12-04 鳥とともに

 お茶を持ってきたたかさんが、お盆をテーブルの上に置いた。わたしのそばへ来てひざを折り、写真を指差しながら説明してくれる。


「これは北海道で出会ったタンチョウ。求愛ダンスをしているところだよ。こっちは愛知県で見たサシバの渡り。一日に何百羽も渡ってゆく様は雄大だったよ。これは千葉県の干潟で見たオオソリハシシギ。くちばしに貝が挟まっているだろう? 漁夫の利みたいで面白くてね。もちろん、その後漁師には捕られずに、シギが貝を外して食べていたけどね」


 オスとメスで仲良さそうに寄り添っているもの。群れをなして飛んでいるもの。夢中で食べ物を探しているもの。みんな生き生きとしていて、今にも動き出しそうだ。

 その中で、わたしは一枚の写真に目が行った。


「それは、佐渡で撮ったトキだね」


 たかさんがわたしの目線に気がついて、教えてくれる。

 青空をバックに、朱鷺色の翼を広げて飛んでいる一羽の鳥が写っていた。


「トキ……」


 思わず、言葉がこぼれた。手をトキに伸ばした。けど、たかさんの物だと気づいて、触れる直前で指を引いた。

 写真のトキが、彼じゃないのはわかっている。足環がないから、たぶん野生下で生まれたトキだろう。昨日眠れないうちに調べたけど、放鳥によって佐渡ではトキの数が増え、野生で生まれる個体も多くなってきているらしい。


田浜たはまさんは、トキが好きなのかい?」


 たかさんがいた。わたしは答えられず、写真をじっと見つめた。

 鳥としてなら、トキは好きだ。タンチョウやサシバやシギと同じくらい好き。いつかわたしも佐渡へ行って、たくさんいるトキを観察してみたい。

 けれども、今はどうだろう……。この姿を、見たいのかな、見たくないのかな……。

 思えば思うほど、胸がキュッと、締めつけられるように痛くなる。


「どうかした? 気分、悪くなったかい?」


 黙ってしまったわたしを見て、たかさんが心配する。

 気遣う言葉が、二日前に掛けられたトキの言葉と似ている気がした。


「わたし……、ひどいことしちゃったんです……」


 もう、我慢できなかった。

 わたしはうつむいて、胸を押さえる。


「トキにひどいことした……。大事な鳥なのに……。大切に、したはずなのに……。トキを、傷つけて……。わたし……」


 感情が先に出て、なにが言いたいのかまとまらない。たかさんに話すというより、独り言のように吐き出した。もどかしさが募って、手をギュッと握った。


「もしかして田浜さん、№465を知っていたのかい……」


 たかさんがぽつりとつぶやく。

 心臓がヒヤリと跳ねた。追求されれば、話すしかない。たかさんにうそを吐いていたこと。野鳥を黙って家に置いていたこと。トキを行方不明扱いになるまで放っておいたこと。責められるかもしれない。覚悟しつつも、怖くて身体が震える。

 ふと、わたしの背中に手が触れた。


「落ち着きなさい? 一度深呼吸して?」


 急に話が変わって驚いて、言われた通りに息を吸って吐いた。

 身体の震えが止まる。強く握っていた手も、ふっと解ける。

 わたしはおどおどしながら顔を上げた。微笑むたかさんと目が合う。


「難しいこともあるよ、野鳥と向き合うのは。正しさがなにか、わからなくなる時もある」


 たかさんがわたしの背中から手を離して、写真を見た。

 そこに写された鳥の、その向こうを見つめるように、話を続ける。


「例えば昔、野生のトキが佐渡にわずかに残っていた頃。トキをすべて捕獲して人工繁殖させるべきだという意見と、そっと見守って自然繁殖させるべきだという意見があったらしい。人によって、保護の考えが違っていたんだ。後に、全羽が捕獲されたのだけれども、結局、日本のトキは一度絶えてしまった」


 たかさんほど詳しくはないけど、わたしもトキについて調べたのを思い出す。

 自然破壊や乱獲によって数が減り、佐渡に数羽だけが残るのみとなったトキ。捕獲され、施設で飼育されて、次の世代に繋げようと努力がなされた。けれども、ヒナがかえることはなかったという。


「自然の中でそっと見守っていたら守れたかはわからない。同じ結果だったのかもしれない。もしも自分が当時のその場にいて判断を任されていたら、とても難しかっただろうと思うよ」


