第89話 ユイ・グリーン

 白い家が建ち並ぶ閑静な住宅地の中で、ジフリンス・グリーンは、自身の右肩に乗っていたプラドラを見下ろした。

「危ないから隠れてろって言っただろ? もし、こいつがみんなのブラドラを連れ去った悪いヤツだったらどうするんだよ! ユイ」

「ララアラァ、ララッ」

 かわいらしい鳴き声を耳にしたジフリンスが溜息を吐き出す。一方で、状況を理解できないクルス・ホームは困惑の表情を浮かべた。

 そんな五大錬金術師の助手の右隣に飛んだヘリス・クレアは首を傾げる。

「獣人は動物やモンスターと会話できるって知らなかったのかにょん?」

「いいえ。知っていますが、どうしてジフリンスさんが剣を鞘に納めたのか理解できないんです」

「その件について、ユイが話したいらしい。俺の聴覚情報を共有すれば、動物と話せないお前らでも、会話できるはずだ。今から、その術式を使うから、近づいてくれ」


 先程の会話が聞こえていたジフリンスが右手を前に伸ばす。その動きに警戒心を示さない二人は、そのままジフリンスの元へ足を進めた。その間に、彼は右手の薬指を立て、宙に触れさせ、音符の模様が印字された肌色の小槌を召喚する。それを石畳の地面に叩きつけると、魔法陣が浮かび上がった。


「早く魔法陣の上に乗ってくれ。一時間だけユイの声が聞こえるようにしてやるから。まあ、そんなに必要ないかもしれないがな」

 指示に従い、クルスたちが魔法陣の上に立った。すると、どこかから若い女の声が聞こえてくる。

「ふぅ。やっとお話できちゃうね。話がしたくて、うずうずしてた。まずは、ウチの兄がご迷惑をおかけして、すみませんでした!」

「ユイ、待て。なんで謝った? こいつらは、お前を連れ去る悪いヤツかもしれないんだ」

 クルスたちに疑いの視線を向けるジフリンスに対して、ユイと名乗るフラドラは首を横に振ってみせる。

「ジフリンス。実際に剣を交えて分かったことがあるはずだよ。ヘリスちゃんだっけ? この子の剣からは邪念や悪意を感じなかった。違う?」

「そうだが……」

「この人たち、絶対に悪い人じゃないって。それに、世界に一匹しかいないと思う異能力が使えるブラドラを見ても、目の色を変えなかったしね。ホントに騎士団のみんなが追ってる白いローブの女だったら、速攻で私に術式を施して、連れ去ってる頃だと思わない?」


「言われてみたら、確かにそうだな。人違いでした。ごめんなさい」

 ユイの推測を聞き、納得したのか、ジフリンスはヘリスに頭を下げた。

その一方で、ヘリスは「白いローブ……」と呟き、眉を潜める。同じように、クルスも唸り声を出した。すると、二人の表情の変化に気が付いたユイが首を傾げた。


「もしかして、心当たりがあるのかな? ヘリスちゃんと、えっと、誰だっけ?」

「クルス・ホームです」

「クルスちゃん。覚えとこ。もう一度聞くけど、白いローブの女に心当たりがあるのかな?」

「もしかしたら、聖なる三角錐の仕業かもしれません。研究のためだったら何でもやる危険な錬金術研究機関なら、ブラドラを連れ去ってもおかしくありません。その証拠に、あの研究機関のメンバーは白いローブを着ています」

「なるほどな。じゃあ、ヘリスも同じことを考えてたのか?」

 ジフリンスが腕を組みヘリスに疑問を投げかける。すると、ヘリスは一瞬遅れて、頷いてみせた。

「あっ、クルスと同じ組織を想像したにょん」

「敵は聖なる三角錐かぁ。四年くらい前に政府関係者を暗殺したっていう黒い噂を聞いたことがある。まさか、そんな危ないヤツラが白いローブを着ていたなんて知らなかった。兎に角、そいつが誰かが飼ってるブラドラを狙うところを見つけ次第、この剣で倒さないと、ユイが……」


「相変わらずの心配性だね。そんな悪い人に捕まらないから、大丈夫。みんなのためにおとり捜査する覚悟もできています。こんな珍しいブラドラを狙わない理由はないでしょ? 一時間くらいその辺をブラブラしてたら、犯人、絶対来るって」

 明るく笑うユイに対して、ジフリンスは真剣な表情になる。

「ユイをそんな危ない目に遭わせるわけにはいかない! 錬金術を凌駕するような異能力が使えるからって、安心できる理由にはならないんだ!  それに今、騎士団長たちがブラドラの鳴き声が聞こえたっていう洞窟へ出発した頃だ。そこにみんなのブラドラが囚われてるとしたら、必ず犯人とも遭遇する。ここは騎士団長に任せればいい」

