第2話 カーくんの恩返し

2-01 1人と1羽の約束

 それは、ピーチクパーチクとヒバリが鳴き始めたうららかな春のある日だった。


「ねぇカーくん、約束して? カーくんは、どこにも行かないって……」


 柿の木の下から、一人のヒトがこちらを見上げていた。

 身体は大人と同じくらいの大きさだが、まだあどけない顔を残した、少女。

 いつもオレを見つめる黒いひとみが、今日はやけに潤んでいた。


「お願い。ずっとここにいて……。ずっと、わたしのそばにいて……」


 その声は、どこかうわずっていた。

 胸の前で握った両手も、かすかに震えていた。

 風が、枝を揺らしていく。

 肩につくくらいの、すずめ色をした髪が不規則に揺らいだ。


「ふふっ、なーんてね。わたし、なに言ってるんだろ? こんな独り言、だれかに聞かれたら笑われちゃう……」


 そう言うと、少女は肩をすくめ、くるりとオレに背を向ける。

 腕でゴシゴシと顔をこする仕草が、背中から見えた。

 そして首だけ回し、こちらへ振り向く。


「じゃあね、カーくん。学校行ってくるね!」


 にっこりと笑う、いつもの表情に戻った少女。

 けれどもその目は、少しだけ赤みを帯びていた。

 少女はオレから目を離し、かばんを肩にかけ直して駆けて行く。

 家の角を曲がり、見えなくなってしまった。


 だれもいなくなった場所で、オレは首を振って鳴く。


 ――勝手なこと言いやがって……。


 返事なんてできなかった。どうせ、しても伝わらない。

 だって、オレは少女とは違う。方法はなきにしもあらずだが、今の生活を捨ててまで約束を聞く気はない。

 大体、オレはここに来れば、大概少女に会うことができる。

 オレはそれで満足だ。このままでいい。この距離感でいい。


 そう思った。思い込んだ。はずだった……。


 だが!



   *   *   *



「カーくん、紹介するね。しばらく一緒に暮らすことになった鳥のトキ。今は、人の姿だけどね」


 ヤツとの出会いが、オレのすべてを狂わせた。

 澄ました顔で少女の横に立つ、ヒトの姿をした鳥。

 少女の笑顔を、オレに向けられていたはずの顔を、一身に受ける鳥。

 それを見た瞬間、オレの中で得体の知れないなにかが暴れ出した。

 それがオレの優越感を、プライドを、つまらねぇ理屈を、バラバラにぶち壊していく。


 ――許せねぇ……! テメェだけは、ゼッテェ許せねぇっ!!


 あらん限りの声を上げ、オレは大空へ飛び立った。

 高ぶった感情に思考は崩れ、もう、迷いはなかった。

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