第93話 悪魔の取引

 曇り空の下で四人の敵と相対するディアナが腕を組み、唸り声を出した。


「うーん、じゃあ、始めちゃおうかな。無理して戦わなくてもいいし、こっちの方が楽だもん」

 不敵な笑みを浮かべるディアナが手を一回叩くと、起き上がった猫耳の騎士たちが向き合うように立ち、剣を抜いた。

 それから、すぐにお互いに間合いを詰め、剣を交えていく。白く濁った騎士たちの目に殺意が宿り、彼らは一心不乱に剣を振るっていた。

 その様子を横目で見ていたディアナが、右手の薬指を立てる。そうして、空気を叩くと、黒い小槌が召喚され、石畳の地面の上に落ちた。


 そのままで両手を広げたディアナが、ジフリンスたちと向き合う。


「さあ、取引の時間だよ。あなたたちの仲間は、殺し合いをしています。このままだと、最後の一人になるまで、戦いは続くでしょう。これ以上、仲間が傷つくのが見たくないというならば、異能力が使えるそのブラドラを私の目の前まで連れてきてね。そうしたら、死闘を止めてあげます。さあ、早くしないと、仲間の誰かが死ぬかもね」


「卑怯者だ」とジフリンスをイースがディアナの顔を睨みつけた。その近くでクルスも拳を握り締める。ディアナの目の前に立っていたヘリスも憤りを露わにする。

 丁度その時、ジフリンスの右肩に乗っていたユイが飛び上がった。

「ユイ。どこに行くつもりだ!」

 前方へ向かおうとするユイにジフリンスが問いかけると、彼の妹は決意の瞳でディアナの顔を見ていた。

「あの人のところに行かないと、みんなが死ぬんでしょ? だったら、早く行かないと……」

「イヤ、こんな卑怯者の言うことなんて聞く必要はない。みんなでアイツをぶっ飛ばせば解決だ!」

「その間に誰かが死んだら、どうするの? 傷つけあってる仲間の姿なんて、見たくない。あの人のところに行ったら、みんなの命が助かるんだから、これしかないでしょ?」


 そんな会話を聞いていたディアナは、腹を抱えて笑い出した。


「みんなでアイツをぶっ飛ばせば解決だってさ。なんかの術式で仲間を操っているんだと思ったら、大間違い。太陽も出てないみたいだし、正体、現してもいいかな?」


 曇り空を見上げたディアナの額に刻まれた傷から、緑色の液体が噴き出す。突然のことにクルスたちは目を大きく見開いた。その間に、丸坊主の初老男性の体が糸が切れた人形のように崩れ落ち、石畳の上に落ちた緑色の液体が一つに集まっていく。


 十数秒ほどで、全身を透明な緑色のスライムで構成した猫型の獣人の姿が露わになる。半透明な後ろ髪の長さは三十センチほどで、五つに枝分かれしたような帯状になっている。その大きさは成人男性と同程度。

 透明な緑色の尻尾が揺れ、丸い目が大きく開く。


「そう。これがディアナ・フリース本来の姿」

「その姿、ウィラム族だにょん」

 異様な姿を目にしたヘリスが呟く。その声を聴き、クルスは首を傾げた。

「ウィラム族?」

「ヘルメス族と同じ希少な種族だにょん。その習性から、ウィラム族を嫌う人間も多いと聞き、薄暗い洞窟の中でひっそりと暮らしていると聞いたことがあるにょん」

「そうそう。傷口から寄生するのがバイキンみたいだってね。よく石を投げられたものさ」

 四足歩行になったディアナがクルスたちの会話に食いつく。それから、ディアナは咳払いして、話を続けた。


「因みに、騎士団のみんなを操っているのは、術式の効果じゃなくて、固有能力の効果だから、勘違いしないように! 私の一部を寄生させて、操ってるに過ぎない。つまり、私が気絶したとしても、キミたちの仲間は殺し合いをやめない。死闘を繰り広げている仲間を気絶させたとしても、すぐに起き上がって、闘いを続けるから、文字通り死ぬまで戦い続けるんだ。さあ、どうする? 早くしないと、仲間が死ぬよ」


「ほら、迷う必要なんてないでしょ? 仲間を助けられるのは、私だけ。だったら、行くしかない。みんなのためなら、危ないことだってやるって決めたから」

 真剣な表情でディアナの話を聞いていたユイが羽を羽ばたかせた。少しずつ遠ざかっていく小さな後ろ姿に勇気が宿る。


「まさか、自分から出てきてくれるなんてね。あっ、言い忘れてたけど、妙な真似したら、仲間殺すから。もっと激しい戦いにしてね。さあ、剣を鞘に納めて、見るがいい。異能力が使える珍しいブラドラが私のモノになるのを!」