 たかさんのまゆが、寂しそうにひそめられた。

 わたしだったらどうしていただろう。考えても、答えはすぐに出てこない。


「中国で野生のトキが見つかって、その後に繁殖に成功した個体が日本へと送られた。それでようやく、この国でも人工繁殖が成功したんだ。どちらの国のトキも遺伝的に変わらず、同じしゅに属している。それでも、日本で一度絶滅したトキをなぜまた放すのか、疑問に思う人もいるよ」


 日本のトキが生きていた時、中国のトキとの交配も試されたけど、失敗に終わってしまったらしい。

 死んでしまったトキの細胞は保存されていて、技術が進めば、もしかしたら日本にいたトキを創り出すことができるかもしれないという話もあるらしい。


「そもそもどうしてそこまでしてトキを守るのか。正直、トキがいてもいなくても、僕らの生活はあまり変わらないかもしれない。トキからお礼を言われるわけでもない。ただの鳥に当てる費用を、別の、もっと人に役立つもののために使うことだってできるのかもしれない」


 たかさんの目が、厳しそうに細められた。

 以前、トキが言っていた。人は「勝手だな」って。「守ってほしいと頼んだ覚えはない」って。頼まれもしないのに、人は守りたいって思う。それが正しいと思う。けど、善いか悪いかなんて人が決めていることだから、人によって考え方が違ってしまうのかもしれない。


「でもね」


 たかさんは一度目を閉じて、ゆっくりと息を吐いた。


「それでも、今この世界にトキがいるのは、きっと、トキを愛した人たちがいたからなんだよ」


 発せられた声は、さっきまでとは違う。優しくて、強く熱い意志が込められた言葉。

 ひとみが開き、大空に羽ばたく写真を、真っ直ぐに見つめた。


「トキを見て、トキのそばにいて、守ろうとした人たちがいた。その思いはきっと、珍しいからとか、価値があるからとかではないと思う。伴侶はんりょを愛するように、我が子を愛でるように。ただ、好きだから、あの美しい鳥を愛していたから、懸命に守ろうとしたんじゃないかな。その思いが、たくさんの人々に伝わった。そして今も、トキのそばに、トキを愛している人たちがいる。だからこそ、朱鷺色はこの世界から失われていないんだと、僕は思うよ」


 たかさんの瞳が、わたしへと移された。「ちょっと待ってね」と言って、かばんからタブレットを取り出す。鳥の写真とは違う、人の写った画像をわたしに見せてくれた。


「僕はね、旅行で鳥見とりみに行く時、地元の人に会ったり、現地でガイドをお願いしたりするんだ。その場所で鳥を見続けて、鳥を守るために活動している人の話を聞きに行くのが好きなんだ」


 流れていく写真の中には、いろんな人が写っていた。おじさんやおばさんたちが施設で展示物の解説をしている。子どもたちが田んぼで生き物を探している。大学生くらいの若い人たちが、カウンター片手に双眼鏡をのぞいている。


「今の時代、なんでもすぐに調べられる。でも、大事なのは、自分の目で鳥を見て、知ることじゃないかな。その場所でともに生きる鳥を愛して、いろんな課題はあるだろうけど、目をそらさずに、できることをすることじゃないかな。そうやって現場で努力している人たちを、僕は尊敬しているよ」


 画像の中には佐渡で撮ったものもあった。パネルを持って、一生懸命に説明をしている子どもたち。トキが舞い降りた田んぼのそばで、驚く様子もなく当たり前のように作業をする農家さん。たかさんの隣で恥ずかしそうに写っているのは、ガイドのおじさんだとか。

 佐渡では調査員や地元のボランティアが、毎日トキのモニタリングをおこなっているという。もちろん驚かせないようにそっと、トキたちを見守っているのだそうだ。


「田浜さんは、鳥が好きかい?」


 じっと画面を見つめていたわたしに、たかさんが訊いた。

 すぐに顔を上げて、うなずく。


「はい」

「この町の鳥は好きかい?」

「はい!」


 わたしは鳥が好きだ。ずっと見てきた、この場所で見る鳥たちが好きだ。

 それだけは、なにがなんでも、自信を持って言える。


「そうかい。その気持ちを、どうか忘れないでほしい」


 たかさんが、にっこりと笑って、目尻めじりにしわを作る。


「君は優しい。僕の話をちゃんと聞いてくれる。鳥のことも、人のことも、ちゃんと考えている。だから大丈夫。もしかしたら、過去に後悔があったかもしれない。けれども、今、君の思っていることは、きっと大切なことじゃないかな?」


 その言葉を聞いて、わたしのほおに一筋、涙が伝った。

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