forget me not

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第01話:忘レ者

 この世界には失ってはいけないものがある。例えばそれは、生き物にとっての心臓とか、いちごケーキにとってのいちごとか、サッカーにとってのボールとか。全体を見ればたった一部にしか過ぎないけど、失ってしまえば全体が意味をなさなくなるもの。

 この世界にとってのは俺の幼なじみのみおで、案の定、澪が殺されたあの日、世界は終わってしまった。誰が何と言おうと、俺にとっては終わったんだ。

 澪のいない世界に意味なんてなかった。学校にいても家にいても空虚感が俺を包む。もう何もかもが、どうでも良い。いっそのこと悪の大魔王でも現れて、俺たちの住む世界を消滅させてくれれば良いとさえ思った。無論、俺が今いるも消えてなくなれば良いと思っている。

 ……だっていうのに、なんで俺は人助けなんてしているんだ?


「後ろじゃぞ! ミツヒ!」


 薄暗い森の中、幼女ルルカが俺を呼ぶ声が響いた。


「あぁ、判ってるよ」


 俺は正面のゴブリンに突き刺したばかりのサバイバルナイフを引き抜くと、その勢いのまま体を反転させて背後のゴブリンにナイフを叩きつける。くぐもったうめき声をあげてゴブリンが倒れこむ。その後ろには更に4匹のゴブリン。いや、その奥にも3匹、弓かクロスボウを持ったやつが隠れてるな。

 戦力比は1対7。雑魚ザコとはいえ相手にするのは面倒だな。いっそのこと森ごと焼き払うか。……って、そうもいかないか。こっちには防衛対象おにもつがいるんだし。

 ちらりと後方に目を向けると、ルルカがひとりの少女を守るように抱きしめていた。先ほどまでゴブリンに追われ、殺されそうになっていた少女。いまだに恐怖で体をガタガタと震わせる少女を見て、思わずため息が漏れる。何となくとはいえ1度は助けたんだし、面倒くさくても彼女を巻き込みかねない戦い方はできないよな。あぁ、本当に面倒くさい。


「ほれ、油断するでない!」


 ルルカの声にうながされて視線を正面に戻すと、いつの間にか目前までゴブリンが迫っていた。勢いよく振り下ろされた手斧を俺は慌てて避ける。

 続けざまに左右のゴブリンからの挟撃きょうげき。繰り出される斬撃の狙いは俺の首と足。攻撃を飛び上がって回避するが、今度は4匹目のゴブリンが正面から襲い掛かる。統率の取れた連携攻撃。どうやらコイツら、ただのゴブリンって訳じゃなさそうだ。


「ルルカ、その子を頼む」


 攻撃をいなしながら声をあげると「言われんでも判っておるわい!」とルルカが答えた。魔法障壁マジックバリアがルルカたちを包むのを確認して胸をなで下ろす。これでふたりは安全か。あとは俺の出番だ。

 次々と襲いかかるゴブリンの刃。致命傷になる一撃の中に紛れ込んだ戦闘力を削ぐための鋭い一撃。休みなく繰り出される攻撃を避けながら、ルルカたちと距離を置くようにゴブリンたちを誘導する。しかし、ルルカたちからある程度離れたところで、ふと攻撃がんだ。誘導しているのがバレたのか?

 一番手前のゴブリンが濁った目を細めて笑う。……なるほど。俺は誘い出したつもりだけど、オマエは俺を追い込んだつもりなのか。

 俺は振り向き様にナイフを投擲とうてきする。標的は離れた丘の上でクロスボウを構えていたゴブリン。

 投げたナイフとすれ違って飛来する3本の矢。狙いは正確。確実に俺の急所へと向かってくる。良かった、ちょうど武器が足りていなかったんだ。俺は2本の矢を中空でつかみ取る。そして残り1本の矢を回し蹴りで叩き落としながら、手にした矢を投げ返す。

 俺が投げたナイフと2本の矢は、同じ数のゴブリンの息の根を止める。これで後衛は全滅だ。倒しに行く手間が省けた。

 さてと、あとはコイツらか。俺は改めて手斧を持った4匹のゴブリンに相対する。


「アホか、お主は! 唯一の武器サバイバルナイフを手放してどう戦うつもりじゃ!?」

「大丈夫だよ。先週、2本目を買ったから」


 会話に割り込むように突進してきたゴブリンを力任せに投げ飛ばしてから、俺は虚空へと手を伸ばす。

 ――固有技能ユニークスキル『忘レ者』フォーゲッター発動。

 軽く握りこんだ俺の手から闇色の輝きが漏れだして薄暗い森を照らす。闇とも光とも取れないその空間から大ぶりのサバイバルナイフ(税込6980円)を引きずりだす。

 俺は手にしたナイフに魔力を巡らせると、先ほど投げ飛ばしたばかりのゴブリン心臓へ突き立てた。受け身もとれずにのたうちまわっていたゴブリンが途端に静かになる。

 右に回り込んだゴブリンが手斧を振り下ろす。俺は振り下ろされた手を掴むと、攻撃の勢いを利用して引き寄せる。引き寄せた先には逆側から忍び寄っていたゴブリンの頭部。掴んだゴブリンの手を通して、手斧が頭部を潰す感触が伝わる。「同士討ち注意だ」と言ったところで聞こえちゃいないか。ゴブリンの手を放すと、彼の顎下に根元まで突き刺したナイフを抜き去る。

