で淹れた熱いコーヒーが資料の間に置かれ、湯気を立てている。カロンはこの十年の間に警察府の殺人課の刑事部長にまで出世をしていた。今回の石油コンビナート爆破テロ事件はカロンにはかかわりはないはずだ。しかし、十年前の戦争で戦った仲間である、たったそれだけの理由でメティスを中央に連れて行けとの命令を上から受けた。それも、直属の上司ではなく、警察組織のトップからの命令だ。なぜ、ありえないことを疑うのだ。メティスにはアリバイがある。誰に聞いてもその日の神父の行動に疑問を持たずに証言してくれる人間はいるはずだ。なのに、中央の言うとおり神父を差し出せという。これはおかしい。いくら軍事国家になりかけている危険な国が相手とはいえ、東がその理念を曲げてまで中央に従ういわれはない。媚を売るのならもっとありえない。
頭を抱えたまま、三度目の電話を教会にかける。一度目は神父が忙しく出られなかった。二度目は出かけていた。この時間には帰るからと言われて三度目の電話をする。これからそちらに行くからと。行って、メティスに事情を説明しなければならないから。
カロンは正直、メティスを中央に連れて行きたくない。真実がどうあれ、あの国にいけば、何の非もないメティスは犯罪者にされてしまう。すでにそういうプロパガンダの報道がされているだろうから。頼むから出ないでくれ、電話に出た取次の女性の言うことを聞いて、受話器の前に出たりしないでくれ。カロンはそう願いながら呼び出し音を静かに待った。
三回鳴っただろうが、電話の呼び出し音をいつもよりもずいぶん長く感じた。すぐに教会につながった。神父につないでほしいと告げ、自分の名と警察の名を出すと、電話交換係の女の声は冷静に神父のもとへ電話をつないだ。この件で電話をしていることを知っているのだろうか。不審に思いながら待っていると、ついにメティスが受話器を取った。
「カロン」
何日ぶりか、確か四日前に近くの森の中の公園で偶然会って挨拶をした。メティスの声だ。恐れは感じない、いつもと変わらない声がカロンを呼んだ。
「すまない、メティス、警察からの電話なんてな」
「構わない、理由は大体わかっているからね。君がこちらに来るのだろう」
「ああ」
答えて、カロンは嫌な気分になった。夏のはじまり、熱風が吹き始めるこの時節、たくし上げたシャツから覗く手には汗が握られていた。
「お前を中央に連れて行かなきゃならなくなったよ。不本意なんだが」
「では、準備はしておくよ」
「大丈夫か?」
「ああ」メティスの声が、少し曇った。「ただ、私には目の前に襲ってきた人間を倒しながら脱出するとか、そう言った能力はない。拳銃ひとつ怖くて扱えないよ。『彼ら』がここにいたら、とも考えるけどね。カロン、すくなくとも君が力になってくれるとうれしい」
「僕には残念ながら彼らのような強さはないが、拳銃くらいなら職業柄扱える」
「頼むよ」
「ああ、じゃあ今から行く」
カロンのその言葉に、メティスは短く返事をした。そして、向こうから受話器を置いた。
机の上に置かれたコーヒーは少し、冷めていた。それを一口、口に含むと、カロンは、同じ課の人間に挨拶をしてその場を立ち去った。最近は殺人事件や物騒な事件が多い。皆の仕事は忙しく、カロンのあいさつには適当に返していた。
やはり、メティスは拒まなかった。自分はやっていない、そのことはいずれ判明するだろうと、そういう構えなのだろう。しかし、中央はその考えで済むほど甘いのか。
不安にとらわれながら警察府の建物の外に出る。駐車場に止めてあった青い車のドアを開けると中から熱い空気が漏れてくる。今はマリンゴートの季節の中でも最も厳しい夏。駐車場を囲む草原は、かの大草原から続く種類の草が生い茂っている。冬にも枯れないその草は生命力が強く、何度刈り取ってもすぐに生えて伸びてきてしまうので放置してあった。草丈は膝ほどなのでさほど気にはならない。虫も付きにくいので放置していても誰も気にはしなかった。
熱風を抜くため、しばらくドアを開け放ってからキーを差し込み、エンジンをかける。窓を開けてしばらくして、ハンドルの温度が下がってから運転席に座ってドアを閉めた。今度からは日差しを遮るものを何か購入しておこう、そう考えて車を出した。
農業を基盤に発展している東マリンゴートは緑が多い。教会に行くまでの間にいくつもの農園を横切った。都市の中心にある警察府から、ビル街を抜けて農地にいったん出ると、しばらくして森が見えてくる。道はその中に続き、入って行くと公園が姿を現した。幾つもの豪華な噴水が置かれた公園はきれいに整備されている。その公園の中にあるのが都市国家連合で最も大きな、東マリンゴート中央病院、そして、教会だ。
中央病院を通り過ぎると、森が開けて、美しい建物が目に入る。分光器が集まってできたようなその建物は、ビルのようにそそり立っていた。存在感は大きい。
森から抜けた大きな駐車場に車を止める。降りると、芝生に囲まれてきれいに整備された道に、誰かが歩いていた。背の高い女性と、中背の若者だ。
カロンは、一目見てその人間が誰なのか理解した。知っている人間だ。今現在、中央病院で最も腕が立つと言われている外科医、女医であるナギ・フジと、男性看護師のケンだ。ナギは三年前にふと姿を現して、この病院に勤務を始めた。その三年前にナギを連れてきたのがケンだ。彼は、十年前からずっと、救急隊にいた。しかし、最近になってナギとともに救急外来に勤務を始めたのだ。
その二人が、なぜかこの教会にいる。神父に用でもあるのだろうか。不思議に思って声をかけようと、白い砂利道を駆けた。
カロンに名を呼ばれ、二人が振り向く。ナギは相当な美人だ。漆黒の長い髪を後ろで束ね、その、海のような青の瞳をこちらに向ける。鋭いまなざしときりっとした唇は、清廉なイメージを他人に与える。その美女を見ると、必ず懐かしい気持ちになる。誰だったか、懐かしい人間の面影を感じるのに、どうしても思い出せない。そんな、不思議な女性だった。その女の唇が、ふと、動く。
「刑事さん」
彼女はカロンの名は知っている。しかし、その名を今は呼ばなかった。何故だろうか。
「神父を連れに来たのかい」
地球人であるナギの、鋭いまなざしがカロンを突く。彼女は地球からやってきた。そのこと以外はほとんど謎だった。ケンだけが何かを知っているようで、彼女の出身が地球であることも知っていた。しかし、それ以外は何も明かそうとしない。女は謎だらけがいい、そう言いながら笑っていた。
“刑事さん”カロンをそう呼び、ナギは教会に入って行った。カロンは急いで後を追い、不思議なまなざしを残して去ろうとする彼女の手を引いた。
「どうした?」
ナギが、カロンに問う。
その視線に敵意は感じられないが、どことなく呆れたものを見るようなものがあった。
「先生、どうして僕がここに来た理由を?」
正直に、疑問をぶつける。すると、ナギは、ため息をついて、カロンを見た。
「神父も神父だ。中央の目論見など分かっているだろうに。あんたもだよ、カロンさん。出向いていったところで捕まって殺されるのがオチだ」
そんなことは分かっている。しかし、行かなければ、疑いは晴れない。
ナギの言葉にそう、答えを返そうとすると、それさえも読んでいたのか、彼女は、カロンをみて苦笑した。
「仕方ないな」
そう言って、カロンの手を取った。
ナギの白い手は、きれいだった。医療関係者である以上気を使っているのだろう。消毒や殺菌で荒れた手をきれいに手入れしている。ささくれだらけの指では外科医療に支障をきたすのだろう。その細い指がカロンの手に触れて、どきりとした。心臓が早鐘を打つ。ナギの魅力なのだろう。ことごとく、病院の職員や患者に人気がある。
「神父を頼むよ」
そう言い、ナギはケンを連れて教会の礼拝堂に向かって行った。祈りでもするのだろうか。
カロンは、ナギの触れた手を見た。まだ、あの感触が残っている。魅力的な女性だ。こんなことを考えていたのでは、妻であるリーアの顔などまともに見ることはできない。なのに、そんな考えが吹き飛ぶほど、ナギから感じる懐かしさはますます増していった。
なにかが、引っかかっている。不思議な気持ちを抱えながら、カロンは一階にある神父の執務室に向かった。
「確かに、それは不思議なことだが」
東マリンゴートから中央に向かう車中、運転をしているカロンの横で、神父メティスは顎に手を当てた。その紅の瞳はずっと、外を流れる景色を見ている。シリンというものは不思議なものだ。誰がどう見ても、惑星のシリンは美形に映るものだと聞かされた。その通りだ。この暁の大地の因果律を支配する惑星のシリン、神父メティス・ランダーは例外なく色男だった。きれいに整った顔、すうっと伸びた鼻すじ、そして、バランスのいい顔立ちはおそらく誰が見てもハンサムに映るだろう。
メティスがふと、カロンを見る。目の前の信号は赤で、カロンは、なんとなく隣にいる色男を見て考え事をしていた。齢三十のその男性は、カロンと同い年にもかかわらず、随分と若い。シリンが途中で成長を止めるというのは本当なのだろう。だとしたら、同じ惑星のシリン、母星・地球のシリンである幼馴染のアースもそうなのだろうか。まだ若いままなのだろうか。
シリンとは、意思を持つのに言葉を持たない、植物などの生命体が、その意思を伝えるために人間に宿って生まれてくるものをいう。多くは植物や、神話や伝承に出てくる存在のものなのだが、それとは違うシリンもいる。それが、惑星のシリンだ。惑星のシリンは、知的生命体の総括であり、その星に存在するすべての物質や意思が結集して、人間の母胎に宿って生まれてくるものをいう。それがゆえに絶大な力を持ち、その星の生命体で最強の力を持って生まれてくる。また、惑星を統括する因果律を支配し、監視する役割を持っている。だが、彼らはその能力を自ら封印していた。彼らもまた自然界の一員であり、宇宙をとりまく命の流れの一部であるからだ。因果律から外れた存在であるがゆえに不老だが、彼らの命もまた、自然界の淘汰には抗えない。超巨大隕石などが衝突して惑星が破壊されれば、惑星のシリンも死んでしまうからだ。彼らの命もまた、自然界とともにあった。
