空色カフェ
朝凪 凜
アルバイト
私、
普通のバイトじゃ面白くないので、 「なんかビックリするバイト無いですか?」と近くの人に訊ねたら、友達の母親の知り合いがやっているというアルバイトを紹介されました。今思うと、なぜ普通のバイトにしなかったのかが全く分からないのですが、ともかくそれにしようとその時は思ったのです。
アルバイトも大学生なら大丈夫だと言うことで簡単な面接をしてすぐに決まりました。大学の授業はあまりないから週に四日くらいは出られるし、テスト前だけバイトを減らしてもらうということが出来る、結構自由が利くバイトのようです。ここの珈琲店──
他に働いている人は三人で、一人は私と同じ大学生のアルバイト。もう一人はフリーターの人だそうです。もう一人は面接をしたオーナーさん。店長ではないらしく、店長とは呼ばないようにと言われました。理由はわかりません。何か嫌なことがあったんでしょうか。
そして店内の様子ですが、それはよくある珈琲店――になぜか車が置いてありました。しかも二台も。すごく変わった店でした。さらに言うと、いわゆるスポーツカーの類なんでしょうか。なんていうか展示会とかショウルームにあるような車が真ん中にどーんと置かれています。それでも店内が狭く感じないのはこの店が広くて、天井も普通のお店より高いからなんでしょう。そして入り口の奥にはカウンターがあり、いくつか大樽があって中に珈琲豆が入っているというのはいかにもコーヒーショップという感じです。
店内はゆったりとした曲が流れ――どうやらスムースジャズと言うらしいです――店内のライトも車が置かれているからでしょうか、やや明るめです。
珈琲店らしく、丸テーブルが五組。四人座るにはちょっと小さい感じですが、珈琲店なのできっと普通なんだと思います。しかし広さは随分とあり、車が無ければ二十テーブルは余裕で入る空間。それを三人で回すんだから大変そう。いや、私が入って四人なんですけど、それでも大変なのに変わりなく……。
なにより展示されている車がなんなのかさっぱり分かりません。そもそも知っている車なんて全然ないから、みんな同じに見えてしまうのです。他の人からは「そのうち覚えればいいわよ」と言われたけれど、お客さんから訊かれたりすることが意外とあるのです。 「あの車なんて言うの?」とか「あの車、いつのモデルのやつだっけ」とか。車のことを知ってる人知らない人問わず聞いてくるので、これは車だけ覚えても駄目みたいです。でも私はまだ全然覚えられていないので、車について聞かれたら他の人に任せることにしています。分かる範囲でというとほとんどないから、それならいっそのこと丸投げにした方が安心です。いや、覚える気がないわけじゃなく、そのうちきちんと覚えるつもりです。まずは接客業としての責務を果たさなくては。
そんなお店で今日も朝からバイトです。
「いらっしゃいませー」
本日四組目のお客さんが来店してきました。四組目といっても基本的に一人で来るお客さんが多く、たまに友人とで二人、三人ということはあります。どうして全ての席を四人掛けにしているのかは分かりません。四人で来る人は滅多にいないし、家族連れで来るようなこともありません。
それなので、席数に関わらずテーブルが埋まることが早いことがたまにあります。
客層としては意外と女性のみで来る人も少なくないようです。車が置いてあるだけで、あとは至って普通の珈琲店ですから、カフェ休憩をするのも同じですね。中には車が好きで来る人もいたり
「なんか今日、お客さん多いねー。近くで何かあるのかね」
そう言うのは同じバイトの
「そうですね、まだ開いて少ししか経っていないので、この後またお客さん来るんでしょうか?」
いつもは大体十一時くらいから多くなる――とは言っても今くらいのものですけど。
「それよりさー、仕事慣れた? メニューとか好きなのある?」
紗希さんはお姉さんタイプで色々と教えてくれるけど、雑談の方が多いです。そのおかげでこうやってすぐに打ち解けることもできましたし、色々話をして覚えることも多いので、為になります。
「そうですね。仕事を覚えることが大変ですし、まだメニューとか見たことのないものもあります。そもそも好きなメニューも何も私食べてないですし、分からないですよ」
「そっかー。じゃあこのメニューは苦手っていうのは?」
