2 腹下しの明智
転生やら転移でやってきた未来人たちは、我が居城にして天下の名城、安土城内部や天守閣からの眺めを見たいと宣う。
わしの夢を詰め込んで建てたデザイナーズハウスも本能寺の変直後に焼失してしまうらしいので、タイムスリップでもせねば、目にすることの叶わぬ幻の名城をしかと両眼に焼き付けておこうと彼らが思う気持ちは、よう分かる。
自慢の我が家を案内してやり、南蛮から仕入れた宝物を見せ、奴らが歓声を上げるというやりとりは満更でもない。
相手をするのが億劫だと愚痴を言ってはおるが、わしも人間じゃ。
一生懸命築き上げた栄華の象徴を褒められるのは嬉しい。
だから、松田とやらも、天主から見える美しい琵琶湖を見せてやったり、茶室でもてなしてやったりするつもりでいたのだが…。
「……」
かの男は、座布団の上に胡座をかき、無表情で未来から持参してきた掌程の大きさの書物を読んでいた。
先刻、天気も良いので、天主に上り、琵琶湖を拝もうと誘ったのだが、気分じゃないと断られた。
また、茶室でわしが手ずから、茶を点て、堺で買った茶菓子を食べようと持ちかけたのに、違う世界のものを食べたり飲んだりすると、元の世界に帰れなくなる可能性があるので、と辞退されてしもうた。
ならば、せめて南蛮渡来の珍品を見せて進ぜようと言うと、あなたにとって珍しいものでも、僕にとっては日用品だったり、博物館で見飽きた物なので結構です、と嫌な顔をされた。
極め付けには、「僕にはお構いなく。この部屋に居させて頂けるだけで十分です。暇つぶしは自分でできますから」と言い放ち、勝手に座布団を出し、読書に没頭し始めた次第じゃ。
一体、何者なのじゃ、こやつは。
何が目的でどうやってここまでやってきた。
「時に松田よ」
「……」
書物に視線を落としたまま、顔を上げようとすらしない。
「松田。聞こえぬのか? 呼んでおる」
「聞こえてます。何で呼び捨てなのですか? 天下布武も間近で調子に乗ってはありませんかね。僕たち初対面ですよ。偉人だからとか年上だからだとか、そんな薄っぺらい理由で人を呼び捨てにするなんて、礼儀知らずも甚だしい。僕だって呼び捨てにしたいところを、泣く泣く敬意を払って『信長さん』とお呼びしているのに。『松田さん』、『松田様』、『ひーちゃん』のいずれかで呼んでください」
わっぱの頃は、常識知らずのうつけ者として、領民どもにすら呆れられる始末。
天下人最有力候補と相成った現代とて、頭は切れるが、気性が激しい暴君だと恐れられるわしが言うのもどうかと思うが、敢えて言おう。
こいつ滅茶苦茶じゃな。
とんでもなく手前勝手で理不尽な理屈を堂々と唱えよる。
眉間に皺を寄せ、非難がましくわしを睨みつける表情は、不機嫌そのものじゃ。
開いた口が塞がらぬ。
「僕に用があるのでしょう? さっさと言ってください。ほら、『松田様、読書中に申し訳ありませんが、私めの戯言に少しばかり、あなた様の貴重なお時間を割いては頂けないでしょうか?』からやり直しです」
呆れて絶句していると、苛ついた口調で急かされた。
対等どころではない。隙あれば、わしを配下に置こうとしておる。
「松田……さん、お主は、ここに何の目的で来たのじゃ……いらしたのでありましょうか? わしにも城にも興味がない。自分の世界から持って来た本を読むだけなら、ご自分の時代に帰られてはいかがかな? 未来に通じる場所にご案内差し上げましょう」
ええい! 何故わしがケツが真っ青な小僧に、へりくだらなければならぬ!
威圧感に負け、思わず必要以上に丁寧になってしまったではないか。
わしの問いに、松田はぷうと頬を膨らました。
「別に何でもいいでしょう? 言われなくても、お腹が空いたら帰りますよ」
子供のような理由で帰るのじゃな。
まあ、こちらの飯は食いたくないと申しておったし、自然とそうなろうか。
「べ、別に、明智さんと喧嘩して、夕飯までお手洗いに立て籠もって、お腹の弱い明智さんを困らせ、ついでにみんなの気を引こうと思ってたのに、あいつ全然来ねえし、誰も探しにも来ないから、いじけて家出した訳じゃないし。広瀬さんが開発中だから絶対触るなって言ってた『タイムマシン初号機』の『1581安土城』ってメモが貼ってあるボタン押したら、あっという間に転送されちゃったとか、そんな間抜けな顛末があったとか、絶対違うからね!」
否、絶対そうなんじゃろう?
そして、先刻から散々コケにしているが、わしに愚痴を聞いてもらいたいのじゃろう?
