10.5-05 出せ

 オオタカが来て、三日目の朝。


「うぅっ……!?」


 部屋に入るなり、ミサゴは固まった。


 貸した寝間着がズタズタに引き裂かれ、ボロ切れと化して散らばっている。昨晩用意した布団も枕も裂かれている。畳や壁にはひっかき傷がつき、障子もところどころ破られている。


 そんなめちゃくちゃな部屋の中で、オオタカは昨日と同じように壁に寄りかかりながら平然と座っていた。乾いた自分の服を着ている。苦労して巻いた包帯は引きちぎられ、まだ赤く腫れている足首が露わになっていた。


「お前、なにしとるんや?」


 声を震わせながらミサゴが問う。

 オオタカは昨日と同じ顔つきで口を開いた。


「出せ」


 意味がわからず、ミサゴは口を開けたまま固まった。

 代わりにオオタカの言葉が続く。


「ここにいる理由はもうない。出せ」


 どうやら、外へ出せと言っているらしい。


「出せて……、お前、まだ怪我が、」

「問題ない」

「あるやろ。その身体でどうやって狩りするんや」

「落ちているものを食うよりはマシだ」

「落ちとるもんて……あれはワシが用意してやったもん言うとるやろ! とにかく、怪我が治るまでワシが食いもん用意してやるから、おとなしくここにおるんや!」


 子どもを叱りつけるようにミサゴは怒鳴った。

 オオタカは黙って睨んだまま。しばらくして、おもむろに口がまた開いた。


「おれは貴様に恩を返す気はない」


 なんの脈絡もなく出てきた言葉。

 ミサゴはその意味に反応し、ピクリと片眉を動かした。


「貴様はしずくと同じことをしているが、同じことを考えてはいない。しずくはなにも考えていなかった。貴様はなにか考えている。おれは、貴様の考えに乗る気はない」


 淡々と進んでいく話を聞きながら、ミサゴの顔がどんどんと青く染まっていく。それを振り払うようにして首を大きく振り、ぎこちない笑みを浮かべた。


「さっきから、なに言うとるんや? ワシはただ、たまたま倒れたお前を見つけて、助けてやっただけで、」

「それだ」


 話の途中で、オオタカが指摘する。琥珀色の瞳がすがめられる。


「助けて『やった』。だから恩を返せと思っている奴に返す恩などない」


 ミサゴはハッとした。今まで出してきた言葉の節々を思い出す。頭の中に「しまった」という思いが嫌でも湧いてくる。


「言うことを聞かせるために恩を売ろうと打算する。ただの鳥のくせに、愚行だな」


 オオタカの冷たい言葉が、とどめを刺すようにミサゴの胸をえぐった。それほどまでに、オオタカの言っていることは、ミサゴの心中そのものだった。


「お前を拾うたワシがアホやったな……」


 ミサゴがポツリと零す。一度部屋を出て玄関まで行き、靴を拾ってくる。戻ってきてそれをオオタカの前に放り投げ、破られた障子戸を開けて縁側へ出る。雨戸の鍵を開け、戸を思い切り開け広げた。


「もうお前に用はない。どこへなりとも行ってしま、」


 バサァッ!


「最後まで聞けや!?」


 言い終わらないうちに靴をはいたオオタカが翼を広げ、雪の降る外へと飛び立った。足の怪我など構わず、みるみるうちに空高くへ舞い上がる。その姿はすぐに点のように小さくなり、見えなくなってしまった。


 後に残ったのは、荒らされた部屋。


「ワシは、なにをやっとるんやろな……」


 自虐を含んだ声が、空しく響いた。

 

 この近くに住み着いたという猛禽をずっと探していた。

 やっと見つけたその鳥が、ヒトの姿をしていた。

 助けてやったが、まったく言うことを聞かない奴だった。

 最後には自分の計画さえ見透かされ、逃げていった。


「お嬢ちゃんは三羽も手なずけとるのに……。やっぱり、ヒトの真似はできんわ……」


 そう零し、部屋を片付けようとした。

 けれどもミサゴは手を止める。今さっき言葉にした少女の顔を脳裏に浮かべた。


 本当にオオタカを外へ出しても良かったのか。

 飛んでいった方向は、彼女の家のほうではなかったか。

 怪我も治っていないまま。またどこかで倒れるかもしれない。

 もしもその時、お嬢ちゃんが彼を見つけたら……。


 オオタカの鋭利な爪が、なんのためらいもなく何度も自分を襲ってきた爪が、脳裏に浮かぶ。


「あかん……。ワシは、なにやっとるんや!」


 ついさきほど外へと追い出したのは自分のはずだ。だが今、その行動をひどく後悔している自分がいる。

 ミサゴは踵を返し、縁側から外へ跳びだした。オオタカの後を追うため、翼を広げようとした。


 その時だった。


「美砂、君……?」


 不意に横から声が掛けられた。


「たか、さん……!?」


 あまりに驚いて、ミサゴも声を詰まらせた。

 玄関の前に、たかさんが立ってこちらへ顔を向けていた。手には紙袋を持っている。昨日、あればもっと分けてくださいとお願いした鴨肉を持ってきてくれたのだろう。


「今の、って……」


 たかさんの声は、いつもの朗らかな声ではなく震えていた。まるで信じられないものを見たかのように。

 まさか、オオタカの飛んでいく姿を見てしまったのか。

 ミサゴは瞬時に頭を巡らせて、笑みを作って取り繕う。


「なーん、実はさっき、鳥が家に入ってきましてね。外へ出すのに苦労しましたよ。今、やっと出ていったところなんですわ」


 そう言ってみたが、たかさんの表情は変わらない。どんどんと深刻そうになり、視線を紙袋へ落とした。


「美砂君……。昨日、町会長さんに会って、聞いたんだ……。美砂君は偏食家で、魚以外はほとんど食べないって……」


 ミサゴの背筋がひやりと冷えた。

 どう言い訳すればいいのか。懸命に考える。


「それに、同じなんだ……。僕の娘の言動と……」


 次の言葉が出ないうちに、たかさんが話し出した。


「急に怪我が多くなったり、訊いてもごまかそうとしたり、鳥の肉がほしいと言い出したり……」


 紙袋を持つ手に力が入る。顔を上げ、ミサゴをまっすぐに見つめた。


「美砂君……。もしかして君の家に、オオタカがいるのかい?」


 なぜ、オオタカとわかったのか。的を射る言葉にうろたえながら、ミサゴはまた笑みを顔に貼り付けた。


「なーん、見間違いじゃあ……」

「君の言う通り、見間違いだったかもしれない。でも、ごめん。変なことを言うかもしれないけど……」


 その時ミサゴは、たかさんの様子がいつもと違うのに改めて気がついた。

 紙袋を持つ手がギュッと握られ、震えている。顔が赤く染まっているのは、寒さのせいだけではないだろう。

 必死な形相が、ミサゴへと詰め寄った。


「彼は、僕がずっと探していたオオタカなんだ」

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