第5話 短編 茫漠たる幻想に浮かぶ島その1〜幻想の森

まとわりつく朝靄を払いながら、森の中を歩き続ける。

鬱蒼と生い茂る木々の中、はっきりとした道はなく、

言ってみれば彷徨い歩いていると言った方が正解かもしれない。


何度も同じ道を歩いているような気がする。

どうやら私は森の中で迷子になってしまったようだ。


そもそも、この森に出口はあるのだろうか?

迷宮の中の迷路、時間も空間もあまりはっきりしていない。

いつからこの森を歩いているのだろう。


それにしても、何か様子がおかしい・・・。

光や空間が捻れているような妙な錯覚を持つ。

それに朝なのか昼なのか、真夜中なのか、それも定かではない。

先ほどまでは、確かに、朝露を払いのけながら、冷気を吸い込み歩いていた。

でもすぐその後で、そびえ立つ木々の間に月を見たような気がする。

そして、またすぐに太陽の日差しを感じ、

今の瞬間は漆黒の暗闇で月も出ていない。



ということは、そんなに急速に時間が進んでいるというわけか・・・。

まさか、常識では考えられない。

しかし、その不思議な現象も、それほどの違和感を感じていたわけではない。


むしろ、心地良いと言ってもいい。

私の居場所はここで、この森の中で誰かと会うことは

決してないことも知っている。

淋しくはない。私が望んだ世界なのだ。


振り返ると、絨毯の様に敷き詰められた紫色の花々が揺れて、

その周りを白い花々が取り囲み、その周りを淡い黄色の花々が覆い、

見惚れるうち、光と一緒になってすうっと消えた。


遠くでは、瞳を赤く染めるほどの

赤、黄、白、紫、淡いピンクからオレンジ色、

それは色取りどりの膨大な薔薇が笑う様に揺れていた。


そして、今は月が高く登る。雫がこぼれ落ちそうなお月様。

急に大きな湖が現れ、鏡の様な水面に月がはっきりと映し出されている。

しばらくその美しさに見惚れていたが、なぜか私はそこに小石を投げた。

水面の月は崩れ、空の月も消えてしまった。


ふと気づけば、再び鬱蒼とした木々に囲まれている。


見上げても先端は見ることのできない大木の陰で、

枯れかかっている細い老木を見つけた。陽も届かぬ哀れな姿だ。


その木の幹にそっと触ってみた。

すると、苦しい、悲しい、辛い、痛いと言葉が現れた。

現れたのか感じたのか、見えたのかよく分からない。

でもその苦しみの様子を、どうにかして表すことが出来ないかと考えた。

苦しみや悲しみを表す言葉は、そう簡単ではないのに・・・。


今度は、少し離れたところにそびえる巨木にも触った。

先ほどの老木を触った時のひんやりとしたものとは対称的に、

熱くしっとりとした感触が、私の心をときめかせた。

今や盛りと葉を生い茂らせた木は、喜び、幸せ、微笑み、強さ、

命の文字が浮かんだ。


隣の木は、儚さ、憂い、別の木では、夢、愛、

そしてまた別の木では別れ、涙・・・。


ああ、この森の木々は言葉なの?

いや、言葉ではなくて、感情の源。

でもその木に触れたら、その感情を言葉に表さなくてはいけない、

なぜそう思うのかは分からないけれど、そうしたいと思ってしまう。


私はこの時初めて混乱した。目眩が襲い、

言い知れぬ怖ろしさに思わず目を閉じた。


何か動く気配がする・・・?

怖る怖る目を開けた。周りにあった木々は私を取り囲み、

その距離はどんどん狭まってくる。


もつれる足をどうにか動かし、私は走った。


どういうこと?木に襲われるなんて・・・。


いや違う。

木に襲われたのではない。


言葉が迫ってきたのだ。


息が苦しい。

早くどこか開けた場所に行きたかった。


疲れた足を引きずりながら走った!

どこをどう走ったのか、どうやら森の切れ目の様な様子がうかがえた。


そして、その開いた場所に飛び込んだ。


危ない!

そこは断崖絶壁だった。蔦の枝が足に絡んでくれたお陰で、

奈落の底に落ちずに済んだ。私は気を失って倒れた・・・。


……続く。

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