なぜメニューの話? という気もするけど、他の話を混ぜて話しかけてくるのはいつものことなのです。
「苦手ですか。そうですね、苦手なのかどうか分からないですけど、パクチーは匂いが駄目でした。このお店に合わなそうなんですけど、なんでドリンクメニューにあるんでしょうか」
パクチーというのは中華料理とかエスニックとかで使われる香辛料の一つ、のはずです。
「あぁ、これはあれだわ。創作料理。ハーブティみたいに使えないかなって作ってみたものの、ダメだったね。それでもなぜかメニューには載っちゃったけど」
そんなものをメニューに入れてしまうこのお店は一体なんなんでしょうか。不思議なお店というレッテルが貼られたまま剥がれる日は来るのでしょうか。
「そうそう、創作料理って──あぁ、料理って言っても大体飲み物とか軽食なんだけど、これは面白そう! っていう料理を考えてくるの。考えてくるだけならタダだからケーキに珈琲混ぜたりとかしてね? ほら珈琲にパフェを併せたりとか、パンケーキに珈琲を併せたりとかあるじゃない? そういう感じで『こういうのがあったら面白い』なんて言う時がたまにあるの」
創作料理ってこういうノリから作られるものですよね。すごく分かります……。
「そういえばパクチーの紅茶ですけど、紅茶メニューも少しあるんですね。珈琲だけなのかと思っていました」
「ん? あぁ、そうね。珈琲だけだと親子で来たときとか、珈琲が飲めない人とかいるから紅茶メニューもあるよ。その代わりジュースはないんだけど、紅茶そのものを飲みたいんだったらここじゃない方がいい。ミルク入れたりとか飲みやすくしちゃってるからね」
「じゃあ紅茶はあくまでとりあえずで置いてるっていうことですか?」
「ぶっちゃけて言うとそうね。見てみると分かるけど、みんな珈琲頼んでるから紅茶はストックも少ないんだわ。あたしは珈琲より紅茶の方が好きなんだけどね」
確かに、今注文もらっているのは全部珈琲です。というかですね、ここは珈琲が意外と人気らしいんです。なので珈琲に力を入れていると思っていたのですが……。
「まあ、珈琲ならあたしより
紗希さんの視線の先には同じバイトの佳奈さんがこっちを見ていました。
「ほらほら、あんまりしゃべってないでこっち手伝って!」
「はーい、すいませんー!」
ちょっと急いでキッチンの方へ行く。今の人が
「あんまり紗希の話に付き合ってたら自分の仕事ができなくなるから適当に切り上げちゃってね?」
キッチンの方へ食器洗いと品出し準備をしながら佳奈さんが話してきてくれました。
「いえ、私から聞いたりしてますし、色々教えてもらっているから、なんかそういうわけにもいかないかと思って……」
「いいのいいの、ただサボっているだけなんだから。いつも注意しても全然直らないから困ってるのよ。何か良い方法ないかしら?」
「それじゃあ、注意するごとに何かを減らしていくとかいうのはどうでしょう」
とりあえず思いつきで言ってみたんですけど、給料を減らすとかになったらどうしよう。なんか私も後ろめたい感じがしてきました。
「うーん、何か……何か……。あっ! いいね、あれだわ。ありがとう、それ面白そうだからいただくわ」
「いえいえ、どういたしましてー……」
心の中ではなんかまずいことしたかな、という後悔と不安でいっぱいです。紗希さんごめんなさい。
そんなこんなで暫くは真面目に仕事をしていたのだけど、あの思い付いたことって一体なんなんでしょう。なんか今までで一番活き活きしてた気がするから、紗希さんが少し心配です。
「ちょっとちょっとー、聞いてくれる? 佳奈ちゃんがひどいのよ」
そろそろ夕暮に差し掛かかろうかという頃、もうこの時間になるとほとんどお客さんはやってこないので、ずーっと開店休業状態。私は練習ということもあり、その時間を使って自分で淹れた珈琲にミルクを入れて休憩していたところでした。
「さっきね、休憩してたら『次注意するごとに珈琲』──をどうすると思う?」
どうやら給料とかそういうことじゃないらしいです。良かった。
「えーと、飲んでも良い回数を減らすんでしょうか?」
「ううん『珈琲に珈琲豆をそのまま入れて飲ませる』って」
「うわぁ」
私、何かを減らすって佳奈さんに言いましたよね。それで思い付いたって言っていたから私はてっきり減らすことで何か思い付いたのかと思ったんですけど、違ったようです。全然減らしてないですけど、いいんでしょうか。あれ? 豆をそのまま?
