氷の魔女

 速度がまったく落ちない魔列車の先頭車両。

 そこで、体にロープを巻いたイングリッドが工具を持って機関部の損傷部分へとたどり着いて、舌打ちをした。

 動力系統は問題はないが、制御系統に問題がある。



「くそが……これはまた面倒なことを……アルダール帝国の仕業だろうが、爆弾でふっとばすとかどういう考えをしてやがるんだ……」

「イングリッド技師局長……これを1時間以内で修復は難しいそうですね……」



 損傷部分を見つめる2人は、苦い表情になりながら工具を取り出し、その他の部分に損傷がないかを調べる。それ以外はなんともないようだ。

 それを確認し終えたイングリッドは、



「できるだけするしかねぇな……。俺の代でこいつをダメにするなんて考えたくもねぇしな。じいちゃんだってこれくらい乗り越えたはずだ! 俺ができないって言ったら、先代たちに笑われちまうな」

「イングリッド技師局長! 私もこれからずっとこいつと旅がしたいですから」

「ははは、いいだろう。だが、念のため救援の装置だけ起動しとけ……念のためだ」

「はい! 了解です!」



 イングリッドの腹の括った表情に技師は大きく返事をして、車両で作業で使う道具の準備をしている者たちに合図を送った。それを見た者たちは、直ちに一分間に一発上空に緊急救援信号を打ち上げる。

