2-05 闇夜に迫る影

 事件が起こったのは、それから一時間後だった。


「う~ん、味が薄い……。なにが足りないんだろう?」


 わたしは台所のダイニングテーブルで夕食を食べていた。煮崩れが激しくてどろどろになった肉じゃがを食べながら、一人つぶやく。ちなみにトキは、客間で休んでいるみたい。

 ゆったりとした夜の一時。その静寂が。


 ガンッ! ガララ! ドンッ!


 家の中に響いた騒音によって、き消された。


「なっ、なに!?」


 わたしはびっくりして、はしを置いて席を立つ。

 トキがまた、なにかしたのかなと思った。

 急いで戸を開けて、廊下へ出る。


「トキ、どうしました!?」

「なな、どうした!?」


 同じタイミングで客間の戸が開き、出てきたトキと声がかぶった。


「「……えっ?」」


 お互いに顔を見合わせて、目をぱちくりさせる。

 物音の原因は、トキじゃない。

 ってことは、さっきの音は……?


 ドンッ! バタバタッ! ギギギッ! バタッ!


 再び聞こえてきた音の出所は、階段の上――二階。

 足音と、引き出しを開けたり閉めたりするような音が聞こえる。

 まるで、部屋の中を物色するような……。


「ど、泥棒!? どうしよう、トキっ」


 声を潜めて言った。身体が震えて、思わずトキのそで口をつかんでしまう。

 トキは頭の上の髪を逆立てながらも、平静な声でわたしに言う。


「落ち着け。様子を見てくる」

「でも、大丈夫ですか!? もし危ない人がいたら……」

「危険なヒトだったら、逃げるに決まっているだろう」

「あ……はい」


 トキがゆっくりと音を立てずに、階段を上り始める。わたしも心配でその後をついていく。

 上りきってすぐ、わたしの部屋から物音が聞こえていた。

 トキがそっと戸を引き、指が通るくらいの隙間すきまを開ける。

 息をみ、ふたりで一緒にのぞき込んだ。

 薄暗い部屋の、中には。


「さすがヒトの手は違うな。今まで掴めなかった物まで手が出せる。……おっ、この取っ手は?」


 容疑者と思われる、全身真っ黒な人物がいた。


「「っ!?」」


 わたしとトキは同時に、言葉にならない悲鳴を上げた。


「あん?」


 容疑者が、声に気付いてこっちに振り返る。

 その、手に握りしめている物は……!?


「ちょっと! わたしの下着、勝手に触らないでくださいっ!!」


 恐怖を越した怒気に駆られて、わたしは戸を全開に開けっ放した。

 なんなの!? なんでみんなそんなにシマシマが好きなの!? 彼氏もいなくて自慢できるような物じゃないんだから、いじらないでよっ!!


「なな、だから落ち着……っ!? うぅ……」


 横から入り込んできたトキに声を、にらみつけて一喝する。


「なな!」


 けどその時、容疑者の口から、なぜかわたしの名前が出てきた。

 向き直って目に飛び込んできたのは、口角を上げ、満面の笑みを浮かべた顔。

 怒気が冷気に変わり、全身に鳥肌が立つ。


「なな、先に逃げろ」


 トキがかばうように、わたしの前に手を伸ばした。

 容疑者の視線がわたしからトキへ移る。その途端、笑顔が消える。


「テッメェ……やっと対当できたなぁっ!」


 そう叫び、容疑者はわたしたちに向かって襲いかかってきた。


「きゃっ、トキ!?」


 わたしはトキに押されて、廊下の奥へと押しやられた。

 トキは容疑者に胸倉を掴まれ、壁に背中を押しつけられる。


「……ぐっ!?」

「テメェ、なに勝手にオレの縄張り入り込んでんだよ!」


 容疑者がトキに詰め寄る。

 威圧的な言葉。激怒した表情。バサバサと揺れる背中の黒い翼。

 ……えっ、翼?


「……くっ、離せ!」

「逃げんな! テメェだけは、ゼッテェ許さねぇ!!」


 トキは掴まれた手を振りほどき、階段へ逃げようとする。

 容疑者はそれを追って、トキを挟み込むように両手を壁にドンッとついた。

 降り口の手前で、後は壁、左右は両腕、前は容疑者と、四方をふさがれるトキ。

 容疑者の肩の上から、青ざめていく顔が見えた。


「やめて……!」


 怖い。けど、とにかくトキを助けないと!

 わたしは勇気を振り絞り、容疑者の後ろから、翼を思い切り掴んだ。


「っなな?」


 容疑者の間が抜けた声が耳に入る。


「トキから……、離れてっ!!」


 構わずに渾身こんしんの力を込めて、容疑者の身体を階段のほうへ押し飛ばす。


「ガァッ!?」


 バランスを崩した容疑者が、階段から足を踏み外した。

 けど、咄嗟とっさに伸びてきた手が、トキの着物の袖を掴む。


「っ!?」

「トキ、危ない!!」


 引っ張られ傾くトキの身体。

 わたしは抱きしめて踏みとどまる。


「ぎゃぁぁああああああっ!?」


 一人分の悲鳴と階段を転げ落ちる音が、家に響いた。

 音がやみ、きゅっと閉じていた目を、恐る恐る開ける。


「……ト、トキ? 大丈夫、ですか?」


 わたしは視線を持ち上げて、トキに訊いた。

 まだ気持ちが落ち着かなくて、なにかにしがみついていないと震えが止まらなかった。

 トキの身体も、少し震えているのが肌から伝わる。


「あぁ……、助かっ……」


 トキも肩の力を抜いて、わたしを見つめて言う。けど、途中でなにかに気付き、言葉を止めた。

 ……あれ? 今思ったけどわたし、トキの身体をぎゅっと抱きしめている?

 しかも、引っ張られてずれた着物からは、トキの肩が丸見えで!?


「近い……」


 トキがほおを染め、困ったように呟く。

 その一言で、わたしの感じていた冷気も一気に蒸発した。


「いってぇ! マジでいってぇ! おもにオレの心がいてぇよっ!!」


 階段の下からは、もだえ苦しむ容疑者の悲鳴が聞こえていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る