12-07 ななの決意

 急な大声にビックリしたのか、肩の上でカワセミくんがビクンッと跳ねた。

 わたしは、たかさんの優しい言葉を思い出す。カワセミくんの頭をでながら、ゆっくりと深呼吸をした。


「わたし、信じてるから。トキと必ずまた会えるって」


 薄暗い林の中、しっかりと前を見て、言葉を紡いだ。


「なんで……」


 耳もとで、震えた声がつぶやかれる。


「なんで、そんなにトキに会いたいのさ? 大体、追い出したのはななだろ?」

「そうだね……。あの時はわたし、トキは希少な鳥だから大切にしないといけないって思って、正しいことをやろうとしていた。でもわたし、思い出したの」

「思い出した?」


 手を後ろへやって、カワセミくんを抱き寄せた。カワセミくんはされるがままに前へやってきて、抱っこされて腰に手を回す。

 翡翠ひすい色の髪にわたしはほおを当て、目を閉じた。


「トキと初めて出会った時、わたしは珍しいからじゃなくて、ただ、鳥が好きだから助けたんだよ。希少だからとか特天だからとかじゃなくて、一羽の鳥として、大好きな鳥を、大切にしたい。そう思っていたから、トキと今まで暮らしてこれた。トキだけじゃなくて、カーくんやカワセミくんと、みんなで楽しく暮らしてこれたんだよ」


 わたしは目を開けて、内緒話をするように耳打ちする。


「それにね、もう一つ、違う気持ちもできたの」

「違う、気持ち……?」


 カワセミくんがわたしの胸に顔を埋めたまま、き返す。

 出会った頃には感じなかった想いが今、心にムズムズとうずいている。一時は戸惑って、わからなくなった。バカみたいってふたをしようともした。けど、もう自分にうそなんかつかない。

 わたしは「うんっ」とうなずいて、素直な言葉を続ける。


「トキと一緒に暮らしてきて想ったの。わたしはトキが好き。一羽の鳥を超えて、わたしはトキが、彼が、好き」


 人とか鳥とか、もうどうでもいい。

 だって今、言葉にして、顔が熱くなったんだもん。胸がドキドキするんだもん。

 この気持ちを、大切にしたい。


「だからわたし、トキに会いたい。会って、自分のしたことを謝って、トキに想いを伝えたい。許してくれないかもしれない。逃げちゃうかもしれない。それならそれでもいい。でも、今この想いを伝えなかったら後悔するから。わたしは、もう一度トキに会いたい!」


 こんなのわがままかもしれない。好きだけど、トキが希少な鳥だって理解もしている。トキが自分のものじゃないのもわかっている。追い出しておきながら、戻ってきてなんて都合の良いことは言わない。

 ただ、想いを伝えたいだけ。できれば人の姿のトキに会いたいけど、鳥の姿に戻っていたとしても構わない。ただ、「ごめん」と「好き」と、「ありがとう」を伝えたいだけ。


「なんで、トキが好きになったのさ……。ボクでもカーくんでもなくて、トキなのさ……」

「なんでかな?」


 頬に熱を持ちながら考える。

 カーくんみたいに明るいわけじゃないし、料理ができるわけでもない。カワセミくんみたいに愛嬌あいきょうがあるわけじゃないし、気が利くわけでもない。ミサゴさんみたいにカッコいいわけじゃないし、頼りになるわけでもない。

 それでも、真面目な横顔や、びくびく跳ねる冠羽かんうや、優しく細められるひとみが、わたしの胸を温かくする。


「ほっとけないから、かな」


 言って、クスッと笑ってしまった。

 トキに聞かれたら、「心配ばかりするな……」ってあきれられそう。

 でも、わたしはやっぱり、ほっとけなかったんだよ。気を遣っていたのに、逆に気を遣ってくれたりして。優しくて温かくて、一生懸命に生きている。

 そんなあなたが、好き。


「なんだよ、それ……」

「いたっ!?」


 突然、背中に爪の食い込むような痛みが走った。思わずカワセミくんから手を離し、押し飛ばしてしまう。

 カワセミくんは翼を広げ、わたしから距離を取って地面に足を着けた。


「わからない……! 納得できないよ、そんなの!」


 顔に暗い影を落としながら、地団駄を踏む。き出された歯が見える。


「ななを一番想っているのはボクだ! あんな臆病おくびょうなトキよりも、グズなカーくんよりも、ボクがななのつがいに相応しいはずなんだ!」


 吐き出される怒声に、ゾクリと寒気が走った。

 足を後ろへ引く。カワセミくんが下を向いたまま、間合いを詰めるようにわたしへと近づく。


「なな、ボクを好きって言ってよ」

「カワセミくんは好きだよ?」

「その好きじゃない!」


 伝えた言葉が、一蹴いっしゅうされる。


「ななはボクだけ見てればいいんだ。ボクの声だけ聞いてればいいんだ。ボクのそばにずっといればいいんだ」


 カワセミくんの顔が上がる。眉間みけんにしわが深く刻まれ、顔は狂気すら感じるほどゆがんでいた。

 背中に堅い物が当たる。たぶん木の幹だ。けれども振り返ることもできず、別の場所に逃げることもできない。見開かれた黒い瞳が、わたしに動くのを許してくれない。


「ボクにななの、全てを寄越よこせっ!」


 カワセミくんが翼を広げ、まるで獲物を狩るように一直線に飛びかかってくる。

 開いた手のひらが、わたしの目前に迫る。


 ――トキ、助けてっ!


 心が叫んだ、その時。


「見てられんな」


 わたしとカワセミくんの間に、白っぽい羽が滑り込んだ。


「えっ?」


 視界が翼に包まれ、身体が横へ押される。隣の木の下まで持っていかれ、わたしは斜めに傾いたまま止まった。だれかの片手がわたしの肩をしっかりと掴んで、支えてくれている。


「だれ……?」


 意表を突かれたような、気の抜けた声が聞こえた。さっきまでわたしのいた場所で、カワセミくんが目を丸くしている。

 わたしは目線を上へ向けた。

 目の前にいたのは、淡い黄色の光彩を持つ、憂いを帯びた瞳……じゃない。

 切れ目からのぞく、だいだい色の虹彩を持つ鋭い瞳。前は白く、後ろは青みがかった灰色をした髪。肩越しには、一つに結んだ長いそれが風で不規則に揺れていた。


「貴様のような鳥にけがされるくらいなら、こいつはおれがもらう」


 彼はカワセミくんへ眼光を向けたまま、わたしを抱き寄せて言った。肩を掴む手の先は、鋭利な鉤爪かぎづめになっている。白い翼には、灰色の細い横じま模様が入っていた。

 彼は身を屈め、その翼を大きく広げる。


「きゃあっ!?」


 足が宙に浮く。手を伸ばすカワセミくんの姿が視界から消え、ぐんっとスギの枝が目前に近づき、次の瞬間には灰色の空が見える。あまりの速さに、自分がどこにいるのかわからない。無表情で前を見据える彼の顔が回るようにゆがんで、わたしの意識は途切れた。

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