 終点の中央がこれを見れば、なんらかの対処をしてくれると信じて。

 イングリッドは最悪の場合を想定しながら、修復していく。

 強風が吹き荒れる中、額に汗を掻きながらイングリッドはえぐり取られた魔法術式を直していく。

 複雑過ぎる術式を1つ1つ書き直していくが、何度も書いては消してを繰り返す。一発で元の魔法術式を書ける者など始まりの魔女や他の魔女くらいだ。

 イングリッドは、震える指で修復する。その補佐をする技師もまた魔力を調整しながら、外の魔素が干渉しないように防いでいる。

 1つでも術式が間違っていれば、その制御は機能しない。

 それほどまでに魔列車はデリケートなのだ。

 集中して作業を進め、5割ほど修復が完了したとき、



「イングリッド技師局長……タイムリミットです」

「っ……」



 技師の言葉に舌打ちをし、目の前に集中するイングリッド。

 だが、やはりたった1時間ではどうすることもできない。自分自身に魔女と同じ力があればと、イングリッドは歯がゆく思う気持ちが胸を締め付ける。

 イングリッド家は代々この魔列車の技師を受け継ぐ家系だ。先代は、この夢の箱を目にして心を奪われたというが、イングリッド自身もそうだろう。

 700年もの時をこうして走り続けられているのは、先代がまだ新米技師だったときに始まりの魔女から『こいつのこと頼んだよ』と言われたことが始まりだと言われている。

 この魔列車がどれほど活躍しているか、イングリッド家がどれほどそれを誇っているか。それを終わらせるなんてどれほどの苦痛を味わうか……。

 思考が乱れ、イングリッドは何度も消しては書きを繰り返す。

 焦りはどうすることもできずに自身を襲う。



「局長……イングリッド技師局長!!」



 鬼気迫る声にイングリッドは大きく息を吐いてから言葉を吐く。



「わかってる……引き上げるぞ……。機関車両の者はもう後ろに避難しているんだろ?」

「はい、あとは、連結部分の解除すれば……終わりです」

「よし、俺たちが避難したら1両目から切り離せ……」

「了解です……」



 イングリッドたちが1両目に戻った後、連結部分に手を置いてから魔法術式の一部を消す。

 すると、車両が切り離されてゆっくりと機関車両から離れていく。



「救ってやれなくて……すまない。本当にすまない」



 そう小さく呟きながら、イングリッドは目の前を走る魔列車を見つめる。

 機関車両はぐんぐん離れていき、横目には中央の街が見えてくる。レジデンス連合国の首都で5つの国のちょうど中心部に位置する最大の街。

 イングリッドたちが乗っている車両は、どんどんスピードが落ちていく。

 そして、車両は完全に停止すると乗客から歓声が上がった。だが、その歓声にイングリッドは素直に喜べないでいた。



 ◆◆◆◆



 レジデンス連合国の中央駅。

 そこの監視塔から魔列車が走る路線上で、緊急の打ち上げ物が確認できた。



「やばいですよ! 魔列車の暴走のようです!」

「後ろの車両は切り離しているみたいだが……。このスピードでは駅構内にいる人たちまで危険が及ぶ……すぐに避難をさせるようにアナウンスするんだ」



 魔列車を管理する者たちが、一斉に駅構内でアナウンスを呼びかける。

 魔列車の事故で暴走列車となっていることを。すると、皆が係員に誘導されるがままに駅構内から退去していく。

 本来ならごった返すはずの駅構内は人っ子一人いない状況だ。



「クッション性の強い物を敷いても……ダメだろうな」

「くそ……どうせ、アルダール帝国の仕業だろう」

「どうにか魔列車を止められないんでしょうか?」

「下手に手を打っても脱線して大破してしまうだろうから……無理だろうな」

「今までどうにかできたのに……ちくしょう……」



 皆、奥歯を噛み魔列車が外に吹っ飛ばないようにすることが限界であると悟っていた。レジデンス連合国が抱える魔列車の数が減ることは、かなりの痛手だ。だが魔列車を守ろうとして、国民に被害を出すなどあってはならない。

 苦渋の決断を迫られる。



「イングリッド技師局長も……この決断をされたんだ」

「胸が苦しくなるな……。先代から受け継いだこの仕事なだけに……」

「私たちよりも……思い入れは強いだろうからね」



 皆、イングリッドの出した決断に一礼をしてから、持ち場に入る。

 突っ込んでくる魔列車を止めることはできないため、破壊を余儀なくされる。

 そんなとき、誰もいない駅構内でよく響く声がする。



「あらあら、誰もいないなんて……何かあったのかい? 一応、迎えにきたんだけど」



 腰まで伸びる深い青色の髪の毛に、ハイヒューマンの象徴である尖った耳が特徴の女性。

 黒のジャケットに肌色のひらりとしたショートパンツを履いている。膝上まで伸びる黒のロングブーツがショートパンツとの間に見える太ももをより強調させる。




「え、えっと、お客様、すみません。魔列車が暴走しております。ただちに駅構内から出ていってもらえますか? 怪我をされてしまいますので」



 そう技師がその女性に移動を求めるが、



「え? 魔列車が暴走とか……。もう! 仕事を増やすアホな奴らね。あんな奴らにかまってられないってのに……。それに、あの子がいるのにこれとは……あとで説教ね」



 その女性は、胸ポケットの中から翡翠色の勲章をその者に見せる。

 それを見た者たちは、すぐにこの人物が誰だかわかった。

 このレジデンス連合国の国家魔導術師技術局長の座に君臨する魔女。

 この世界でただ1人、魔女だという存在を認められているシュカ・フォン・ネティアスである。

 見た目は完全に綺麗なお姉さんにしか見えないが、こちらの状況がわかった途端に表情がかわる。



「例のハイヒューマンの子たちが乗ってる魔列車がやられたってことよね……。あぁ、もう! 本当に邪魔ばかり……」



 そう口にしたシュカは、盛大な溜め息を吐いてから1つの呪文を開放する。



「アクアドミネーションフィールド……シュカの名の下に起動せよ」



 ネティアの起動した魔法により、駅構内であった空間が一瞬にして歪んでいく。

 そのまま、範囲は20キロメートルまで肥大化していき、魔列車を捉える。

 技師たちはその変化にまったくついていけずに、慌てふためく。シュカの魔力に押されて、体が思うように動かずに、その場で膝を突く者さえいる。



「ごめんなさいね。少し息苦しいでしょうけど我慢してね」



 そう言われ、技師たちは頷くことしかできないでいた。

 歪んだ空間の中で、シュカの手にサファイアの鉱石で作られた杖が顕現する。それをゆっくりと振ると、その空間内にある水をすべて支配した。

 そのまま、シュカは自身の魔力とも混ぜ合わせて莫大な魔力の塊となったものに術式を打ち込む。



「水の化身よ、アレを止めよ! タイダルウェイブ」



 魔法を執行したシュカは、空間支配内から様子を見つめる。

 魔列車に大きな津波が襲い、どんどんスピードが遅くなっている。だが、なかなかしぶとい。20メートルを上回る津波に猛突進して掻い潜ろうとしているのだから。

 だが、もう下準備は整った。

 シュカは指をパチンと鳴らすと、水浸しになった魔列車は急激に凍りついていく。車輪が完全に止まると、悲鳴を上げながらこちらへと進んでくるのがわかる。未だに60キロメートルくらいのスピードでホームに入ろうとしていた。



「あとはこれでいいかな。挟み込め、アイスブロック」



 そう呟くと、氷の壁が出現して魔列車を挟み込んで速度を殺していく。轟音が鳴り響く中、ピタリとホーム内に止まった魔列車を見た技師たちは、盛大に歓声を上げるのだった。

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