11-07 ミサゴさんの隠し事

 再びたかさんの車に乗り、山道を走ること、十分。


「お嬢ちゃん、大丈夫か?」

「……ダ、ダメです」


 展望台下にある駐車場の隅でうずくまり、わたしは盛大に車酔いをしていた。

 迂闊うかつだった。オオタカが見られるかもと興奮して、自分が車に酔いやすいとすっかり忘れていた。『野鳥公園』からため池までは平気だったけど、急カーブ連続の山道は耐えられなかったよ。うぅ……、なんで山ってこんなに道がクネクネしているんだろう……。


「あの……、わたしに構わず、ミサゴさんも……オオタカを……」

「なに言うとる? お嬢ちゃんを置いていけんわ」


 たかさんは、すでに展望台へ登っていった。やさしい表情のまゆゆがめ、わたしを心底心配して何度も「ごめんね」と謝った後、望遠鏡を担いでスタスタと遊歩道を歩いていった。たかさんは冷たいわけじゃない、鳥に熱いのだ。その情熱あふれる後ろ姿を見送りながら、わたしは己の未熟さを憂ううううーーーーーー。


「無理せんとかな? 車のカギ預かっとるし、寒かったら、中で休んでええからな?」

「い、いえ……。外の空気吸ってたほうが、気分いいです……」


 ミサゴさんはつかず離れずの距離にいて、やさしい言葉をかけてくれる。わたしは涙声になりながら、冷たい雪の上で身体を休めた。


 しばらくすると酔いがさめてきて、少し落ち着く。遊歩道の入り口にベンチがあり、ミサゴさんが雪をどけて、頭に巻いているバンダナを広げて敷いていた。


「お嬢ちゃん、どうや、気分は?」


 立ち上がったわたしを見て、ミサゴさんがこちらに歩いてくる。


「はい。だいぶ良くなりました」

「そりゃ良かった。あそこ、座れるようにしたから、もう少し休むとええ」

「えっ、でも」

「構わん構わん。ずっと雪の上におったら、濡れるし冷たいやろ? なんかほしいもんあるか?」

「えっと、わたしのバッグを」

「車ん中やな? ワシが持ってくるから、先に行っとるんや」


 ミサゴさんは車へ行って、カギを開ける。わたしは言われたとおりにベンチに行って、腰を下ろした。

 ミサゴさんがバッグを持って、やってくる。


「ありがとうございます。あっ、そっち濡れませんか?」

「ええんや、ワシは」


 わたしが差し出した両手にそっとバッグを乗せて、ミサゴさんは人一人分のスペースを空けて隣に座る。下にはなにも敷かれていないけど、気にする素振りなく微笑んだ。心遣いがうれしくて、でも申し訳なくて気が引けてしまう。


「ありがとうございます、ミサゴさん」


 なにかお礼をしたいけど、きっとミサゴさんは遠慮して、断ってきそう。だからわたしは、感謝の言葉をもう一度伝えた。

 バッグを開けて水筒を取り出し、のどを潤す。その時、わたしの手の甲に、冷たいものが落ちて溶けた。


「あっ、降ってきましたね」


 見上げると、灰色の空から綿雪が降り始めていた。

 お茶を飲んで一息ついたら、たかさんのところへ行こうと思っていたのに。今から急いで登ってみようかな。でも、先にたかさんが降りてくるかな。途中で鉢合わせになるなら、ここで待っていたほうがいいかな。


「なぁ、お嬢ちゃん……」


 どうしようか迷っていると、声を掛けられた。

 ミサゴさんは雪の降る空を見上げていた。その視線が、ゆっくりとわたしへ向けられる。


「あいつらは、元気にしとるか?」


 口もとをかすかに緩ませて、いつもの調子でミサゴさんがく。


「あいつらって?」

「お嬢ちゃんの家におる鳥たちや」

「そういえば、最近会ってませんでしたね?」

「せやな。ワシも忙しかったし、カワセミも自分で狩りできるようなってから、とんと来んくなってしもうた」


 ミサゴさんはどこか寂しそうに言って、肩をすくめた。

 ミサゴさんが鳥たちと最後に会ったのは、たぶんわたしが修学旅行で出掛けていた時かな。最近、ミサゴさんは用事が立て込んでいたらしく、会う機会が少なくなっていた。わたしは、ゆうちゃんやひらりちゃんとバードウォッチングをしていて、鳥たちを『野鳥公園』に連れていかなくなっていた。


「みんな元気ですよ。カワセミくんはいつも一緒に遊んでますし、カーくんはいつも美味しいご飯作ってくれますし、トキは……」


 言葉に詰まり、目を泳がせる。バードウォッチングに夢中になって隅に追いやっていたことが、また頭にどっと押し寄せてきた。夢を見たこととか、寝起きを見られたこととか……。思い出すたびに、胸の鼓動が速くなっていく。


「トキが、どうしたんや?」


 突然黙ってしまったわたしを心配したのか、ミサゴさんが訊き返した。


「あ、いえ。トキも、元気にしてますよ……」


 そう言って、視線をそらした。

 どうしよう。山の中なのに、やっぱりトキのことを考えるとドキドキして、苦しくなってしまう。ミサゴさんに相談してみようかな。でも、なんて言えばいいんだろう……?