 残り1匹。そちらへ振り向くと、そこにはなりふり構わずに逃げ出すゴブリンの背中。なんだよ逃げんのかよ。

 倒したばかりのゴブリンから手斧を奪い取ると、逃げ出したゴブリンに向かって投げつける。手斧はゴブリンの頭部へ深々と刺さり、その中身をぶちまけた。

 辺りに不快な血の臭いと、腹の足しにもならない不味そうな肉の塊を残してゴブリンたちを一掃した俺は、ルルカと少女のもとへと戻った。


「ハラハラさせるでないわ! なぜ本気をださんのじゃ!?」

「そういう気分じゃなかったんだよ」


 実も蓋もない言い方をすれば、ただ楽をしたかっただけなんだけれど。


「……あの、ありがとうございます」


 ルルカに隠れるようにしながら少女がこちらを見上げていた。

 オドオドとした態度に、か細い声。……まるで似ていない。似ていないはずなのに、彼女は何故か死んだ幼なじみを思い出させた。


「怪我はないか?」

「はい、おふたりのおかげで。本当にありがとうございます」


 微笑む少女が深々と頭を下げる。


「うむ、感謝するがよいぞ」


 なぜか偉そうに胸を張るルルカを残して俺がその場を去ろうとすると「あのっ」と少女が声をあげた。


「よろしければ私の家によっていっていただけませんか? ささやかですがお礼をしたいです」

「礼なんか――」

「酒はあるかのう?」


 俺を押し退けたルルカがいやらしく笑う。


「はい、ご用意いたします」

「うむ、ならば行かねばならんな!」


 そう言ってルルカが少女に駆けよった。……寄り道している時間なんてないんだがな。こうなったルルカは絶対に意見を曲げない。

 しかたがないか。俺が諦めてふたりへ近寄ると、少女は嬉しそうに目を細めた。


「私はハルホです。よろしくお願いします」

「俺はふたつきみつひ。こっちの自称女神のロリババアがルルカだ」

「うむ、ワシは高貴なる女神じゃぞ。存分に敬うがよかろう」


 ルルカがふんぞり返って鼻をならす。


「こうして出会ったのも何かの縁じゃ。特別にワシのサイン入り握手券を与えよう」


 笑顔をぎこちなくするハルホを見かねて、話題を変えることにした。


「アンタ、護衛もつけずにこんな危険な森に来てるのか?」


 ハルホが気まずそうにうなづく。


「勇者エスティアス様によって魔王レムオンゴーザが討伐されてからは、この森も平和でしたから。気が緩んでいたのかもしれません」

「最近は魔物たちが活発的になっておるようじゃからの。平和を当たり前だと思わずに気をつけた方がよいじゃろう」


 珍しくルルカが神様っぽいことをいったと感心していると、ハルホが真剣な顔をして何かを考えこむ。


「どうかしたのか?」

「……あ、いえ、町で聞いた噂話なのですが、魔王を甦らせようとしている人たちがいるらしいのです。もしかすると魔物たちの活発化はその人たちの――」

「あぁ、おそらくそれはワシらのことじゃのう」


 何ごともない様に答えるルルカ。そして「……はい?」と言ったまま固まってしまったハルホ。

 馬鹿正直に言ったら普通こうなるって判れよ、ルルカ……。

 とはいえ、もう知られてしまったんだ。俺は改めてハルホに告げる。


「俺たちは魔王レムオンゴーザを復活させるために旅をしているんだ」


 魔王を甦らせて、こんな意味のない世界を終わらせる。それが俺の旅の目的だ。



   ▼△▼



 目を覚ますと、そこは自宅の部屋だった。異世界じゃない。元の世界の自室。目覚まし時計が鳴り響いていた。

 どうやら転移限界トランスリミットを超えて強制帰還させられたらしい。ゴブリンたちとの戦闘で思っていた以上に体力を消耗していたのかもしれない。

 洗面所で顔を洗ってから固有技能ユニークスキル『忘レ者』フォーゲッターを発動する。異世界に置き忘れた2本のサバイバルナイフを召喚すると、付着していたゴブリンの血を水道水で洗い流した。

