「かみさま、」
ナノ
「洗礼者ヨハネ」
第1話 「洗礼者ヨハネ」 その1
「・・・・こうして、ダビデは王様になりました。めでたしめでたし」
「ねぇ、もっとお話しして。次はどうなるの」
寝室に子供の声が響く。質素な布を敷いただけの寝床はお世辞にも寝心地が良さそうなものではなかったが気にせず子供は母親に寝物語の続きをねだっていた。
「ダメ。もう寝る時間よ」
「お願い」
「ユダはダビデ王のお話が好きねぇ」
母は子供の小さな額を撫でる。ユダと呼ばれた子供は嬉しそうに頷いた。
「うん。だってカッコイイんだもん。それに、その頃は僕たちはローマに支配なんてされてなかった」
「そうねぇ。・・・・・でもね、ユダ。聖書によると、もう少ししたら神様が第二のダビデ王を私たちに使わしてくれるのよ」
「ほんとう!?」
お伽噺の続きが自分の生きているこの時代におこるだなんて。ユダは興奮で母親の方へ乗り出した。
「ええ、そうよ」
「そうしたら、ローマを倒してくれるのかなぁ?」
「そうね。きっと救世主が私たちを救って下さるわ」
「うわぁ! いいなぁ。ねぇ、僕もその救世主に会えるかなぁ」
「ええ。あなたが良い子にしていればきっと会えるわよ」
記憶に浮かぶ母の笑顔はこの時のものしかもう思い出せない。母の映像が歪み、顔が引きつり、口から血を吐いた。
「母さん!?」
彼女の胸には槍が突き刺さっている。
ユダは彼女に駆け寄りその身体を揺らした。両手を見ると、小さな幼子のものだった。記憶違いでなければ、6歳の子供の手。
夢を見ているのだ。
彼の世界すべてが壊された日から見続けた夢。
母がローマ兵に殺される日の、夢。
税が払えなかったが為に彼の村は火にかけられ、彼女は娼婦になるのを拒んだために殺された。当時、まだ小さかったユダは彼女を助けることも出来ず助けを求めて泣き続けた。
助けて、助けて、誰か助けて。
僕とお母さんを、助けて。
「っ・・・・・・・・」
目を覚まし、いつもの天井だと言うことに安堵する。ため息をつきながら起きあがった。
窓から差し込む白い光が石造りの壁を彩っている。だいぶ寝坊をしてしまったようだ、とユダは自分を戒めた。
ローマがユダヤの国を占領してから約70年。ヘロデ王の指揮のもと、ローマの圧力がますます我々ユダヤの民に伸し掛るようになってきた。
税を払えなければ男は奴隷として取られ女は売られ娼婦になる。厳しい取り立てにとうとう家を捨てて都市部での奴隷となる人も出てきた、そんな時代だった。
もちろんユダヤの民も臆病者ばかりではない。
中にはローマに反旗を翻し、その支配下から独立しようとしている一派もいる。その中でも最も大きい一団を熱心党といった。
現在ユダが所属している組織だ。
その存在を知った彼は、着の身着のままその本部のあるティベリウスへたどり着き、頼み込んで入党させてもらった。そうして勉強をし、会計役として働き今に至る。
ぐしょり、と冷や汗をかいて気持ちの悪い寝間着を脱ぎ、着替えを終える。と、同時に、ばたばたばたとせわしない足音と共に人が入ってきた。
「おっはよう、ユダ! いいお目覚めかい?」
脳天気な声を出しながらラクダの皮衣を身にまとった男が姿を表した。長くのばし目を隠している胡桃色の前髪が胡散臭く、ボロボロの衣装がさらにそれに拍車をかけていた。ユダの居る熱心党の建物は巨大な岩の城壁に囲まれ、その中は石造りの部屋が迷路のように入り組んで建てられていた。当然内部に入る門の前には門番が立っている。
毎回どうやって部外者がここまでたどり着いているのだろうか。うんざりとした気持ちでユダは男に視線を送る。
「・・・・・・ヨハネ様」
あんな夢をみた後にこんなテンションの高い人と話をするのは疲れる。ユダは聞こえよがしに大きなため息をついた。
ヨハネはそんな彼の様子を見て首を傾げる。
「どうしたんだい? 今日は一段と元気がないじゃないか? 君は低血圧かい?」
「いえ・・・、目覚めが悪かっただけです。
どこかの誰かさんのうるさい足音に起こされたので」
わかって言っているのだ。彼はよくこうしてユダをからかう。ユダは語気荒く答えた。
「まったく・・・、ユダは相変わらずツンデレだなぁ。それは最高の朝じゃないか」
「何ですか、ツンデレって・・・・」
「今から2000年後くらいに極東の島国のある一部の層に流行る流行語だよ。普段はツンツンしてるのに、仲良くなったらデレッデレになるくらい優しくなるキャラクターの総称さ」
また始まった。ユダは冷たい声を返す。
「・・・・・・・いつ私があなたにデレデレしましたか?」
「今後してくれると期待しているよ!」
じっとりとした目で得意顔をしているヨハネを見る。
社会的には徳の高い修行者として名の通っている彼は未来が見えると自分で言っており、こうして時々間の抜けたことを言う。彼の力が本物だったとして数千年も後の話なんてどうやったら確かめられると言うのだろう。
「それで、一体何の用ですか? 私、今日は明日の会議用の資料を作らなければいけないんですが」
「そう、それがいけない」
「は?」
ユダを指さして胸を張るヨハネに、彼は目を丸くした。
「今日はせっかくの収穫祭。せっかくの晴天。それなのにどうして部屋に閉じこもっているんだい?」
「・・・・・・」
芝居がかった様子で言うヨハネに何も言わずユダは黙って彼の姿を見続ける。面倒くさいことになりそうだと思っていると彼の顔は雄弁に語っていた。
「大丈夫、大丈夫だよユダ。私はちゃんとわかっている。君に収穫祭に一緒にいく友達がいないと言うことぐらいちゃんとわかっているよ」
「・・・・・・・・」
優しそうな声音で言うヨハネをユダはじと目でにらみ付ける。思ったとおりだ。彼はよくこうしてユダを連れ出す。大体はイベントごとにかこつけて。
彼はユダの両肩に手を置いた。
「そんな君の為に、私が誘いにきてあげたんだよ。さぁ、喜びなさい」
「よろこべるかっ」
ユダは怒声を出すがヨハネは気にした様子もなく続けた。
「ふふ、そんなに照れ隠しなんてしていないで。一緒に祭りに行こうじゃないかっ」
言うなり、ユダの手を掴み部屋を出ると男は走り出した。
この人はどうしてこういつも突然なんだ。ユダはため息をつく。
頭の中の今日の予定を思い浮かべ、その全部に×印をつけながら、ユダは仕方ない、と諦めてその後ろをついていくことにした。
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