11-04 カーくんの悩み

 なながバードウォッチングに興じている頃――。


 オレは自分の部屋の隅で、ひざを抱えてうずくまっていた。


 皿を洗おうとしたら、手が滑って派手に割れた。洗濯をしようとしたら、ボーッとしているうちに服が雪に埋もれた。掃除をしようとしても、力が入らず掃除機が落ちて壊れた。

 もうイヤだ。動きたくねぇ。なんもしたくねぇ。


 ななはどういうつもりなんだ。この前オレに、トキのこと好きかもとか言っておいて、今日はよくわかんないだの、別れたくない気持ちとごっちゃにしてるだの。んなこと言いつつ、アイツと会ったらすぐ「キャーキャー」言って、顔真っ赤にしてんじゃねぇか。ななが照れるとあんなに可愛くなるなんて知らなかったぜ……。どっからどう見てもれてるだろ! あんなヤツのどこに惚れたんだよ!


 大体、ななはオレをなんだと思ってんだ。別れ話しても一言ふーんで終わらせるな! 家事が面倒くさくなるとか、オレは家事代行じゃねぇ! カーくんしか気軽に相談できないとか言うけどさ、オレの気持ちにもちょっとは気づいてくれよ? しまいに猛禽もうきん野郎からのメールに浮かれちまって! 前から言いたかったけど、ななは目移りしやすいんだ! つーかあの野郎、いつのまに携帯持って、ななと連絡先交換してんだよ!


 あーもう、わかんねぇ。わっかんねぇ。なながなにしたいのかわかんねぇ。なながなに考えてんのかわかんねぇ。なながヒトだからわかんねぇのか。オレが鳥だからわかんねぇのか。ななのこと、ずっと見てきたはずなのに。ずっと一緒にいたはずなのに。


 オレは、どうすりゃいいんだよ……。


「カラスは具合でも悪いのか?」

傷心ショーシンしてるんだよ」

焼身ショウシン? 火傷やけどでもしたのか?」

「ちげぇよ、バカ! つーか、なにこそこそ見てんだよ!」


 半分開いた戸から、トキとカワセミがのぞいてきやがる。

 こんな時に限って、なんで来るんだよ!


「ななは出掛けたのか?」


 トキが空気を読まずに部屋に入ってきた。カワセミはトキの首に手を回して、背中にくっついている。

 オレはあごを膝に乗せ、口を閉じたまま「んん」と低く返事をした。


「とっくの昔に出掛けたぜ。猛禽野郎に誘われて、バードウォッチングしてくるってな」

「ミサゴの、ところに行ったのか……」


 歯切れの悪い声が聞こえる。ちらっと見上げると、トキがまゆをひそめて、なにかを抱えている両手に力を入れていた。心なしか、顔も青白くなっている。


「トキ? ししょーがどうかした?」

「いや……。カワセミ、そろそろ降りろ。外へ出て遊んでこい」


 トキが話をすり替えるように、カワセミに言う。


「えー、トキは? いっしょにいこうよ?」

「俺はすることがある。いいから外へ行け」

「イヤだー! トキとあそびたいー!」

「わがままを言うな。それと、足環あしわを引っ張るな。切れたらどうする」

「これ? くびにあるのにあしわっていうの? だいじなの?」

「もとは足に着けられていたんだ。大事ではないが、必要らしい」

「どーゆーこと? ねぇトキー?」


 うるせぇ……。オレはわざとらしく手を耳に押し当てた。勝手に入ってきて、なんでオレの前で言い合いしてんだ。外でやれよ。


「カワセミ。今朝捕ったサワガニが、生けにいるはずだ。一匹お前にやる」

「ホントっ!?」

「一匹だけだ。サワガニだけだ。ドジョウには手をつけるな!」

「わーい! ありがとー、トキ!」


 すぐそばにいるから、耳をふさいでも話が入ってくる。カワセミが弾んだ声を上げて、パタパタと足音を鳴らした。裏庭へ向かったのか、パタンと戸の閉まる音が鳴る。

 トキが自分から食いもんあげるなんて、どうかしたのか? そうまでして、カワセミを外へ出したかったのか……?


「カラス。頼みがある」


 部屋には、オレとトキの二羽だけ。

 耳から手を離して顔を上げると、目が合った。カワセミをあしらっていたさっきまでとは違う、真剣な表情。


「はぁっ!? なんでオレが、テメェの頼みを聞かなきゃなんねぇんだよ!」


 こっちはななの相談に乗って疲れてんだ。まさか、これ以上ななに近づくなとか、ななを俺に寄越よこせとか言うんじゃねぇだろうな。近づいてくるトキに向かって、歯をき出して威嚇した。

 トキは怪訝けげんそうに首を傾げて、手にしている物を見せてきた。


「肩を貸してほしい」


 ふわりと広げられたのは、薄紅色をした毛糸のマフラー。


「……は?」


 意表を突かれ、ポカンと固まってしまう。

 動かないからOKだと勘違いしたのか、トキがオレのそばで膝を付き、マフラーを持った手を伸ばしてきた。避けようにも、部屋の角にいたから退路がない。身を引こうとして伸ばした首に、細い腕がするりと回される。


「な……!? な……!?」


 なんでオレ、されるがままになってんだ!? テンパって身体が動けない。ななとの話で負った、心のダメージのせいだ!


「クリスマスに、ななからプレゼントをもらっただろう? その返しを作っている」


 オレの首にマフラーを巻きながら、トキが言った。こっちを見ずにマフラーばかり見て、端を持って軽く引っ張る。

 ようやく頭が回ってきて、話をみ込んだ。このマフラーは、ななへのプレゼントなのか。それで、オレを使ってサイズを見積もっているのか。


「もう少し、長いほうがいいな……」


 でも、待てよ? サイズを見るくらい、自分でやればいいじゃねぇか。オレの肩幅よりも、トキの肩幅のほうがななに近いはずだ。なんでわざわざオレに頼みに来たんだ。しかもカワセミを追い払って、二羽だけになってまで……。


「なぁ、カラス……」


 潜めた声が、耳もとで聞こえた。トキの目が、ためらいがちにオレへと向けられる。

 変な沈黙が流れる。そこでオレは、ようやく気づいた。


「……っ。なんだよ」


 舌打ちをして、マフラーに触れる手を払いのけた。

 肩を貸してほしいなんて、ただの取っかかりだ。一緒に暮らしてわかってきたが、コイツは前置きが長いんだ。本題を口の中で転がして、なかなか切り出さねぇ。

 トキは手を引っ込めて、その場に正座する。まだ迷ってんのか、目を泳がせたり、自分のストールをいじったり、そわそわと身体を動かしたり……。


「なんだよ! 話がねぇならもう行くぜ!」


 イライラする。顔を背け、腰を浮かせた。

 けどその瞬間、トキの手が、すごい速さで伸びてくる。


「待てっ」


 痛いくらいに強く、腕を掴まれた。まるですがりつくように、潤んだひとみがこっちを刺してくる。細い腕がさらに強く握りしめてきて、必死に引き留めてくる。

 その体勢のまま、トキは視線を斜め下へと落とした。二呼吸置いて、口が開く。


「最近、ななが、冷たいんだ……」


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