5-10 帰るまでがバードウォッチングです、が……!?

「なな」

「どうしました、トキ?」


 もと来た遊歩道を歩いていると、隣にトキが来て言った。

 さっきまでは、カーくんがわたしの隣を歩いていた。けど、カワセミくんに誘われて、また小川を飛ぶトンボを追いかけている。


「カーくん、あっち。あっちにいったよ?」

「待てよカワセミ。オニヤンマはすぐ戻ってくるから、ここで待ってたほうが、」

「あっ、いたよ? はやく、はやくー?」

「お、おい? だから、待てって」


 カワセミくんに引っ張られていくカーくんを見て、再びわたしはトキを見る。

 トキも、カーくんたちを見ていたのか顔を前に向けていて、また、わたしと目を合わせた。

 なんだか言いにくそうに、視線を外し、ゆっくりと口を開く。


「……すまない」

「えっ?」

「俺はお前のことを、非難するつもりも、泣かせるつもりもなかったんだ。だから……、すまない」


 そう言って、トキは改めてわたしを見た。まゆを寄せているけど、ビジターセンターにいた時や、観察小屋にいた時の顔じゃない。どこか不安げで、わたしのことを心配しているような顔。

 わたしは、首を横に振る。


「ううん。トキが謝ることなんて、ないですよ」


 確かに、大声を出された時はびっくりした。自分の考えを拒絶された時は悲しかった。

 でも、なぜだろう、今は……。


「むしろ、わたしはうれしいです。トキの気持ちを知れて」


 そう言って、微笑む。

 自分の思いを伝えて、トキも思っていることを言ってくれた。わかり合えなかったかもしれない。それでも、トキのこと、またちょっと知ることができて、嬉しかった。


 トキはそんなわたしを見て、驚いたみたい。口を小さく開けているけど、言葉が出てこない。でも、しばらくして口を閉じ、肩の荷が下りたようにまゆを開いた。


 気が晴れた顔で、トキはわたしを見つめる。

 わたしも清々しい気分で、トキを見ていた。

 と、その時、前方から手が伸びてきて、わたしとトキの肩に置かれる。


「ったく……、油断もすきもねぇ、なっ……」


 グイッ! と、トキの肩だけ押して、隣に割り込んできたのは、やっぱりカーくん。トンボを追うのに、飽きちゃったのかな。トキに向かってがんを付けて、わたしの後ろへ回り、抱きついてくる。


「ななー、早く帰ろうぜ? 昼飯、今日はうまいの作ってやるからさ?」

「ちょっ、ちょっとカーくん、こんな場所でやめてよ? だれかに見られたらどうするの?」


 腰に手を回され、肩にアゴを乗せられる。家ではしょっちゅうされるけど、こんな公共の場でしないでほしい。まぁ、始めの田んぼで、同じようなことをカーくんにしちゃったけど……。


 トキは少し離れた隣で、なにも言わずに横目でこっちを見ているし、カワセミくんはずっと前方で、こちらを見ずに上を向きながら歩いている。


「だれかに見られたらって、結局オレたち以外、だれもいねぇじゃねぇか?」


 カーくんの言葉がグサリと刺さる。言う通り、ここに来てから人にはまだ一人も会っていない。いつものことだけど、この場所、全然人気がないんだよね。


「うぅ、観光スポットにはなってるんだけど……。でも、たまにボランティアの人が来るんだよ?」

「ボランティア?」

「建物の掃除したり、遊歩道の草刈りとかしている人がいるの」


 ここは昔から無人の施設で、そのボランティアさんが来る前は、雑草が茂って、建物の中もちょっと汚かった。けど、三年前くらいにその人がやってきて、きめ細かい管理をしてくれるようになった。確か、役場に話を通して、自主的にやっているとか。


