第117話 取引

「良かった。ユイは無事みたいだ」

 月明りが照らす病院の前で、緑のローブに身を包む垂れ目の獣人の少年は胸を撫でおろした。

 犬のような耳を頭から垂らし、緑色の後ろ髪を肩の高さまで伸ばした彼は、安心した表情で目の前に建つ病院を見上げる。


 ここにディアナに倒された騎士団の同僚たちが入院している。この街に残された騎士は自分と騎士団長のイースだけ。たったのふたりで街の治安を守ることができるのだろうか?


 獣人の少年、ジフリンス・グリーンは急な不安に襲われて、首を強く横に振った。


「大丈夫だ。騎士団のみんなの怪我は一週間くらいで完治するらしいからな。それまでの間、イース騎士団長と協力して騎士としての仕事を全うすればいい。ユイにかっこいいところを見せないとダメだ!」


 自分に言い聞かせるように呟くジフリンスが、両手の拳を握り、上下に振る。

 そんな彼の目の前にあるドアが開き、茶髪の若い大柄の女が飛び出した。

 黄緑色の大きなローブを羽織った女は、急いでジフリンスの真横を通り過ぎていく。

 

 生々しい傷跡がいくつも残した女の姿を目にしたジフリンスは、咄嗟に彼女の右腕を掴む。


「いきなり何?」

 街灯で照らされた石畳みの地面の上で立ち止まった女、ルクシオン・イザベルが睨みつける。

「そんな恰好でどこに行くつもりだ?」

「うるさい。あなたには関係ないでしょ? ほっといてよ」

 ルクシオンが力強くジフリンスの手を振りほどく。

「ルクシオンだっけ? そんな傷だらけの体で何ができるんだ? 病室に戻れ」

「うるさい。今日初めて会ったあなたに何が分かるの?」

 

 ルクシオンの問いかけに考え込んだジフリンスが前髪の生えていない額を掻く。

「……ああ、分かった。じゃあ、この場で俺を倒せ。そうしたら、お前を見逃す。やりたいことをすればいい」

 そう伝えたジフリンスが右手の薬指を立て、空気を二回叩く。

 指先から召喚された二本の小槌を叩くと、ジフリンスの真下に魔法陣が浮かび上がり、獣人の少年の体が一瞬で白い光に包まれる。

 青を基調にした鎧に身を包むジフリンスの右手には水色の鞘に納められた長剣が握られていた。

 鞘から剣を左手で抜き取り、残った鞘を右手の薬指で叩き、別の空間へ飛ばすと、彼はすぐに剣の柄を両手で握る。

 白銀の輝きを放つ長剣を持つ獣人の騎士をルクシオンは睨みつけ、ローブの左裾を手繰り寄せた。

 大柄な女が、左前腕に刻まれたEMETHの紋章を見せびらかすように胸を張る。


「もしかして、忘れてない? 私は錬金術を凌駕するという異能力が使えるんだよ」

「ああ、知ってる。あの広場で一緒に戦ったからな。あのドラゴンに素早い蹴りを強く叩き込んだのも覚えている。だが、今のお前は俺を倒せない!」


「うるさい!」

 

 断言したジフリンスに怒る大柄な女が、騎士の元へ全速力で駆け出す。それから、ルクシオンは一歩も動こうとしない獣人の騎士の右腕に向けて、自身の左足を振り上げた。


「ぐっ」

 

 だが、その瞬間、鋭い痛みが彼女の体を駆け抜ける。その隙を狙ったジフリンスは、両手で構えていた長刀を振り上げた。避けることができない女のローブの右腕の裾が破れ、ルクシオンの尻は石畳みに叩きつけられた。


「これで分かったか? どんなにスゴイ異能力が使えたとしても、今のお前は俺に勝てない」

「うるさい。それでもアイツを一発殴らないとダメなの! アイツは私の故郷を滅ぼし、家族や大切な人を奪った! そんなの許せるわけないでしょ!」

「まだ分からないのか? ルクシオン。今からそいつを殴りに行ったら、お前は死ぬ。そうなったら、ユイと俺が悲しむんだ。俺たちは、ドラゴン討伐のお礼もしていない。だから、俺も一緒に戦う!」