「あの、なんとなく事情は分かりました。要するに、エフドラではブラドラ連続拉致事件が発生しているということですね?」

 ようやく事情が分かったクルスが右手を挙げる。

「そうだ。ここ一か月くらいの間に、数百件も起きてる。街のみんなが飼ってるブラドラが、突然いなくなる事件だ。それで、一週間くらい前に、白いローブを着た女がブラドラに術式を施して、どこかに連れ去ったっていう目撃証言が出た。そこで、街の治安を守る俺たち獣人騎士団は、犯人を捕まえて、警察に突き出すために行動を開始した。兎に角、俺はユイが事件の被害者になる前に、犯人を捕まえたいんだ」


 事情を明かすジフリンスの右肩に乗っていたユイが飛び上がり、ヘリスの元へ迎う。

「ヘリスちゃん。強いね。あのジフリンスが負けそうになるなんて、スゴイと思う。こんな体じゃなかったら、剣を交えてみたいって思っちゃった」

 興味津々な態度で青い目を輝かせるブラドラに呆気に取られたクルスが目を丸くする。

「こんな体じゃなかったらって、もしかして……」

「そうだよ。フェジアール機関のEMETHプロジェクトに参加したら、突然こんな体になっちゃったんだ」

「……そうだったんですね」

 久しぶりにあのシステムの被験者と出会ったクルスは拳を握った。あのシステムに不具合があった所為で、彼女はこの街で起きている事件の被害者になるかもしれない。それだけではなくて、姿を変えられてしまって、錬金術も使えなくなった。そのことの意味に気が付いたクルス・ホームが胸を痛める。


「まあ、他の被験者も多種多様な姿になったっていう話も聞いたからね。こうなったのは私だけじゃないって安心できたんだ。剣も握れなくなったけど、みんなとは会話もできるから、孤独感もないよ。戦闘だって、異能力でジフリンスのサポートもできるし。特に良かったのは、ジフリンスとの模擬戦中にこの姿になったことかな? あの日、異能力を得る前の最後の試合と称して、ジフリンスと剣を交えたんだぁ。その最中にブラドラになったんだけど、これは結果的に良かった。だって、いつも使ってる剣と鎧をジフリンスに預かってもらえたから。この姿になったら、剣や鎧を引き出すこともできないからね。定期的に手入れしとかないと、錆びちゃうしさ。やっぱり、私の剣は信頼できる騎士に預けたい」



 妙に明るい語り口にクルスは思わず目を点にした。

「どうして、そんなに明るいんですか? なんか、この現状を受け入れてるみたいに見えます」

「やっぱり、楽しまないと損じゃん。突然、ブラドラになった獣人なんて、私しかいないと思うし。身近だったブラドラって、こんな景色見てたんだってことが知られて、すごく楽しい。ブラドラがもっと身近な存在になったよ!」

「じゃあ、元の姿に戻りたいとは思わないんですか?」


 その問いかけにユイは驚愕を露わにした。

「えっ、元の姿に戻る方法を知ってるの?」

「いや、仮定の話です。実は、僕もEMETHプロジェクトの被験者で……」

 首を横に振ってから、事実を告白したクルスの声を耳にして、ユイが微笑む。

「あなたもEMETHプロジェクトの被験者だったんだ。すごく親近感湧いてきた。じゃあ、さっきの質問の答えだけど、もちろん戻りたいよ。元の姿に戻る方法が分かるまでは、ブラドラとしての生活を楽しみたいってだけ。そういえば、あなたたちは、どうして、この街に来たのかな?」


「はい。ステラさんにブラドラの体毛を採取するよう依頼されたので……」

「じゃあさ。私たちと一緒にブラドラを連れ去ってる悪い人を捕まえてくれたら、私の体毛、あげちゃおうかな?」

 ブラドラのユイがグイグイとクルスとの距離を詰めていく。すると、ジフリンスがユイの元へ慌てて足を進めた。

「ユイ。勝手に話を進めるな!」

「クルスは異能力者だし、ヘリスはジフリンスと互角がそれ以上の騎士だよ。協力者として相応しいじゃない。この二人が仲間になったら、鬼に金棒だよ! それに、私の体毛なんて、減るもんじゃないしさ」


「ああ、分かった」とジフリンスが頭を掻くと、三人と一匹の真横を住民たちが通り過ぎた。そんな彼らは全員慌てた顔で全速力で街の中を駆け抜けている。


 何か大変なことが起きている。そう感じとったジフリンスは咄嗟に、逃げようとする住民の男の右腕を掴んだ。


「待て。何があった?」

「ああ、騎士団のシフリンスか。あっちで黒いドラゴンが暴れているんだ。騎士団にも連絡済みだが、それよりも先に偶然居合わせた大柄な若い女が戦ってる」

「大柄な女?」

「ああ、すごく怖い目で、スゲー速さでドラゴンの腹を蹴ってたぜ」という答えを口にした住民の腕から手を離したジフリンスは真剣な表情で、右に視線を向けた。


「ユイ。行くぞ。騎士団のみんながいつ来るのか分からない」

「そうだね。ここは一番近くにいる私たちが加勢しないとね」

 互いの意見が一致したジフリンスたちが東の方向へ駆け出す。

 そんな騎士に続き、クルスとヘリスも彼らと同じ方向へ向かった。

 


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