11-03 それより鳥見

「カーくん、わたしの冗談そんなにおもしろかったのかな……?」


 家を出て、足首まで積もった雪の道を歩きながらつぶやいた。

 お茶を吹き出したカーくんは、あの後畳の上に倒れて、返事もできないくらいピクピク震えていた。笑いをこらえるのに必死だったのかな? そんなにウケたのかな?


「まぁ、いっか。今日はなにがいるかな~?」


 考えているうちに『野鳥公園』に着いた。来たのは半月ぶり。クリスマスパーティーをしたり、大掃除をしたり、お正月が開けてドタバタしたりしていたせいで、冬休みはなかなか来られなかった。

 ビジターセンターの扉を開けて、中に入る。奥にある窓から灰色の曇り空が見えているけど、海は穏やかだ。耳を澄ますと、外から「ピューピュー」と笛を吹くようなヒドリガモの声が聞こえる。


「ミサゴさん、まだかな?」


 建物の中は静かで、中央にある階段の下には靴も見当たらない。

 先に二階で観察していよう。わたしは受付の名簿に名前を書いて、スリッパに履き替え、階段をのぼる。


「そうだ。ミサゴさんにもトキのことちょっと話してみよっか……でも、うぅ~ん」


 カーくんと違って、ミサゴさんはあこがれの人だから、恋バナをするのは抵抗あるかな。恋かどうかはまだよくわかんないけどね。

 そもそもわたし、ミサゴさんが理想のタイプって思っていたけど、トキって全然違うよね。ひょろいし、頼りないし、あんまり笑わないし……。でも、たまに笑った顔はすっごくやさしげで……。

 あああー、やっぱりわかんない! ひとまず今は、思いっきりバードウォッチングを、


「貴様か」

「ひゃぁっ!?」


 階段をのぼりきった途端、不意に横から声が飛んできた。

 次の瞬間、左の手首に痛みが走り、身体が引っ張られる。


「いっ!?」


 自分の顔が、だれかの肩に当たる。すぐに離れようと身を引いたけど、だれかの手がわたしの手首をつかんでいて、放してくれない。


「動くな」


 あごに硬い手袋の感触が伝わって、顔を上に向かされる。

 視界に入ったのは、知らない人の顔。不機嫌そうな切れ目で、だいだい色のひとみには、目を丸くして固まっているわたしの姿が映っている。背丈はカーくんと同じくらいで、前は白髪はくはつ、後ろは青みがかった灰色の髪をしている。


