桜咲くとき
@yoyama_
桜咲くとき
雲が空を覆い隠している。
空の下には満開の桜が咲いていた。
桜を見ると記憶の底に閉じ込めたはずの光景が鮮やかによみがえる。
満開の桜の下を、彼女と歩いたあの日を―――
「私ね、結婚するの」
彼女が言った言葉を理解するのには時間がかかった。
俺は何も言えなかった。
「どうしたの?黙り込んじゃって?何?もしかして落ち込んでいるの?」
「いや、おまえが結婚するって言うから驚いて…」
桜の花びらが舞う中、いつものように彼女は俺の前を歩いている。
「そうなんだ。なんか私が想像してたのと反応が違うなー」
「じゃあ、どういう反応すればよかったんだ?」
彼女と並んで歩いたことなど一度もなかったような気がする。
「ひどい、俺とのことは遊びだったのか!、とか?」
久しぶりに会った彼女は何も変わっていなかった。
「バカか、おまえは」
艶やかな黒髪。整った小さな顔。彼女は相変わらず綺麗だった。
「相手は誰なんだよ?」
「仕事の先輩よ。まだ式を挙げるのは、多分先になると思うけど…」
「相手っていうか、犠牲者の間違いだろ。世の中には物好きなやつがいるもんだな」
「ひどい!そういうこと言うかな」
「冗談だよ。それにしても、おまえが結婚するとはな…」
「驚きよね。社会人になって、ようやく仕事に慣れたと思ったら、今度は結婚よ、結婚。急なことが多すぎて、ついていけなくなるくらいよ」
「でも、それは、全部おまえが自分で決めたことだろ?」
「うん、そうだね。そうなんだけど、あたしだってけっこう混乱してるんだから、ちょっとぐらいは愚痴を言わせてよ」
彼女は一度も俺の方を見ないで前を向いている。
「長い付き合いなんだから、それくらい欲求したってかまわないでしょう?」
「要求に応えて、俺に何のメリットがある?」
「友情に損得勘定を持ち込まないように」
友情。そう、俺たちの間に何かがあったとすれば、友情以外にない。
でもそれすらも偽物だ。少なくとも俺は彼女を友達として見たことなんて一度もなかった。そう、一度も。
「ねぇ」
「うん?」
「ごめんね」
心臓を貫かれたような衝撃。一瞬、俺の足が止まり背中には汗が滲みだしてくる。
「何を謝ってるんだよ」
「謝る以外にどうすればいいのかわからないから」
気づいていたのか、とは訊けなかった。いや、訊くまでもない。たぶん彼女は俺の気持ちを知っていた。
「応えては、もらえないわけだ」
「時間は常に流れてるんだよ。変わらないものなんてないんだよ。君といられた時間は楽しかったけど、それはもうおしまい」
「そうか」
「これから先、もしかしたらまたどこかで会うかもしれない。でも、君にはちゃんと言わなきゃいけないから―――」
彼女は立ち止まり、最後の言葉を告げた――――
「さよなら」
強い風が吹き始めた。ひらひらと舞う桜吹雪が彼女の背中と周りの景色を霞ませていく。
それは今にも消えてしまいそうなほどに儚く、物憂い感じの光景だった。
彼女に結婚を告げられた日から何年が過ぎただろう。
桜を見るといつもふとあの時の光景を思い出す。思い出してしまう。
『さよなら』
今でもあの言葉が耳奥に響く。
彼女はあの言葉で、何年も続いた友達ごっこに終止符を打った。
俺は彼女にとっての特別な存在になりたかった。そう願っているだけで、何もしなかった。
今は後悔ばかりが胸の中に残り続ける。
桜咲くとき @yoyama_
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