考えているうちに、信号が青に変わった。車を発進させて、ふと思う。地球は、いま、どうなっているだろうか。厳冬の惑星と言われたあの星は、本当に人が住むことができる星であるのだろうか。そうであってほしい。十年前、地球のシリンであるアース・フェマルコートは、故郷である地球に帰った。同じ地球に住むシリンであるシリウスもだ。三年前までこのマリンゴートにいたが、地球でやるべきことがあると言って帰っていってしまった。そして、二人とも、一度もマリンゴートに戻っていない。地球が住みやすい土地であるからなのか、そうであればいいのに。
そういえば、メティスは三年前まで、地球に行っていた。その様子をまだ聞いていない。毎日の仕事に追われて、そんなことも忘れていた。
メティスとはそんなに疎遠にはなっていない。もとはクラスメイトで、十年前の戦争を共に生き抜いてきた存在であるメティス。彼だけが近しく、また、心の許せる相手だった。
「四日ぶりに会うのに、大した会話もできないな、これじゃ」
カロンは、メティスにそう返して、苦笑した。
「そんなことはないよ、カロン。私たちにはまだ、たくさんの時間があるじゃないか。そう言えば、リーアはどうしている? 妊娠したと聞いたが」
「ああ、ナギ先生か」
カロンは、答えて苦笑した。
「七か月だよ。病院の検診にはしっかり行っている。産科医が足りなくて、ナギ先生に診てもらっているみたいでね。リーア自身、あの先生に惚れ込んでいるから、ぜひ子供を取り上げてほしいと願っているよ」
「そうか、すごいな、ナギ先生は」
「ああ」
メティスの振った話題で、カロンは胸をなでおろした。そんなに身構えることはなかった。会話をしてみれば、なんとも自然な会話ができる。メティスとは、もともとそう言う関係であったのだから。カロンは少し、メティスに対して緊張していた。
「カロンは、男の子と女の子、どちらがいいんだい?」
メティスが、ふと、笑いかけた。
「無事に生まれてきてくれれば、どちらでもいいさ。戦争でも起こらなければ一番、な」
答えると、メティスは、真剣なまなざしを窓の向こうに向けた。車窓からは、遠くに中央マリンゴートの中心街が見える。
「戦争にはならないよ。私が、防いでみせる」
メティスは、そう呟いた。
それから、二人の会話は途絶えた。それ以上何かを話せば、おそらくとんでもない話題になって行ってしまうから。これから向かう先は中央マリンゴート。東マリンゴートを敵視し、軍事化を進めている危険な国だ。そこに、事実上東の元首である神父メティスが向かう。何も起きないほうがおかしい。
テルストラ、マリンゴート、ハノイ、クリーンスケア。
この四つの国には、もともとテルストラという元首国があった。テルストラがすべての都市国家をまとめていた時代はよかった。しかし、十年前の戦争で、テルストラは核爆弾によって都市の一部が壊滅。今はクリーンスケアが都市の主導権を握っている。そのクリーンスケアの元首であるアルバートがいるとはいえ、独立した四つの勢力はお互いを監視し、拮抗している状態だ。テルストラの国王であったガルセス・フェマルコートは地球へ帰還しており、元首国がその機能を果たしていない。各国の関係に何かがあれば、一触即発の危険性を秘めていた。
だからこそ、テルストラに再び国家元首を、国王をと求める声も絶えない。
ガルセスの息子であるアースがいてくれたら、そうも考えた。しかし、彼は地球人だ。しかも、地球因果律を統制する重要な役割を持っている。この暁の大地の元首になど、なってはくれないだろう。
そう、何かが、起きない限りは。
中央マリンゴートに入ってしばらくすると、カロンが車を止めた。
信号に引っかかったわけではない。メティスが、カロンに目配せをする。車の外には警察が何人もいて、周りを取り囲んでいた。
知られていたのだ。おそらく、東マリンゴート警察府の誰かが、中央に知らせたのだろう。車を降りると、手を上げるように言われた。おとなしく手を上げると、警察のうちの一人がメティスのほうに歩み寄り、車に体を押し付けさせて手錠をかけた。素早かった。中央の警察は、よく訓練されている。カロンはそのまま付き添うように言われ、二人は警察車両に乗せられた。カロンは助手席に、メティスは二人の男に囲まれて後部座席に座った。
中央に入った途端、これだ。ナギの言っていたことが本当になってしまった。いや、こうなることは分かっていた。しかし、それでもここに来なければ、疑われたまま、その疑いを引きずることになってしまう。メティスは疑いを晴らす方法を知っているのだろう。でなければ同行を了解するはずはない。しかし、メティスは後部座席に座ったまま流れている景色に目をやるばかりで何も言わない。このまま、中央のやり方に従って行けば、なんの手続きもせずにいきなり拘置所に連れて行かれるか、理不尽な裁判にかけられるかだ。それくらい、メティスはこの国で嫌われていた。十年以上前、マリンゴートにあった被差別民の強制収容所を解放したのはアースだった。しかし、いまだに彼が解放したことを知らない人間たちは、アースのしたことを誤解したまま過ごしていた。しかし、メティスに対しては、おそらく強い誤解があるだろう。いや、アースの場合は完全に中央の元劣等民たちの誤解だ。しかし、メティスは違う。嫌われているのだ。もはや、消されて当然の人物になってしまっている。このままでは危ない。たしかに、甘すぎた。この状況を見る目も、そして、中央の危険さを知る由もないメティスも。
話してわかる相手ではない。
カロンは、脇にしまってある拳銃に手を伸ばした。すると、運転席から銃口が伸びてきて、こめかみに当たった。
「抵抗はするな」
一言、そう言い放ち、運転している警官がカロンを一瞥した。逃げ場がない。
しかし、そう思ったのもつかの間、カロンのこめかみに当たった拳銃は見事に外れ、はずみで放たれた空砲が車の天井を撃ち抜いた。突然、車がコントロールを失い、ギャンギャンとけたたましい音を立てて、走っていた道路の路肩に止まった。けが人はない。運転手がカロンを連れて降り、車を見る。すると、左側二本のタイヤが見事にパンクしてしまっていた。
「カロン!」
声がした。誰かの声だ。どこかで聞いた。
そちらを見ると、赤い車が止まっていた。ドアが開いていて、誰かが立っている。車の屋根に長射程の狙撃銃を据えてこちらに向けている。
誰だったか。しかし、近しい存在であることは確かだ。懐かしい感じがする。隣にいた警察官がカロンの手を引いて拳銃を向けた。すると、その拳銃が、見事に弾かれて地に落ちた。警察官は手を押さえて、もうひとつの拳銃を取り出すために脇に手を挟み込んだ。
「こっちに来い、カロン! メティスも!」
赤い車の前に立つ人物が、もう一度声を上げた。メティスが、カロンの後ろで、二人の警官をなぎ倒した。暁の星のシリンだ。それなりに強いのだが、メティスは力で物事を解決しようとしない。それがいいほうに転べばいいのだが、メティスはあまりにそれにこだわりすぎて、うまくいくこともうまくいかなくなることがあった。
「カロン、行こう」
メティスの言葉にカロンは頷いて、拳銃を取り出そうとしている警官を肘で突き、鳩尾に一発拳をぶち込むと、咳き込む警官を後に、赤い車へと走った。その前にいた人物は狙撃銃を下ろし、こちらに誘導する。金色の髪、淡い青の瞳、シリウスだった。
「シリウス、戻っていたのか!」
車に乗り込みながら、カロンが感嘆の声を上げると、シリウスは笑って、後から続いてきたメティスを誘導して車に乗せた。警察官たちの反撃にも拳銃で応じ、車に乗り込んだカロンも手伝って、シリウスは車を発進させた。
「戻ったというより、誰かさんの指示で、また、こっちにやっかいになりにきたってことだな。また、よろしくな」
警察をまいて、東との国境近くにまでくると、シリウスがそう言って手を伸ばしてきた。
「誰かさん? アースの転移でこちらに来たのか?」
「地球のシリン以外に、だれが渡航できる? 地球にはまだ渡航者は存在しないんだ」
「しかし、アースはなぜこのことを?」
カロンの疑問に、メティスがくすりと笑った。
「彼は、おそらく今のマリンゴートの状況など、すべて見通しているよ」
なんの事なのかわからない、そんな疑問を抱えたまま、カロンはメティスを見た。国境は越えた。中央は思ったよりも危険な場所だ。入った途端にあれでは、交渉のしようもない。ふたたび表情をこわばらせるカロンに、シリウスが言う。
「カロン、もうわかっているだろうが、近いうちに、中央は解体されなきゃならない。どういう形でもだ。この国はもうこんな形では存続はできないだろうな。アースを待っている時間も余裕もない。できれば、教会に戻ったら詳しい話がしたい」
「それは、東の再軍備のことか」
カロンの答えに、シリウスが頷いた。彼は、地球人だ。戦争をあまり経験していないこの暁の星には似つかわしくない考え方をする。しかし、今回のことに関しては別だ。中央は、ある程度経済的にも潤っている。他国との外交もそれなりにうまくいっている。だからこそ、自己解体は難しい。東以外にはいい顔をして、東だけにはああいった態度をとる。それを他国に知らせようにも簡単にもみ消してしまえるだけの力があるから、どうにかして外からの力を持って解体させなければならない。もし、戦争にでもなれば、東は再び軍備を強化し、持ち前の救護隊をさらに活躍させなければならない事態になる。
