第9話、街角にて

「 村さん。ちょっと、外で打ち合わせしようか? タバコも吸いたいし 」

 現場監督である初老のJV職員が、幸二に言った。

「 いいですよ 」

 答えた幸二は、傍らで作業をしていた若い作業員に指示を出す。

「 トシ、あと1時間弱で始発の時間だ。 ここ、片付け始めてくれ。 2ブロックの 斎藤さんトコにも伝えてくれるか? 」

「 分かりました。 注入のパイプとコック、撤去します? 」

「 残りの分もあるから、明日、まとめてやろう。 明日の集合も、今日と同じ、終電あとの12時30分だ。 駅の北側の、3番倉庫前だ 」

「 了解っス! 」

 幸二は、監督と一緒に、廊下を歩いて外へ向かった。2人の足音が、誰もいない構内に響く。

 作業着のポケットから、工程表を出しながら、監督は言った。

「 築、30年だからなあ・・ この地下鉄。 あちこちで漏水してて、手に負えないよ、全く 」

 幸二は言った。

「2~3日、電車を止めて作業すれば良いでしょうが・・ 営業線ですから、そうはいきませんしね。 夜間工事をするしか、方法は無いですよ 」

「 2ブロックは、どうなってる? 」

「 今日、注入をしておきましたので、明日まで様子を見ましょう。 天井の方に、水が廻らなければ良いのですが・・ 」

 出入り口に向かう階段を上りながら、監督は言った。

「 村さんの仕事は、キッチリやってくれるから安心だ。 職長は、長いのかね? 」

「 いえ、まだ1年です。 職場長資格だって、今の会社に入ってから取ったんですから 」

「 ふ~ん・・ 元は、大工だってね? 防水工は、初めてなんだろ? キツクないかね、土木は 」

「 そりゃ、キツイですよ。 でも、漏水がピタッと止まった時は、やった~! って思いますね 」

「 ははは! それは、施工主のコッチだって同じだよ 」

 階段を上り切り、地上に出る。

 そろそろ、夜明けだ。 辺りが、薄明るくなって来ている。

 大きな交差店脇にある地下鉄の入り口に立ち、幸二と監督は、タバコに火を付けた。


 人通りは、全く無い。 無機質な街を、時折り、タクシーが通り過ぎて行く・・・


 監督が言った。

「 やっと明日が、夜勤の最終日か・・ 夜と昼の逆転生活も、やっと終わりだ。 この歳で、夜勤はこたえるなあ 」

 傍らにあった現場用の吸殻入れに灰を落としながら、幸二は言った。

「 でも、地下鉄の夜勤補修工事は、始発が決まっているから、残業が無くて良いですよ。 雨も関係無いから、天気に左右される事も無いし。 作業員たちには、人気ですよ? 夜勤手当も付くし 」

「 そうかもしれんな。 工程管理は、確かに楽だ。 でも、作業要項が細かくて、気を使うよ 」

「 ・・この前は、すみませんでした。 材料、番線で結束してある事に気が付きませんで・・ 」

 番線とは、針金の事である。 地下鉄などの場合、車両による巻き上げ防止の為、このような針金などの物品は、工事や作業の際、構内への持ち込みは禁止になっているのだ。

 監督は答えた。

「 いやあ~、俺も以前、やっちまったコトがあってな。 工事長に、エライ叱られたよ 」

 幸二は、監督が持っている工程表を見ながら言った。

「 この次は・・ 来月の10日からですね。 1週間ですか・・ 祝日がありますが、ダイヤの変更はありますか? この東村線には、動物園や遊園地に隣接している駅が多いですから 」

「 いや。 市からは、何も聞いてないな。 事務所にダイヤ表がある。 今、確認しておいた方が良さそうだな。 ちょっと、見て来るよ 」

「 お願いします 」

 監督は、吸殻入れにタバコを捨てると、数百メートル離れた現場事務所の方へと歩いて行った。


 何も通らない大通りを眺めながら、幸二は、タバコをふかした。

 辺りは、徐々に、明るくなり始めている。

 ヘルメットを脱ぎ、歩道のガードレールに掛けた。

「 今日も、良い天気になりそうだな・・ 」

 独り言を言い、仰いだ空に向かって煙を、ふう~っと出す。


 西の空が、明るくなって来た。

 夜の闇の中で静まり返っていた大通りの風景が、ぼんやりと、その全貌を現し始める。


 ・・・青と、黒の世界・・・


 信号の赤が一際、鮮やかに映る。

( 青い夜明けだ・・・ )

 幸二は、そう思った。そして、誰かの声が脳裏に響いた。

『 この街が、好きなんです 』

( ・・・あゆみちゃん )

 この1年くらい、久しく、忘れていた名前だった。


 ・・あの日、喫茶店で手に入れた1冊の求人誌。

 そこに掲載してあった土木工事の作業員を募集していた会社に、幸二はバイトで入社した。 防水工事業を請け負っている土木工事会社だ。

 遅刻・欠勤をせず、幸二は真面目に働いた。

 会社の社長は、資格を取りに行く幸二に、その受講料金を半分、負担をしてくれた。 現在、主に、公共工事現場などに長期入場する作業チームの職場長として働いている。 この地下鉄の営業線夜勤工事に入る先週、アルバイトから正社員にしてもらったばかりだ。

( あゆみちゃん・・ 俺は、何とか立ち直る事が出来たよ。 大工じゃないけどね・・ 土木会社の作業員だ。 社長からも信頼を集めている・・ 君のお陰だ )

 あれから、1年以上が経っていた。

 あゆみは、どうしているのだろうか・・?

