10.5-06 たかさんとオオタカ

 ――それは、四ヶ月前。大雨の降る夜のことだった。


「ただいま……」


 家に戻ってきた高階たかしなは、力ない声でそう言った。明かりのついていない家の中からは、返ってくる言葉もない。

 高階はふらふらとした足取りで、リビングまで歩いていった。電気をつけ、ソファーに座り込む。いつもはここで、娘と並んでテレビを見て楽しんでいる。

 だが、今の高階の隣にはだれもいない。


「どうして、こんな……」


 独り、頭を抱えて呟いた。濡れた上着を脱ぐ気にもなれず、うなだれた。


 ドン……、ドン……。


 どのくらいそうしていただろうか。不意に二階から、なにかを叩くような音が聞こえだした。


 ドン……、ドン……! ドンッ!


 最初は雨風がガラス戸を叩いているのだと思った。しかし、その音はしだいに早く、強くなっていった。


 ドン! ドン! ドン!


「――く! ――ずく!」


 外から、だれかを呼ぶ声も聞こえてきた。

 高階はソファーから立ち上がった。

 その時だった。


 パリンッ!!


 ガラスの割れる音が響く。

 高階は階段へ行き、明かりをつけた。ゆっくりとのぼっていった。声はもうしない。雨風の吹きすさぶ音だけが、のぼってすぐの部屋から聞こえてくる。


 ドアノブを持ち、息を呑んで、思い切り開ける。


 部屋は暗くて視界が曖昧だった。見えたのは、割れた窓ガラス。揺れるカーテン。そして、置かれたテーブルの前に立つ、背から翼を生やし、長い髪を一つに結んだ青年の姿。


 彼はテーブルに立てかけてあるコルクボードから、一枚の写真をはぎ取り、手にしたところだった。写真を持ったまま、突然やってきた高階を見て固まっていた。


「やっぱり、君だったんだね……」


 高階は部屋の明かりもつけずにそう言った。

 その時の顔は、本人にはわからない。ただ、廊下側の明かりに灯されて、青年の側からははっきりと見えただろう。


「君のせいだ……」


 高階は声を震わせて言った。両手をギュッと握りしめる。


「君のせいで、しずくが……! っ!?」


 込み上がってきた感情を爆発させる一歩手前。


 青年が怯えるようにして踵を返し、割った窓ガラスから出ていった。暴風と大雨にも構わずに、ベランダの柵に足をかけ、翼を広げて飛び立った。


 あとに残ったのは、くれない色のついたガラス片と、彼が襟足で結んでいたあお色の紐だった。


 これが、たかさんが見た、最初で最後のオオタカだった――。



   ※   ※   ※



 ミサゴは町内を軽トラで走り回りながら、オオタカの姿を探していた。


「どこいったんや、あいつ……?」


 独り言を零しつつ、車を路肩に止めて辺りを見回す。木の枝に止まっていないかと確認しながら、さきほど聞いたたかさんの話を思い出していた――。



『あのオオタカは、しばらく娘と一緒にいた子なんだ』


 ミサゴは話を聞くために、たかさんを家に上げ、居間へと連れていった。

 お茶を出したが、口もつけずに話を始める。


『娘は大学生でね。夏休みに実家に帰ってきて、近くの動物救護センターでインターンシップをしていたんだ。あのオオタカとはそこで出会って、世話をして、放鳥の手伝いもしたと言っていたよ』


 動物救護センターとはなにかと訊くと、傷ついた野生動物を助け、野生に返せるように治療する場所だと教えてくれた。インターンシップとは、職場体験のようなものだとも言われた。


『怪我を治して放鳥したにも関わらず、人の姿になってやってきたオオタカは衰弱していたらしくてね。娘は僕に内緒で、自分の部屋で彼を二、三日介抱していたんだよ。その日から、娘の怪我が多くなったり、訊いてもごまかされたりして……。正直に話してくれたのは、オオタカが部屋を出ていった後だった』


 たかさんは俯きながら、言葉を続ける。


『最初は、人の姿をした鳥がいるだなんて信じられなかったよ。でも、娘があまりに真剣に話していて、撮った写真を見せてくれたりしたから、信じようと思った』


 ミサゴは自分自身のことはなにも言わずに、黙って話を聞いていた。


『それからも、娘とオオタカは家や外で何度か会っていたらしい。どうしてオオタカが娘のもとへやってきたのかは、僕にはよくわからない。ただ、娘は、オオタカの体だけじゃなくて、心も癒やしてあげたいと言っていたんだ』


 オオタカの言動を思い出す。おそらく、たいそう大切にされていたのだろう。

 ふとミサゴは、いつも野鳥公園で会うお嬢ちゃんの姿をその人と重ねた。


『でも、あの日を境に、オオタカはいなくなってしまったんだ……』

『あの日?』


 ミサゴが訊き返す。

 たかさんはさらに顔を下へ向け、「あの日」について語り出した。

 あまりの悲劇に、ミサゴは言葉を失ってしまう。

 すべてを話し終え、たかさんが顔を上げる。


『頼む、美砂君……! あの子を、僕のところへ連れてきてくれないか? どうしても、伝えたいことがあるんだ……!』


 そう言って、テーブルに両手をつけ、頭を下げた。

 その必死な姿を前に、ミサゴは断ることなどできなかった――。



 ミサゴはオオタカを拾った山へとやってきていた。遊歩道を歩きながら周囲を見回すが、その姿はどこにも見当たらない。


「……ん?」


 ズボンのポケットで、カサリと音がした。中に手を入れてみると、ボロボロになった写真が出てきた。

 それは昨日、オオタカの服から出てきた写真。映っているのは、神社の鳥居。


「……」


 ミサゴはしばらく考え込むように写真を見つめ、踵を返した。

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