長い道のりを経て教会に着くと、車から降りた三人を、ナギとケンが待っていた。二人は今日非番なのだという。私服で歩いていた。
ナギは、シリウスを見て、少しだけ口元に笑みを浮かべた。何かを納得したそぶりで三人を迎えると、メティスを先頭に、三人の後ろについて執務室に向かった。
メティスの執務室は、先代であるブラウン神父の部屋をそのまま受け継いで使っている。内装にはさほど手を加えていない。むしろ、そのままのほうが、いいのだという。ブラウン神父から、この東マリンゴートの母体となった東マリンゴート・レジスタンスの後継者の一人として迎えられていたのがメティス。三人の創設者はそれぞれ後継者を指定して、この東マリンゴートを去って行った。ブラウン神父はメティスを、アレクセイ・ゲイラーはシリウスを、ヘレン・アンドリューは、アースを。
執務室にあるソファーに腰かけ、カロンとシリウスは向かい合った。ナギがケンとともに、メティスの指示を受けて飲み物を淹れるために食器を用意していた。
「先生の言ったとおりになったよ」
カロンは、苦笑いを浮かべて頭を抱えた。ナギの白い手が目の前に現れ、コーヒーを置いていく。彼女はインスタントを好まない。必ず一杯ずつ丁寧に淹れていた。香ばしい匂いが気分を少しだけ和らげた。
「話して分かる相手じゃない。でも、このままでは中央に何をどう、説明したらいいのか」
すると、正面にいたシリウスが、ため息をつく。
「説明して聞く相手かよ。まあ、だからと言って戦争を起こしたいわけじゃないんだろ、お前らは」
メティスが、頷いた。自分の肘掛椅子に腰かけて、考え事をしている。
そのとき、ナギが動いた。全員の分のコーヒーを淹れ終わって、壁に寄りかかりながら外を見ていた。その青い瞳をこちらに向ける。
「神父さん、あんたが決断しな」
そう言い放って、静かに姿勢を整える。横でケンが心配そうにナギを覗き込んだ。そんなケンに、ナギは優しい瞳をした。無理なことは言っていない。当然そうあってしかるべき状況に持って行こうとしていた。
「神父さん、ナギ先生はおそらく、あなたに指導者として立っていただきたいと思っているんです。僕も、同じ気持ちです。あなたなら決められる、そう思います」
ケンは、懸命にナギの気持ちの代弁をした。言葉数の少ない彼女に代わって、ケンが説明することは多かった。
「私に、指導者として?」
ナギは、頷いた。
「まあ、そうだよな」
シリウスが、笑った。ナギの淹れたコーヒーを口元に運んで、一口飲む。
「ブラウン神父さんは、指導者だったぜ」
「しかし」
メティスはそう言って、頭を抱えた。ブラウン神父は確かに優秀な指導者だった。しかし、メティスとブラウンは違う人間だ。そもそも指導者に必要なカリスマをメティスは持っていない。自分でもそればよく分かっていた。だから、頭を抱えるしかなかった。
「神父さん」
ケンが、もう一度、神父を見た。
「ブラウン神父さんも、最初からあんなふうに立派な指導者だったわけじゃないんです。きっと、大丈夫ですよ。下に、僕たちが付きますから。ね、ナギ先生?」
ケンに話題を振られて、ナギは目を丸くした。
「あ、ああ」
そう言って、苦笑いを浮かべた。ケンには敵わないな。そう言ってため息をつく。
「神父さん、再軍備は中央に攻撃の理由を与えるかもしれない。しかし、やるだけの必要に迫られているんだ。このままでも十分、中央のミサイルが飛んでくるだけの理由がある」
「理由とは、石油コンビナートの爆破テロか」
カロンの問いに、ナギは頷いた。
「中央は、どうしても神父のせいにしたいだろうからね」
「確かに、弁解や説明に行こうとすれば、ああやって襲われるんじゃな」
シリウスが、ため息をついてソファーによりかかった。そして、ふと窓の外を見る。しばらく地球にいたためか、随分と空の色を薄く感じる。
「メティス」
ナギが、メティスを名で呼んだ。何故なのかは分からない。しかし、彼女なりの理由があるのだろう。神父はナギを見た。優しい瞳でこちらを見ている。大丈夫、彼女の青い瞳を見ていると、本当にそう思えてくる。
「私たちを、信じてほしい」
ナギの言葉に、メティスは、苦笑いを浮かべた。まだ、迷いがある。皆がああいってくれているのに、自信がない。少し、時間がほしかった。
シリウス達の言っていることは正しい。しかし、そう、うまく事は運ぶだろうか。
「ナギ先生、シリウス、すまないが、メティスに時間をくれないか」
そう言ったのは、カロンだった。
時間をくれないか、そう言ってみたはいいが、大して時間はない。警察府にはしばらく帰れないだろう。事実上仕事を放り出してきてしまったのだし、失敗にもなるだろうから。神父メティスの一言があれば、警察府も黙らせることができるだろうが、本人にその気がないのだから、仕方がない。
「君が思っているよりは、時間はないかもしれない」
カロンは、そう言うと、自分の目の前に置かれたコーヒーを飲んだ。
「納得のいかないことを決断するのも、大切なことなんだよ、メティス」
東マリンゴート中央病院を取り巻く公園は、半分以上が森だ。
その森に、いくつか大きな噴水があった。森の中の噴水とは神秘的なものだ。空を覆う木の枝から漏れる木漏れ日に、きらきらと水滴が輝く。真昼の開けた公園よりも美しい光景だった。
噴水の周りには柔らかな草が生えていて、森の中に敷かれた芝生や背丈の低い下草とうまくなじんでいた。公園のあちらこちらに咲いている花も、きれいなものだった。地球のものではない、暁の星に原始から咲いている花を植えたものだ。桃色に輝く麦穂のようなものもあったし、太陽の光に白い色を反射している大輪の花もあった。種類は多く、見ていて飽きることはない。
カロンは、その森に用があった。メティスと待ち合わせをしていた。待ち合わせた時間より早く来たのは、めったに来ることのない、この病院周りの公園を楽しみたかったからだ。
ふと、立ち止まる。
メティスは、来るだろうか。
ナギやシリウスにあんなふうに言われ、指導者になることをほぼ強要されたことで、まだ悩んでいるのではないだろうか。メティスは悩み出すと止まらない。どこまでも自問自答を繰り返し、果てには解決の糸口を封じ込めてしまうくらいにまで、自分を追いつめてしまう部分がある。まだ悩んでいるとは考えたくなかった。彼にも仕事がある。神父としての、教会の仕事だ。それを放ってまで悩んでいるとは思いたくなかったが。
約束の時間になった。待ち合わせ場所に向かう。メティスらしい人影は見ない。
そっと、待ち合わせ場所の噴水の水をすくう。冷たくて気持ちがいい。この夏は厳しかった。あまりの暑さに熱中症で倒れる人間が後を絶たない。病院もこの夏は忙しいだろう。この噴水を待ち合わせ場所にしたのは、正解だった。人があまりいない。重要な話をするにはちょうど良かった。
しばらく待っていると、メティスが来た。遅れて来たのに、急いだ様子がない。ゆっくりと、公園の様子を見ながら歩いてきた。意外と時間に関してはルーズなのだろうか。いや、違う。心に余裕を持たせるための行動だろう。そういえば、このような場所でメティスと待ち合わせること自体、初めてだった。
簡単なあいさつを交わし、カロンはメティスとともに、公園を散策し始めた。なるべく人通りの少ない場所を選んで歩く。
「指導者のことなんだが」
メティスは、おもむろにその話題を出した。表情が曇る。良い話題ではない。そんな雰囲気だ。おそらく、メティス自身引き受ける気はないのだろう。散々悩んで、おそらくは自分にはふさわしくないと答えるだろう。
「ふさわしくない、か」
考えていたことを口に出してみる。その答えを想定していたのか、メティスは表情を崩さなかった。
「私には、無理だよ」
「どうして、そう思う?」
「資質がない」
「資質が?」
メティスのその答えに、カロンは思わず吹き出してしまった。なにか、どこかがおかしかった。資質がないと言ったメティスがおかしかったのだ。その姿を見て、本人はバツの悪そうな顔をした。何故笑われたのか、分からなかった。ただ、なんとなく、ほっとした。
「ならば聞くが、誰になら資質があるんだ?」
笑いが収まったところで、カロンがそう問いかけてきたので、メティスは顔を赤らめた。ずっと、悩んでいたところはそこだ。
ひとつ、咳払いをして、カロンをちらりと見る。
「誰って、そんなことは」
「ブラウン神父さんか、それともアースか」
困ったような顔をしているメティスに、カロンは笑いかけた。
「アースは、あいつは、確かにカリスマもあるし、知識も経験もずば抜けている。指導力があるのも、今のクリーンスケアのアルバート首長を見れば分かる。あいつが教育したようなものだから。だけど、本当にそれでいいのか? 頼めば、あいつは来てくれるだろう。短期間でも、中央がどうにかなるまではテルストラの王子に戻ってくれるだろうな。でも、それでいいのか? この東マリンゴートはどうなる? アースが戻ってきても、たとえあいつがテルストラを復権させてこの都市国家群をまとめ上げてくれても、お前はなにもしないでいて、それでいいのか?」
「何も、しない?」
メティスの問いに、カロンは頷いた。
「アースは、いずれ地球に帰る。今もそうだろう。地球にいるんだ。ここにいない人間を当てにしていて、お前はそれでいいのか? お前が当てにしているもう一人の人間、ブラウン元神父さんも、もうこの教会には来ない。神父としてはね。彼にはもう、彼の家庭があるし、生活もある。君が神父としてこのマリンゴートにいる限りは、ブラウンさんはもう教会には来ないと思う。アースも神父さんも、あてにはならないんだ。それに、例えこの二人が戻ってきてくれても、いずれは去るんだ。そのあと東マリンゴートを支えて行けるのは、お前だけだ、メティス。だったら、最初からお前が引っ張って行かなきゃならない。僕は、そう思うがね」
「カロン、しかし私は」