 優しく右手を差し出してくる獣人の騎士と顔を合わせたルクシオンは、目を点にした。


「えっ、いきなり?」

「ドラゴン討伐を手伝ってくれたお礼だ。ひとりで戦いたいって言うなら、修行に付き合ってやる。ルクシオン、お前の怪我を見れば分かる。相手は剣士なんだろう? それも突き技が上手なヤツだ」

 ジフリンスの指摘を受けたルクシオンは目を丸くして、頷く。

「そうよ。私の怪我を見ただけで、相手のことが分かるなんて、スゴイわ」

「まあな」とジフリンスが恥ずかしそうに額を掻く。

「それなら頼みが……」

 

 女の声は前方から歩み寄る影が搔き消した。

「ジフリンス、その女から離れろ」

 その声に反応したジフリンスがハッとして、顔を前に向けた。彼の視線の先には、黄色と黒のシマシマ模様の尻尾を生やしたトラ耳の獣人がいた。

 長身で腰ほどの長さの黄色い髪をポ二-テールのように結った彼女の胸は少しばかり大きい。

 緑色の迷彩柄なローブで身を纏う獣人の女と対面したジフリンスは、目を大きく見開いた。


「イース騎士団長?」

「ジフリンス。悪いが、その女、ルクシオン・イザベルを騎士として連行しなければならなくなった」

「連行って……ルクシオンが何をした?」

 動揺して目を泳がせた騎士の前で、騎士団長が淡々とした口調で答える。

「ルクシオン・イザベル。彼女は聖なる三角錐のメンバーだ」

「聖なる三角錐……あの危険な錬金術研究機関に所属してたのは事実かもしれないが、俺はルクシオンが悪いヤツだとは思えない」


 ジフリンスの反論を聞いても、イースは納得の表情を見せない。


「それを決めるのは私たちではない。この指令は私だけではなく、アルケア国中の騎士団に出されているんだ。明日になれば、懸賞金もかけられて、その女は指名手配犯になる。その前に、身柄を拘束できるならした方がいいだろう。代表のトール・アンも亡くなったらしいし、明日には残党も全員捕まって……」


「トールが死んだ? そんなのウソよ!」

 声を荒げたルクシオンの瞳から涙が落ちる。そんな彼女の右隣に立ったジフリンスが、ジッと騎士団長の顔を見た。

「それは本当か?」

「ああ、政府の発表だから間違いない。トールが死亡したタイミングで、政府は全国の騎士団たちに残党の拘束を命令してきた」

「そんなぁ」と肩を落とし落胆するジフリンスの真横をルクシオンが通り過ぎた。

 それから大柄な女はイースの顔を見下ろす。

「この際、罪は全て認めるわ。ただし、条件がある」

「条件?」と首を捻るイースの前で、ルクシオンが首を縦に動かした。


「私は残党の潜伏先を知ってる。もちろん、残党を呼び出すこともできるわ」

「ルクシオン、お前、まさか仲間を売るつもりか?」

 大柄な女の背後で、ジフリンスが驚愕を露わにする。

「もちろん。そこまでしないと納得できないわ。相手は二年間も私を騙してきた。だから、今度は私が裏切る番よ」

「司法取引のつもりかい?」

  

 尋ねたイースがジッとルクシオンの真剣な目を見る。それを見た彼女は、重たくなった肩を落とした。

「その目は本気だね。分かった。では、今すぐその仲間をこの街に呼び出してもらおうか。部下の騎士たちのほとんどが病院送りにされたからね。この街を離れるわけにはいかないんだ。その仲間は、私とジフリンスで拘束する」

「ウソ、たったふたりで?」

 驚き、口元を右手で隠したルクシオンに対して、イースが頷く。

「不服かな? 一週間後に退院予定の部下たちを待っている暇はなさそうだからね」

「でも、相手は私と同じ能力者だから……」

「仲間の能力は把握しているのだろう? それ相応の対策をしておけば怖くないさ」


「良かった。イース騎士団長はルクシオンのことを信じているらしい」

 ホッとする顔つきのジフリンスを視線を向けたイースが腕を組む。

「それで、誰を呼び出すつもりかな?」

「そうね。一番安全なのは、エルフ・トレント。エルフなら戦わなくても、人質になってくれるかも。確か、今はラスと行動を共にしているはず……ハッ!」


 不意に浮かび上がる黒い影を目にしたルクシオンは思わず拳を握りしめた。


 気が付くと、彼女の眼前には黒髪短髪のヘルメス族の少年、ラス・グースが佇んでいた。


 

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