こういう面倒な奴を21世紀の連中は『ツンデレ』と呼んでおったな。
否、『かまってちゃん』の方がより適切な表現かも知れぬの。
痛い。痛すぎて、気の毒な奴じゃ。
わしも齢50も近い年長者。
無礼には目を瞑り、松田の愚痴を聞いてやろう。
そんな手ぬるい気分になってきた。
優しくしてやらねばならぬの、(頭が)弱い奴には。
「そちの言い分はあい分かった。して、明智とやらはどんな悪行を松田さんにしおったのじゃ。人に話した方がすっきりするぞ。わしで良かったら聞いてや……是非、お聞かせ願いたい」
魔王信長でも、仏の面くらい持ち合わせておる。わがままで気難しい若僧の相手をするのに、わざと下手に出るくらい造作ない。
こいつをできるだけ速やかに未来に帰らせる為なら、仏だろうが天使だろうが何にでもなるわい。
「え? 聞いてくれ……そんなに聞きたいのですか? どうしても? ねえ、どうしても聞きたい?」
案の定、松田はわしの提案に目を輝かせ、手にしていた書物を投げ出し、身を乗り出してきた。
何が何でも、わしが知りたがってるから、仕方なく話すという体裁を保ちたいようじゃ。
21世紀流に言うなら、うぜえな、こいつ。
「ああ、知りたい。うちの明智とどちらが腹立たしいか、是非とも比べたい」
「もう、しょうがないな。信長の野次馬さん」
どさくさに紛れて、ついに呼び捨てにしおった。
わしの作り笑顔がひくついたのは無視し、松田は滔々と語り始めた。
「今日の昼過ぎに会議があったのですよ、職場の。あ、明智さんって職場の同僚です。で、なんかあの人、会議とかそういうの矢鱈張り切っちゃう、鬱陶しいところがあるのです。積極的に手を挙げて意見言っちゃうみたいな? 糞真面目だからなんでしょうけど。だから、思った通り言ってみたら、凄い怒り始めちゃって。短気な人って嫌ですよね。あれよあれよと、お互い立って、向き合う睨みあいの一触即発状態。そうなったら、先制攻撃を加えるのは何としても僕です。体格差もあるし。それくらいしないと勝てない。僕は顔を真っ赤にして怒ってるあいつの顔めがけ、一撃必殺の得意技を繰り出しました」
言うなり、傍若無人な若人は人差し指と中指を立てた拳(じゃんけんのチョキの要領じゃな)を空に突き立てた。
「そしたら……」
ピンと伸ばした指先が小刻みに揺れ始める。何やら興奮しているようじゃ。
「あいつが変に避けたせいで、手元が狂って、思っていたより、ずっと奥まで入っちゃったのです。僕の……僕の可憐な指先が、おぞましい腹下し野郎の二つの鼻の穴の中に」
奴は、ああっ、と叫んで頭を抱えた。
嘆きたいのは、腹下しの明智の方だと思うぞ。
「指先に生暖かいぬるりとした感触がして、引き抜いてみれば、鼻水とか鼻くその混ざっているであろう、汚れた血がついていました。うう、何度洗っても気が済まない。僕は汚れてしまいました。それでも怪我をさせてしまったことは悪いと思ったから、『大丈夫ですか?』と聞いたのに無視されました。医務室に連れて行くって言っても、完全無視です。酷いです。いくら、僕の指が両の鼻の穴に突き刺さって、豚鼻状態になった瞬間を当麻さんに真正面から見られてしまったからって。あ、当麻さんは明智さんが一方的に、悶々と懸想している女性です。器、小さ過ぎやしませんか? これじゃあ、僕が悪者みたいじゃないですか!」
「いや、完全にお主が悪者じゃろ」
いくら仏の信長でも、庇いきれぬ事案じゃ。
「そ、そんな。信長なら分かってくれるって思ったのに! 理不尽極悪非道大魔王界の王のくせに、何故常識人のようなことを言うのです」
そんな組織に所属した覚えはない。わしはつるまない性質じゃ。
楽市楽座、みな好きにやれば良い。
「常識の型には収まらぬわしとて、お主の言い分は理解できぬ。荒れくれ者の野武士とて、お主よりは自分の非を認められるわい。今の話、誰が聞いても腹下しの明智が気の毒だと思うものじゃ。そちだって、心の底では分かっておるくせに。見栄が邪魔して、素直に頭を下げられぬのではないか?」
「そ、そんなこと……」
反論しようと試みるも、図星だったのか、松田は口籠もった。
「家出だとか、厠に立て籠りとか、愚かな真似はよせ。誠心誠意、腹下しの明智に頭を下げ、許しを乞うてこい。仲直りするなら早めが良い」
どの口が言っているのかと、我ながら失笑を禁じ得ぬ説教をしてしまったが、奴は神妙に頷いた。
勢い、わしは柄にもなく、口を滑らせてしまった。
「それから世間には、すまぬと申しても取り返しのつかぬことがある。人の心というものは、謝られたなら全て水に流せる程、広くはないし、謝っても許されるべきでないこともある。そうなってしまったら、どうにも戻れぬ。お主はまだ引き返せそうじゃと見込んで言おう。照れ臭いかも知れんが、大事に思っている者には、そうだと伝えなければならぬ。腹下しの件についても、ふざけが過ぎただけじゃと相手だって分かっておるはずと甘えておってはいけない。すまないと反省しておるから、仲直りして欲しいと正面から伝えよ」
大事な家臣、否、盟友を傷つけ、追い込み、謝っても許して貰えぬどころか、決定的に決裂し、命を奪われる定めのわしだからこそ、松田には同じようになって欲しくない。
妙な縁で知り合ったが、わしを超える勝手者であり、わし以上に繊細なこやつに、それだけは伝えたかった。
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