第4話 サキ

 それは事件だった。海辺の小さな町の、その中心部からさらに北西の方角にある小さな小学校で起きた重大な事件だった。加害者と被害者がともにクラスメイトなのだから、その当事者だけでなく、クラスの大半の人間にとってショックは大きく、ひょっとするとPTSDに悩まされる子も出てくるかもしれない…… それだけの重大事だった。


 6年1組仙田クラス。5年生からの持ち上がりだ。仲良しもいれば反目しあう相手もある。6年生ともなると大人の人間関係の縮図のようなものが出来上がる。そんな微妙な時期だ。そんな中で持ち上がった大事件だから、クラスの誰もが帰ろうとしない。


 あちこちに大小さまざまな集まりができて、ヒソヒソとこの話題で持ちきりだった。事件の性格上、大声で騒ぎ立てるわけにもいかない。まかり間違えば、当事者三人の人生を棒に振らせてしまうかもしれないほどの衝撃の事件なのだ。ひそひそ声を潜め、互いの顔を見やり、誰かが外部に漏らさないか、そんな疑心暗鬼の様子で、もうとっくに下校時間は過ぎる中、みな興奮気味に頬を紅潮させていた。


「どうなると思う?」


 スギちゃんが訊いてくる。そんなことに回答を持ち合わせていれば、みんなこの場であれこれ思案することもない。


「…… わからないよ。だって、ひどすぎるよ」


「そうだよね。ひどいよね」


 スギちゃんは同調する。大体、スギちゃんが同調しないところなど見たことがない。


「ひどいひどい、あれはないよ」


 日頃から大袈裟な健太郎が相槌を打つ。あれ? 健太郎はスギちゃんをバカにしてなかったっけ? 今日に限ってはスギちゃんと共同歩調をとるつもりらしい。


「そんなことはないよ!」


 みゆきが反論する。こいつが加わると面倒くさい。あの牛乳事件以来、すっかり地上に降りて翼の折れたエンジェル状態のみゆきは、正論といえば正論に傾く。


「あんたたちは逆の立場で物事を考えないからいつまでもガキなんだよ!」


 さすがにボクもこの言葉にはカチンときた。


「ガキじゃねーからこんなことになるんだろ!」


 ちょっと声が大きかったようだ。ケイちゃんがびっくりしてボクの顔を見ている。あ~、こんな時、ケイちゃんが以前のように目を線にする笑顔を見せてくれれば、クラスはきっと丸く収まるだろうに、最近はその笑顔を見ることも減ってしまった……


「…… それにしても遅いね。ここまで遅いということは」


 ヨシキが心配そうにつぶやく。勉強熱心な彼が学習塾を放り出してこの場に留まっているのだ。あの三人はボクたちがこれだけ心配しているのがわかっているんだろうか?


 


 ピ~ポ~ピ~ポ~……



「な、なんだ! 救急車? えっ!警察!!」


 誰かが大声を出す。クラス全員がバス通りに面した窓へ駆け寄り、救急車両を探す。


「どこ! どこへ行った!」


「…… 学校じゃないみたい」


「…… なんだよ! 落ち着けよみんな!」


 一番落ち着きのない卓がそう言っても説得力もなにもないが、それでもここはみんな落ち着こうという気分が支配する。



(どうしてこんなことになっちまったんだ…… )


 ボクは頭を抱えた。窓の外にはふにゃふにゃとだらしないひこうき雲が垂れている……



……


 


 フクちゃんとおかやんはボクの友達だ。ふたりとも大の仲良しだ。特に6年生になってから、ボクたちは急に仲良しになった気がする。


 ボクたち三人はかなり性格が違う。明暗でいうと、いつも人を笑わせているフクちゃんは「明」だが、ボクとおかやんはどちらかというと無口で表情も暗い。

 好き嫌いも違う。フクちゃんは野球とかサッカーとか、背は小さいのに小回りが利くというか、器用で運動は何でもできる。対しておかやんは休憩時間には本を読んでることが多く、得意科目は算数だ。