「自信がないのなら、なぜ、ブラウン神父さんからこの国を受け継いだんだ? 覚悟はあったんだろう」
「なかったといえば、嘘になる。ただ、私は、神父さんの意思を受け継ぎたかった。それがこの東マリンゴートという土地だった。それだけなんだよ、カロン」
「なら、それで資質は十分にあるじゃないか」
カロンは、そう言ってメティスに笑いかけた。
それで十分だ。メティスの口からその言葉が聞けて良かった。この東マリンゴートは、ブラウン神父たち創設者三人の意思をしっかり形にした国だ。だからこそ、その理想を受け継いだ後継者が、この東マリンゴートを動かすべきだと思った。
「メティス、再軍備をしよう」
改めて、その話題を振る。メティスの表情は晴れやかだった。何かが吹っ切れたのだろう。カロンが、迷いに対する答えをそのまま言ってくれたからだろうか。その答えが、メティスの中にある理屈にかなうものだったからだろうか。
再軍備に関しても、悩みに悩んでいた。カロンもだろう。おそらくは相当悩んだはずだ。メティスだけではなく、カロンも真剣に悩んでその答えを出したのなら、それは、メティスに対しての答えでもあった。
「では、軍事顧問のモリモトさんに相談してみるか」
メティスがそう答えると、カロンは、嬉しそうに笑った。
再軍備は、戦争のためではない。自衛のためだ。実際にどうなのかはわからない。周辺各国は東マリンゴートの再軍備について、何かしら反応を示すだろう。中央を刺激することにもなる。東への侵攻の理由にしてくるかもしれない。それだけの危険は孕んでいたが、強化するのは救護隊からだ。
そう、強化する部隊が救護隊ならば、様々な逃げ道がある。
東だけではない、連合各国への救援ができるという名目が立つのだ。もちろん、その中には中央も含まれている。
救護隊は、融通のきく部隊なのだ。
「ありがとう、メティス。これで僕も警察府に帰れるよ」
カロンは、笑って返した。
メティスが決断しなければ、仕事に戻れなかった。そんなカロンの立場を、メティスはつい忘れていた。カロンは笑ったが、メティスは恥ずかしさに顔を赤らめることになった。
「すまない」
素直に謝ると、カロンが肩を叩いてきた。気にするな、と、言って笑いかける。
そして、急に真剣なまなざしで、目の前に現れた病院を見る。いつのまにか、公園から病院にまで足を進めていた。引き返そうか、それとも、中に入ろうか、迷っていたら、メティスが、森に引き返そうと提案した。病院に行っても、ナギやケンはまだ忙しい。用がないのなら行く必要もない。
森の中に引き返し、柔らかな下草の生える地面を踏みしめる。芝生の中に入ってもよかったが、歩きにくい。何かを話しながら歩くことには向いていない。柔らかな草の上を歩き、道へ出る。きれいに舗装されている。
そこで、今度はメティスがカロンに質問する段になった。あのテロ事件のことだ。いったいどうして、メティスが中央に赴かなければならなかったのか。ニュースでは神父がコンビナートに爆薬を仕掛けたのだろうと言っていた。しかし、そんなことはやった覚えがない。どういうことになっているのか、警察はどこまで事実を掴んでいるのかが知りたかった。これは、東マリンゴートの指導者として初めての質問だった。
「警察はまだ、何もつかめてはいない。しかし、シリウスやナギ先生から聞いた情報に照らし合わせて考えると、一つの答えが出てくるんだ。メティス、たしかに、石油コンビナートを爆破したのは、君だ」
「なんだって?」
メティスが、不審なものを見るような顔をした。自分は全く身に覚えがない。それどころか、そんな時間に列車に乗ること自体があり得なかった。アリバイはある、動機はない。
困惑していると、カロンが苦笑した。
「すまない、正しくは、君にそっくりな、君と瓜二つの人物が、ということだ」
「私に、瓜二つだって?」
カロンは、自信に満ちた表情で頷いた。
「目撃された君は、若かった。今の君より十歳は若いだろうね。それは、君に似た別人が存在することの裏付けにもなる。君は、もう一人いるんだよ。まあ、現実的に考えれば、君そっくりに整形された男性、ということになるが。参ったよ。君のその顔は、コピーできないと思っていたからね」
カロンは、そう言ってため息をついた。惑星のシリンは、どんな人間が、どんなふうに見ても美形に映る。そんな顔をコピーできるはずはないのだが。
しかし、今、この時点でその要素は関係がない。話をそらしてはならないから、いったん無視することにして、話を続けた。
「まあ、それはいいとして、君そっくりに整形された人間が、あの爆弾テロを起こしたんだと、僕は推測する。誰が何の目的で、そんなことをしたのかは分からない。もしかしたら、君を消してしまいたい中央が何か画策したのではとも考えた。しかし、石油コンビナートは国家の重要な施設だ。それを犠牲にするとは考えられない」
「たしかに、そうだな」
メティスは顎に手を当てて考え込んだ。カロンの推測は、正しいだろう。メティスも、同じようなことを考えていた。
しかし、一体何のためにそのようなことをしたのだろう?
そこが、分からない。
疑問に曇った瞳を向けるメティスに、カロンは苦笑いをした。
「僕もそこがひっかかっているんだよ。中央は、戦争をしたいのだろうか」
「しかし、軍備の薄いこの国を攻撃するメリットはあるのかい」
メティスが問うと、カロンは顎に手を当てて考え込んだ。そして、一言、こう言った。
「地球渡航者」
「地球渡航者?」
「ああ。十年前、あの戦いが終わる間際、僕がアース達と、クリーンスケアに行ったとき、そこで待ち構えていた地球渡航者は言っていた。中央は食糧問題に困り、東を侵略したのだと。この都市国家連合が滅びたのはそのせいなのだと。十年前に、十年後の未来に行っていた僕たちに、そう言った」
「では、中央は私の存在を利用して、正当な理由を作って侵略をしてくるのだと?」
カロンは、頷いた。
「かもしれない。しかしまだ、理由が中途半端だ。この先中央がどう動いてくるのか、きちんと監視しなければならないな」
「ああ」
再び森を抜け、大きな病院の敷地に出た。今は独自の発展を遂げ、大病院となった東マリンゴートの病院には、多くの人間が通っている。医療設備も人員も充実してきたのは、三年前にここにやってきたナギ・フジという女医の力が大きい。名医と称される彼女はまだ若い。彼女を慕ってやってくる医療関係者や若い看護師も多い。
開けた土地に出て、綺麗に整備された公園の中を歩く。二人はそのまま何も言わず、この先に待ち構えている何かに身構えるしかなかった。午後の日差しは暑い。背中に汗をかきながら、メティスとカロンは、公園を戻り、教会に向かい歩き始めた。
テルストラ都市国家連合が建国されて三千年。
その頃起きた戦争は、後に、国によって呼称の異なる名称で呼ばれることとなる。
今から十年前、テルストラと、当時、東西に分かれていなかったマリンゴートを中心に、ひどい差別法が敷かれていた。その恐怖政治が支配する社会に、人々は怯えていた。そこで、マリンゴートや、隣国クリーンスケアを中心に作られた地下組織レジスタンスが立ち上がり、恐怖政治と戦っていた。
当時最悪と言われていた劣等民族強制収容所を解放したレジスタンスは、勢いに乗ってその勢力を広げ、各都市を開放していった。
そのきっかけを作った強制収容所の開放。
そこに、ひとつの問題があった。当時その収容所内で作られていた大きなドームが一体何であったのか、未だに謎のままだったのだ。東マリンゴートの当時の神父・ブラウンによれば、あれはガス室で、大量の人間を毒ガスで殺す大量殺戮施設だという。しかし、当時そのような殺人ガスが見つかった痕跡はなく、神父の言い分は闇に葬られていってしまった。しかし、その事実を今、利用とする勢力が現れた。
あの巨大ドームはガス室で、そこに流れ込むはずの殺人ガスを止めた、もしくはガスをガスでないものに変えて中にいた被差別民を助けた人物がいた。
その人物は、殺人ドームの中に迎え入れられず、誤解を受けたまま、中にいた被差別民を守るためにドーム入口で一人戦っていた。そして、何らかの理由により姿を消した。
そして、それが、当時レジスタンスの中で異彩を放っていたひとりの青年であったことが判明した。それは、クリーンスケアに逃れていた当時の国王・ガルセス・フェマルコートの王子であるアース・フェマルコートだったのだというのだ。被差別民として追放された国王一家の嫡子、アース。彼は、特殊な能力を持ったシリンという種族の人間で、それも、惑星を統括する意思の表れ、因果律の主である惑星のシリンであるという事実まで判明した。この暁の星に文明を持ち込み、また発展させてきた地球という星のシリン。彼の能力は底が知れず、毒ガスを毒ガスでない清浄な空気に変えることなど、造作もないことだというのだ。
人々は知っていた。特に、当時ガス室の中に押し込められていた被差別民であった中央の人間には、分かっていた。彼らが唾を吐きかけ、裏切り者と罵ってドームから追い出したその人間こそが、自分たちを助けてくれた人間だったのだと。
知りながら、憎しみに覆われた感情の中にその事実を隠していたのだ。
その戦争が終わり、すべてを裏から操っていた一人の人間が死んでから十年後、つまり、現在の中央マリンゴートでその事実が、明るみに出ることとなる。
中央マリンゴート北の組織、北部新進党が、厳正なる調査の上、その事実を国民の前に差し出したのだ。
そして、南部の対抗組織・南部保守党を、こう、非難した。