「でも珈琲豆って食べても大丈夫なんですか? お腹壊したりとかしそうですけど」
「うん、基本的には豆から抽出されるから食べても飲んでも一緒よ。味もそんなに変わらないけど、苦味や酸味はちょっと強いと思う。まあ、ブラックが好きなら大丈夫よ。むしろ食べる方が好きっていう人もいるくらいだし」
まさか豆って食べられるとは。そういう発想自体ありませんでした。
「珈琲豆って食べられるんですね。知らなかったです。でもそれなら注意するごとに食べても別に問題ないんじゃないですか?」
「それは、まあそうなんだけどね。珈琲豆が好きならいいんだけど、私はダメなのよ。ブラックで飲むのがどうもね。ほら、苦いよりは甘い方が絶対いいじゃない?」
なるほど、それで佳奈さんはこんなことを考えたんですね。ちょっと気の毒な感じもありますけど、これは私のせいじゃないですよね。何も減ってないですし。
「それはそうですね。それじゃあこれから珈琲豆を食べることがないように頑張りましょう!」
「そうねー。まあムリはムリでもなんとか隠れて怒られないようにやってやるわ」
あ、サボらないようにするという考えはないんですね。
「一体、いつもどうやって隠れているんですか?」
「それがなかなか難しくてね。全く見えないと不自然でしょ? だからお客さんと話したりしてたまに見える所にいるようにして、あとは大体裏の方にいるの。その加減が難しいのよ。ほら、人が少ないからちょっと居ないだけですぐ気づいちゃうでしょ?」
「私はいつもいないなー、って思っていましたけど……」
「あれ? 居ないのバレてたの? やっぱり難しいわ。
あぁ、そろそろ仕事してるところ見せておかないとまた何か言われるわよ。気をつけてね」
「はいー……」
気をつけるのは私ではないので、適当に返事をしてしまいましたが、なんだかんだで楽しそうな気がするのは私の気のせいでしょうか。
「安芸ちゃん。さっきはありがとね。おかげで面白いこと思い付いたわ」
佳奈さんもとても楽しそうにやってきました。
「あ、いえ。紗希さんちょっと可哀想な気がしてきました」
「あ、何か話聞いたかしら。ちょっとやそっとじゃめげないから大丈夫よ。前にもホールから出るの禁止、っていうことをやったことがあって、泣きそうになりながらもやってたわ。……最終的にお客さんと話ばっかりするようになって、注文すら取りに行かなくなったからあれは失敗だったわ……」
憂いを残した表情になりました。でも紗希さん、こうまで思われてるのにサボり続けてるとは相当な人のようです。
「なんか苦労していそうですね。お疲れ様です」
掛ける言葉が特に見つからない時はとりあえず定型文です。
「そんな感じだから、紗希がサボってたらどんどん私に言ってちょうだい」
「は、はい」
こっちもこっちですごく楽しそうなんですけど、ホント不思議なお店です。
* * *
そして翌日。早くも惨劇が起こりました。
「さあ、飲んでもらいますよ。特製豆入り生ブレンド珈琲深煎り仕立て」
「えー、ホントに飲むの? 私苦いのダメって知ってるでしょ」
「それはいつの間にか昼寝していたあなたが悪いんです! ちゃんと飲んでもらいますよ?」
昼寝……。それで午後の忙しい時に居なかったんですね。てっきり買い出しに行ってるのかと思ってました。
「それに志乃さんがちゃんと専用に焙煎までしてくれたんですから」
「え、そこまでする? 志乃さんまで紗希の味方ですかー」
「なんか面白そうだったのでついついな。ただ、味は保証するぞ。まあ、深煎りじゃなくて強深煎りに近いけどな」
「強深煎り?」
また聞いたことのない名前が出てきました。
オーナーの志乃さんは、こういうことがあっても特に注意することなく、多少休んでいたりしていてもこうやって放任しているようです。