 幸二は、瑠璃色に包まれた街の大通りに立ち、久しく忘れていた記憶を思い出していた。

 ・・いや、忘れていた訳では無い。

 務めて、考えないようにしていたのだ。

 まずは、自分の生活の確保。 それが、第1課題だったからである。

 ・・・あの日、高台で振り向いた、あゆみの笑顔が、幸二の記憶に甦った。

( あゆみちゃん・・・ )


「 ダイヤの変更は無いね。 作業時間は、今日までと同じだ 」

 いつの間にか戻って来ていた監督の声に、幸二は、ハッと我に返った。

「 分かりました。 えっと・・ じゃあ、現場に戻りますか。 余った材料、養生しなきゃ 」

 青い夜明けは、消えていた。

 代わりに、東から朝日が昇って来る。

 幸二と監督は、再び、地下鉄入り口に入って行った。


 大勢の人が行き交う駅前。

 歩道には、露天商のテントが並び、ファストフード店からは、軽快な音楽が聴こえる。

 大量に駐輪された自転車・・ その前で、ビラ配りの女性たちが、道行く通行人にチラシを配っている。 少し向こうには、ポケット・ティッシュを配布している女性も見受けられた。 大型百貨店の前では、盲導犬育成の為の寄付を呼びかけている団体もいる。

「 あそこです。 ほら、アーケードの付け根辺り・・ 白い跡が見えるでしょ? 今は、乾いてますけど 」

 ネクタイを締め、胸に『 総務 』のネームプレートを付けた男が、幸二に言った。

「 ・・ああ、なるほど。 漏水の跡ですね 」

 男が指す部分を確認し、幸二は答えた。

 男は言った。

「 雨になるとね、あそこから水が出るんですよ。 下に、ウインドーがあってね。 返り水で、汚れちゃうんです。 掃除が大変で・・ 石灰みたいなモンがこびりついちゃって、清掃のオバさんたちから、雨が降る度、苦情の嵐でしてね 」

 幸二は言った。

「 おそらく、遊離石灰ですね。 屋外ドレーンがあるはずですが・・ 多分、クラックが入ってて、染み出しちゃっているんでしょう。 チッパーで掘削して、防水モルタルで補修すれば止まると思いますよ 」

「 工事中は、入り口を閉鎖しなきゃイカンですかねえ? 」

「 大丈夫です。 屋上から、やれますから。 工期は、2日くらいですね 」

「 そりゃ、助かるな。 では、宜しくお願いします 」

 幸二は、持っていたボードに挟んだ紙に簡単な見取りを描き、周囲の情況なども描き込んだ。

 男は言った。

「 この入り口は、ウチのお客様が、大変によく使う入り口でしてね。 閉鎖したら、売上にモロ、響くんで、心配してたんですよ。 必要なものがあったら言って下さい。 こちらで用意出来る物があったら、協力させて頂きますわ 」

 幸二が答える。

「 有難うございます。 では、100ボルトの電源が必要ですが・・ 屋上にコンセント、ありますか? 無ければ、発電機を回さなければなりません。 ガソリンを使用しますので、許可を取って頂かない事には・・ 」

 男は答えた。

「 ああ、大丈夫です。 コンセントはありますから。 毎年の秋、屋上で、社内のバーベキュー大会をするんですよ。 音楽掛けたり、冷蔵庫冷やしたりするんで 」

「 そりゃ、楽しそうですね。 ・・じゃ、その電源を使わせて頂くとして・・ 階下の部屋に多少、振動が伝わるかもしれません。 宜しくお伝え下さい。 明日の8時から作業を開始します。 作業人員は、職長の私の他に、3人を予定しています 」

「 分かりました。 下は、準備倉庫ですので、問題ありません。 宜しくお願いします 」

 男は、幸二に一礼すると、忙しそうに店内へと、入って行った。

 大体の情況を、ボードの紙に書き込み、幸二は、辺りを見渡した。

( 下見は、これくらいでいいだろう。 屋上は、あとで確認しに行くとして・・ 昼メシにするか )

 作業着の胸ポケットにペンを差し、幸二は、ファストフード店の方へと歩いて行った。


「 いらっしゃいませ~! 何に、なさいますかぁ~? 」

 店員の、元気な声が聞こえる。

( ハンバーガーで、いいか・・ )

 そう思いつつ、店内に入ろうとした幸二は、入り口横に、女性が立っている事に気が付いた。 何かの、支援寄付のようだ。

 その女性の顔を見た途端、幸二は、息が止まりそうになった。


 ・・・それは、あゆみだったからである。

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