「今までこの事実を知っていながら国民の前に出さなかった保守党の罪は重い。我々の真の救世主はアース・フェマルコート王子殿下である。それを蔑ろにして非難し、国民を騙し続けていた。今回の新進党の調査ですべてが明るみに出た。保守党が王子殿下を抱え込んで何を考えているのか、それは明白である。テルストラ本国から権力を奪い、また、東マリンゴートを侵略しようという算段である。それは許してはならない。今、中央マリンゴートに必要なのは王子殿下にほかならない。東マリンゴートにいらっしゃるはずの王子殿下を迎え入れるのは、我々が今、するべきことだ」
この、北部新進党の説明に、国民は沸いた。
皆、分かっていたのだ。事実を分かっていて、当時差別を行っていた移民への憎しみの上にそれを隠し込んでいただけなのだ。一度事実が明るみに出ると、中央マリンゴートの国民の動きは早かった。
王子を探せ。
東マリンゴートにいるはずの王子を探せ。
その機運が高まっていたその時、東マリンゴートでも、動きが出始めてきていた。
その日は、神父メティスの執務室に、カロンをはじめとして、ナギ、ケン、そしてシリウスが集まり、北部新進党のテレビ演説を見ていた。神妙な顔をするケンは、ため息をついて神父を見ているナギの服の裾を掴んでいた。シリウスはテレビを横目にいらだちを隠せないでいた。
いまさらになって、なぜ、中央はこのようなことを言いだしたのだろう。これでは、東マリンゴートがアースを囲っていて、放さないでいるようなものではないか。本人は地球に帰ってしまってここにはいないというのに。
シリウスの心境を察したのか、ナギが神父の執務室からケンを連れて出た。そして、しばらく廊下で何かを話し込んでからもう一度部屋に入り、こう言った。
「これは罠だ。ここに王子がいないことなんて、周知の事実だ。あの名医がここにいれば、私は今ほど忙しくはないからね」
「罠って、それなら、どうやってそれを回避するんですか?」
ケンが口を尖らせる。すると、ナギは、そんなことは簡単なことだ、と、付け加えてこう言った。
「本物の王子が、ここにいればいいんだ」
すると、ナギのその発言に、カロンが反論をした。
「そう簡単にはいかないですよ、ナギ先生。地球にいるアースをどうやって説得するんですか? この星から何万光年も離れているというのに」
「そうだね、まあ、普通に考えれば不可能だ。でも、彼は来るだろうね。来て、責任を果たさなきゃならないことなんて承知の上でシリウスをよこしたんだろう?」
ナギのセリフに、シリウスはドキリとした。確かにそうではあるが、シリウスは皆が知らないもう一つの事情を知っていた。そのためなのか、先程のようないらだちはもう、見せていなかった。
「確かにそうだけど、俺はそんなことまで責任負えないからな」
「まあ、そうだね。そこまであんたが首を突っ込む必要はないさ」
ナギは、そう言って、次にカロンを見た。
「あんたたちは、本当にこのままでいいと思っているのかい」
「このままでって、そりゃあ」
カロンは困った顔をして言い返したが、言葉に詰まってしまった。アースが来てくれれば、それほど助かることはない。彼とは幼馴染の間柄だし、会えるのなら会って話したいことは山ほどあった。しかし、このようなことで彼を頼ってしまってもいいのか、そこが引っかかっていた。
「メティス」
カロンの様子を見て、ナギは困ったように笑った。ここの人間はあと一歩が踏み出せない。苛立ちを覚えることはなかったが、頼りなく感じることはあった。ナギは、テレビの演説に見入っていたメティスを、名指しで呼んだ。神父はハッと気づいて皆の前に向き直った。
「メティス、あんたはここの統治者だ。その自覚はもっと持ったほうがいい。アースをここに呼び戻すのか、このままどうにかしてごまかすのか、選択はできないのかい」
「選択、ですか」
そう言って、メティスは少し、考え込んだ。
「どちらを選択しても、ナギ先生にご迷惑をかけるかもしれません。それでも良いのなら」
「かまわないよ、私はね」
そう言って、ナギは微笑んだ。
その時だった。
神父の執務室の白いドアを、ドンドンと叩く音がして、その場にいた全員がそちらを向いた。普通のノックではない。なにか、急いでいる。
「神父さん、神父さん!」
教会の職員の声だ。神父が急いでドアを開けると、そこには息を切らした男が立っていていた。
「どうした?」
神父が声をかけると、男は息を整えながら、こう言った。
「中央から、誰かが追われてきて、そこで保護したんですが、すみません、追っ手がついていたらしくて、モリモトさんに支援要請を出したんですが非番で」
「追われていた? 誰が追われていたんだね? 追っ手は?」
神父が尋ねると、男は首を横に振った。
「わかりません。ただ、教会に、神父さんに会わせてくれと、それだけ言っていましたので」
「わかった」
事情は全く掴めていない。しかし、神父は首を縦に振った。
「誰であろうと、この教会に助けを求めてきた者を見殺しにはできない。シリウス、出てくれるか?」
カロンは警察組織の人間という立場上、得体の知れない人間に手出しはできない。ナギは医者だ。看護師のケンに戦闘をさせるわけにも行かない。ここは、シリウスに任せるしかない。そう判断した神父は、シリウスに指示を出した。
「事情が掴めない。後始末をお前がするなら、俺は構わないが」
「責任は私が取るよ。頼む、シリウス」
すると、シリウスは分かった、と一言だけ言って、その場を急いで去っていった。神父を呼びに来た男がシリウスの前に立ち、案内しながら走っていった。
これで、よかったのだろうか。
確かに教会の神父という立場上、先ほど言ったように助けを求めてくる人間を見殺しにはできない。しかし、助けを求めに来た人間が必ずしもいい人間とは限らないのだ。これは罠かも知れない。
しかし、すべてを疑ってかかることもまた、できるわけではない。神父メティスは、ちらりとナギを見た。すると、彼女はそう難しい顔をするわけでもなく、神父に向かって苦笑をなげかけてきた。
「大丈夫だよ、神父さん。助けた人間に問題があれば、シリウスはその場で始末するだろうからね。彼にはそれくらいの判断力はあるさ」
ナギは、人を見る目が鋭い。少し会っただけの人間をすぐに理解してしまう。
メティスはその鋭い女医の意見にほっとしながら、シリウスを待った。ナギの言うことには真実味があった。おそらくは大丈夫だろう。
ナギやケンとともにしばらく無言で待っていると、ドアをノックする音がしてケンが出た。すると、そこにはシリウスとともに二人の男たちが立って待っていた。
「中央の」
ため息をつきながら、シリウスは苦笑して後ろの二人を指さした。
「保守党の党員さんらしいぜ。なんでも国民に追われたうえ、よく知りもしない暗殺者にまで狙われてここまで逃げてきたらしい」
そう言ったシリウスの後ろで、疲れ果てた表情の二人の男が会釈をした。
「東マリンゴートの教会はすべての人間に開かれていると聞きました。我々の国が神父さんに失礼をしたことを承知の上で亡命してまいりました。どうか、かくまっていただきたい」
片方の男がそう言って深々と頭を下げた。
「私の名はホランド、もう一人の名はクーランです」
見ると、ホランドという男も、クーランという原住民風の男も、上質のスーツの所々が擦り切れて、場所によっては破れていた。暗殺者のナイフにでもやられたのだろうか。必死で逃げてきた様子がうかがえた。
彼らの言っていることはおそらく嘘ではあるまい。保守党の中でもおそらく何かの重要な秘密を知ってしまったばかりに追われていた、といったところだろう。
これは予測に過ぎないが、もし、そのようなことがあったとしたら、何か東マリンゴートにも事態を打開できるチャンスがあるかもしれない。神父はそう考えた。それを読んだのか、ナギがため息をつきながら神父に笑いかけた。
「神父さん、庇ってやりなよ。彼らにとっちゃもう、ここ以外に居場所はなさそうだからね」
「そうだね」
そう言って、メティスはホランドとクーランに手を差し伸べた。おそらく暗殺者はこれであきらめはしないだろう。彼らが生きている限りその追手を差し向けることをやめないとなると、シリウス一人にその護衛の任を任せるのは無理がある。
「神父さん」
今度は真剣な顔をして、シリウスがメティスに話しかけてきた。
「分かっている。ナギ先生、しばらく病院のほうを休んでいただくことはできないだろうか」
メティスの声を向けられ、ナギがため息をついた。
「ここの所予約でいっぱいでね。まあ、ほかの医者に回すことができればやれないこともないが、アテはあるのかい、神父さん」
すると、メティスは神妙な顔をして考え込んだ。
手はないわけではない。ナギに代わる医者で、腕の立つ名医はこの東マリンゴートにいないわけではないのだ。
「ナギ先生、シリウスと交代で彼らの護衛と情報の交換をお願いしたい。おそらく彼らが追われていた理由は情報であろうから。ならば、東マリンゴートの持つ、王子アース・フェマルコートの情報と引き換えに、その情報を引き出してほしい。彼らにもなにか希望が必要だろうからね」
「王子の情報か、考えたね」
ナギが、笑った。
「それで、私に代わる医者は、どうするんだい?」
問われると、メティスは、真剣な顔でこう返した。
「一週間のうちには必ず手配します。少し面倒をかけますが、準備も兼ねてよろしくお願いします」
「一週間」
メティスの執務室を出て、廊下で二人きりになったケンとナギは、何となく重い空気を感じながら静かに歩いていた。教会の廊下は長い。そのうえナギとケン以外に誰もいない。小さな声であればほかの誰かに聞かれてはならない話でもすることができた。
「先生、いいんですか」
「いいんだよ。腕の立つ医者がいれば、それに越したことはない。神父さんの知り合いならなおさらだ。おそらくは伝説の名医、オルビス医師か、そのライバルであった医者の弟子、と言ったところだろうがね」
ナギのその言葉に、ケンは不満そうに口を膨らませた。
