10.5-10 思い出の場所
待合室の席で、ふたりは向かい合って腰を下ろした。
窓から見える灰色の空を、ミサゴはなんとなく見つめる。どことなくうわの空な彼を気にするように、たかさんが声を掛けた。
「美砂君、なにか飲むかい?」
「いや、ワシはええですわ」
たかさんは席を立ち、そばにある自動販売機でコーヒーを買う。
娘が大変だというのに、気遣いを忘れない。ミサゴは頭の下がる思いがした。
たかさんが紙コップを一つ持って、席に戻ってくる。
「たかさん、すいません。あいつ、失礼なことばっか言うて」
「美砂君が謝ることじゃないよ。それよりも、怪我の具合はどうだい?」
「なーん。たいしたことありませんから、気にせんで」
ミサゴの胸や腕には包帯が巻かれている。実際は、動くと痛みがまだ走るのだが、なんともないふうに軽く手を振った。
たかさんは複雑な笑みを浮かべ、ぽつりと言葉を零す。
「美砂君はすごいよ。僕は仕事柄、子どもと関わることが多いけど、あんな子は初めてだから。あれだけのことをされて、それでも真正面から向き合えるなんて」
「なーん、ワシは……」
謙遜しながら、ふと疑問に思った。たかさんに自分の正体はバレていないのだろうか。神社の森で、翼を見られたような、見られなかったような……。
訊くわけにもいかず、ひとまず話を合わせることにした。
「……ワシも、昔はやんちゃしてましたから」
そうごまかし、苦笑する。たかさんもなにも言わずに苦笑いを浮かべ、コーヒーを一口飲んだ。
待合室にほかの人はいない。廊下のほうでせわしなく行き来している看護師たちを尻目に、ふたりの間に沈黙が訪れた。
「難しいことだね。野生動物と付き合うというのは……」
口を開いたのは、たかさんだった。コーヒーの水面を見つめながら、まるで独り言のように話し出す。
「彼に謝りたいという気持ちは確かにあった。でも、父親として娘や君を傷つけた相手を許すことはできないんだ。本音を言うなら、もう二三発殴って、警察に突きだしてやりたいところだよ。鳥だからといって、あの子を許すことは、やっぱりできない」
病室では落ち着いた様子だったが、そんなことを考えていたのかと、ミサゴは少し驚いた。
「やったら、どうしてオオタカをここに連れてきたんですか?」
「娘のためだよ」
訊いた問いに、たかさんは迷うことなく答えた。
「しずくは、あのオオタカをとても好いていたから。きっと、会いたいと思っているだろうから」
たかさんはコーヒーのカップを両手で包む。茶色い水面に波紋が広がった。握り潰すほどではないが、手に静かな力が加わっているのが見て取れた。
「なにが正解かはわからない。けれども僕はしずくが少しでも良くなる可能性があるのならば、なんだってする。それだけだよ」
落ち着いた顔で、静かに紡がれた言葉。優しい瞳の奥には、娘に対する想いと固い決意が宿っていると、ミサゴは感じた。
「すごいですね、たかさんは」
「ううん。僕はただ、僕のできることをしているだけだよ」
そう言って微笑み、コーヒーを飲んだ。
ミサゴはその様子を見て、視線を窓の外へ移した。灰色の空の下には、白波の立つ海が見える。ふと、さきほど病室で見た光景が頭をよぎった。
「あの、一つ訊いてええですか?」
「なんだい?」
たかさんが快く首を傾げる。
ミサゴは一度口を開こうとして、ためらうように閉じる。それから少し考え、再び口を開いた。
「えらい偶然やと思うて。なんでたかさんは、ワシのおる町内に引っ越してくるんですか? オオタカも、写真に映っとった神社を探してやってきて。ワシのおる町内に、なんや思い入れでもあったんですか?」
話を聞いて、たかさんはうんと軽く頷く。
「まず、僕が引っ越し先を決めたのは、娘の勧めがあったからなんだ」
「娘さんの勧め?」
「うん。『絶対にここがいい!』と勧められてね。娘はきっとオオタカにも、話をしていたんだと思うよ。事故に遭う前、久し振りに行ってくると言っていたからね。オオタカとふたりで、見に行くつもりだったんじゃないかな?」
「なんで娘さんは、そんなにあの場所を……?」
ミサゴが真顔で訊いた。胸にヒリヒリと痛みが走るのは、怪我のせいだけではないような気がした。
たかさんは、そんな様子に気づかないのか、過去を懐かしむように微笑みを浮かべて答える。
「あの町はね、娘の思い出の場所なんだ」
「思い出の場所……?」
「うん。しずくが高校生の時にね、一人旅であの町に
ミサゴの背筋を、ヒヤリとなにかが舐めた。さきほど病室で垣間見た、彼女の手を思い出す。
「やったら、あの手の甲にあった傷は……」
その呟きに、たかさんは小首を傾げた。
「あぁ、あれはオオタカがつけた傷じゃないから、心配しなくていいよ」
急に話がそれたと勘違いしたのだろう。安心させるように笑みを浮かべ、また懐かしむように目を細めて話し出す。
「あの傷はさっき言った、網に絡まった鳥を助けた時にできたものだよ。あの子は後先考えずに行動してしまうところがあるんだ。当時は酷い怪我で、病院で何針か縫ったって、あっ、美砂君? 大丈夫かい!?」
ミサゴが一瞬くらりとよろけた。顔面蒼白で、今にも倒れてしまいそうだった。
「ごめんね、急にこんな話をして。やっぱりなにか飲むかい? 水でも?」
突然痛々しい話をしてしまい、驚かせてしまったのか。たかさんはそう思い、慌てて謝り、立ち上がる。
「い、いや……。すみません。ほんま、すみません……」
ミサゴは俯き、顔を青くしながら何度も謝りだした。
どうしていいかわからず、たかさんはその場で立ち尽くす。
ふと時計を見ると、面会時間が終わろうとしていた。
「そろそろ、戻ろうか? オオタカはうちで預かるよ。これ以上、美砂君に迷惑をかけるわけには、」
「いや。ワシが引き取ります」
「えっ?」
ミサゴは立ち上がった。青い顔色を払うように首を振り、たかさんを見据える。
「ワシが面倒見ます。これ以上、迷惑かけるわけにはいかんですから」
たかさんが呆然とミサゴを見つめる。
ミサゴは一度ゆっくりとまばたきをして、病室へと足を向けた。
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