3-02 ワーイ|(^^)|

 今、わたしの家には鳥が二羽いる。ペットではなく、野鳥。しかも見た目は鳥ではなく、人の姿となって家に住み着いている。

 一羽はハシボソガラスのカーくん。今はびしょびしょに汚れた身体を洗うため、お風呂に入っている。

 そして、もう一羽は……。


「トキ、開けますよ?」


 叔父おじさんたちが帰った後。わたしは二階へ上がり、一番奥にある部屋の前にいた。ノックをして、ふすまの戸を開ける。

 客間と同じくらいの広さの部屋。けれども中はタンスや棚や段ボールが所狭しと置かれている。畳二つ分ほどしかない空いたスペースに小さなちゃぶ台があり、トキがその前に座ってわたしに背中を向けていた。


「帰ったのか?」


 トキは机の上でなにやら手を動かしていた。けれどもわたしに気付いて、その手をひざの上に置き、首だけこっちへ振り返る。なにかを持っているようだけど、ここからだとよく見えない。


「はい。なにやってたんですか?」

「いや、別に」


 トキはそう言って、身体をこちらへ向けた。持っていた物は、どこかへ隠したのかなくなっている。


「狭い部屋でごめんね。お母さん、趣味探しに凝ってて。興味持って道具買って、結局使わなくて置いてある物、結構多いから」


 ここは、以前までお母さんが使っていた部屋。棚や段ボールの中には、ヨガマットやバランスボールといった運動用具、キット付きの手芸本や工芸本などなどが入っている。


 連休中、叔父さんたちに見つからないように、客間からこの部屋へトキを引っ越しさせた。二階なら家族以外は入ってこないし、万が一でも隠れたり窓から逃げることができる。でも、一つ心配だったのが、この物置状態になっている部屋の有様。


「問題ない。むしろ、なにもなかったあの部屋よりここのほうが落ち着く。視界が悪い林のようだからな」


 トキは辺りを見回しながら、気にならない様子でそう言ってくれる。

 トキが羽を休めたり巣を作る場所は、田んぼの近くにある林の中らしい。だから、身が隠れる場所のほうが安心できるのかな。

 ちなみに、トキの熱はすっかり下がって、体調も良くなっている。


「良かった。気に入ってくれたのなら、これからトキの部屋はここでいいですか?」

「あぁ。俺はどこでも構わない」


 トキはこくりとうなずいて、答えた。

 これからも、いちいち部屋を移動するのは面倒だし、お客さんが突然訪ねてくることだってありうる。だから、もし問題なければ、トキの部屋をここにするって話をしていた。

 カーくんが、「こいつのほうがななの部屋に近いなんて許せねぇ!」とか変ないちゃもんつけて、説得するのは大変だったけど……。


「ななーっ! 冷蔵庫、なんもねぇんだけど!」


 と、うわさはしていないけど思い出していたら、声が聞こえた。階段を駆け上る音が響き、カーくんが飛び出るように現れる。お風呂から上がったみたいで、いつもの黒Vネックに着替えていた。


「そういえば、最近買い物行ってなかったね」

「買い物?」


 カーくんがそばに来て、トキをちらと横目で見てからわたしにく。近頃はカーくんがご飯を作ってくれるから、冷蔵庫のチェックをすっかり忘れていた。


「お店に行って、食べ物とかを買って、手に入れるの」

「お店? オレも行きたい!」

「でも、人いっぱいいる場所だよ? 鳥だってバレたらどうするの?」

「大丈夫だって。おっちゃんたちにだって、気付かれなかっただろ?」


 得意に言って、カーくんは胸を張る。

 田植えの間、最初はカーくんにも隠れているようにお願いした。でも、一時間も経たずに「オレもやりたい!」って飛び出してきて、結局毎日手伝っていた。高校の知り合いってごまかしたけど、わたしはずっとヒヤヒヤしていた。気付かれなかった代わりに、変な誤解も持たれてしまったし……。