「でも、最近会ってないんだよね……。どうしたんだろう?」


 建物の中も遊歩道もきれいだから、来てはいるみたいだけど。タイミングが悪いだけかな。

 気さくで面白い人だから、もし会えたらみんなのことも紹介しようと思っていた。もちろん、人の友達というていで。


「ふーん。じゃあ、そいつがいないってことは、ヒトの目は気にしなくていいってことだろ?」

「そういう問題じゃないの。もう、離れてよっ」


 じゃれつくカーくんをかわしながら歩いて行くと、トンネルの出口が見えてきた。

 と、前を歩いていたカワセミくんが、なにかに気付いて上を指差す。


「ななー、鳥がいるよ?」


 枝の間から飛んでいる鳥が見えたのかな。こっちを見て言うと、また前を向いて走り出した。


「カワセミくん、走ると危ないよ?」


 わたしは早歩きで後を追いかける。すると、ちょうど出口、林のトンネルが途切れたところで、カワセミくんが立ち止まった。わたしたちはすぐに追いつく。


「どうしたの、カワセ……」


 肩をつかんで、こうとした。その時、視線の先でなにかが動く。

 鳥じゃない。ビジターセンターから、人が一人出てきた。


「あ、こんにちは」


 わたしたち以外にも、だれか来ていたんだ。暗いところから急に明るい場所に出たせいで、目が慣れない。ぼやける視界の中で、とりあえず、その人に向かって挨拶あいさつをする。

 するとその人は、こちらへ近づいてきた。


「よう。えらい久し振りやなぁ。お嬢ちゃん?」


 片手を軽く上げ、聞き覚えのある声でその人は言った。

 目が慣れてきて、なじみの姿が現れる。

 ボサボサな銀髪に、ブラウンのバンダナを巻いている。がっしりとした身体つきの上に白のタンクトップ一枚と、ダボッとしたズボンというラフな格好。手には使い古した軍手をはめている。

 年は、訊いたことないけど、わたしよりも上だろう。二十代くらいで、わたしはいつもお兄さんと呼んでいる。


「お久し振りです。お兄さん」


 そう会釈をして、わたしはそばにいる鳥たちに目をやった。三羽はそれぞれ、不審げな顔でお兄さんを見ている。

 そんなに警戒しなくてもいいのに。紹介しようと口を開いた。

 その時。


「しばらく会わんうちに、面倒なことになっとんなぁ? なんで鳥が三羽も、お嬢ちゃんの周りにおるんや?」

「えっ……?」


 言葉を失い、お兄さんへ振り返る。トキもカーくんもカワセミくんも、翼は見せていないし、鳥っぽいこともしていないはず。

 お兄さんは五歩ほど離れたところで立ち止まり、口角を上げて鳥たちを見る。

 その瞬間、緊張の糸が切れたように鳥たちが動き出した。


「てめぇ、だれだ!!」


 カーくんがわたしの前に立ち、お兄さんに向かって声を荒らげる。

 トキもかばうようにわたしの前に手を伸ばし、お兄さんをにらんでいる。

 カワセミくんはぎゅっとわたしの足にしがみついた。


「ちょっと落ち着いて、みんな? お兄さんは、さっき言ってたボランティアの人で……」

「いや、なな。違う……」


 冠羽かんうを立て、前を見据えながらトキが言う。


「違うって、どういうこと?」


 答えを聞く前に、お兄さんの声が聞こえてきた。


「だれやって、訊きたいのはこっちや。けどまぁ、ええわ」


 次の瞬間、お兄さんの背中からフワリと翼が現れた。付け根辺りは白色で、羽先のほうは白と黒褐色のしま模様。大きい、というよりは全体的に長い翼。


「やつは、ヒトじゃない」


 証拠を見せられ、トキの言葉を受け入れざるを得ない。

 あの翼は、間違いない。


「ワシは、ミサゴや」


 顔見知りだったボランティアのお兄さん。

 その正体が、人の姿をした鳥――ミサゴだったなんて。

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