たぐる

まよりば

 さくらちゃんは、幼稚園の年長さん。おさんぽが大好きです。外に行けば、お花を見たり、鳥や虫の声を聞いたり、変わった石を見つけたり。大発見の連続です。

 その日も、さくらちゃんは家の前をおさんぽしていました。お家のお庭で咲いているたんぽぽを見て、アリさんの行進を眺めて。あっちもこっちも面白いことでいっぱい。

 観察する対象を見つけては追いかけていくことを繰り返すうちに、気づけば家から少し離れた場所まで来ていました。


「ここ、どこかな?」

 不安になったさくらちゃんですが、振り返れば、お家はなんとか見える場所にあります。

 まだ大丈夫。でも、そろそろ帰ろうかな……

 そう思い始めた矢先、さくらちゃんは夕日にキラリと光る何かを見つけ、近寄って行きました。

「糸……?」

 それは、ごく細く、透明な糸でした。夕日に染まって、茜色から金色へとグラデーションを帯びて光っています。

 手にとってみると、その糸はとても長いことが分かりました。持ち上げると、つうっと糸が光り、通りの向こうの、そのまた奥に続いているようです。

 こんなにきれいな糸なら、落とした人も今頃探しているのではないかと思ったさくらちゃんは、好奇心も手伝って、その糸を巻き集めていくことにしました。

 糸の巻き方は、お母さんと毛糸を巻き直したことがあるさくらちゃんには分かります。ただ今日は一人で巻くので、利き手ではない左手に、右手で糸をぐるぐると巻き付けていくことにしました。

 キラキラの糸。集めれば集めるほどその輝きは増し、左手の手のひらが見えなくなる頃には、まるでガラスか宝石のようにきらめきます。

 さわり心地はサラッとしていて、糸の量が多くなってもごわつく感じはありません。優しくふんわりと、でも、しっかりさくらちゃんの手を包み込んでいます。さくらちゃんは、ときおり左手をグーパーさせて、その感触を楽しみながら糸をどんどん巻いていきました。


「あ、ここのおうちだ」

 糸を巻きだして10分位経ったころでしょうか。さくらちゃんは一軒のお家の前で立ち止まりました。

 糸は、こじんまりした一軒家の玄関から出ています。残りの糸は、きっとこの家の中にあるに違いありません。

 気づけば随分暗く、黄金色だったお空は薄紫色が滲んでいます。そろそろ帰らないとお母さんを心配させてしまうことでしょう。

 さくらちゃんは背を伸ばしてインターフォンを押しました。でも、返事はありません。

「誰もいないのかな……?」 

 思い切って玄関の引き戸に手をかけると、戸はするっと開きました。

「すみませーん」

 しかし、返事はありません。

 もう一度、声をかけてみます。

「すみません、糸を拾ってきました」

 するとドアの向こうから、細く、けれども艶のある女の人の声で「ありがとう、お部屋に持ってきてくださる?」と聞こえました。

「分かりました」

 さくらちゃんは玄関に上がると、きちんと靴を揃えてから、廊下へと進みました。先の見えない、長い廊下です。さくらちゃんは、こんなに長い廊下を見たのは初めてで、少し驚きました。歩きだしてからも糸を巻いていますが、百回を超えて巻いてもなお、廊下も糸も続いています。

 なんだか少しおかしいかも、とさくらちゃんは思い始めました。

「あの、お部屋はまだですか?」

 長い長い廊下から、さくらちゃんは、出来る限りの大声で尋ねました。

 すると、「大丈夫、すぐそこよ」と返事が聞こえました。先ほどと同じ人の声のようですが、玄関で聞いたより、ずっと近く大きな声です。さくらちゃんは少しほっとして、糸を再び巻き始めました。

 更に何巻きしたことでしょうか。いつの間にかさくらちゃんの手は白く輝く糸で覆い尽くされ、まるでミトンをつけているようになりました。少しきつく巻いてしまったのか、左手全体ががジンジンと痛み、少し熱い感じがします。

 それでもさくらちゃんは歩いて糸を巻き続けました。ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる。

 ようやく糸が出ている部屋を見つけたときには、手首は真っ赤に腫れ、ズキズキとはっきりした痛みがありました。

「すみません、開けてもいいですか?」

 さくらちゃんがたずねると、部屋の中から「どうぞ」と声がして、さっとふすまが開きました。

 さくらちゃんのおうちの庭よりもずっと広い和室のお部屋。ガラス窓の向こうには、これまた広いお庭が見えます。部屋の中にあるのは、丸く小さなちゃぶ台が一つだけ。美味しそうな麦茶とおそうめんが載っています。

「わざわざ糸を届けてくれてありがとう。疲れたでしょうから、おそうめんでもどうぞ。糸はもらうわね」

 女の人の声がどこからともなく聞こえます。すると、糸はふわっと浮き上がり、さくらちゃんの腕から離れると、目にも留まらぬ速さで、部屋の奥へと飛んで行くように消えていってしまいました。

「でも、帰らないと……」

「おうちには、帰るときにでも連絡したら大丈夫よ。まだそんなに遅い時間でもない

 し」

 お庭からは、まだお昼のような光が差し込んでいます。明るく、暖かい光を浴び、さくらちゃんは眠くなってきてしまい、ついあくびをしてしまいました。

「ねむいのかい?」

「ちょっと疲れたの」

「じゃあ、なおさら休んでいきなさいよ。少し休んで元気になったら、またお家に帰ればいいわ」

 さくらちゃんは、それもそうだと思い、「じゃあ少しだけ」と休ませてもらうことにしました。

 座って少しゆっくりすると、さくらちゃんは喉がすごく乾いていることに気づきました。ちゃぶ台の麦茶をもらうと、一息に飲み干します。

 喉の渇きが収まると、こんどはやけにお腹が空いてきました。せっかく準備してもらったんだし、と、さくらちゃんはちゃぶ台のおそうめんを食べました。

 おそうめんは冷えていてとても美味しく、ほんの数分で平らげてしまいました。

 すると今度はまぶたが重くなってきて。起きていなきゃいけないとは思うのですが、全身がだるくて、もうだめ。さくらちゃんはダメだダメだと思いながらも、つい体を横にしてしまい、そのまま目を閉じてしまいました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る