 将来の夢も大きく違っていて、フクちゃんは親が経営している幼稚園の園長になる気満々だったし、おかやんは公務員になると決めているらしい。

 ボクはすべての面でこのふたりの中間に位置していて、三人はやじろべえみたいに絶妙な関係性を保っていたような気がする。


 その仲良しのふたりが職員室と医務室に運び込まれたのだから、ボクは内心穏やかであろうはずがない。


(あの時…… 止めればよかったのに)


 そう悔やむのだが、後の祭りだ。



 とその時、廊下にいた誰かが大声を出す。


「戻ってきたぞ!」


 今度はみんなどやどやと廊下側の窓に集る。全員の目が一斉に長い廊下の先からトボトボ歩いてくるおかやんに注がれる。


「な……、なんなの?」


「警察に連れていかれたっていうから」


 女子の誰かがそういう。


「うん、私もそう聞いたよ。児童相談所だって。明日なの?」


 さらに誰かが念を押す。


「そうだよ。犯罪だっていってたよ、誰かが」


 誰だ誰だ、誰が言ったんだ? って感じで教室内がザワつく。


「そうだよ、立派な犯罪だよ。いっつもあんたたち好き勝手やってるから、いつかこんなことになると思ってたんだよ。自業自得だよ」


 みゆきは難しい言葉も知っている。


「サキちゃんはどうしたの? 一緒じゃないの?」


「そうだよ、可愛そうに、サキちゃん…… 岡部! サキちゃんはどうしたんだよ!」


「まだ先生と話してる」


 穏やかならぬ気配が女子を中心に広がる。


「なんでだよ、岡部が悪いんだろ? 先生に叱られるなら岡部だろ? サキちゃんは被害者だよ」


「お前見てたのかよ!」


 日頃おとなしいおかやんがムキになって反論する。するとさすがにその場に居合わせてない連中は黙るしかない。というより、クラスの大半は見ていないのだ。何も。ただ、大声でフクちゃんがイテテテテと騒ぎ出し、サキちゃんとおかやんが言い争いしていて、教室に飛び込んできた先生が三人を職員室に連れて行ったらしいということから、話がどんどん大きくなっているのだ。


 しかし、この三人、正確に言うと、ボクを含めたこの四人が何かしでかしたんではないかという大方の予想は当たらずとも遠からずで、クラス全員の訝しそうな顔は当然でもあったのだ。


「福原どうしたんだよ?」


「医務室だろ? 知らないよ、オレは」


 おかやんはキレそうだった。クラス全員の問いただすような視線が我慢ならなかったのかもしれない。


 女子はざわついている。医務室? それはサキちゃんでしょ? フクちゃんは警察でしょ? そんな雰囲気だ。


「福原…… 骨でも折れたの?」


 誰かが心配そうな声を出す。


「まさか…… 骨まで折る必要あるのかよ」


 またまた話が拡大する。


「サキちゃんって合気道やってなかった?」


「うん、やってるよ。最近、嫌な男子が多いから、護身術のためにやるんだって言ってた」


 みゆきがボクとおかやんをじろっと睨みながら話し出す。すると周囲の女子はうんうんと頷きながら早飲み込みをし始める。


「ちょ、ちょっと待てよ、なんだよみゆき、オレたちが何したっていうんだよ!」


 ボクもこの問題に巻き込まれそうな気配を感じて黙っていられなくなる。幸か不幸か、ボクは図書係で図書館の貸出返却の手伝いをしていて、放課後すぐの時間には教室にはいなかったのだが、みゆきの一言をきっかけに、まるで当事者であるかのような扱いを受け始めた。


「イヤらしいよね、福原も岡部も、それにあんたも」


 みゆきには最近、すっかりあんた呼ばわりされている。名前で呼べ、ちゃんと名前で!