「そうか。雪はもう、こんなに積もっとるいうのにな」


 ミサゴさんのつぶやくような声が、耳に入った。雪が積もっていたら、なにかいけないのかな? 尋ねようとすると、目が合った。


「なぁ、お嬢ちゃんは、あいつらが鳥やっちゅうこと、ちゃんとわかっとるやろな?」

「はい」


 わたしはすぐにうなずいて、首を傾げる。

 どうして、急にそんなことを訊いてきたのかな? ミサゴさんはなにも言わず、わたしの目を見続けていた。そのひとみは、やさしげにも見えて、悩んでいるようにも見えて、どこか怒っているようにも見えて。


「わかっとるわな。さっきあんだけあんな話、しとったんや」


 まるで自分に言い聞かせるように言って、ミサゴさんは目をつむり、顔をそらした。


「あいつらが、お嬢ちゃんに甘えすぎなんや。特に、トキは……」


 正面を向いて、細く開けられたひとみ。それはどこか、今日『野鳥公園』にいた知らない人に向けている瞳と、同じように見えた。


「ミサゴさん? トキとなにかあったんですか?」


 そういえばトキ、前に、ミサゴさんと会うのを嫌がっていたような……。

 わたしは身体を前屈みにして、顔をうかがおうとした。けど、ミサゴさんは逃げるように立ち上がる。


「お嬢ちゃん、もしあいつらのことで少しでも困ったら、すぐワシに相談するんや。ええな?」


 やさしい口調。けれども、わたしの問いにはまったく答えない。ミサゴさんは、たまにこうやって自分の意見を押しつける。


「ミサゴさん、ちゃんと答えてください。トキとなにかあったんですか?」


 横顔を見上げながら、わたしはほおを膨らませた。ミサゴさんはわたしの視線に気がついて、困ったように苦笑いを浮かべる。そんな顔して、はぐらかさないでください。そう言おうとした、その時。


「トキがどうかしたのかい?」

「あっ!? た、たかさん!?」


 望遠鏡を担いだたかさんが、いつのまにか後ろに立っていた。びっくりしたわたしの隣で、ミサゴさんは振り返り、ベンチ越しにたかさんと向かい合う。


「戻ってきたんですね、たかさん。どうやったですか?」

「残念ながら、上ではなにも入らなかったよ。雪も降ってきたから、降りてきたんだ。田浜さんは、気分よくなったかい?」

「はい。もう大丈夫です」

「それは良かった。本当にごめんね。帰りはなるだけ揺れないよう、ゆっくり走るよ」


 そう言って、たかさんはミサゴさんからカギを受け取り、車まで行く。

 雪は牡丹ぼたん雪となって、積もるばかりで止む気配がない。今日はもう解散かなと思いながら、わたしも車へと向かった。


「そういえばさっき、トキがどうって聞こえたけど、もしかして見たことあるのかい?」


 車の後ろに望遠鏡を積みながら、たかさんが目を輝かせてわたしに訊いた。


「えっ!? み、見て……、見てないです!」


 必死に首を横に振る。本当は、毎日家にいるのを見ている。けど、人の姿をしたトキがいますなんて、さすがにたかさんでも言えない。


「そっか。いやね、昨年の春に、この近くでトキの目撃情報があったんだよ」

「トキの、目撃情報?」

「うん。美砂君は知っているかい?」


 バンダナを持ってわたしの隣にやってきたミサゴさんに、たかさんが訊く。わたしはミサゴさんに目配せをした。ミサゴさんはちらっとこっちを見て、首を横に振る。


「いや。ワシも初めて知りましたわ」

「そっか。僕も直接見たわけじゃなくて、ネットの情報だけどね。№465という個体でね、佐渡から本州に渡って、いろいろな場所を点々としていたそうなんだ」


 たかさんの言う番号は、トキに着けられた足環に記されている。放鳥される個体にはそれぞれ足環が着けられて、だれがどこにいるのか、観察の目印になっているらしい。

 番号なんて調べてなかった。けど、春にこの近くにいたのなら、たぶん、家にいるトキのことを言っているのだろう。


「でも、残念だったよ……」


 たかさんが目を伏せて、言葉をこぼす。その意味がわからず、わたしは訊き返した。


「残念って?」

「その№465なんだけど――」

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