2-06 容疑者Kの審問

「うぅ、まだいてぇ……。あの階段狭すぎ、翼広げる前に落ちたし……」


 ところ変わって、ここは客間。

 テーブルを挟み、向かい合うようにわたしと容疑者は座っていた。

 トキはわたしの横に来ればいいんだけど、入り口のそばで戸に背をもたれて立っている。いつでも逃げられるようにしているのかな。頭頂部の髪をピンと立てたまま、じっと容疑者を警戒している。


「ていうか、さっきのアレはなんなんだよ! 見せつけか? 当てつけか? もうマジでいろいろといてぇんだけど!」


 頭を抱えてクシャクシャ。テーブルを叩いてバンバン。寝転んでゴロゴロ……。

 元気そうで大した怪我はなさそう。一人で騒ぐ容疑者の姿を改めて見る。

 背はわたしより高く、トキより少し低い。ところどころねた黒髪に、同じく黒のひとみ。服は、黒のVネックシャツに、黒のファー付きジャケット。下は黒のスキニーパンツ。靴は黒のブーツを履いていたから、脱がせて玄関に置いてきた。

 おまけに、背中には黒い翼。左には、一カ所だけ羽根の抜けている部分が見える。


「あの、もしかしてあなた、カーくん?」


 先日トキが来たばかりだからか、わたしはわりと素直に状況をみ込んでいた。

 畳の上に寝転んでいた容疑者が、ピタッと動きを止める。次の瞬間、バッと起き上がって、テーブルから身を乗り出してきた。丸くなった目がわたしを見つめて。


「うん!」


 子どもっぽく首を縦に大きく振り、その顔がくしゃっと崩れた。


「なんだよ、なな、今やっとわかったのか?」


 そう言って、ほおを赤らめ笑顔を咲かせる、容疑者改めカーくん。


「本当に……、カーくんなんだ」


 その姿を見て、わたしの頭に生まれたのは、困惑よりもうれしさ。

 なんだろう。全然知らない人の姿なのに。ずっと昔からの親友が、久し振りに家に遊びにきたみたいだ。

 小躍りしそうな心を隠すように、わたしはわざとらしくため息を吐いた。


「……もう、びっくりさせないでよ。なんであんなところから入ってきたの?」

「だって、なな、いつもあの部屋にいるだろ? あそこから入れば、ななに一番早く会えるかなーと思って。窓のかぎも開いてたし」

「どこから入っても同じだから。てか、部屋で物色してたよね?」

「いやぁ、あれはついつい気になって。この姿だと、くちばしじゃつまめなかった物もつかめるだろ? しかも、ななの家の中とか初めて入ったし。なにがあるか見てたら、止まんなくてさ」