「でも、それじゃ僕とナギ先生は一緒に仕事できなくなるじゃありませんか。僕は医者を目指している以上、先生のような方の下にずっとついていたいんですよ」
「そうかい」
そう言って、ナギは笑みをこぼした。しかし、その瞬間、突然歩みを止め、ケンをさがらせてふう、と、ため息をついた。見ると、ナギのその瞳は緊張を帯びていた。
「かかってきな、暗殺者とやら」
ナギの言葉に驚くケンを庇いながら、彼女は緊張した声を放った。
すると、ナギの前に三人、ケンの後ろに一人の暗殺者が音もなく現れた。
「シリウスの撃ち損じじゃないね、新手かい」
ナギは何も得物を持っていない。素手で暗殺者と対峙していた。ナギの実力を知るケンは怖くはなかったが、それでも暗殺者の殺気には気圧されていた。
「神父メティス」
暗殺者の一人が、勝てない、逃げられないと悟ったのか、襲いかかる前に呟いた。
「覚えておけ、次は神父の命を頂く」
そう言って、四人は一斉に襲いかかってきた。ナギはケンを振りまわしながら、見事な足技で暗殺者の武器を奪い、華麗な舞いに似た動きで暗殺者を一人一人片づけていった。ナギの舞が終わるころには、気を失った四人の男がそこに倒れていた。ケンはナギの指示で、先程の暗殺者の言葉を神父に伝えるために走っていった。
メティスは呼ばれるとすぐに駆け付けた。シリウスもついてきていた。
「次は私の命を狙う、と」
四人の男たちを眺め、教会の警備隊が来るのを待ちながら、メティスは呟いた。ナギが神妙な顔つきでメティスを見ている。一週間と神父は言った。しかし、実際にはもうそんなに時間はないのかもしれない。何かが動き出している。そして、暗殺者の裏に感じる何かの不思議な感じ。先ほどから感じ始めていたこの星の命に係わる感触。おそらくこれは、神父も感じることだろう。
「神父さん、時間がない」
ナギが、真剣な顔つきで神父を見た。今までで一番切羽詰まった顔だ。ナギにしては珍しい。焦っているのだろうか、ケンが不安そうにナギを見た。
「決断は一つに絞られたようだね」
三つの月のうちの二つが昇り、マリンゴートの草原の草に夜露が下りるころ、その時間になると時々夜空に虹がかかる。月虹だ。強い草原の風に飛ばされた草の露が舞い上がるためだ。
そんな暗い夜の草原の草は、夜露を含んで乾いた風を受けていた。普通に歩く分にはそんなに濡れる心配はない。二人の人影がその草原を歩いていた。
遠くに教会の森、そして先には黒くそびえたつ山脈を見据えて、草原の背の高い草をかき分けていた。
一人が、ふと、地面に膝をつき、草の間から土に手を触れた。生暖かい感触とともに、何か得体のしれない大きな力を感じる。これはこの星に秘められた力だった。
「先生」
一人が、不安げに呟く。ケンだった。
地面に手をついていた女性が立ち上がる。相変わらずの苦笑いをして、ケンのほうを見た。
「まだ、第三の月は見つかっていないんだ、この星は。私の本領が発揮できるのは海だからね。第三の月が近くにいる、それくらいしか分からなかったよ」
「第三の月が近くに? それだけ分かれば凄いじゃないですか。すぐに神父さんに知らせましょう」
「待て」
喜びに舞い上がったケンをナギが制止させた。
「もしかしたら、中央で洗脳されている市民の中にいるかもしれないんだ。そう簡単には喜べないよ」
「そんな」
ケンが落胆して肩を落とした。こういうとき、彼の感情表現の豊かな部分はナギの救いになった。ケンはおとなしいように見えて、実にしっかりとしている。こういう豊かな感情表現も彼の性格のうちの一つだが、その豊かさに安心することも少なくはない。
ナギは、もう一度、今度は両手で地面に触れてみた。
「何をしているんです、先生?」
ケンが問いかけてくる。ナギは何も答えずにただ地面に集中し、そこから得られる情報の処理を脳に送り込んでいた。
惑星と直接つながることのできる地面は、シリンが生まれ、人の意識が交錯する「静かなる自然の環」に一番近い。そこから得られる情報は多かった。
ナギは、しばらくして立ち上がり、安心したように体の力を抜いた。
「ケン、安心しな」
そう言われたケンが、不思議そうにナギを見た。
「この大地は、意外としたたかだよ」
教会に保護されたホランドとクーランは、シリウスが見張る部屋の中で依然おびえながら時を過ごしていた。当然といえば当然かもしれない。中央からここまで、ずっと暗殺者の影におびえながら逃げてきたのだから。教会は安全だとはいえ、まだ安心しきれていないのだろう。ぶつぶつと何かを言いながら体を丸めていた。
そこに小型の狙撃銃と拳銃を持ったシリウスが戸を開けて入ってきた。部屋の外で武器の手入れをしていたのだろう、手に持った武器が新品のように見えた。
すると、その後ろから黒い髪の女がいい匂いのするトレイをもって入ってきた。おなかが大きい。それと分かるような妊婦だ。彼女は外から一つずつ、食事の乗ったトレイを運び入れて怯えた二人の正面に置くと、にこりと笑った。
「今日は、特別にカロンのかみさんの料理なんだぜ。これがけっこういけるんだ。食べてくれよな」
女が下がり、シリウスもそっと戸を閉めると、先にホランドが涙を流した。
「教会は暖かいな」
そう言って、拳を強く握った。
「中央は、軍国主義に染まりつつある。私たちはそれが嫌で逃げてきたんだよ、ホランド。これでよかったんだ。結果、この教会の人たちには迷惑をかけているのだが」
「ああ」
ホランドが涙を拭いて、目の前に置かれた食事を見た。まだ温かい。
「妊婦か」
そう言って、一抹の笑みを浮かべた。
「この国には未来があるな」
「ああ」
クーランは答えて、食事に手を付けた。どれもあたたかくておいしい。カロンといえば、あの刑事か。その妻なら苦労は絶えないだろう。それなのに、自分たちのために時間も労力も割いてくれる。それも嬉しかった。
ホランドとクーランは、暗殺者の標的が神父に移ったことを知らなかった。教会が知らせていなかったのだ。
彼らを疑っていたのではない。まだ、教会は神父に標的が移ったことを知らないで二人の逃亡者を守っている。そう、暗殺者に思わせておくことで、ターゲットを神父一人に絞り込んでいたのだ。実際もうすでにホランドとクーランの身は安全であろう。しかし、それでも外にシリウスが張り付いているのは、そういうわけだったのだ。あくまで部屋の外にいるという状況はシリウスにとっても有利で、神父に何かがあったとき、すぐに動くことができるからだ。
そんな状況のまま、一日が経った。
ホランドとクーランの二人は安心して眠りにつき、次の朝しっかりと目を覚ましていた。外に出ることを許され、神父に面会をすると、クーランのほうが、神父の手のひらをしっかりと握り、涙をこぼした。
「ありがとうございます、神父殿。助けていただいた恩、どう返したらいいのかわかりませんが、我々にできることがあれば何でもいたします」
「クーラン」
隣で、驚いたような眼をしたホランドが呟いた。
すると、神父はここで初めて真実を明かすことを決めた。彼らを再び巻き込むことのないように。
「ホランドさん、クーランさん、あなた方の安全は確保されました。もう何も心配はいりません。あなた方が何かの秘密を持っていたわけではないことを、我々は知っています。それでも、確実に安全の確保できるこの教会で職員として働いてほしい。もはや、暗殺者のターゲットは私に移りました。理由がなぜかはわかりません。しかし、これであなた方が狙われることはなくなった」
「神父殿に、ターゲットが?」
ホランドが、驚いて大きな声を上げた。横で、クーランがホランドを抑える。
「彼らはおそらく、もともと私をターゲットにしていたのでしょう。そこにたまたま、亡命するあなたたちがいて追いかけることになった。あなた方が気に病むことはありません」
「しかし、暗殺者は中央のものたちなのでしょう?」
「そのようです。昨日ナギ先生が気絶させた4人のうち全員が中央のエムブレムのついた衣装を身にまとっていましたから。私が中央に命を狙われる理由はまだはっきりとはわかりません。しかし、こちらも身を守らなければ東マリンゴートは立ち行かなくなる。なるべくなら避けて通りたい道ですが、そうはさせてくれないみたいなのでね」
「そうですか、本当に、申し訳ない。私たちにもう少し、中央の知識があれば」
「構いませんよ。これからは、教会の職員として、我々を助けていってほしい。お願いできますね」
そう言って、神父は右手を差し出してきた。その手を涙ながらに握り、二人の逃亡者は教会の職員として働くことを決めた。
軍国主義に染まり、国民の食糧も日に日に減らされている中央マリンゴートに比べると、豊かな東マリンゴート。その国を、侵略して食糧を奪おうという腹である中央マリンゴート。そして、その二つの国をただ見守るだけの二つの国ハノイとクリーンスケア。明らかに緊張が増しているにもかかわらず、何もしないのはテルストラの弱体化の影響であった。
誰かが、テルストラを救わなければならない。復興後間もない、元王族の国、テルストラ。この国に王が再び立てば、すべての国は結束する、そういわれて久しい。
テルストラ都市国家連合。
この一つの国の復活を願う声は、日に日に大きくなっていった。
一回目に暗殺者が襲ってきてから三日後、ついに、神父メティスのもとに暗殺者からのメッセージが届いた。
それは、手紙という形で教会のポストに届いていた。
内容は簡単で、明日の夜十二時に、誰もいない、教会から離れた草原に一人で来いとのことだった。誰か一人でも連れてくれば、東マリンゴートの市民のうちだれかを無差別に殺すという。
この手紙を信じるかどうか、仲間のうちでは議論になった。ただの手紙にしては質が悪い。いたずらとも思えないが、神父を一人で行かせるわけにはいかなかった。
