河童

らも

第1話

この物語は土佐、今の高知県に流れている「鏡川」にまつわる伝説である。


 鏡川というのは高知市街地を東西に横切って、浦戸湾に辿りつく川の事である。

 高知市の市民にとって非常に馴染みの深い川だ。

 元々は潮江川と呼ばれていたが、混乱を避けるために「鏡川」で統一する。


 その鏡川に河童が出る、と噂がたったのは江戸期中期頃からであった。

 ある日、土佐藩の上士渡井某が茶屋の娘と身投げ自殺を図った。

 渡井某の自殺から数日後、川釣りを楽しんでいた土佐上士の鼎十郎左が水死体で

発見される。

 その後、上士の水死事件が相次いだ。


 そのことから郷士の霊魂がアユに憑依して河童となり、上士に恨みを晴らしてい

るのだ、という噂がたった。


 理由がある。

 土佐はその昔、長宗我部家が統治しており、その勢いは四国全土に及ぶほどで

あった。

 しかし、豊臣秀吉による、全国制覇の覇業の前に屈した。更に、徳川家康が関ヶ

原の戦いの論功賞与で長宗我部家を取り潰してしまった。

 替わりに入部したのが山内一豊率いる山内家であった。

 一豊は勇武を誇る長宗我部侍共を持て余した。

 長宗我部侍を『郷士』、山内侍を『上士』として階級を定め、差別化し、権力を

持って抑えようとした。だが、失敗する。

 各地で暴動や不穏な気配が収まらないため、一計を案じた。

 種崎浜にて相撲大会を企画し、そこに集った力自慢の郷士達を一網打尽に討ち

取ったのだ。

 後に「種崎浜の悲劇」と呼ばれる惨劇であった。


 その事件は百年経っても、民間の中に根付いており、今回の上士連続水死事件と

繋がったのだろう。

 河童伝説はこうやってうまれた。その後、伝承され、現在に至っている。


 筆者はどうもその伝説をすべて信じることができなかった。

 恐らく、当時の郷士が、上士への報復のために起こした事件ではないか、と考え

ている。


 では鏡川に河童はいたのであろうか。

 河童は、いた。


 その名をジンベエといった。

 筆者はこれよりジンベエとある青年の物語を書こうと思う。

 ジンベエがその事件を起こした張本人であるかどうかは、この物語を読み進

め、ジンベエを知ることで読者に判断してもらいたいと考えている

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る