 楽しそうに笑うディアナと対面したジフリンスは、唇を強く噛み、鞘に剣を納めた。ヘリスとイースも同様にして、その場で足を止めた。

 一方で、クルスも手を止め、ディアナの顔を睨みつける。


 そうして、数秒ほどでユイがディアナの前に姿を晒す。

 その姿を見たディアナは、ウットリとした表情を浮かべた。

「ラララッ」というかわいらしい鳴き声を耳にしたディアナは、目の前に落ちている黒い小槌に目を向け、右の前足でそれを触れた。すると、小槌が緑色のスライムの中へ吞み込まれていく。

 そうして、透明な緑色の前足の中に魔法陣が浮かび上がると、そのまま立ち上がり、右手をユイに向けた。


「さあ、始めようか」と呟き、右手でブラドラの白い毛並みに触れる。

「ラララッララ」という鳴き声と共に、小さな体が緑色のスライムの中へ呑み込まれた。視界が緑色に染まり、体が魔法陣と重なる。その瞬間、ユイの体は黒い光に包まれていき、それを核にした黒い球体が出来上がった。


「素晴らしい」と右手の中で起きている変化を眺めたディアナが笑顔になる。

 右手の中にあった黒い球体がジグザグに動き、右手の人差し指の先から飛び出していく。球体をコーティングしていた緑色のスライムが弾け飛び、暗い闇のような球体も消えていく。

 その中から現れたのは、暗い瞳をしたブラドラだった。首には黒い首輪が嵌められ、その姿からは持ち前の明るさも感じられない。


「約束通り、みんなを助けてあげるよ。素晴らしい自己犠牲に感動したから、騎士たちは自由にしてあげる」


 その直後、戦い続けていた獣人の騎士たちがバタバタと倒れていった。それから、騎士たちの傷口から緑のスライムが飛び出し、ディアナの体に吸収されていく。


「これで残る駒は四つ。私が手放した駒は、まともに戦えないから、戦力に数えなくて大丈夫そう。さて、かわいいブラドラちゃん。襲っちゃおうよ。まずは、仲が良さそうな犬耳の騎士から!」

「ララァ」と答えたユイが、暗い目をジフリンスに向ける。そんな妹と向き合ったジフリンスは一歩を踏み出した。

「ユイ」と呼びかけながら、少しずつ距離を詰めていくジフリンスの姿を暗い瞳に映しだしたユイは無言のまま、白い羽を動かした。

 空気が切り裂かれ、ジフリンスの青い鎧に傷が刻まれる。その姿を見て、ディアナはクスっと笑った。


「もう約束守らなくていいんだよ。剣抜いて戦えばいいのに」

「ウルサイ。ユイの体に傷一つ付けるわけにはいかないんだ!」

「優しいんだね。でも、ここは撤退したほうが良さそう。まだ次もあるし。じゃあ、またね♪」

 

 その声を聴き、黒い首輪を嵌められたユイが飛び上がり、ジフリンスに背を向け、上空を前進していく。そして、ドロドロに溶けたディアナが、格子状の隙間を潜り抜け、下水道の中へ吸い込まれていった。


 遠ざかっていくユイの後姿を見上げたジフリンスが、拳を強く握りしめる。


「最悪だな。ユイを守りたかったのに、俺は何もできなかった」

「悔しがってる場合じゃないにょん。今すぐユイを追いかけて、助ければいいだけだにょん」

 ジフリンスの右隣に飛んだヘリスの意見を聞き、ジフリンスは首を縦に振った。

「そうだな。今すぐユイを追いかけて、助け出す。よく考えたら簡単なことだ」

 その時、イースが右手を挙げながら、ジフリンスの元へ歩み寄った。

「問題はここから。おそらくディアナはまだ何か企んでいると思う。みんなで助けにいけば、街が手薄になり、ディアナの悪だくみの対応が遅くなる可能性が高い。ヘルメス族がいるとはいえ、ここは、ユイ救出と防衛任務の二手に分かれた方がいい」


「そういうことなら、僕はジフリンスさんと一緒に、ユイさんを助けに行ってきます。僕の能力で、あの首輪を壊せば、助けることもできるでしょう」

 クルスが右手を挙げると、ジフリンスは頷いてみせた。

「決まりだな」と呟いたジフリンスは空を見上げ、クルスと共にユイを追いかけた。

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