惑星のシリンは、その惑星に存在するすべての生命の頂点に立つ強さを持っている。しかし、メティスの場合、それを使おうとしない。あくまで仲間の力を信じ、自分一人の力で解決しようとはしなかった。だからこそ、一人で来いという要求はメティスにとって難題であったのだ。
「草原は隠れる場所がたくさんある」
カロンが、あごに手を当てて考えながら呟いた。
「しかし、向こうも同じ状況か。見つかる可能性は否定できないな」
すると、メティスは微笑んで、悩みあぐねている皆に、こう言い放った。
「私は一人で行くよ」
すると、皆の中から一斉に危険だという声が言い放たれた。
「メティス、お前まだ一人で戦ったこと、ないだろ」
シリウスが訴えると、メティスは首を横に振った。
「大丈夫だ。死にはしないさ。ただちょっと、けがをするだろうから、誰かに助けてはほしいけどね」
「そんな悠長な」
「暗殺者は何人来るかわからない。相手はあんたが惑星のシリンだと知っている可能性もあるんだよ」
ナギが無表情で神父に進言すると、神父はまたしても首を横に振った。
「それでも、一人で行かなければ市民が危ない。私一人のために市民を危険には晒せないよ」
すると、ナギがため息をついて、苦笑した。彼女のこういった顔は珍しいものではない。ナギが本当に心から笑うことはめったにないことだったからだ。
「分かったよ、神父さん」
そう言って、ナギは席をはずした。ケンが、先生! と一言呼んでついていった。
「メティス」
呆れたような目をして、シリウスがメティスを見た。メティスは、大丈夫、と、何度も言ってはいるが周りは心配で仕方がない。ナギは怒って行ってしまったのだろうか、それとも、メティスの言い分を認めたのだろうか。
「まあ、お前の言うことも、もっともだけどよ、俺たちにだって何かできるはずだ。街中で暗殺者の仲間を探し回って始末することもできないわけじゃない」
シリウスはそう言ったが、カロンがその意見に反論した。
「それはかえって危険だ。一人殺せば、他の仲間が確実に市民を殺すだろう。すべての暗殺者を同時に殺すか、もしくは頭をたたかない限り、向こうの思うつぼだ」
カロンのその言葉に反論できず言葉をのんだシリウスの肩を、メティスは叩いた。二人はびっくりしてメティスを見ると、彼はこう言って笑った。
「ありがとう、シリウス、カロン」
これは、これから命を懸けて戦いに行く人間の顔ではない。むしろ、穏やかささえ秘めていた。
昔、アースがメティスのことを、今必要なのはお前に秘められた強さだ、そう言っていたことがあった。メティス本来の強さとはこういう時に発揮されるものだろうか。
不思議に思いながら、シリウスはメティスを見つめていた。
一方、廊下に出ていたナギとケンは、無言でその場を去って行ったが、メティスの執務室から離れると、突然ナギのほうからケンに、一言だけこう、指示があった。
「ケン、よく聞きな。明日、決して神父を追うんじゃないよ。神父は大丈夫だ。この惑星が、守ってくれる」
「惑星が、ですか?」
ケンが返すと、ナギは珍しく微笑んで答えた。
「昨日の夜、草原に行っただろう」
ケンが頷いた。その素直な瞳はいつもナギの救いになる。生まれの性質上そんなに素直な人間ではないナギにとって、ケンのような存在は貴重であり、また頼もしかった。
自分に向けられた微笑みに照れるケンを横目に、ナギは続けた。
「静かなる自然の環に一番近い地面っていうのは、いろんな情報が手に入るんだ。特に、私のように大地そのものを母体にしているシリンにはね」
「ナギ先生は、海のシリンでしたよね。地球と、この星の両方の」
「ああ」
答えて、ナギは自分のその長く黒い髪を後ろにバサリと返した。
美しい髪だ。非番の時以外はまとめているために、こんな仕草も髪の美しさもめったに見られない。ケンはナギに見とれていた。
「ケン、昨日私が感じたのはね」
自分に見とれているケンに半ばあきれ顔をしながら、ナギは言った。
「私より大きい力だったんだよ」
「ナギ先生より大きな力? それは、惑星のシリンなんですか? この星でナギ先生より大きな力なんて言ったら、神父さんくらいじゃないんですか」
「そこまで私は自分を過大評価できないね。私より強い人間はいくらでもいるだろうしね。ただ、そう感じたんだよ。確信に至るには、ちょっと時間がかかったけどね。近づいてはいるんだ、その大きな力が」
「大きな力って、なんなんでしょうね」
「分からない。ただ、これからの神父の大きな助けになることだけは分かったよ」
「そんなこと、分かるんですか?」
「ああ」
ナギは答えた。そしてケンを見る。もう見とれた顔はしていない。
正直な話、ナギにはこれ以上のことは分からなかった。ケンにこれから先の突っ込まれた質問をされても答えられる自信はなかったのだ。ただ、あの時、地面に手をついて感じた大きな力は、大地からこの星の大気への開放を願っている。そのための道筋にメティスを使うつもりでいることは確かなのだ。それが強く出ていたあの草原でメティスの身に何かが起きれば、一気にそれが噴出してメティスの助けになる確率が高い。ナギはそう踏んだ。だから、その大きな力に巻き込まれてしまわないように、ケンには神父を追うなといったのだ。おそらくその力に耐えうるものは、惑星のシリン達だけであろうから。
「先生」
しばらく黙って歩いていると、ケンのほうからナギに声をかけてきた。呼ばれてケンを見ると、少し照れながら笑いかけてきていた。
「なんだい?」
返すと、ケンは満面に笑みを浮かべて、こう言った。
「信じていますから、僕。だから、いつでも帰ってきてくださいね」
陽光に照らされた海、きれいに澄んだ空。それを見ていると、今抱えている問題などどこかに行ってしまいそうな気がした。
首長アルバートは、新しくなったきれいな政務室の中から海を眺めていた。なんと広くてたくましい風景なのだろう、海というものは。この都市国家群の抱えている領土問題などこの海には関係ないのだろう。
中央マリンゴートは、軍国化が進むにつれ農業の基盤を失いつつある。都市部に食糧が回らなくなり、農家は人に回す食料よりも、自分の家を食わせていくための備蓄に力を入れている。このままこのような事態が続けば、都市部の食糧不足は深刻となり、食糧豊かな東マリンゴートが危機にさらされることになる。
十年前、そのことを危惧して中央を核で消そうとした人間がいた。
しかし、核による都市の潰滅は避けられた。問題はいまだ残されたままだ。たくさんの人たちの命は救われたが、危機は去っていない。一触即発で戦争になるかもしれない緊張が続いていた。
海を見ながらため息をつくアルバートの手には、メールを印刷した一通の手紙が握られていた。
神父メティスの命が危ない。
ついに動き出した中央マリンゴート。
首長国クリーンスケアはこのまま手をこまねいて見ているだけなのか。本当に何もできないのだろうか。
たしかに、ここで手を出せば東マリンゴートの市民が危ない。都市国家連合のどこかの国に肩入れすれば、緊張しているとはいえ現在の平和のバランスは崩れる。
どうすればいいものか。
アルバートは、手に握った手紙を握りしめた。いまだに何もできない自分がもどかしかった。
「神父さん、ご無事で」
そう言って、アルバートは政務室を後にした。
東マリンゴートの市街地は、中央と二分された工業地帯の隣にあり、また、その市街地の先にある草原には豊かな農耕地帯が広がっていた。豊かな草原を切り開いて作られた農耕地帯には様々な果樹、穀物、野菜が育てられ、また、数々の家畜を育てるのにも適していた。東マリンゴートは豊かだった。
市街地の中心は美しい造形の建物で固められ、そこら中に噴水を配した公園や街路樹が街に彩を与えていた。
そんな市街地を、二人の男が並んで歩いていた。カロンとシリウスだ。夏の強い日差しにすっかり日焼けしたブロンドの男二人は、ため息をつきながら市街地を眺めていた。
「この暑さ、リーアは置いてきて正解だったな」
シリウスがため息交じりに言う。額から流れる汗をぬぐっている。それだけ、暁の星の夏は厳しい。地球のほうがずっと涼しかった。
シリウスは地球でも特にドイツの山の奥に住んでいた。標高が高いものだから、ここまで暑いのは、暁の星に最初に住んでいた二十年間を嫌でも思い出させてくれる。
そんなシリウスの言葉に、カロンが頷いて答えた。シリウスほど汗はかいていないが、暑そうにしている。
「それにしても、俺たちに何もできないなんてな」
シリウスが、続ける。暑さを忘れたいのか、それとも、何もできないもどかしさをどうにかしたいのか。
「メティスは僕たちに待機命令を出したが、おとなしく待機している気にもなれない。ここはどうしたものか」
カロンは、答えて、ふと、歩いていたストリートの端に目をやった。人の少なそうな喫茶店がある。落ち着いて話せそうな場所だ。
少し、涼んでいかないか。そう言って喫茶店に誘うと、シリウスは頷いて従った。相当暑かったらしい。
カロンの思った通り、その小さな喫茶店には今入ってきた二人以外客はいなかった。店内は明るく、様々な観葉植物が至る所に置いてあって清潔感もあった。客が少ないのはその高級感からだろう。メニューを見ると、どれも普通より三割は高かった。
冷房がきちんと効いた店内なので、カロンもメティスも熱いコーヒーを一杯ずつ頼んだ。暁の星のレストランにはアイスコーヒーというものがない。地球でのシリウスの故郷でもそうだったから、特に違和感はなかった。
「なあ、シリウス」
コーヒーが来るまでの間、緩んだ衣服を整えながらカロンが言った。
「やっぱり、一人、ここに足りないよな」
シリウスが、頷いた。同じ事を考えていたようだ。メティスのこと、暁の星のこと、地球のこと、そして、今ここにいる人間たちのこと。
「いままで寂しくなかったといえば嘘になる。僕らは幼馴染だったからね」
「そうだな」
カロンの言葉に、シリウスが笑って答えた。
