12-15 雪上の激闘

 オレはまだ知らない。


 ――ななが木の上で、目に涙をためて必死に叫んでいることを。

 ――カワセミが雪の上で、のどもとをつかまれあえいでいることを。

 ――オオタカがカワセミを押さえつけ、冷たい眼光を向けていることを。


 オレはまだ知らない。なにも聞こえない。


「今すぐしずくの前から消えろ」

「だま、れ……。ななは、ボクの、ものだ……!」


 ――カワセミが絶え絶えになりながら声を吐き出し、自由を奪っている腕を握りしめ引き離そうとする。オオタカは動じない。冷淡なひとみを向けたまま、ぽつりと感慨をこぼす。


「貴様はおれと同じだ。強すぎた想いに、己を狂わされたか」


 ――言いながら、空いている手を引き、顔の横まで持っていった。鋭利な爪が、首に狙いを定めている。カワセミは射すくめられ、小さく息を引いた。


「もう一度言う。今すぐしずくから手を引け」


 ――淡々とオオタカが言葉を放った。その背後で、ななが必死に声をあげ続けている。「やめてっ!」と。「お願いっ!」と。その懇願は山に響くだけ。答えを静かに待つオオタカを前に、カワセミは目尻めじりに玉の涙をめて言った。


「ななは……ボクの……もの……」


 ――その声はもはや狂った獣の咆哮ほうこうではない。ただ、大切な物を取り上げられて駄々をこめる子どもの我儘わがまま。オオタカは、声ではなく言葉の意味だけを解した。


「そうか」


 顔の横で止まっていた手が、動き出す。

 後ろに引き、勢いをつけ、カワセミに向かって突っ込んでいく。

 ななの悲鳴が聞こえた。涙を零して目を閉じるカワセミが見えた。


「やめろぉぉぉおおおおおおおおーーー!!」


 鋭利な切っ先が肌に触れる寸前。

 オオタカが手を止め、ハッとこっちに目を向けた。と同時にカワセミを置いて、その場から離れる。

 空から打ち下ろしたこぶしは、雪に穴を開けた。

 目をカワセミに向ける。胸が上下に動いているから息はしている。けど、痛々しいくらいに服が切り裂かれている。


「よくも、カワセミを……」


 オオタカは距離をあけ、身体をこっちに向けて雪の上に降りていた。

 オレは腕を雪の中から引っこ抜き、翼を広げる。

 沸き上がる怒気を爆発させ、ありったけの声でえる。


「オオタカァァァアアアアアアアアアアアアッ!!」


 ひざを曲げて姿勢を低くし、体重を後ろへ移動させる。

 固く踏みしめた雪を蹴り、低空飛行で突っ込む。


「くっ!?」


 奇襲にたじろいでるのか、オオタカは翼を羽ばたかせ、さらにオレから距離を取ろうとする。だが、足が雪に埋まって、上手く飛び立てねぇみてぇだな!


「くらいやがれ!」


 横に向けていた翼を立て、身体を起こす。飛び立つ寸前のその顔面めがけ、拳を振るう。

 オオタカが片翼だけ動かして身をひねり、それをかわした。横へ飛んで、またオレから距離を取ろうとする。


「逃げんな!」


 オレはさっきまでオオタカが立っていたところへ着地し、手を雪につけた。すかさず身体を、逃げる後ろ姿に向け、雪を蹴って斜め上に飛び立つ。

 相手は鳥を狩るタカ。遠くからすきを突いて襲いかかってくる。だったらこっちは隙を作らなければいい。攻撃の手を緩めず、狙いを定めるチャンスを奪う。


「飛ばせるかよ!」


 オオタカが体勢を立て直せないまま羽ばたき、上空へ舞い上がろうとする。オレはその真上を取って行く手をふさぎ、身体を回転。相手よりも高い位置から、顔めがけて蹴りを繰り出す。

 オオタカは身体をそらし、上を向いて翼を羽ばたかせた。下から上へ空気を押して浮かんでいた身体を落とし、攻撃をかわす。そのまま斜め後ろへ身を引いて、雪に足を埋めた。

 飛ばせるチャンスもやらねぇ。飛行能力ならあっちが上手うわてだ。でも地上なら、こっちがホーム。だてに地面で食いもん探してるわけじゃねぇぜ。

 それに、この姿だったら……!


「そらよ!」

「っ!?」


 左手に隠し持っていた雪玉を空から投げつけた。

 顔面に飛んできたそれを、オオタカは瞬時に横へかわす。身体が斜めに傾き、膝まで埋まった雪に足も取られて、完全に体勢を崩したみてぇだな!


「もらった!」


 オレはオオタカの手前で片足を着地。雪を強く踏み込んで足場を固め、後ろに引いていたもう片方の足を、傾いてくるガラ空きの横っ腹めがけて、


「――っ!?」


 刹那せつなだいだい色の眼光がオレに殺気を放った。

 オオタカが翼を激しく羽ばたかせ、倒れかけた上半身を無理に起こす。腰の横に、爪を立てた手のひらが据えられていた。それが視界に入った瞬間、目にも留まらぬ速さで迫り、首めがけて振り払われる。

 鉤爪かぎづめが、ネックウォーマーの毛糸を裂く。


「のがぁっ!?」


 一瞬遅れて、オレは身を引いた。バランスが崩れ、上げていた足は空気を蹴り、尻もちまでついちまう。

 オオタカはその隙に飛び立ち、近くの木の枝に足をつけた。別の木に移ろうと身を屈め、動きを止める。気がついたか、周囲を目で見回した。


「ちっ……」


 オレに向かって舌打ちを零す。

 時間稼ぎはこれで終わりだ。オレは片手を高く挙げた。


「おいお前ら! あとは頼んだぜ!!」

「ガァアアアアアアアーーーーー!!」


 木に隠れていたハシボソガラスたちが、一斉に出てきて声を上げる。やり合っている裏でこっそり集めさせたんだ。その数ざっと、三十羽。

 オオタカがまゆをひそめる。四方八方からのやかましい声に追い立てられるように、翼を広げて空へ飛んでいく。

 カラスたちの黒い塊に追いかけられ、その姿は山の奥へと消えていった。


「はぁー、死ぬかと思ったぜ」


 オレは独り言を言いながら立ち上がった。ネックウォーマーが横一線に切れていて、ぱっくり開いている。これ、もし着けてなかったら首がどうなってたか……。背筋に寒気が走る。


「まぁ、でも」


 後ろへ振り返ると、マツの木の上にななが立ってこっちを見ていた。遠くにいてはっきりと表情はわからないが、さっきみたいに泣いてはなさそうだ。

 無事でいてくれて、ほっと息を吐く。


「カー、くん……」


 横からかすかな声が聞こえて、振り向いた。

 カワセミが雪の上で立ち上がり、片腕で腹を抱えながらオレを見ていた。足を前へ踏み出し、力なく膝が折れて、倒れかける。

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