 制服に着替えて朝食を取り終えたところで玄関のチャイムが鳴る。ドアを開けると袴田はかまだが立っていた。


「おっす! 今日もいい天気だぜ。絶好の登校日和だ!」

「そうみたいだな」


 俺は通学用カバンを手に取ると自宅を後にする。


「なぁ、晶。昨日の『サバ味噌ボンバー!』見たか? ミノリンが超可愛くってさ」


 またテレビの話題か。適当に相づちを打つと、袴田は次々に話題をふってくる。

 袴田は面倒くさいやつだ。でも、それ以上に良いやつでもある。

 コイツと一緒に通学するようになったのは、澪が殺されてから数日後だ。俺が家でふさぎ込んでいると急に袴田が家にやってきたのだ。そして「道を忘れちまったから一緒に学校行ってくれよ!」なんて下手な言い訳をしながら俺をムリヤリ連れ出したのだ。そして、それが毎日続き、今に至っている。


「そこで韓国海苔を目印にしてお婆ちゃんがソバットするんだけど……って、なぁオイ、あれ見てみろよ」


 袴田の指さした方を見るとガラの悪い男たちがたむろしていた。その中心にはウチの学校の制服を着た女の子が1人。どうやらナンパされているようだけれど男たちの手口はかなり強引だ。


「助けに行くぜ!」


 俺たちには関係ないんだからほっておけよ。そう答える前に袴田は走り出した。俺も渋々と後を追う。

 袴田に少し遅れて到着すると、さっそく袴田が場をかき乱していた。


「止めろよ。その子、嫌がってんだろ」

「あぁ? テメーには関係――」

「さらに俺はもっと嫌がっている!」

「は? テメーの事なんか――」

「さらにお前たちはブサイクだ!」

「……んだテメェ、ケンカ売ってんのか?」


 コイツらも袴田も何でそんなにケンカっぱやいんだよ。俺はふたりの間に割り込むと袴田を強引に下がらせた。袴田がいるとまともな話し合いができない。

 ガラの悪い男たちの方へ向き直ると、そいつらは俺のことを睨みつけていた。一触即発という雰囲気。

 相手は4人。勝てない数じゃないが、戦いを避けるに越したことはない。俺はできるだけ男たちを刺激しないように話しかける。


「なぁ、提案なんだが、今日のところは退いてくれないか? 朝から殴り合いしたって、お互いに良いことないだろ?」

「フザけてんじゃねぇぞ。なんでテメェに指図されなきゃいけねーんだよ」

「そう言わずに頼むよ。……あと、アンタ、いま右足で俺を蹴ろうとしているだろ?」


 軸足への体重移動、視線、呼吸。不意打ちしようとしているのがバレバレだ。

 指摘された男は目に見えて動揺したが、かまわずに右足を振り上げようとする。けれど先だって俺が足で男の膝を押さえつけたせいで、攻撃は不発に終わる。


「ほらな、当たっただろ」


 男の目を覗き込むと、驚きと少しの恐怖が読み取れた。今なら引いてくれるかもしれないけれど、念のためにあと一押ししておくか。

 俺は男の顔に手を伸ばすと、目を覆って視界を奪う。そのまま回り込んで男の背後をとった。あとは、男の首にナイフを突き立てれば終わりだ。俺は『忘レ者』フォーゲッターを発動――というところで、体を強張らせる。……俺は、何をしようとした? ここは異世界じゃない。相手は魔物じゃない。だっていうのに俺はこの男を殺そうとしたのか? 異世界で体に染みつけた戦闘経験が俺を蝕んでいるのかもしれない。

 男の目隠しを解き、背中を軽く突き押す。2、3歩よろめいた男は膝から崩れ落ちてこちらを見上げた。自分に起こったことを理解すらできていないのだろう。ひどく怯えた目をしていた。


「頼むよ。退いてくれ。アンタも俺も――」


 人を殺したくなんかないだろ、と言いかけてから「怪我したくないだろ」と言い直す。頭を下げて男たちが退いてくれることを願った。

 多少落ち着きを取り戻したのか、男は舌打ちをすると「行くぞ」とだけ言ってその場を立ち去っていく。男の仲間も彼を追う様に去る。……良かった。


「おい、晶! スゲーじゃねぇか! ガッとしてバッしてシュッて忍者みたいだぜ!」


 熱烈な抱擁ハグをしようとする袴田の脇をすり抜けて、絡まれていた女の子の近くへ向かう。


「大丈夫か?」


 そう声をかけたところで俺は言葉を失った。


「……あの、ありがとうございます」


 オドオドとした態度。か細い声。そして何故か澪を思い出させる女の子。

 千種ちぐさ春穂はるほ。そう名乗った女の子は、異世界で助けたばかりの少女そのものだった。

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