そういう会話をしているうちに、コーヒーが来た。二人ともブラックで飲む主義だ。特にシリウスはそういった部分にこだわりが強かった。
「カロン、待機命令について、ナギ先生やケンは何か言ってきたのか?」
話題を変え、二人はコーヒーを口にした。
「いや、ナギ先生はいつもと変わらない様子だったな。ケン君についても、特に目立った態度は見受けられなかった」
「そうか。俺たちは、結局メティスを信じるしかないのか」
「どのみち、市民を人質に取られて僕たちが手を出せないんじゃな」
二人は、深刻な顔をしてため息をついた。メティスは命を狙われている。おそらく、中央は東マリンゴートの君主を排除することで、こちらへの侵攻を企てているのだろう。国の政策がかかっている限りは、手を抜くことはない。また、暁の星の生命のなかで最強と言われる惑星のシリンが相手であることも承知のはずだ。相当の手練れが向ってくることだろう。そんな相手に、メティスは敵うのだろうか。
「どうしたのですか、お客さん、暗い顔なさって」
コーヒーのお替りを、と、来た店員が、声をかけてきた。二人は無理やり笑顔を作ってそちらを向いたが、店員はそれを悟ったのか、人差し指を立てて、左右に揺らした。
「作り笑顔は、私たちのような人間には通じません。お辛いのでしたらお相手しましょう」
「あ、いや」
この国の運命がかかった悩みだ。こんなことを喋ってしまえば市民は混乱する。自分たちが人質に取られていると知ったらどういう反応をするだろう。神父を殺してしまえというだろうか。いや、それはない。
この国はもともと、中央マリンゴートから逃れてきた難民が作り上げた国だ。それを中央に明け渡すような行為は絶対にしないはず。神父を殺してしまうことがその愚行につながるのだとしたら、市民は神父を守るだろう。
しかし、無差別な犠牲が出て良いはずはなかった。話そうかどうか迷ったその時、店員はこう言った。
「信じることを、もっと大切になさってください」
信じること。
店員のその言葉に、二人はびくりとした。
自分たちは今まで、何と戦い、惑わされてきたのだろう。
メティスを信じることができなくて、それがもとで迷ってきたのではないのだろうか。
「たとえ信じられる状況でなくても、今できることが何もないと嘆くよりはずっといい。信じてもらった相手も、信じてあげるという行為で、大きな決断ができることがあるのです。ひとつ、賭けに出てみてもよいのでは?」
店員は、驚いた眼をする二人を見て、首を傾げた。
「おや、当たってしまいましたか?」
「いや、少し驚いただけです」
冷や汗を拭いて、カロンが答えた。
「まさか、賭けに出ろとまで言われるとは」
「そうですか」
店員は、にこりと笑って、コーヒーを注ぎ始めた。おまけに、と、クッキーを二つずつ、テーブルに置く。
「私ごときが誰かの悩みを聞くなど、そんな偉そうなことはできないんですがね、これだけは言えますよ」
店員は、そう言って、再び人差し指をピンと立て、緩やかに笑った。
「信じるよりほかに大きな力は、ない。私はそうやって生きてきましたから」
陽は落ち、草原に三つの月のうちの二つが天上に昇るころ、メティスは教会を出た。森を抜け、なにもない吹きさらしの草原に体を晒す。
ここを出る前から何かの胸騒ぎがする。胸の中に何かが渦巻き、溜まってきている感触、それを今にでも吐き出してしまいたい感触。ストレスや何かの感覚ではない。胸やけのようなものだった。
それもあって、気分はあまりすぐれなかった。出る際にナギやケン、カロンやシリウスにも挨拶はしていない。今日はずっと一人だった。
草原を進むたびに、不安は増していった。おそらく中央は東マリンゴートを取りにくるだろう。ここでやられてしまったら国民は中央に吸収され、先駆者であったブラウン神父の目指した理想の国家が敗れ去ってしまう。決して死ぬわけにはいかなかった。
そして、なぜかわからないが、自分は死ぬ、そんな気はしなかった。
惑星因果律を操り、中央を理想の国家とすることは楽だった。しかし、惑星のシリンの仕事は因果律を操ることではない。常に監視し、今現在にふさわしい結果を導き出すことが仕事だった。
その結果ここに核爆弾が落ちようとも、それは惑星のシリンの失敗ではない。人類の過ちである。それを過ちとするための核爆弾投下であれば、許容しなければならない。
もし、東マリンゴートが滅びるならば、それも一つの惑星因果律の選択なのだろう。宇宙の法則、そこで定められた宿命に手出しすることはできなかった。
草原をだいぶ進んだところで、メティスは足を止めた。何かの気配がする。人間の息遣いだ。おそらく自分を追ってきている暗殺者であろう。呼び止めることなく、メティスはそのまま暗闇へと足を進めた。
そして、しばらくして、足を止めた。
暗殺者の気配は四方八方からする。もはや、これ以上進む必要はなさそうだ。完全に包囲されていた。
「私を殺しに来たのだね、君たちは」
自然と気分は落ち着いていた。胸に渦巻いているそれをのぞいては。
メティスの声は、風にさらわれてあちこちに散っていった。暗殺者のうちの何人かが動いたらしく、草のこすれる音がした。
「確かに一人で来たようだな」
暗殺者のリーダーだろうか、どこからか声がかかる。すると、草原の中から一人、月に照らされたきれいな金の髪を持った少年が現れた。
それを見て、メティスは驚愕した。
その少年は、ひところのメティス、そう、十七か十八歳あたりだろうか、その頃のメティスと瓜二つだったのだ。
カロンの言っていたことはこういうことだったのか。君の顔はコピーできるはずはないのにと。確かに、惑星のシリンの顔は整形でコピーできない。様々な価値観のどんな人間から見ても同じ印象を持たせることのできる顔など、惑星のシリンをおいてほかにないからだ。
「君は」
驚いたメティスが声をかけると、少年は、頭につけていたインカムに何かを話しかけてから、大きく右腕を空に上げた。
すると、地面をける音が一気に四方八方から響き、メティスのもとにたくさんの殺気が向ってきた。黒装束をまとっているために姿かたちは分からない。しかし、手練れの暗殺者であることは気配から察することができた。
メティスは、攻撃の第一波をかわした。全てかわした。
それは、惑星のシリンであるメティスにとってはなんでもないことだった。しかし、次はそうはいかなかった。先ほどの少年が動いたからだ。
メティスに瓜二つのその少年は、何人かの黒装束を引き連れてぐっとメティスの間合いに入ってきた。そして、にやりと笑ってメティスの腹に拳銃を押し当て、その引き金を引いた。
とっさに、メティスの腕が動いた。腹に押し当てられた銃口はメティスの左腕をかすめ、銃弾は地に埋まった。鮮血が、左腕から流れる。
これくらいの失敗は想定内だったのだろう、例の少年はすぐさま次の行動に移った。黒装束はみな狙撃銃を持ってメティスのほうに構え、少年はメティスをその位置から逃さぬようにがんじがらめにする作戦に出たのだ。
少年は、一振りのナイフを持ってもう一度メティスの間合いに入った。二度も間合いに入るのを許すとは、一体どうしたのだ。メティスは自分の能力に疑問を持ちながら、そのナイフを受け止めた。しかし想像以上に少年の力は強く、メティスはそこで立ち往生したまま動けないでいた。このままでは黒装束の集中砲火を浴びて蜂の巣になってしまいかねない。ここで負けるわけにはいかなかった。
その時だった。
少年のナイフがメティスの手を押しのけて肩に刺さり、その瞬間に黒装束の狙撃銃が火を噴いた。少年は命が惜しくないのだろうか。メティスに絡みついたまま離れない。ナイフは深いところまで刺さっていた。
メティスは、あまりの痛みに地面に倒れこんだ。なんということだ。自分は何もできなかった。ただ、的になってしまっただけだ。
的に。
そうだ、的になったのに、銃弾ひとつ受けていない。受けたのは肩の傷だけだった。不思議に思い、かすれていく意識の中で少年のほうを見上げると、そこに少年はいなかった。かわりに、誰かが自分の前に立っていた。その人物は手に握った砂を地面に払うと、ものすごいスピードで例の少年の間合いに入って首根っこをつかみ、地面にたたきつけた。
「月か」
その人物は、少年を見るなり、吐き捨てるようにそう言った。そして、少年の頭につけていたインカムを奪い取ると、それを即座に破壊した。少年はみぞおちを打たれ、気を失っていた。なんと強いのだろう。メティスを圧倒したあの少年を、この人物はあっという間に降してしまった。
インカムの破壊は作戦の失敗を意味していた。黒装束たちはそれを見ると、足音もなく退いていった。
すると、彼らの足元を奪うように地鳴りがし、次第にそれは地震へと変わっていった。黒装束たちは足元をすくわれて転び、あまりの揺れに立ち上がれなくなってしまった。
メティスは気を失う寸前だったが、その地震に救われた。なんと、メティスの足元にできた小さな割れ目から、不思議な力が湧いてきたからだ。それはメティスの傷を半分ほど癒し、胸に渦巻いていた不思議な感情をひとさらいして消えていった。
先ほどの人物が、例の少年を抱えてメティスのところへやってきた。半分ほど癒えたその傷を見る。そして、地面に手をついた。
「“地あたり”か」
そう、呟いて、手をどける。
「久しぶりだな、メティス」
そう言って、その人物は笑った。月の光が差し込み、闇の中から現れたその漆黒の髪を照らした。そして、特徴的な瑠璃色の瞳と懐かしい顔を映し出していた。
「また、世話になるよ」
メティスは、その人物の強さに納得し、まだ癒えきらない傷を彼に託した。そして、こう言った。
「来るなら来ると言ってくれよ、アース」
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