「いつもの深煎りよりもうちょっと長く焙煎してあるんだ。昨日店を閉める前に佳奈からいつもより深めにと頼まれていたからな。酸味が減ってコクがよく出ていてうまいぞ」
すごい、佳奈さん昨日からやる気満々だったみたいです……。それよりこれ、閉店後じゃないですよ。まだ夕方ですよ。いくらお客さんがいないからってみんなでこんなことしてて、もしお客さん来たらどうするんでしょうか。そもそもこの店こんなことばかりしてていいんでしょうか。
「そりゃあ美味しいでしょうねー。私にはこの香りだけで『苦いぞ! やめとけ!』と警告されてるのに!」
「さあ観念して豆ごと一気に!」
一気はつらそうです。私もやることになったら逃げ出します、確実に。
「えー、うん、まあ……これ飲まないとさらに酷い仕打ちが来るのは分かってるし……。もうしょーがないなー。あぁ、一気は無理だかんね!」
説得されて少しずつ少しずつ飲んでますが……。
「でもこうやって嫌々飲ませるのって意外と楽しいですね、これ。志乃さん、今度から毎回やってもらってもいいですか?」
「毎回はさすがに焙煎を分けるのが面倒からやめてほしいな。いつもので良ければ全然構わないぞ」
こういうところが不思議な店になる原因なんじゃないでしょうか。自由過ぎです。そしてすごい嬉しそうな佳奈さん。
「んーんー!!」
「だそうですよ。紗希さん良かったじゃないですか」
欣喜雀躍で封殺する佳奈さんと、珈琲を飲んで──もとい食べている合間に水を飲んで、というより流し込んでいる紗希さん。珈琲一口に対して水を倍くらい飲んでいます。
「良くない! 良くないし、私はアメリカン派なのよ!」
半分くらい飲みながら、いや食べながら? まさに苦々しく珈琲豆をポリポリ食べ続けてる佳奈さん。ちなみにアメリカンは苦みの少ない珈琲……だったはずです。
「ん!? なんか固い豆が入ってるよ、これなによ!」
苦虫ならぬ珈琲豆を噛みつぶしながら取り出すと緑色の豆が出てきました。
「おめでとうございます! 生豆ですね! さあぐいっと一息!」
「生豆かぁ」
特に疑問に思わないでそのまま数粒口に入れて飲み込む紗希さん。
「生豆を入れたのか。大丈夫かな」
不安そうな志乃さん。
「え? なんかまずかったですか?」
とりあえず入れてみたという感じで、何が起きるのかは知らない様子の佳奈さん。私は生豆がどういうのかもよくわかっていないのでものすごい疎外感です。やっぱり仕事は覚えた方がいいんですね。今日のことでちょっとは頑張ろうという気になりました。
「あー、まあ大丈夫かな。――少しくらいなら」
「え、何、何が起きるの? なんか少しくらいならって聞こえたけど、これ一〇粒くらいあったんだけどいいの? なんか大変なことになるの?」
当事者である紗希さんは動揺しまくりです。ねえねえ、と訊いても全然答えてくれない志乃さん。そのままふらりとどっかに行っちゃいました。
「大丈夫なのか、あたしは」
すごい不安そうなまま、最後の珈琲を飲み干し――苦いどころじゃなくなってるみたいです。
そして閉店まで特に何もなく、忘れているのか触れないようにしているのか、さっきの話題には特に触れようとしませんでした。紗希さんはその後、帰るまでフロアのどこにもいませんでした。帰り際も私は触れてはいけなそうなので忘れていたことにして、そのままみんな帰宅しました。
* * *
翌日、紗希さんはお休みしました。後から聞いた話では、一晩中トイレに住んでいたとかなんとかで佳奈さんはもう二度とやらないと約束されられたようで。
空色カフェ 朝凪 凜 @rin7n
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