「なにそれ? こっちは本気で泥棒かと思ったんだからね」

「わりぃわりぃ」


 カーくんは苦笑いを浮かべながら、ポリポリと頭の後ろをく。

 身振り手振りを使って大げさに話をする姿に、思わず苦笑が漏れた。人の姿になっても、鳥の時の面影がなんとなく残っている。

 というか、さっきまであんなに怒っていたのに、今は別人みたい。


「それでカラス、なぜお前はヒトの姿になって、ここに上がり込んできた?」


 入り口近くに立っているトキが、カーくんを見下ろしながら口を開いた。

 途端、カーくんの目つきが変わり、ギロリとトキをにらむ。


「はぁ? テメェに言うわけねぇだろ!」

「それ、わたしも今訊こうと思ってた」

「えっ? いやぁ、それはー、アレだよ、ア、レ……?」


 わたしが訊き返すと、カーくんは喜色に戻ってこっちを向く。

 照れているのかはぐらかしているのか、そわそわと目を泳がせる。


「人の姿になったってことは、カーくんも恩返しに来たってことだよね?」

「恩返し? う、うん……、まぁな」

「もしかして、この前布団につぶされてたのを助けた時の恩?」

「あぁ、そんなこともあったなぁ……」

「でもあれ、もう二週間も前のことだよ?」

「うっ!? べ、別にいつ来てもいいだろ? いつも会ってんだから」


 カーくんはそう言って口をとがらせる。視線は依然、あっちこっち泳いだまま。

 トキと違ってわかりやすい。カーくん、絶対なにか隠している。


「ねぇカーくん。最初に言っておくけど、無理に恩返しなんてしなくていいからね?」


 前回の反省を踏まえて、わたしは心配になってカーくんに言った。


「それにこの家、はた織り機ないから」


 ついでに、訊かれる前に重要事項も言っておく。

 すると、カーくんがポカーンと固まった。


「は? 機織り機? なな、なに言ってんの?」

「へ? だってカーくん、恩を返しに来たんでしょ? 『鶴の恩返し』みたいに」

「鶴の、恩返し……? プッ」


 突然、カーくんが吹き出す。と思ったらお腹を抱えて爆笑し始めた。テーブルをバンバン叩き、畳にゴロゴロ転がる。

 わたしとトキは口をポカーンと開けてそれを見つめる。


「ハハッ、ななって案外ピュアなんだな。あんな昔話、まだ鵜呑うのみにしてんの?」

「えぇ!? だって、鳥って恩返しするために姿が変えられるんでしょ? カーくんだって、それで人の姿になったんじゃないの?」


 先日トキに説明されたことを思い出しながら、カーくんに訊く。

 カーくんは目にまった涙をぬぐいながら、話を始めた。


「確かに、恩の力で変化へんげができるっていうのは合ってる。まぁ、恩っていうか、情っていうか、強い想いみたいなもんだけど……。でも、『鶴の恩返し』って話? あれは、そのうわさを聞いたヒトが作ったただのおとぎ話だ」

「作り話ってこと……?」

「あぁ、鳥の中じゃあ、常識だぜ?」

「だ、だって、わたしは最初にトキから聞いて……」

「はぁ!?」


 その時、入り口近くから、ガクッと畳になにかが落ちる音が聞こえた。

 両膝と両手をつき、頭の上に暗いやみを落としたトキが、そこにいた。


うそだろ……、施設で語り継がれていたあの美談が……」


 うなだれながら、力なくつぶやく。その姿は機織り機がなかった時以上に動揺していた。


「施設? ははーん、テメェ、さては野生育ちじゃねぇな。どうりで見たことねぇ顔だと思ったぜ」


 カーくんがテーブルに頬杖ほおづえをつきながら、トキに言う。

 トキが顔を上げ、まるで呪詛じゅそをかけるような目でカーくんを睨んだ。

 カーくんはあごをくいと上げ、挑発するようにトキを睨み返す。

 辺りに漂う剣呑けんのんな空気。トキとカラスって、仲悪いのかな?


「ストップ、ストップ! ケンカしないで!」


 わたしは二羽の間に入って、怪しい雲行きを手振りで散らした。


「別にケンカなんかしてねぇよ。オレは事実を言っただけだし」

「……」


 カーくんが言うと、トキはなにも言わずに目をそらす。


「それで、もう一回訊くけど、カーくんはなんで人の姿になって、わたしの家に来たの? 本当に、恩返しするつもりなの?」


 二羽の間に入ったまま、わたしは話を戻そうとカーくんに向き直って訊いた。

 カーくんはトキを一瞥いちべつしてから、わたしに目を合わせて言う。


「恩返しっていうか……。オレは、ななとの約束を守りに来たんだ」

「約束?」

「おいおい、忘れたなんて言わせねぇからな。ヒバリが鳴き始めた頃に、言ってたじゃねぇか?」


 ヒバリが鳴き始めた頃って、四月の始め頃かな。そんなに昔のことじゃない。

 わたしは記憶の中を探っていく。


「約束って……あっ」

「なんなら、もう一回オレが言ってやろうか? 『ねぇカーくん、約束して? カーくんは、」

「ストップ! 待って! 恥ずかしいから言わないでっ!」

 