「な、なにがイヤらしいんだよ…… なぁ、オレたちはなんもしてねーよ」


 そう粋がってみたが、この言葉はクラスの男子ですら賛同しない。段々、ボクとおかやん包囲網が狭まってきた感じがする。


「知ってるんだからね…… あんたたち三人がいっつも席でどんな話してるか」


 日ごろおとなしいジュンちゃんがみゆきの陰に隠れて告げ口する。


「お~、おれも知ってるよ。こいつら三人はいっつもサキのことニヤニヤしながら見てたもん」


 マズい。どうも完全にマズい。そんなに悪意はない。ただ、小学6年生にしてはやたらおっぱいの大きいサキのおっぱいを触ったらどんな感じなのかという想像の世界の話をしていただけなのだ。


「キモイよ、三人揃いも揃って…… キモ男だよ」


 オピニオンリーダーのみゆきがそう断定する。あかん…… キモ男になっちまう……


「サキちゃんだ! 帰ってきたよ! フクちゃんも一緒だ!」


 ボクたち二人を魔女裁判にでもかける勢いだったクラス全員の輪がほどけ、どやどやと廊下側に人だかりが移動した。


「サキちゃん! 大丈夫なの? 何があったの? 襲われたの?」


 クラスの女子が心配そうに声をかける。


「なんだ、福原、骨折れてねーじゃん」


 卓が少し残念そうにフクちゃんに声をかける。


「骨は折れてねーけどよ、見ろよこれ!」


 フクちゃんは右の手のひらを広げてみんなに見せる。


「わ~~~~、なんだよその手! 穴だらけじゃんか!!」


「なんだ、なんだ?」


 もう大騒ぎである。フクちゃんの手のひらを一目見ようと、クラスの全員が殺到する。


「押すなよ、押すな! 押すなってば!!」


 真っ先にフクちゃんの手のひらを掴んだ卓が周りに押されて苦しそうに喘いでいる。


「いいから見せなさいよ! 見えないでしょ! あんた邪魔だよ!!」


 みゆきも必死の形相でフクちゃんの手のひらに飛びかかる。


「いいから、福原! 手のひらを高く上げろよ! みんな見えないんだからよぉ!」


 ついにしびれを切らした健太郎が大声で指図する。その声になるほどと納得した連中がひとまず後ろに下がって、ようやく事態は収拾した。


 フクちゃんは、さも自慢げに右の手のひらを高く掲げてみんなに見せた。


「ほら! 見てくれよ、これ! ひどくね?」


 フクちゃんの右手は小さな穴がボコボコ開いていて、まだ血がにじんでいるようだった。


「げっ…… 気色わるっ!」


「なんだ、それ? どうやったらそうなるんだよ? 気味悪いよ」


 知らないうちは好奇心で全員が見ようとしたものの、実際に見てみると手のひらが穴だらけというのは確かに気持ち悪い。ケイちゃんなんか気分が悪そうな感じだった。


「サキがやったんだぞ! あいつが、体操着の裏に押しピンをいっぱい張り付けて、オレがおっぱい触ったら、ぐにゅ~~~って押しピンにオレの手のひらを押し付けて、それでこんなふうになったんだからな!」


「ひでぇな~、こりゃ犯罪だわ……」


 あまりの状況にややフクちゃんに同情的な意見が出始めた。


 おそらく、おかやんが黙っていたら、この場は収まったのだろう。だが、どうも釈然としなかったのか、おかやんがボソッと呟いた。


「で…… 痛かったのかよ。それともふにゃふにゃだったのかよ……」


 フクちゃんは正直者だ。こういう時に咄嗟の嘘はつけない。


「ん? 痛いのは痛かったけど…… ちょっとふにゅっとしてた、ガハ……」


 アホである。せっかく集まりかけた同情票をみすみす側溝に捨てるような話である。


「バカじゃないの……」


 みゆきのこのひと言でサ~っと波が引くようにフクちゃんを取り囲んでいた人の輪が解けた。



 結局、サキのおっぱいを触ったフクちゃんと、フクちゃんの手に押しピンを押し付けたサキは先生からキッチリ叱られたようだが、サキのおっぱいをいやらしい目で見ていたことをバラされたおかやんも、今度こんなことになったら母親に言いつけると先生に脅されたらしい。翌日、ついでのようにボクも職員室に呼ばれたのは言うまでもない。


「肉を切らせて骨を断つ」


 後々この格言を習った時に真っ先に思い浮かんだのはサキの顔と、彼女の…… だった。。

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