「確かに、あいつに似ている」


 彼はわたしのあごを押さえたまま、目をすがめて言った。

 掴まれた手首が痛い。遅れて恐怖が込み上がってくる。震える唇を動かして、声を出そうとした。

 その時。


「なにしとるんや」


 階段の下から、知っている声が聞こえた。

 彼の視線がわたしから外れる。わたしも声のしたほうへ目を移した。


「ミサゴさんっ」


 ほっと安堵あんどの混じった、高い声が出る。

 ミサゴさんは階下から、鋭く細めた瞳を彼に向けていた。


「お嬢ちゃんから、手ぇ放せや」


 静かで、でも迫力のある声が、部屋に響く。


「……ッ」


 彼は舌打ちをして、わたしから手を放した。そのままこちらに一目もせず、階段を降りていく。靴音が鳴り、襟足で結んだ長髪が、灰色のコートの背で揺れた。


「そっちは土足厳禁や。他人に迷惑かけるようやったら、ここには二度と来んな」


 ミサゴさんは彼に視線を向けたまま、声色を変えずに言った。

 彼の表情はわたしからは見えない。なにも言わず、ミサゴさんの横を通り過ぎた。視界からいなくなり、扉を開けて出ていったのか、ガラガラガラッと荒っぽい音が響く。

 ミサゴさんはしばらく扉のほうへ顔を向けていた。短く息を吐いた後、こちらへと振り返る。


「お嬢ちゃん、大丈夫やったか? 怪我けがしとらんか?」


 いつものやさしい口調に戻って言って、階段をのぼってくる。


「はい。ありがとうございます、ミサゴさん」


 やってきたミサゴさんにお礼を言って、わたしはもう一度下へ目をやった。


「だれだったんでしょう、あの人……?」


 年は同じくらいだったけど、見たことないから地元ここの人ではなさそう。観光で来た人にも見えなかった。それに、まるでわたしを知っているような言い方だったけど……。


「さぁな」


 ミサゴさんは階下を横目で見ながら言葉を吐いた。

 と、その時、再び扉の開く音が鳴る。

 もしかして、さっきの人が戻ってきた!? わたしはミサゴさんの後ろに隠れた。


「遅くなってごめんね。まだ道を覚えてなくて、一度通り過ぎてしまったよ」


 聞こえてきたのは、さっきとは全然違う、朗らかなおじさんの声。

 階下から、毛糸の温かそうな帽子をつけて、大きくて細長い荷物を肩に提げた初老のおじさんが顔を出した。


「たかさん。ワシも今来たところやし、気にせんでええですよ」


 ミサゴさんは親しみのこもった声で、その人に向かって言った。背後にいるわたしへと視線を移す。


「メールで書いた、紹介したいヒトや。鳥好きちゅうから、お嬢ちゃんにも会わせたかったんや」


 そういえば、バードウォッチングのお誘いメールに、「会わせたいヒトがおる」って書いてあった。

 おじさんは受付名簿にペンを走らせて、スリッパに履き替えて、階段をのぼってくる。

 わたしは今のうちに、こっそりミサゴさんに耳打ちした。


「人なんですか? 人の姿をした鳥とかじゃないですよね?」

「勘ぐらんでええ。ちゃんとヒトや」


 ミサゴさんは苦笑いを浮かべながら、こっそり答えてくれた。

 人だと思っていたミサゴさんが鳥だった、という経験もあるから疑ってしまったけど、早とちりだったみたい。

 おじさんは階段をのぼりきり、わたしを見つめた。


「久し振りだね、お嬢さん?」


 そう言って、目尻めじりにしわを作って微笑む。


「えっ?」

「覚えてないかな? 秋に一度、手取川でお会いしたと思うんだけど」

「あっ。あぁっ、あの時の」


 思わず両手を合わせて、小声で叫んだ。

 真正面に見て、ようやく思い出した。お母さんのところへ進路の相談をしに行った日、川でバードウォッチングをしていて出会った、あのおじさんだ!


「なんや? もう二人とも知り合いやったんか?」


 ミサゴさんがわたしとおじさんを交互に見て、口もとを緩ませる。


「はいっ。わたしが鳥を見てた時に、声を掛けてくれて。一緒にバードウォッチングしたことがあるんです」


 あの時は一緒に河川敷を散策して、渡り鳥のカモを観察したり、川原にいるシギを見つけたりしていたんだよね。初対面だったけど意気投合して、まるでお父さんといるみたいに楽しかったのを思い出す。


美砂みさ君から鳥好きの高校生がいると聞いていたけど、君だったとは。この近くに住んでいたんだね。いやぁ、驚いたよ」

「わたしもこんな場所でまた会えるなんて、びっくりしました。でも、どうしてミサゴさんと?」


 知り合いなんだろう? わたしは互いを見て、小首を傾げた。

 あんまり個人的なことはかなかったけど、おじさんはあの川の近くに住んでいると言っていた。

 おじさんとミサゴさんは軽く目を合わせて、笑みを浮かべる。


「実は、今度この町に引っ越すんだ。住む予定の空き家を見に行っていたら、たまたま美砂君と知り合ってね」

「たかさんの家は、ワシの家のすぐ近所なんや」

「本格的に居を移すのは、春になってからだけどね。休みの日に少しずつ準備をしていて、美砂君には家の掃除を手伝ってもらったり、町の案内をしてもらったり、お世話になっているよ」

「なーん、気にせんでええですよ。たかさん一人であれこれするのは大変でしょう? すぐ近くなんやし、なんでも言うてください」


 ミサゴさんはそう言って、笑みを深める。

 きっと、近所にやってきたおじさんが気になって、自分から声を掛けたのかな。やさしくて頼りになるミサゴさんらしい。

 おじさんも眉尻を下げながら、口を弓なりに曲げた。


「ありがとう、頼りになるよ。それで、話しているうちに、互いに鳥好きだと知ってね。お嬢さんのことも教えてもらったんだよ」


 おじさんは帽子を手に取って、胸の前に置く。


「自己紹介がまだだったね。僕は高階たかしな 國雄くにお。よく『たか』と呼ばれているから、そう呼んでくれればいいよ?」

「たかさんですね。わたしは田浜たはまななです。よろしくお願いします」


 背筋を伸ばして、軽くお辞儀をする。

 たかさんは目を細めて、柔らかく微笑んだ。


「田浜さんだね。さっき見た名簿に名前がたくさん書かれていたね。この年になって、お嬢さんのような若い子と鳥仲間になれてうれしいよ。さて、と……」


 たかさんは、肩に提げていた荷物のチャックを開けた。出てきたのは、三脚と四十センチはある望遠鏡。野鳥観察用で、フィールドスコープとも呼ばれる。

 慣れた手つきで、あっという間に三脚を立てて望遠鏡を取り付けるたかさん。やさしく細められた目の奥が、キランッと光った気がした。


「そろそろ、鳥見とりみを始めようか?」


 わたしとミサゴさんは、にじみ出る風格に思わず感嘆の息を吐いた。


「ミサゴさん、トリミって?」

「バードウォッチングのことを、ツウの間では『鳥見とりみ』と言うそうや」

「へぇー!」

「ワシも、たかさんから教わったんやけどな」


 ミサゴさんやゆうちゃんたちはわたしの影響でバードウォッチングをしているけど、最初から鳥好きな人と知り合えたのは初めて。しかもたかさんは、わたしよりも断然鳥に詳しくて、前回も知らない知識をたくさん教えてくれた。わたしにとってバードウォッチングの先輩、いや、先生だ。


「今日はここでしばらく観察してから、近くの山まで車で行こうと思うんだけど、どうかな? 田浜さんに見せたい鳥がいるんだ」

「はいっ、ぜひお供させてください」


 自然と引き締まった声が出て、わたしは首に掛けていた双眼鏡を握った。

 ミサゴさんと目が合うと、うれしそうに笑みを返してくれた。


「ところで、田浜さんは美砂君を『ミサゴさん』って呼ぶんだね?」

「あっ!? そ、そそそ、そうですね、美砂さんでしたね!? ミサさんは、ミサゴさんで、えっとミサゴっぽいのであっいやミサゴってわけじゃないんですけど、あだ名というかなんというか別に鳥だからってわけではああああはははははは」

「お嬢ちゃん、取り乱しすぎや……」


 必死に笑ってごまかして……。わたしは家のことをすっかり忘れて、鳥見バードウォッチングを始めたのだった。

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