第116話 動き出す巨悪

 かつて王族が住んでいたとされるアゼルパイン城。真っ赤な絨毯が敷かれた王室の王座に腰かけたヘルメス族の幼女、ルス・グースは手元にある机から紅茶が注がれたティーカップを持ち上げた。

 真っ白な丸い机の上には、クッキーが並んだ三段形式のケーキスタンドや高級そうな見た目のティーポットまで置かれている。


 ルスの目の前には、二人が並んでいた。右にいるのは、黒髪短髪のヘルメス族の少年、ラス・グース。その隣にはルル・メディーラ。


「ルスお姉様。ムクトラッシュ病院の地下研究施設で爆発が起こったそうですね?」

 そう切り出すラスに対して、ルスは紅茶を一口飲むと、すぐに頬を緩めた。

「私の能力がうまく使えたようなのです」

「でも良かったのですか? 確かあの施設には、あの石板が隠されていたはずです。それが壊れてしまえば、街に住む人々がパルキルス姉妹のことを思い出してしまうのでは?」

 首を捻るラスの前で、ルスはクスっと笑う。

 

「問題ないのです。物理的に破壊したところで、術式の効果は切れないのです。バラバラになった石板を復元するためには、一か月以上の時間が必要になるでしょう。さらに、爆発の原因究明のため、しばらくの間、施設内は部外者立ち入り禁止。これで、五大錬金術師たちは、審判の日が終わるまで記憶消去術式の解除ができなくなったのですよ。これで安心なのです」

 笑顔になったルスの顔を、ルルがジッと見つめる。


「相変わらず、優しいのね。さっきのニュースで被害状況聞いたわ。あれだけの爆発が起きたのに、怪我人や死人が出なかったなんてね」

「無駄な血が流れるのはイヤなのですよ。本来ならこんな回りくどいことしなくても、アルケミナ・エリクシナの侵入を許した時点で、私自らあの子を倒せばよかったのですが、あえて相手にせず、エルフとスズクルルに任せてしまった。その結果、別案として用意していた爆破計画を実行せざるを得ない状況に陥った。これが真相なのです。ところで、会ったそうなのですね? ルクシオン・イザベルと」

 ルスがチラっと冷たい視線をルルにぶつける。

 その一方で、ルルは慌てて両手を合わせた。


「ごめんなさい。例の取引直前にディアナと合流するために、あのドラゴンに乗って飛んでたら、あの子に見つかっちゃいました。でも、安心して。お兄さんを葬ったあの技で痛みつけておいたから!」


「では、あの錬金術書が手元にあるのですね?」

「ううん。まだないよ。取引相手が欲しがってたブラドラが全て逃げちゃったし、協力者のディアナも捕まっちゃった。おかげで、取引中止だよ」

「余計なことは話していないのですか? 復讐の矛先がこちらに向いたら困るのです」

 ジド目になったルスと顔を合わせたルルの背筋が伸びる。

「そっ、そんなの関係ないよ。あの子の結末は最初から決まっているんだから。危険な錬金術研究機関、聖なる三角錐の残党として逮捕され、冷たい檻の中で一生を過ごす。復讐する機会も奪われて」


「マリアの話だと、そろそろ報道されるらしいのですよ。聖なる三角錐の代表、トール・アンが死亡したって。それと同時に、ルクシオン・イザベルとマエストロ・ルークが指名手配される手筈になっているのです。今頃、ルクシオンはどこかの病院で治療を受けている頃でしょうが、地元の騎士団に捕まるのも時間の問題なのです。そこでラスにお願いがあるのです」


「何ですか?」とラスが問いかけると、ルスは強く首を縦に動かした。

「ルクシオン・イザベルを始末してほしいのです」

「ちょっと待って。始末なんてしなくても、逮捕されたら私たちに復讐できなくなるんでしょ? わざわざそんなことするなんて、ルスらしくない!」

 ラスの指令にルルが口をはさむ。その一方で、ルスはソーサーの上にティーカップを置き、


「何もわかっていないのですね? ルクシオンにはこの潜伏先を伝えてあるのです。一応、政府関係者のマリアに根回しをしてもらいますが、あの子の過去に同情した騎士たちが城を攻めてきたら困るのです。そういう芽は先に摘んでおいた方が得策なのですよ。ここは心を鬼にして、ルクシオンの始末を命令します。それと、ルルにも暗殺指令を出すのです。標的はミラ・ステファーニア」


 標的名を聞いたルルは思わず頬を緩めた。


「懐かしい名前ね。その子がどうかしたの?」

「医療都市、ムクトラッシュでアソッド・パルキルスと接触したらしいのです。似たような境遇のふたりが出会ってしまえば、復讐心に火が付きます。面倒なことになる前に……」