 思い出したわたしは、慌ててカーくんの言葉を止めた。


「なんでカーくんがそのこと知ってるの!? いや、カーくんに言ったけど……。でも、わたしはカーくんに言ったんであって……、いや、今もカーくんなんだけど……。その、えっとぉ~……」

「なな、落ち着け。とりあえず、カーくんはオレ、オレはカーくんだ」

「わかってるよ、そんなこと! だから、わたしがあんなことを言ったのは、カーくんが鳥だったからで、人の姿になって来るなんて、思いもしなかったから……」

「鳥のオレも、ヒトの姿のオレも、どっちもオレだ」

「だから、わかってるって!」


 あぁ、自分でもなに言っているのかわからない。

 あんな約束、相手が鳥だったから言えたこと。あんな言葉、もし人に対してだったら、まるで、告白……。


「なな、なにがあったんだ?」

「訊かないでください! お願いだから、トキは訊かないでくださいーっ!」


 後ろから掛けられた言葉に、わたしは振り向きもできずに答えた。

 顔が熱い。穴があったら入りたい気分だ。


「っていうか、あれ言ったのもう一ヶ月も前のことでしょ!? なんで今さら!?」

「うっ!? だ、だから別にいつ来てもいいだろ! いつも会ってんだし!」


 わたしのツッコミに、カーくんは目を泳がせながら言い返す。

 そして突然、すくっと立ち上がった。腰に手を当て、自信満々に口を開く。


「ってわけだから、オレもしばらく、この家に住むからな」

「えっ!?」

「当たり前だろ? 約束を守りに来たんだから」

「で、でも、うちにはトキが……」

「コイツがななと一緒に住めて、オレが住めない理由がねぇだろ? まっ、なながどうしても嫌って言うなら、屋根の上で寝泊まりしてもいいぜ? 約束は守るけどな」

「えぇー、うぅん……」


 いくら闇夜やみよからすといえ、人が自宅の屋根に寝ていたら絶対に怪しまれる。

 それに、カーくんはわたしが言った約束を守ろうとして来てくれたんだ。それをわたしが「人の姿なら守らなくていい」って自分勝手に追い返すなんてできない。

 わたしは後ろにいるトキへ振り返る。


「トキは、大丈夫ですか?」

「……ここはお前の家だ。俺が決めることじゃない」


 まだ『鶴の恩返し』のことでショックを受けているのか、少し元気のない様子でトキが答える。

 わたしはため息を吐きつつ、カーくんへと向き直った。


「じゃあカーくん、二つだけ条件。わたしの言うことは聞くこと。別に命令とかしないし、できないことはできないって言っていいけど。人の姿である以上、人としてやっちゃいけないことはあるからね?」

「うん! わかった!」

「それともう一つ。絶対にトキとケンカしないこと。守れる?」

「うん! 守る守る!」


 カーくんは膝を曲げて四つんいになり、わたしの顔をのぞき込むように見つめて何度もうなずく。

 キラキラ輝く子どもっぽい目に、気持ちが押されてしまう。


「それなら、しばらくの間だけだよ?」

「よっしゃ! ありがとう、なな!」


 そう言って、カーくんはガッツポーズをするように両手を上げて喜ぶ。そのまま前に倒れ、わたしに抱きついてきた。


「えっ!? ちょっと、カーくん!?」


 わたしの肩に顔を置き、腕がギュッと身体を抱きしめてくる。

 また顔が熱くなる。引き離そうとするけど、カーくんは腕の力をなかなか緩めてくれない。

 ていうか、真後ろにはトキがいるのに……。


「よろしくな、なな。絶対オレ、ななとの約束守ってみせるから、な?」


 ささやかれた言葉は、わたしに言っているようで、どこか別の方向へ向けられているようだった。

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