「頼むよなな? せっかくヒトの姿になったんだ。ななと同じこと、やってみたいんだ!」

「もう……。絶対、翼は隠しておいてね?」

「うん! わかってるって!」


 子どもっぽい好奇心の目に押し切られてしまう。カーくんが満面の笑みで頷いた。

 わたしはトキのほうを向いた。トキはなにも言わず、わたしたちをじっと見ていた。


「トキも、行きたいですか?」

「いや。俺はいい」

「それじゃあ、お留守番お願いします」

「わかった」


 トキが無表情のまま頷く。

 すると、突然背中に重みがかかる。カーくんが、わたしの背後から寄りかかってきた。


「ちょっ、カーくん、抱きつかないで!」

「なな、早く行こうぜ! 一緒に! ふたりきりで! な?」


 後ろから抱かれながら、廊下を押される。わたしの肩に、カーくんがあごを乗せた。

 すぐ横を見ると、カーくんが後ろを見て、なぜか舌を出していた。



   *   *   *



 近くのスーパーへは国道沿いに自転車で走って二十分ほど。

 けれども今日はカーくんも一緒だから、歩いて田んぼ道を通る。

 小さな稲が植えられた田んぼの水面に、夕焼けのオレンジ色が映っていた。


「お店ー、お店ー! そうだ、なな、今日はなにが食いたいんだ?」


 わたしの前を、あっちへこっちへと踊るように歩くカーくんが訊く。


「今日はもう疲れたから、お弁当にしようよ?」

「お弁当? あっ、もうできあがってる飯とかおかずが、パックに入ってるやつか?」

「そう。あそこのスーパーのお弁当、安くて美味しいんだよ?」


 のどかな田園の中、急ぐ理由もないからのんびり歩いて行く。

 頭上をアオサギが横切り、さらに上をカワウが海のほうへ飛んでいった。

 電柱にとまっていた一羽のハシボソガラスが、カーくんと目が合った途端に飛んで逃げていったのは気のせいかな。


「あっ、カーくん。スーパーに行くついでに、隣のホームセンターにも寄るね? トキの部屋の蛍光灯、切れかかってるから」


 ふと思い出して言った。昨日の夜から、明かりが点いたり消えたりしていたんだ。

 前を歩くカーくんがくるりとこっちへ振り返る。後ろ歩きをしながら、口をとがらせて不満げな顔で言う。


「結局やつはあの部屋にいるのかよ……。だったらオレも、ななの隣の部屋がいい!」

「あそこはダメ。お兄ちゃんの部屋だから」

「やつの部屋だって、もともとはだれかの部屋だったんだろ?」

「確かにお母さんの部屋だけど……。カーくんは部屋にある物、物色しちゃうでしょ? おばあちゃんの部屋だって、段ボールにしまってた物、全部出してたじゃない?」


 カーくんが家に来て数日後のことを思い出す。部屋に入ったら、しまっていた遺品が部屋中に転がっていた。カーくんは、掃除はきれいにするけど、すぐに散らかす癖があるらしい。ちなみに、部屋にあった物は全部段ボールへしまい直し、トキの部屋に置かれている。


「だって、気になったら出して見たくなるだろ?」

「それが困るの! お兄ちゃんの部屋は、絶対に入ったり触ったりするなってくぎを刺されてるから。もし帰ってきてバレたら、めちゃくちゃ怒られるんだからね?」


 と言いながら、トキの服やカーくんのつなぎ服を抜き盗っているわたしだけど……。

 でもカーくんがあの部屋に入ったら、絶対に散らかして、ごまかしきれないのは目に見えている。だからあの部屋だけは、出入禁止にしておかないと。


「帰ってくるのか?」

「えっ?」


 ホームセンターで取り付けのかぎでも買おうかと考えていたら、カーくんが唐突に訊いた。なんのことかわからずに訊き返す。

 カーくんがわたしの隣に来て、首を傾げて言う。


「前から気になってたんだけどさ、ななの家って、昔はなな以外にもヒトいただろ? さっき言ってた『お兄ちゃん』とか『お母さん』とか『おばあちゃん』とか? でも、今は全然見ねぇし……。どっか行っちまったのか? また帰ってくるのか?」


 カーくんは、わたしが中学の頃から家によく来ていた。だから、あの時のことを知っているんだ。

 まだわたしの家が、にぎやかだった時のことを……。


「なな?」


 カーくんがわたしの顔をのぞき込む。自分が声を発していなかったことに、はっと気付く。


「あっ、ごめん。わたしの家族なんだけど……。今は、みんな遠いところに行っちゃったんだ……」


 きっと帰ってくる人もいれば、もう帰ってこない人もいる。帰ってくるかどうか、わからない人もいるけど。


「カゾク?」

「うん。カーくんにもいるでしょ? 育ててもらったお父さんとかお母さんとか、一緒に育った兄弟とか?」

「あ! 親鳥とか、巣にいた他のヒナたちのことか? 確かにいたけど、もうほとんど覚えてないぜ? ひとりで食いもん捕れるようになったら、すぐに追い出されたしな」

「そっか。鳥はすぐに独り立ちしちゃうからね……」


 言って、なぜか少し寂しくなった。人の世界と鳥の世界は違うってトキの言葉を思い出す。それでも、夕日に照らされて笑うカーくんがまぶしくて、うらやましく思えた。


「わたしはまるで、巣に取り残されちゃったみたい……」


 夕暮れ時はついつい感傷的な気分になってしまう。大きな川を横切る橋を渡りながら、ぽつりと言葉が漏れた。橋の下を覗き込んでいたカーくんが、振り向いて首を傾げる。


「なな? どうした?」


 なんでもないよ。そう言おうとした、その時。


「ツィーッ」


 橋の下から、声が聞こえた。


「なな? おい、大丈夫か、」

「待ってカーくん。今、声が聞こえた……」

「はっ?」


 わたしは橋から身を乗り出した。

 夕日に染まった川に、水紋が浮かぶ。その中心に、一羽の青い鳥が見えた。


「いたっ!」

「おい、なな!? どうしたんだよ!?」


 わたしは走った。カーくんがなにか言った気がするけど、それどころじゃない。

 橋を引き返し、川沿いを、音をできるだけ立てないように集中して走る。

 青い鳥が、川縁かわべりから伸びる木の枝に止まった。

 わたしも足を止め、肩に掛けていたかばんの中をまさぐる。

 取り出したのは、愛用の双眼鏡。

 早まる吐息を抑えながら、レンズを覗く。


 目に飛び込んできた一羽の宝石。

 それを見るだけで、今日の疲れも先ほどまでの憂鬱ゆううつも、すべてが蒸発した。


「カワセミだぁーっ!」

「えー……」


 鳥を驚かせないために最小の音量で叫んだ声が、カーくんのあきれ声と混じって空に響いた。


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