「……悪いけど、私の出る幕じゃないわ。あんな脇役の復讐劇に付き合うほど暇じゃないもの。今まで通り、ミラには干渉しないわ。それでもしたいなら、私が暗殺者を選ぶ」

 瞳を閉じたルルの前で、ルスが腕を組む。

「なるほど、それが答えなのですね。では、今まで通り警備を任せるのです。そろそろ最後の準備を始めないと間に合わないのですよ」

「それって、何の話?」と理解できないルルが首を傾げた。

「最後の準備です。数時間後、ルスお姉様は王室に閉じこもります」

「世界から断絶した空間の中、孤独を抱えたまま、精神を統一するのです。その間は何人たりとも、王室に出入りできないのですよ。瞬間移動を含む全ての能力を封じ、一か月間過ごすのです」


「かっ、過酷な修行ね」とルルが目を点にする。そんな彼女に対して、ルスは微笑んだ。

「そうでもないのですよ。必要最低限な飲食物や紅茶の持ち込みは許されているのですから」

「ふっ、相変わらずな紅茶党ね。あっ、警備のことだけど、エルメラ守護団としての仕事もあるから、週一回しかできないから、ごめんね。他にもやらないといけないことがあるからさ」

 ルルがビシっと右手の人差し指を立てる。


「もちろん、それでも大丈夫なのです。こちら側の動かせる駒は約三千万人もいるのですから」

「さっ、三千万人って……」と驚くルルが目を見開く。丁度その時、十五歳くらいの少女が王室のドアを開けた。


 腰の高さまで伸びた黒色の髪をポニーテールに結い、頭頂部の髪がアホ毛のように跳ねた少女は、茶色いクマのぬいぐるみを抱えて、ルス・グースの元へ歩みを進める。


「マリア、遅かったのですね?」

「指示通り、聖なる三角錐の残党を指名手配してもらったよ。おまけで、懸賞金もかけてもらった。これで、逮捕も時間の問題だね♪」

 自信満々な表情のマリアが、抱えていたクマのぬいぐるみを王座に座る白髪の幼女に投げた。

 王座から立ち上がり、それを掴んだルスが、子供らしくぬいぐるみを抱きしめ、席に戻る。

 その仕草を見たルルはクスっと笑った。

「ふふっ、まるで子どもみたいだね。かわいい」

「そうですね。ルスお姉様はかわいいです!」

ルスの隣にいたラスが頬を赤く染め、同意を示す。

「そうそう。かわいい妹みたいで、頭を優しく撫でたくなるよ」

 同様にマリアも笑顔で頷くと、照れた幼女が頭を掻く。

「からかわないでほしいのです。好きで幼児化したわけではないのですよ!」


「はいはい。ところで、師匠は? 一緒じゃなかったの?」

 マリアが首を左右に動かし、長身の男を探す。だが、どこにも彼の影は見えなかった。

「テルアカなら、錬金術の素材採取の旅に出かけたのです。二週間後には戻ってくると思うのです」

「ええっ、それ先に言ってよ! 姉弟子、アタシをテルアカがいる場所まで連れて行って! アタシも師匠と旅したい」


 マリアがラスの右腕を引っ張る。その仕草を見たルスが首を横に振る。

 

「残念ながら、それはできないのです。マリアには政府関係者としての仕事が残っているのですから。それを放り出して旅をするなんて、認めるわけにはいかないのです」

「そんなぁ」と落胆するマリアの右肩を、ラスが優しく叩く。


「あっ、忘れてた。もうすぐ着くよ。ホーエンハイルの騎士団♪」

 思い出したようにマリアが両手を叩く。それに対して、ルスは頬を緩めた。

「予定通りなのです」と不適に笑うルスの前でルルは驚き顔になる。


「ホーエンハイルって、確かこのアゼルパイン城の近くにある都市よね? 三百年前は十五人の住民しか住んでいない小さな村だったけど、災害とかで住処を失った人々を住民として受け入れることで住民を増やし、今では三千万人規模の都市に発展したって聞いたことがあるわ。その騎士団が来るってどういうこと?」


「そのままの意味なのですよ。あの都市は、私の領地なのです。あの街に住んでいる三千万人は、私の支配下にあるのです。わざわざ洗脳しなくても、大切な人を失い、心が傷ついた人間は簡単に支配できるのです」

「もしかして、私が滅ぼしたあの村に住んでる人とか?」

「そうなのです。ルクシオンの故郷の人々のほとんどはホーエンハイルに住んでいるのです。中には親戚を頼って私がタダで提供した住処に残らなかった人もいますが……元々あの街に住んでいた人を含む三千万人が、私の合図一つで動かせるのです。さて、そろそろ時間なのです。皆様、ご退室願うのです」


「相変わらずね」と呟くルルが聖人に背を向け、扉に向かって一歩を踏み出した。その後ろ姿にラスとマリアも続く。そうして、王室の外に出た三人は、聖人、ルス・グースを残し、目の前にある重そうな扉を閉じた。


 

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