告白

 蝋燭の光があかあかと照らし出す王の肌は、乾いた泥団子の表面を思わせた。何かが触れれば、または強い風でも吹いたならば、途端に崩れて飛んでしまいそうだ。


 遠い昔、防腐処置をした直後には、その皮膚ももっと堅く引き締まっていたのだろう。いかに不死の体とは言え、長い年月の中で劣化を免れるすべはない。初夜のときはそこまで思い至らなかったが、今改めて夫と向き合いながら、王妃ジニの胸中はざわめいていた。


 床の上に燭台を置いて、簾の中で、夫と二人。


 王子ナーダは――宴の最後に、高僧ミッシカを通じて不死王ナーダからその名を譲られた奇跡の子は、寝室でおとなしく眠りについていた。その傍らをそっと離れて、ジニは王の部屋へ忍び入ったのである。我が子のそばを離れるのは、出産してから初めてのことだった。


 重荷を抱くことに慣れた腕を所在なく身に添わせ、王座の周りをゆっくりと歩いた。掃き清められた床に厚い敷物、その上に黒檀の台が置かれ、王座が設えられている。その背後に回り、注意深く観察した。特に違和感はないが、試みに、王座の下の黒い台に手をかけてみる。毛足の長い敷物に半ば埋もれ、台はぴくりとも動かない。


 ならばと、敷物を踏んでいた足を引いて床の上に立ち、少し離れたところから腕を伸ばして再び台を押した。すると、王と王座を載せた台は敷物ごと床を滑り、軽々と前へ押し出された。


 そこに地下へと続く隠し穴が現れたとき、ああ、とジニはつぶやいた。驚きはしなかった。納戸も庭の蔵も、すべて調べ尽くした後だ。他に、もう思いつく場所はない。


 地下室へは木の梯子を伝って降りられるようになっていて、底の方にほのかな灯りが見える。ジニはためらいなく穴に身を落とした。梯子を降り切る前に、灯りのそばに人影があるのが見て取れた。


 隠し部屋は古い造りであったが、調度は比較的新しい。その一つとして壁際に作りつけられた棚があり、上に燭台が置かれていた。ミッシカはその傍らに、背筋をまっすぐに伸ばして座っている。あたかもジニが来るのを待っていたかのようであった。


 灯りのそばに、あの紙束も置かれていた。アジュラが群衆の前で読み上げた、「検査結果」だ。もっとも騒ぎの中で人々に踏まれ土埃にまみれて、あの眩しい白さはすでに失われていた。


 棚の上にはさらに、光る硝子細工や複雑な形の道具がいくつも並んでいたが、何に使うものかわからない。


 ミッシカはそれらに背を向けていた。見つめていたのは、部屋の中央に設えられた寝台、……その上に横たえられたアジュラの亡骸だった。


「王妃ジニ。お尋ねになりたいことがおありでしょう」

 高僧は振り返りもせずにそう言った。ジニは歩み寄る足を止めた。


「尋ねれば、答えてくれますか、ミッシカ。例えば、なぜ彼女は死ななければならなかったのかを」


「それは、」

 灯火はミッシカの横顔を赤く照らしていた。いつもは若々しく白い肌が、不意に老人の衰えた皮膚に見えて、ジニは少し戸惑った。

「答えられたとしても、王妃ジニ、それはあなたの聞きたい答えではないでしょう。私に言えることは、私一人の見解でしかありませんから」


「どうしてそのようなことを? あなたの語る言葉は、王の言葉、神の言葉。人々の知りえない真実を、あなたはいつも天に変わって伝えてきたではありませんか」

「ここにいる私は、ただの人に過ぎません。今あなたに伝えられるものがあるとしても、天の声ではない。彼女の言葉だけです」

「アジュラの?」

「あなたへの手紙を預かっています」


 ミッシカは袖口から、折り畳まれた紙を取り出した。受け取ってみると、それは厚みも色も形も不均質で、異国の商人が持ってきたものとは比べ物にならない粗製品であった。それでも紙でさえあれば、村に住んでいたころはぜいたく品だったのだが。


 アジュラの亡骸を前に、ジニは手紙を開いた。遠い昔に見覚えのある文字が並んでいた。そう言えば文字の読み書きを教えてくれたのも彼女だった、と思い出しながら読んだ。読みながらまた、憧れの先生だったころの彼女を思い出した。小川のほとりで一緒にシロツメクサを摘みながら、花冠の作り方を教えてくれたアジュラ先生。その高い鼻先に蝶が留まり、二人で大笑いをしたものだ。


――ジニはお勉強が好き?

――うん。先生は?

――わたしもよ。

――でも、先生はもう何でも知ってるんでしょ?

――いいえ、ジニ、世の中には、わたしも知らないことが山ほどあるのよ。この小さな村にいてはわからないことが、いろいろね。


 幼いジニにはその言葉の真意がわからなかった。が、今にして思えば、それは紛れもなく予告だったのだ。アジュラは自分の可能性を信じていた。そんな彼女が、遠い異国へ留学できるという好機に飛びつかないはずはない。そして、王族キギンによる陰謀に巻き込まれてしまったのだ。


 外国の珍品に目のない裕福な王族には、人脈も資金もあった。優秀で純真な若者を利用して先進技術を手に入れ、不死王ナーダの神秘性を暴いて王座から引きずり降ろそうという企みは、十年前に始まっていたのだ。


 しかし結局、「科学」は彼を裏切った。わずかな食糧だけを与えられて高原を追い出されたキギンとその一族は、残された唯一の財産――動かない時計とともに、海の方角へ消えていった。海外の先進国とやらに渡るつもりなのだろうが、その案内を務めるべき商人を自ら殴り殺してしまったという話だから、いずれたどり着くことは難しいだろう。



 手紙を読み終わったジニは、横たわるアジュラに目を落とした。壁際の灯火が一瞬、大きく燃え上がって、その穏やかな死に顔を照らし出した。


「死ぬべきは、彼女ではなく、私でした」

 傍らでミッシカがつぶやいた。ジニは首を横に振ったが、かけるべき言葉は思いつかなかった。ただ黙って、寝台の上の彼女を見守った。


 彼女もこうして、横たわる自分を見下ろしていたのだろうかと思った。あの初夜、薬酒を飲んで意識を失ったジニは、この地下の研究室に運ばれたに違いない。アジュラと、ミッシカによって。そして、ジニは知らぬ間にを施された。


 あまり愉快な想像ではなかった。しかし、それがなければ王子は産まれなかったのだと思えば、不思議と怒りは感じない。


「かわいそうなミッシカ。そんなふうに思っていても、あなたは死ねないのですね」

 ジニが囁くと、高僧はようやく顔を上げた。まるで女神を仰ぐような眼差しは、かつて彼が見せたどの表情よりも人間的であった。


「我が子ナーダが晴れて王になるのを見届けなければ。そして、不死王ナーダを救わなければ。それがあなたの望みだというなら、叶えなければなりません」

 王妃ジニの頬を、温い涙が伝って落ちた。


「だってアジュラは、この十年をそのためだけに生きてきたのでしょう?」

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