12-02 雪に映る思い出

 トキが家を出ていって、二日目の朝が来た。

 雪の積もる田んぼ道は、まだ日が昇っていなくて薄暗い。

 ろくに眠れなくて、いつもより三時間早く家を出た。そのまま学校へ行けるようにかばんを持って、制服を着て、上にカッパを羽織っている。双眼鏡も首に掛けているけど、辺りは吹雪で鳥を見るどころじゃない。


「わたし、なにしているんだろう……」


 立ち止まって、空を見上げる。吹きすさぶ雪の先に、昨日とも一昨日とも同じ灰色の雲が空を覆っている。そのくすんだ色の中に、淡い朱色が見えないかと、目を凝らしてしまう。


 わたしは首をもとに戻して、後ろを振り返った。歩いてきた道があって、その先に、ビニールの外された骨組みだけのハウスがぼんやりと見える。

 初めてトキと出会った場所。降る雪の中に、あの時の情景が浮かび上がった気がした。


「最初はトキと知らずに助けて、びっくりしたんだよね……」


 道を挟んだ向かい側には、水路が流れている。

 学校の帰り、あそこでトキが食べ物を捕っているのを初めて目撃した。


「あの時も驚いて、大声出しちゃったなあ……」


 そしてその向こうには、また田んぼ。

 家の前にあるそこは、トキが熱を出して倒れた時、わたしが代わりに食べ物を探していた場所だ。


「結局なにも捕まえられなくて、カーくんが助けてくれたんだっけ……」


 わたしは前に向き直る。

 この辺りを歩きながら、入っていい田んぼをトキに教えた。田んぼマップとにらめっこしながら、トキは言ったことをちゃんと守ってくれた。


「トキは食べ物探してたら、いつもサギたちにたかられてたんだよね……」


 着ているカッパの雪を落として、再び歩き出す。

 この道を、トキやカーくん、カワセミくんと一緒にバードウォッチングしながら歩いたこともあった。


「トキには辛い思いさせちゃったけど……。それでも、トキの気持ちを知れてうれしかった……」


 しばらく歩いていくと、線路沿いを走る道路に出た。遠くに海も見える。

 ミサゴさんと会って、トキたちと海水浴したのを思い出す。


「わたし、怒っちゃって、トキとカーくんに平手打ちを……」


 ……あんまり思い出したくなかった。


 線路を渡る途中、横を見ると少し先に駅の高架橋が見えた。

 修学旅行から帰ったら、駅でトキたちがわたしを待っていてくれた。


「トキと一緒に傘を差して、帰ったんだっけ……」


 わたしは雪を踏みしめ、海に向かって歩いていく。この辺りは昨日、カーくんがわたしをクスノキの上に連れて行ってくれて、見せてくれた場所だ。

 あそこの神社で、トキと一緒に初詣はつもうでをした。その帰り、トキは翼でわたしを抱き寄せてくれた。あの温かさが、今でも背中に残っている。


「トキ……」


 うわごとのように言葉をつぶやく。


 気がつくと、『野鳥公園』に着いていた。ビジターセンターのドアは開かず、かぎがかかっている。

 わたしはドアに背を付けて、その場にしゃがみ込んだ。

 二日前、ここでたかさんに出会って、その後、トキが行方不明だって知った。

 それから家に帰って、わたしはトキを、追い出した。


「トキ……」


 また、名前を言ってしまう。言ったって意味ないのに。言葉が出てしまう。

 ここに来るまでだってわたしは、白い雪の中に、灰色の空の中に、淡い朱色が見えないかってずっと探していた。彼といた時間を思い出しながら、彼の姿ばかり見えないかって、目を凝らしていた。


「バカみたい……」


 自分が追い出したくせに、どうして今さらトキを探しているんだろう?

 探しているのは、人の姿のトキ? それとも鳥のトキ?

 見つけてどうするの? 会ってどうするの?

 双眼鏡を向けたら、きっとトキは怖がって飛び立ってしまう。わたしの姿を見ただけで、逃げてしまうかもしれない。

 もしかしたら、もう海を越えて行っちゃったかも。もしかしたら、この吹雪で凍えて、どこかで倒れているかも……。


「トキ……」


 また……。一体何度、この名前を口にすれば気が済むんだろう。

 わたしは地べたに座り込んで、足を抱え、ひざの上に顔を落とした。

 軒下にいるけど、風が容赦なく身体に吹きつける。歩いて暖まった身体はすぐに冷えて、足先の感覚がなくなっていく。


 プッ、プッ。


 どのくらいうずくまっていただろう。突然、変な音が聞こえた。

 顔を上げると、車が見えた。道の隅に寄って、赤いランプを灯している。あれ? あの軽ワゴン車、どこかで見たような……と思ったら、運転席の窓が開いた。


田浜たはまさん、かい?」


 身を乗り出して声をかけてくれたのは、毛糸の帽子をかぶったおじさん――たかさんだ。その顔には、「どうしてこんな時間にここに!?」という驚きが見て取れた。


「あっ、えっと、は、はい……。ちょっと、バードウォッチングに……」


 わたしは慌てて立ち上がり、しどろもどろに言った。こんな時間にだれかに会うなんて、思ってもみなかった。

 たかさんは「ちょっと待ってね」と言って、一度車をバックさせ、駐車場に停める。降りてこっちに来させるのも申し訳ないと思って、わたしは運転席のそばへ行った。


「せっかく来たのに、まだ開いてなかったんですよね……。ここの鍵、ミサゴさんが持ってて、いつもは八時頃にならないと開けてくれないのすっかり忘れてました……」


 苦笑いを浮かべて、頭の後ろをく振りをする。

 たかさんはなにも返さず、けれどもなにか言いたげに、わたしの顔をじっと見つめた。

 こんな吹雪に朝早くバードウォッチングをしているなんて、絶対におかしいのは自分でもわかっている。なんとかごまかそうと、寝不足な頭で必死に考える。


 ぐぐぐ~……。


 出てきたのは、言葉ではなくて、腹の虫。

 思わずお腹に手を当てた。


「朝ご飯、まだ食べてないのかい?」

「は、はい……」


 恥ずかしくて、うつむきながら返事をした。カーくんが起きる前に家を出てきちゃったから、まだなにも食べていない。

 ためらいながら目線を上げると、たかさんが優しく微笑んだ。


「良かったら、僕の家で少し休んでいきなさい」


 命令口調ではなく、先生やお医者さんが諭してくれるような柔らかい口調。

 わたしは自然とうなずいて、言われるまま車に乗り込んだ。

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